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WEB掲載日:04/08/06
掲載誌:「人民新聞」2003年5月15日
反戦運動 in 世界水フォーラム
ATTAC京都 小森政孝

 ちょうど対イラク戦争がはじまった時期、私は世界水フォーラム(WWF)に連日参加していた。WWFで議論になった水道事業への多国籍企業の参入やダム問題などの報告記事を書くのが目的だったが、「真・悪の枢軸」ブッシュ・ブレア・小泉のせいでこの記事をかくハメになった。

 WWFのメイン会場、京都国際会議場内には巨大なスクリーンがいくつか設置されており、ニュースを流している。三月一八日、会場に行ってみるとCNNで繰り返しブッシュの演説が流れ、スクリーンの前に人だかりができていた。ブッシュ米大統領、ブレア英首相、アスナール西首相らが四十八時間以内ににフセインが亡命するという選択をしないかぎり、全面的な攻撃を開始することを宣言したのだ。こうなるともう私の中では水問題と反戦の優先順位が入れ替わり、分科会に出ないで、世界水フォーラムの会場内で反戦活動を始めた。
 反戦チラシをインターネットからダウンロード。コピー機で拡大して、量産して会場内の掲示板に。会場にはインターネットコーナーがあり、そこに用意されているケーブルにつなげば個人のノートPCからでもインターネットにアクセスできるようになっている。定期的にかよって外部の情報を仕入れたり、反戦行動の呼びかけを転送したりした。水フォーラム市民ネット事務局のKさんがその日の朝に呼びかけた夜7時からのキャンドルチェインの情報を、知っている限りのメールアドレスへ送信。
 小泉首相がこれまでの建前をすてて、攻撃支持を表明のニュース。首相官邸に抗議の電話を入れる。「国際社会対イラクという構図が大事、とかいってましたよね。どうして支持表明が出来るワケ?」「大量破壊兵器が“ないという証明がないから”って?立証責任を転嫁しないでくださいよ」「フセインや金正日が“自国民を苦しめる独裁者”だっていうけど、昭和テンノーはどれだけ違ったんですかねえ?」と矢継ぎ早に問い詰める。答えに窮した役人は「この理屈屋!」と叫んで電話を切ってしまった。
 しばらくするとキャンドルチェインのチラシが大量生産され会場内での配布が始まった。市民ネット事務局のNさんの話ではフォーラム事務局の許可をKさんがとったとのこと。さすが!私もチラシまき、チラシ貼りを手伝う。
 こうして午後7時、国際会議場前にキャンドルを持った三百人の多様な人種、年齢、性別で構成された人の列が出現した。フォーラム参加者以外からも沢山の人々が集まった。わざわざ、このために京都のはずれにある国際会議場まで来てくれたのだ。
 高い入場料を払って入ったのに、この日は一度もWWFの分科会に出ないでこれで終ってしまった。

 三月十九日、WWF参加者に戦争反対を訴えるチラシをつくって会場内に配布。イラクの子供の写真に英語で“彼女が欲しいのは爆弾じゃない”という言葉を添えただけのシンプルなもの。分科会の合間を縫って今日も会場内にポスターを貼る。ハートピア京都での夜の反戦集会ではマイクをにぎる。「この子達に爆弾を落とそうと言うのは一体どういう連中なのか。48時間の残りも僅かになったけど、まだ攻撃は始まってない。できることをしよう」とアピール。

 三月二十日、朝、会場前の地下鉄の出口では、ピースボートの諸君が横断幕を持って反戦の意思表示。ラジオをつけて、ニュースに聞き入っている。私は自分のチラシを撒いたあと、会場内に“もし攻撃が始まったら街頭へ”というインターナショナルアンサーのポスターを貼りに行った。
 十時、スクリーンのCNNの映像には“time up”の文字。「48時間」の時間切れだ。会場外へ出て、ピースボートの皆さんと合流して、宣伝を続ける。
 十二時頃、攻撃開始のニュース。怒り。ピースボートのメンバーと、通りかかった大学生などで何をするべきかを話し合う。その日の夜に「人間の鎖」をすることに決定。この後の行動は、自分であとから思い出しても素早かったと思う。
 入場証を持っている私と大阪外大のAさん(高いのでみんな持っているわけではない)で会場内のコピー機を使って行動を呼びかけるポスターを作り、貼る。メールで行動情報を流す。外のメンバーは、チラシをつくるために地下鉄に乗って無料で使える印刷機がある水フォーラム市民ネット事務局へ。そして私は、会場内でのチラシ配布の許可を取りにWWF事務局に交渉に向かった。
 WWF事務局のスタッフはおどろくほど協力的で、トップがすんなり出てきて話を聞き、書類を調えるまでスムーズに進んだ。これはAM-NETのKさんがWWF事務局内で信頼されていて、この日もハードスケジュールの中で、電話で事務局に口添えをしていただいたことによると思う。
 次は警察に道路使用許可をとりにいく。AM-NETのIさん、ピースボートのGくんとタクシーで下鴨署へ。この日唯一フレンドリーでなかったのがこの下鴨署で、受付の警官は散々待たせといて「もっと事前に計画できなかったんですか」とのたまう。そういう警察にイライラする私をなだめて、Iさんが警察との交渉をまとめた。大人である。
 会場に戻ると、宣伝を続けていたメンバーはすでに500枚のチラシを配りきっていた。鶴を折り、風船を膨らませて準備をすすめる。ふと、目を遣ると公安警察が少しはなれて屯している。クダラナイやつらだ。  夜7時、「人間の鎖」を開始。会場から出てくる人々に列に加わるよう呼びかける。先日ほど大規模にはならなかったが、それでも100人ほどの人間の鎖が出来た。メールを送った友人も何人か駆けつけてくれた。列に加わってくれなくても、親指をたてて、賛同の意思を示すひとも沢山いた。一方で戦争に賛成だと文句をつけてくる人もいたが、それは僅か数人だった。WWFにはマスコミが多数来ていて、それらがみな、この夜の行動を取材したため、カメラを構えている人数が、人間の鎖に参加している人数に比べて不釣合いに沢山いた。おかげで反戦の宣伝としては効果があったと思う。

 世界水フォーラムでの私個人の反戦の行動はおおよそこんな感じ。戦争を阻止できなかった悔しさはもちろんある。殺された人たちの命は戻らない。しかし、だからこそ、「次を許さない」ために、ミクロな抵抗をいっぱい作って、グローバルにつなぎ合わせるいとなみを持続的にやっていく必要がある。WWFでは見ず知らずの人たちとその場で一緒に計画し、分担し、行動したわけで、それはとても新鮮な体験だった。その意味で、この数日間の反戦のたたかいは私個人の「第一歩」になったと思っている。


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