三国志に曰く、分かれて久しければ必ず合し、合して久しければ必ず分かる。
様々なルールの将棋がひしめいていた『将棋族』も、
駒の再使用制度によって実質的に現行将棋に統一され、
将棋所の設置によって人間界もまた統一の運びとなった。
しかし合して久しい明治期には分かれることとなり、
更に久しくして将棋大成会として再び合することとなった。
その将棋大成会による統一を昭和11年とすれば既に70年が経過したことになり、
再び分かれることになったとしても何ら不思議なことは無い。
古来より「流るる水は腐らず」と言い、
また「淀む水には芥溜まる」とも言う。
今回の名人戦騒動を見ていて、ふとそんな故事を思い出してしまった。
現在の将棋連盟執行部の空気は正しく淀んでおり、
新鮮な外気の取入れを拒んでいるようにしか見受けられない。
腐った空気でも取敢えず生存出来れば良いと考えるか、
あるいは新鮮な空気を求めて新世界に飛び出していくかは個人の自由であるが、
合して久しい今日に淀んだ連盟から袂を分かつのも、
一つの生き方ではないだろうか。
別記事プロ棋士とはの中で、
私は「プロ棋士とは将棋連盟に所属する必然性は無い」と書いている。
勿論その記事を書いた時点では、
今回の騒動は全く予想だにしていなかったことである。
しかし記事の内容に関しては、間違いがあったとは思っていない。
毎日か朝日かの投票結果に関しては外部の人間でも疑問を抱いているくらいだから、
当事者の中にも疑問を持っている人間は多いものと思われる。
そのような人間の中に新しい組織を作ろうとする者がいるかどうかは不明だが、
人数は少なくても意欲を持った人間の集団であるならば、
必ずしも無謀な行為であるとは言えないだろう。
成熟した市場に新規参入するとなれば、
やはり大きな困難に直面することは避けられないであろう。
成功した実例の中で大規模なものとしては、
NFL(米国プロ・フットボールリーグ)を挙げることが出来る。
フットボールは1920年にプロリーグが結成され、40年後に対抗勢力が誕生している。
当然のことながら当初は新興勢力の人気は芳しくないものであったが、
有力選手の補強などによって所属チームの実力を養い、
実力が伯仲するようになると両者は合併して、現在では大きな一つのリーグとして活動している。
今の日本で新しい将棋団体が設立されたとしても、
活動が軌道に乗るまでは苦しい経営を余儀なくされることであろう。
しかし老舗の団体であっても実力のある棋士がいなければ人気は衰えることになり、
逆に新興勢力であっても魅力ある対局を見せてくれるならばファンもスポンサーも付くことであろう。
今回の棋士総会の結果に不満を持っている者は決して少ない数ではないと思われるが、
現在の将棋連盟を脱退してまで意思を貫こうとする棋士はそう多くはいないことだろう。
「寄らば大樹の蔭」と言う諺の通り、
どのような形であれ連盟にしがみついていた方が経済的には有利かと思われる。
しかしながらそのようなサラリーマン的な発想しかない棋士が幾ら多数集まろうと、
そこから生まれる棋譜に多くを期待することは出来ないだろう。
一般の人間よりも強いからプロ棋士であると言う時代は、
既に過去のものになりつつあるのではないだろうか。
強いだけならコンピュータでも良いのだから。
勝つにしてもただ漫然と駒を動かすだけでは無く、
やはり個性や創造性と言うものが求められるはずである。
勿論個性が無いのが個性であると言う棋士がいても差し支えない。
多種多様な人間がいた方が面白い勝負になるであろうから。
タイトルには「平成の乱」と書いておいたが、
将棋連盟を離れて新組織を結成したところでそれは反乱でも何でもない。
連盟に所属するのも自由であれば、
脱退するのも個人の自由なのだから。
連盟の執行部は「反乱」であると言うかもしれないが、
多くのファンはそのような判断は下さないことであろう。
連盟やスポンサーとは無関係に、
より面白い勝負となることを期待しているのであろうから。
現在の将棋連盟に関しては、私は何の魅力も感じないし、未練もない。