将棋の駒には様々な材料が使用され、書体もまた多種多様である。
私自身も熊澤良尊氏の主宰する「駒づくりを楽しむ会」の指導の下、駄作ながらも何組かの駒を制作した。
己の所有する駒に対する思い入れは誰しもあることと思うが、
自作の駒となるとその出来栄えに関係なく特別なものがある。
駒制作の体験談と、常日頃感じている駒に対する思いを紹介してみたいと思う。
<<自作の駒>>
会で扱っている駒木地は全て「つげ」であり、最初から本格的な駒を作成することになった。
ただし彫り跡に塗りこむのは漆ではなく、取扱いの容易なカシュー塗料を使用することにした。
書体は「易しそう」と思って「玉舟」にしたのだが、
今にして思えば草書・行書体を除けばどの書体でも難易度にそれ程の差は無かった。
駒作りの工程を簡単に説明すれば、既に駒の形になっている生地に薄い紙で出来た字母紙を貼り、
文字に沿って印字刀で彫っていく。彫り跡に目止めをして漆を2〜3回塗り込み、
漆が固まったらサンドペーパー等で表面を仕上げれば彫り駒の完成である。
彫り埋め駒の場合は文字面と同じ高さになる迄漆を塗りこみ、後は彫り駒と同じである。
更にこの後漆で文字を書いていけば、盛り上げ駒の完成となる。
駒に文字を彫るための道具は木地等と一緒に送られてきたが、一応の使い方は分かるものの、
使いこなすとなると容易なことではない。極端な話、理屈は学校の授業でやった版画と同じであるから
、誰にでも出来る訳である。しかし文字に沿って綺麗に彫っていくとなると、
学校の版画のような訳には行かない。駒の材料である「つげ」の木は硬いので、
版画のようにスイスイと彫っていくことは出来ない。
尤もこれには印字刀の研ぎ方が下手であると言う理由もあるのだが。
彫り跡は斜めの溝となるので、表面と下の方とでは文字の幅が異なってくる。
ペーパーをかけて表面を磨いていくと段々文字が細くなっていくので、
予め太めに彫るよう指示は受けていた。彫っている時には太すぎるくらいだと思っていたのだが、
いざペーパーをかけてみるとどんどん字が細くなっていく。
駒の表面を綺麗にするためにはしっかりと磨く必要があるのだが、磨くに連れて字が痩せていくのである。
これは実に辛いものであり、情けないものである。
字が消えてしまっては駒にならないから、ある程度のところで磨きは諦めることにした。
こんな訳で第1作は失敗とは言えないまでも、満足できる作品ではなかった。
とは言え自作の駒と言うものは愛着が湧くものである。
何作か作った後、彫り直してもっと見栄えのする駒にしようと考えたこともあった。
しかし初めて完成させた時のことを思うと、やはりそのままの姿で残すべきだと思って取りやめた。
2作目の書体は錦旗で、仕上がりは1作目より大分良くなったと思ったが、
友人に上げてしまったので現在は私の手許には無い。
3作目はいよいよ彫り埋め駒である。書体は熊澤氏のオリジナル書体である無双にした。
彫り跡を埋めるには薄く何度も塗るよう指導されていたのであるが、
本人は薄く塗ったつもりでも結構厚かったようで、所々に『す』が入ってしまった。
それまでにも彫り駒と盛り上げ駒は持っていたのであるが、彫り埋め駒を手にするのは初めてであった。
そして手にした感触は最高のものであった。一般的には盛り上げ駒が最上品とされているが、
私は彫り埋めが一番好きである。見た目も上品だし、指し心地も最良である。
4作目は趣向を変えて中将棋に挑戦した。中将棋は駒数が多いので、
3組分の材料の中から必要な大きさの駒木地を選び出した。駒数は全部で92枚、
裏面に文字がないのは玉将・獅子・奔王の3枚だけなので、彫る面数は178面(予備駒を除いて)となり、
普通の将棋の2倍半である。駒の名称も複雑であり、
画数の多い駒もあるので(と金も金の略字とした)駒数以上の困難が予想された。
しかし一番困ったのは駒の書体である。
最初は持っていた市販品の印刷駒の書体を流用しようかと思ったのだが、
実際に駒に文字を写し取ってみると、駒の大きさの違いもあってしっくりとしなかった。
結局自分で書くことにしたのだが、結果的には必ずしも成功したとは言えない。
勿論文字としては成立するので、駒として使えないという訳ではない。
どう見てもつげ駒としては貧弱な文字であり、駒材とのバランスが取れていないのである。
盤も2寸厚の日向榧を使っているので、盤とのバランスも同様である。
とは言え苦労して作った駒なので、現在まで保管はしてある。
なお中将棋では駒を再使用することが無いので、一方の駒を深緑色として区別できるようにしたのだが
