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KEN's Garden フォトレポート

久木の木とは

ャラリー


久木とは万葉時代の呼び名で、現代のアカメガシワ(赤芽柏・赤芽槲)のことだと言われています。
 
 
万葉集に詠われた久木
     

 ぬばたまの夜の更けゆけば
久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く  (巻6−0925 山部赤人 )

 去年咲きし
久木今咲くいたづらに地にか落ちむ見る人なしに (巻10−1863 読み人知らず)

 波の間ゆ見ゆる小島の浜
久木久しくなりぬ君に逢はずして  (巻11−2753 読み人知らず)

 度会の大川の辺の若
久木我が久ならば妹恋ひむかも     (巻12−3127 柿本人麻呂 )
 
     
 アカメガシワの若葉

我が家に昔からある”あかんべの木=久木”です。
樹木鑑定サイト「この木なんの木」 で ”赤芽柏”であろうとの判定を頂きました。
   紅葉したアカメガシワ。              
2004年には、久木公民館報に二度に渡り、久木の木=アカメガシワである旨の記事を載せて頂きました。
また、久木健康広場に生えていたアカメガシワに”ひさぎの木”という大きな立て札を立てて頂きました。           

 島根県出雲市の斐川町は今から50年ほど前に6つの村が合併して出来た町(当時村)です。この辺りは久木村という村でしたが、今では地名(住所)にはその名が残っておらず、地区の公民館と健康広場の2つだけに、久木公民館(←2013年4月から久木コミュニティーセンターに名称が変わりました。)と久木健康広場としてその名を残すのみとなってしまいました。
なんとか久木の名前を残そうと当地の識者の方々が思案されているところです。  浅学ながら私も、久木というからには植物に違いない、これを調べて村おこしのネタにするとか、街路樹として植えれば自ずとその名前が残るのではないかと考えたものです。  しかし植物図鑑を調べても久木という植物は見つかりませんでした。  なかば諦めかけていたのですが、最近になりネット上で久木とは万葉時代の名前であり現代の”赤芽柏”のことだということが分かってきました。  また万葉集に4首も”久木”が詠まれているというではありませんか。
10年ほど前に近所の先達に久木の木って何の事ですかと尋ねた事がありましたが、それは”あかんべの木”の事だと教えて頂きました。そういえば子供の頃、葉の付け根のところを切り取って目蓋にはさみ、指で押さえなくても”あかんべ”をしたようにできる遊びをした木の葉の事を思い出しました。  家の周りを探してみたところ、その”あかんべの木”が一本残っていました。  この地では赤芽柏すなはち”赤芽の木”がいつの間にか”あかんべの木”に訛り子供の遊びにまでなったものと思われます。  これで何か繋がった、長らく疑問に思っていた事が解けたという気がしました。
大昔は、柏餅の柏の葉のように、久木(赤芽柏)の木の葉を食べ物を載せる器代わりに使っていた由です。  また赤芽柏は薬草としても用いられ、さらに草木染めの染料としても用いられたそうです。  いわゆる有用植物であり、万葉集に4首も詠まれるほど由緒ある木という訳です。  薬草として再開発するなどして村おこしのネタにできる可能性を秘めていると言っても過言ではないと思います。
その前に久木公民館、久木健康広場をはじめとして、各自治会の公民館の庭に植えてもらうなどして、”久木の木”をおおぜいの人に認知して頂くことにより、久木という地名を後世に残す一助として頂ければと考えた次第です。






余談1: 出雲風土記の出雲郡の記述の中に18種類の薬草木の名が記されていますが、残念ながら久木は登場しません。  赤桐というものが載っておりこれが赤芽柏(久木)を意味するのではないかと愚考しています。  辞書によると赤芽柏はアカメギリともいうとありますので、そのようにも考えられます。  しかし、赤桐はアブラギリのことであり、アブラギリは薬草ではなく桐油を採るためのものであり、種子は有毒とされています。 このあたりは更に調べを進めてみるべきところです。

余談2: 郷土誌によると、久木の地名の由来として、@大昔この地が斐伊川の先のあたりに位置していたので斐(簸)先から久木になったという説、A久木新太夫という名主が統治していたからという説、B火を扱う火幸という人々が住んでいたからという説 とがあるそうです。

余談3: 神奈川県逗子市に久木町というところがあります。 町名のルーツが同じかどうか興味があり、2003年9月に東京に行った折に足を伸ばし訪ねて見ました。  JR逗子駅から久木隊道を下るとトンネルがありその入り口付近で久木の木を見かけました。 そのトンネルを抜けると、久木小学校、久木中学校、久木神社などがある久木町です。 久木小学校の庭を覗くと数本の久木の木がありました。 この地も久木の木があることから久木町になったものだとこの時確信したのですが、そうではありませんでした。  久木神社に参拝したところ境内にちょうど宮大工さんがおられ由来を尋ねたところ、良く分からないがあれを見てくださいと石碑を指差されました。  石碑を読むと久木村は二つの村が合併して出来た村の由で久木の木とは関係ないことが判明してしまいました。

余談4: 万葉の代表的歌人、柿本人麻呂も久木を一首詠んでいます。  そういえば、島根県には人麻呂神社もあり、人麻呂は島根県で亡くなったとも言われています。


参考にさせて頂いたURL(ホームページ)
(まだリンク許可を取っていませんのでリンクは張っていません)
      
      http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/flower/hisagi.html
      http://www21.ann.co.jp/senka/hana62-4.htm
      http://www.isshindo.jp/tuuhan/minkan-herb/akamegasiwa.htm
      http://www.wood.co.jp/manyou/index.html
      
