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WEB掲載日:06/05/29
掲載誌:週刊「かけはし」2002年11月11日(第1755号)
ジョゼ・ボベ トークライブ京都に二百三十人

会場埋める学生たちに熱い訴え

 【京都】十月二十九日午前、京都駅近傍の会場で『Jose Bove Talk Live in Kyoto』と題してジョゼ・ボベ氏の講演が行われた。平日の午前十時という時間帯にも関わらず、会場は立ち見がでるほどの超満員になった。京都の市民運動でよく見かける面々も多数来ていたが、大多数は社会運動の経験のほとんどない学生たちで占められていた。

なぜ闘うか、どのように闘うべきか

 ボベの講演は、集まった若い人たちへのメッセージにあふれていた。彼が十六〜十七歳のときに活動をはじめたこと、そしてそれはヒロシマ、ナガサキに連なる問題、すなわちフランスの核兵器に反対することだったと語り始める。ラルザックの基地建設に反対する闘い。「非暴力の農民の運動が軍隊に勝ったんだ」という言葉は熱を帯びていた。そして、その地の農民とともに暮らし始めたこと。工業的な農業に反対してきたことを語った。

 転機が訪れたのは八六年、GATTでの交渉の俎上に農業産品がのぼり、貿易において工業製品と同様に扱おうという動きが本格的になったことだ。農業は人々を食べさせるためのもので、貿易の自由化のためのものではない! 『国際価格』なるものの強制で、世界中で 多くの農民が土地を失っている。輸出のための農産物がつくらされる。しかし多国籍企業にとってはそれだけでは不十分で、人々から選択の余地さえ奪おうとしているのだ、とボベは続ける。

 いよいよボベはなぜマクドナルド解体にいたったかを説明する。九九年、EUのホルモン肥育牛の輸入規制をめぐって、米国はWTOに持ち込んだ件の裁定が出た。それはEUは米国産ホルモン牛肉を拒否できないというもので、米国はEUの産品六十品目に報復関税をかけていいというもの。そのなかにはボベが生産しているロックフォールチーズも含まれていた。

 政府、裁判所、あらゆるところにどうしたらこのことに異議を申し立てることが出来るのかを訊きに行ったが、常にその答えは「WTOが決めたことだからどうにもならない」というものだった。法律を用いて抗議することができない!ボベたちはそこでマクドナルドの店舗を解体するデモンストレーションをすることにした。家族連れ、老人、子供を問わず参加したこの行動はとても平和的なものだった。しかし数日後、ボベは牢獄に放り込まれた。

 このように、ボベはわかりやすい言葉で、彼の活動の内容、スタンスを聴衆に訴えた。その中で繰り返し述べられたことは「われわれの闘いは法律に触れるものであっても正しい」ということ。「よりよい世界に住むためには法律に触れることも止むを得ない場合がある。良心が命じるなら、すべての人の賛成を得るまで待つことはないんだ」と。

学生の街に闘いの種がまかれた

 実は、主催者側で事前に大学などでアンケートを実施して、学生たちがボベらの反グローバリゼーションの闘いをどのように思うかということを調べた。その結果は、ボベのマクドナルド解体などの行動は暴力的なものなのではないか、違法なことはよくないのではないかという疑問が多々あり、また社会運動に対する懐疑的な見方も少なくなかった。しかし、その一方で若者たちは社会のために自分も何か出来ないかと考えてもいた。

 そこで、ボベには、ボベ自身が若いときにどうだったかということや、彼のとってきた行動の意味をわかりやすく、この若い人たちが勇気をもてるように伝えてほしいとお願いした。ボベは、主催者の要請に見事に応えてくれた。その証拠に、ボベが「農業をまもることは、人間の権利の問題であり、そのためにこれからも貿易自由化に対する闘いつづけていく。どうもありがとう」と結ぶと会場からは盛大な拍手が沸き起こったのだった。

 会場との質疑応答も短い時間だったが、活発に交わされた。援助の名を借りたアフリカ諸国への米国による遺伝子組換作物(GMO)の押しつけについての高度な質問が出る一方で、「なぜ農業をえらんだのですか」とか、「もしモンサントの会長と一日付き合えるとしたら、彼に何をみせたいですか」というユニークな質問が飛び出した。ボベは「それは私の選択です。自分の時間を切り刻んで生活したくなかった。農業は自由だし、私の作ったチーズを喜んでくれる人々がいる。」「モンサントの会長と過ごすなんてありえないことだけど、その場合『南』の国々の農場をみせるだろう。そこでは殺虫剤もGMOも意味をなさないよ」と快く答えてくれた。

 集会の終わりには、これから新幹線で東京に向かうボベに、アートカフェ運動 Be Good Cafe のメンバーから有機農産物でつくったお弁当が手渡された。そして鳴り止まない拍手の中、ボベは会場を後にしたのだった。

 また実行委員会からボベの取り組みに賛同する署名の呼びかけがなされると、参加者の多くが応えてくれた。会場に設置された販売コーナーではボベのインタビューを翻訳した新刊や、その他の反グローバリゼーション関連の書籍を買い求める学生も多かった。ジョゼ・ボベ氏の講演は、この大学の街・京都に、確実に反グローバリゼーション運動の種を播いたようである。 


 ※一連のジョゼ・ボベ氏(フランス農民連盟)の講演内容については、ボベさん歓迎集会、大阪・京都・新潟、福岡、三里塚(「かけはし」2002年11月11日掲載、文責同編集部)を参照されたい。

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