(何れもカシュー塗料使用)、残念ながら期待したほどの効果は無かった。
5作目はいよいよ漆を採用、書体は水無瀬の彫り埋め駒である。
漆は初めてなのでかぶれないか心配だったが、体質的に問題なかったのは幸いであった。
ただし調子に乗って腕の内側にまで試し塗りをしたのは行き過ぎで、少し時間が経ってから腫れてきた。
漆は固まるプロセスが他の塗料とは全く異なり、厚く塗りすぎると内部の漆が固まらないまま、
表面だけが固まってしまう性質を持っている。
こういう話を聞いていたので3作目以上に慎重に塗ったつもりなのだが、
やはり仕上がりを見ると『す』の入った駒が多かった。
漆の乾燥には専用の室(むろ)があれば良いのだが、樹脂製の工具箱で代用した。
カメラなどを保管する温度・湿度を管理できるケースなら理想的なのだろうが、
やはりかなりの金額になるのであきらめた。
6作目の書体は棋洲だったが、文字の大きさが小さいのでバランスが悪い駒となってしまった。
駒の周囲をペーパーで落として行けばバランスの取れた駒になるのだが、
なかなか大変な作業なのでそのままにしてある。字母紙を拡大コピーして使用する方法もあるのだが、
コピー紙はかなり厚いのでいっそう太めに彫る必要がある。
7作目も趣向を凝らして、黒・赤・緑・黄の4色のカシュー塗料を使って仕上げてみた。
発生する4色の縞模様は、手作りの駒なので全て違ってくることになる。
どんな模様が出てくるか期待していたのだが、残念ながら思っていたほどの効果は得られなかった。
確かに色々な模様は出ているのだが、駒全体が何だか寝ぼけたような感じになってしまったのである。
つげの木の黄色い下地に漆の漆黒、この絶妙のコントラストが駒の見栄えを良くしているのである。
結果論となるが、黄色は使わなかった方が良かったのかもしれない。
書体は2度目の玉舟であるが、彫り自体は1作目より上達していたので、
ちょっと残念な結果となってしまった。この作品は彫りが気に入っていたので、
漆で再仕上げしようかとも思ったが、これはこれでまた別の味があるのでそのままにしてある。
8作目も人に上げてしまったが、書体は覚えていない。
9作目は菱湖。8割方彫り終えたところで轢き逃げ事件に遭い、
右手が思うように動かないので中止せざるを得なくなった。頭を強打した時に首の神経を痛めたようで、
指の痺れがしばらくの間消えなかった。数年して完治とまでは行かなくても、
それ程痺れが気にならないところまで回復したのだが、
やはり駒を彫ろうとすると指が震えて彫れるような状態ではなかった。
つげの木は非常に硬いので、やはり彫る時にも相応の力が必要となる。
そこでもっと軟らかい木で彫ってみようと思い、天童を訪れた際に駒木地だけを購入した。
つげの木地ならともかく、普及品の駒木地だけを求める客はいないようで、
店の人も最初は不思議に思ったようだが無事手に入れることが出来た。
木地は椿だろうという話であったが、見た感じでは違うような気がする。
木地が何の木であれつげに比べればずっと軟らかく、スイスイと言う感じで彫って行くことが出来た。
書体は錦旗だが、彫りとしては一番良い出来であった。ただしこれは腕が上がったのではなく、
あくまでも彫り易い木地を使った結果に過ぎない。
元の木地が普及品なので、彫り埋めにすることは考えなかった。
それでもこの木地で錦旗の駒は、滅多にお目にかかれないのではないかと思う。
後から彫り始めた駒が先に完成してしまったのだが、作品としては錦旗の駒を9作目とした。
全部の駒を彫り終えた時点で銘を入れ、金将の底に制作順の番号を入れることにしている。
菱湖の駒は未完成なので、制作番号はまだ入れていなかったのだ。
何とかいけるだろうと言う目途が付いたので、残っていた菱湖の駒も彫り始めることとなった。
彫り始めから完成まで随分と時間のかかった駒であるが、何とか彫り終えることが出来た。
仕上げは彫り埋めだが、漆の使用も久し振りだったので、
必ずしも満足できる仕上がりとはならなかった。
それまで菱湖の書体はあまり好きではなかったのだが、
自分の手で仕上げてみると急に好きになるのだから不思議なものである。
玉将や歩兵等ちょっと癖のある書体だが、下品にはならないのがこの書体の良さであろうか。
ただし金将だけはいただけない。銀将よりも貧弱で、他の駒とのバランスが取れていない気がするのだ。
まだ2組分の木地が残っているので、1つは錦旗、
そしてもう1つは菱湖の金将を修正して彫ろうと思っている。
柾目の木地なのでじっくりと作って行こうと思っている。