


第二場 前の場から8年さかのぼる
文藝協会「人形の家」終演後
各界の著名人や文化人を招いた舞台で須磨子は
「新時代の女優が誕生」と批評され注目を集めた。
ともに近代劇の道を切り開く抱月との絆が生まれる。

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第三場 前の場から2年後 大正二年六月
須磨子と抱月の隠れ家
須磨子の女優としての成長と相まって抱月との
愛情も深まる。抱月は新たな劇団「藝術座」の設立を
決断し、同時に須磨子との結婚を誓約する。
松井須磨子は日本の近代劇女優第1号でした。
明治の末から大正時代にかけて日本の近代化は大きく進みました。それと同時に女性の社会的地位の向上も進みました。それまで男性が女形として務めていたものを徐々にですが女性が演じるようになってきました。それでも当初は花柳界など芸事の世界から転進する女優ばかりでした。
松井須磨子は坪内逍遙の主宰する文藝協会演劇研究所で第1期生として近代劇を学び女優として歩んだ第1号なのです。
男性中心の演劇社会で、平等な立場を認められない女優が、男性と対等に、あるいは男性をしのいで座長という立場にまで上るのは今日でも大変なことです。
そこには松井須磨子自身の努力とともに、島村抱月という存在がありました。
『芸術と経営の二元の道』を標榜した島村抱月と、抱月の理想を体現する松井須磨子の二人の情熱が結実して『復活』のカチューシャの歌が日本全国から外地まで流布する大成功を収めました。
五十田安希ひとり芝居の名演技。語り、せりふ、歌もちりばめて表現する松井須磨子の女優としての一代記をご覧ください。






第一場 大正八年一月五日
牛込牛込横寺町 藝術倶楽部の二階
島村抱月死去から2ヶ月後
有楽座の舞台を追えて藝術倶楽部へ戻った
松井須磨子は抱月の生前と同様に、今日の
舞台の首尾を語りはじめた

第四場 前の場から9ヵ月後 大正三年三月
帝国劇場『復活』の舞台
須磨子が劇中で歌った『カチューシャの歌』は日本中で
大ヒットして、須磨子は絶大な人気の大女優になった。
第五場 大正六年二月
藝術倶楽部の稽古場
大女優となった須磨子と座員たちとの軋轢

第七場 大正七年十月
『サロメ』上演の舞台
女優松井須磨子こそが島村抱月の演劇運動を体現する
生きた芸術作品であることを観客に示す須磨子
第八場 大正八年一月五日
牛込横寺町 藝術倶楽部の二階。第一場に戻る
人生のすべてをかけてすがった抱月を失った須磨子。