参考文献
      斐川町史
      斐川の地名散歩

アカメガシワ=久木のその後の調査結果        05.2.5追記


「木の大百科 解説編」 平井信二著  朝倉書房 によりますとアカメガシワの古名はヒサギ、方言として残っていると記されていました。
方言名を最も多く持つ木とも記されていました。

そこで、「日本植物方言集」 八坂書房編 を調べましたところアカメガシワの方言として下記のような記述を見つけました。
  ひさぎ、ひさき          高知、長崎、鹿児島 
  あかべ              福井、三重、滋賀、奈良、愛媛
  あかべの木           伊勢市
  あかぼー             和歌山
  あかんべん           千葉

従って、”アカメガシワ”=”久木”=”あかんべの木”が裏付けられたように思います。 





アカメガシワの薬効についてのその後の調査結果    2005.2.5追記  2014.9.22追記  
                                         2014.12.19修正・追記

島根県(農業技術センター)のホームページにアカメガシワの薬効、栽培方法、調理方法などが掲載されています。

”樹皮がタンニンを含んでおり,胃潰瘍,十二指腸潰瘍,胃ガンの抑制作用があるとされる。
 夏季に採取,水洗いした後,刻んで日干しする。

 赤い新芽のうちが食べ頃で,塩ゆでしてあえ物,ひたし物,油炒め,天ぷらなどにする。”

<アカメガシワ>  (外部リンク 島根県農業技術センター)

この結果は、島根県農業技術センター、中山間地域研究センター、しまねの味開発指導センター、産業技術センターなどと共同でおこなわれた薬草等に関する研究成果をまとめられたものだそうです。

また、島根県のホームページの中の、機能性食品産業化プロジェクトのページに、アカメガシワ葉のもつ強抗酸化作用についての詳細がPDFで掲載されています。 美肌効果についての記載もあります。


従って、久木ならではの”久木(アカメガシワ)”で作る健康食品も夢ではないと思われます。





出雲風土記の中の薬草木についてのその後の調査結果         05.2.6追記

”古代出雲の薬草文化” 伊田喜光監修 出帆新社 によれば出雲郡には久木は載っていないのですが、意宇郡羽島というところに
”比佐木”が載っていると記されています。  この比佐木がキササゲまたはアカメガシワであると分類表に示されています。

従って、私が以前考えていた赤桐がアカメガシワということはなく、アカメガシワは比佐木として出雲郡にはなくても風土記としては存在した
かも知れません。  一方比佐木はキササゲで赤桐がアカメガシワという可能性も消えたわけではなく、更に調査が必要なところです。
アカメガシワの性質・特徴                    05.2.10追記

アカメガシワは典型的なパイオニア植物(先駆性樹種)であるようです。
新しい土地とか伐採地にいち早く芽生え、成長も極めて速いようです。

九州大学農学部の玉泉研究室によりますと、埋土種子の形成、根萌芽の発生、アリ散布種子の形成、DNA量の変異など生態学的、
植物学的に独特の戦略を持った植物だそうです。

また、種子の寿命は100年以上とも言われているようです。

東京工業大学生命理工学部幸島研究室によりますと、対捕食者防衛戦略として、花外蜜腺、粒状分泌物、腺点、星状毛という独特な
微細構造を持っているそうです。

調べれば調べるほど興味つきない特徴を持つアカメガシワですが、同じ仲間には、ウラジロアカメガシワ、ヤンバルアカメガシワ、
ヤクシマアカメガシワがあるそうです。


アカメガシワの名称由来
 
                     05.2.10追記

アカメは新芽が赤いことからという説と、葉の裏側にある二つの蜜腺が赤い目に見えるところからだという説があるそうです。
カシワの方は”かしぎ(炊ぎ)葉”からきており、炊事と関係したところから来ているそうです。
そういう事から、ところによっては五菜葉(ございば)、菜盛葉(さいもりば)と呼ばれているようです。
また、伊勢神宮ではミツナガシワと称して神前への供え物をこの木の葉の上にのせるそうです。

久木の地名由来についてのその後の調査・考察               05.2.6追記

簸先説:
  斐伊川は1630年代に東流したもので、それ以前は西に流れていたということ、更に簸先から後世久木に変わったとあるのですが、
  後世久木は存在せずアカメガシワですから辻褄が合わないように思えます。
  
新太夫説:
  郷土誌によれば1153年に新太夫が鰐淵寺を焼き払ったということが鰐淵寺の古文書に書かれているということですが、
  鰐淵寺発行の”浮浪山鰐淵寺”によればしばしば火災に見舞われたが、記録に残る一番古いものは1233年のことと記されています。
  また、”鰐淵寺文書の研究” 曽根研三 によりますと紙の文書は1213年からとなっています。
  1153年のことが記載された古文書が鰐淵寺に存在しないように思えます。
  
火幸説:
  火を扱う職人などというのは奈良時代などをはるかに遡る古代のことではないかと思われますが、古語辞典の類にも載っておらず
  この説は論外なのではないかと思われます。

従って、私が以前から素朴に考えています、奈良時代に斐伊川の支流によって堆積してできた新興の土地柄に合うアカメガシワが生い茂る
地域ができ、そこから久木になったのではという考えが当たらずとも遠からずではないかと思われます。
但し、長い間久木という植物を追い求め、最近アカメガシワの古名であることが分かったのが唯一の手がかりというくらいで、証明できる資料は
何一つありません。


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