一体どれくらいの速度で歩けば、君と並べるのだろうか。
それを知りたくて、僕は今日も君の少し後ろ歩いていく。

誤解を招くといけないので言っておく。
これは決してストーカー行為などではない。
僕と彼女は帰宅ルートが同じなのだ。
だから、ただ後ろを歩いているに過ぎない。

いつ頃からだろうか、君のことが気になって仕方がなくなった。
それが恋愛感情だと気づくまでに、それほど時間はかからなかった。
想いはすれど伝えられぬこの気持ち。
せめて君と並んで、この道を歩けたらと、いつも考えている。

並んで歩くなんて簡単だ。
君の横で、君の歩調に合わせて僕も歩く。
ただそれだけだ。
しかし、僕は臆病だった。
気持ちを伝えられないどころか、君の横に並ぶことさえためらっている。
その結果が、これだ。
君の歩く速度を体に覚えさせて、僕も同じ速度で歩く。
そして、いつか君の横に並んで歩けるようにと想いを馳せるのだ。

ただ、今日はいつもとは違った。
君は、普段なら絶対に足を止めない場所で、立ち止まった。
つられて、僕も立ち止まる。
そして、あろうことか君は、僕に振り返り、わざわざ後戻りをして僕に歩み寄ってきた。

「どうして、あなたも止まるの。」

突然の問いかけに、僕は答えることができずにいた。

「秒速1メートル。時速に直すと3.6キロ。」

「え?」

「気づいてた。いつも、私の後ろを、私と同じ速度でついてくる人。」

「帰り道、同じだから・・・」

「知ってる。いつも途中でいなくなるから。」

「迷惑だったよね・・・」

「構わない。あなたの好きにすればいい。」

無表情な君が、わずかに微笑んだ。

君に気づかれないように距離をとって歩いていたつもりだった。
でも、とっくに君は僕のことに気づいていた。
少しだけ、ほんの少しだけ君に近づけた気がした。
それからは、君の容認の元、少しだけ距離を詰めて、同じように後ろを歩く。
君は何を基準に、速度を計っているのだろうか。
秒速1メートル、具体的に言われても、どのくらいかわからない。
君の歩く速度で、僕は秒速1メートルを計る。

ある日、君はまた立ち止まった。
当然のように、僕も立ち止まる。

「歩いてこないの?」

言われて、僕は彼女の近くに歩み寄る。

「あなたがさっき立ち止まった場所からここまで、10メートル。
 あなたは10秒でここに来た。その速度が、秒速1メートル。」

「君は、いつもどうやって計ってるの?」

「計ってない。」

「じゃぁ、なんで?」

「計ったことがあるから、わかってるだけ。
 私は、5メートル先の場所に行くまで5秒かかった。
 だから、私の歩く速さは秒速1メートル。
 いつも計ってるわけじゃない。
 いつもどおりに歩けば、それが秒速1メートル。」

事実、君はいつも同じ時間に、同じ場所を歩く。
僕も、同じ時間に同じ場所をついていく。
それが、僕と君の平日の日課だった。
知り合い以上・友達未満
僕と君は、不思議な関係で結ばれていた。
そんな日常が、そんな関係が、とても心地よかった。

でも、物事には必ず終わりがある。
ある日、君はいつもより速く歩いた。
僕もそれについていこうと思ったが、どうしても速く歩けない。
なぜだか、今までの君の速さでしか、歩くことができなかった。
しばらく進むと、彼女は立ち止まって僕に話しかける。

「ついてこないの?」

「歩けない。」

「速さが違うから?」

「うん。」

本当は、そうじゃない。
君の背中が、"ついてくるな"と言っていたから。
だから僕は、今までと同じ速度でしか歩けなかった。

「なんで速く歩くの?」

「言わない。」

「今までの速さには戻さないの?」

「戻さない。」

「君に置いていかれてしまう。」

「そのつもり。さよなら。」

短い会話。
最後に見せた、君の寂しそうな顔。
その意味を考える時間も無く、君は"速いペース"で僕の前を歩き去ってしまった。
次の日、僕の前に君の姿はなかった。

あのときの君は、一体どれほどの速さで歩いていたのだろう。
その速さを、僕はどうやって知ればいいのだろう。
今まで、どれほどの速さで生きていれば、君と並べたのだろう。
そしてこれから、どれほどの速さで生きていけば、再び君に会えるのだろう。
無表情な君が見せた、あの微笑みと寂しげな顔。
もしかして、君にとっても、僕は特別な存在になっていたのだろうか。
君も、僕に想いを寄せてくれていたのだろうか。
それも、今となっては知ることはできない。

"秒速1メートル"
あれからずっと、僕はその速度で歩き続けている。
計ったことはない。
普通に歩けば、それが秒速1メートル。
歩き去った君と、歩き続ける僕の、唯一の"つながり"

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