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 宝塚のショー

 宝塚の舞台を観る場合、私はショーよりも芝居に重きを置いている。 別段ショーを軽視している訳ではないが、 私にとって印象に残るショーが少ないのは事実である。 しかし他の方のホームページへの書込みを見ると、結構ショーの人気は高いようである。 昔は料金を安くしてショーだけを見せる措置も取られていたそうだが、 それだけショーの方を好んでいる人も多かったと言うことであろう。 実際今回の星組公演の感想を見ても、 ショーに関しては私とは全く別な意見の方が数多く見られる。 勿論どのように見るかは個人の自由であるが、 以前から思っていたその違いの原因らしきものを、改めて文章として纏めてみた。

 ショーガールと言う言葉は良く耳にするが、 それと対になっているはずのショーボーイと言う言葉は聞いたことがない (存在はするのかもしれないが)。 ショーボーイではなく、ショーマンと言う言葉は極一般的に用いられているが、 この場合には「ショー」も「マン」もショーガールの場合とは意味合いが異なる。
 ショーマンの場合の「ショー」は宝塚で言う所のショーではなく、 芸能活動全般を表現するものであり、「マン」も単純に「男」の意味ではなく、 芸能活動に携わる男女何れをも含むものである。 英語に関する専門的な知識は持ち合わせていないが、 ショーマンと言う言葉は全体で一つの言葉であり、 「ショー」と「マン」とは切り離せないものではないだろうか。
 一方、ショーガールと言う言葉における「ショー」の場合には、 歌や踊りを主体とした狭義のショーを示すものであり、 宝塚のショーやレビューはこちらに分類されると言って良いだろう。 そして日劇が消滅し、SKDやOSKも解散してしまった現在の日本においては、 宝塚以外ではこのようなショーを見る機会は殆どないものと思われる。
 ショーガールがいてショーボーイがいない(多少はいるだろうが)と言うことは、 ショーの主体となっているのは女性であることを示している。 宝塚ほど大きな舞台ではなく、規模も小さなものではあるが、 キャバレーや観光ホテル等でもショーが行われている。 米国ではラスベガスのような歓楽地でも行われているようだが、 映像で見る限りではやはり女性主体のショーのように見受けられる。 恐らくショーボーイを主体とした作品を上演したのでは、 ショーガールの場合のように観客を呼ぶことは出来ないものと思われる。

 では宝塚のショーの場合はどうであろうか。 やはりショーボーイは存在していないが、主体となっているのはショーガールではなく、 宝塚独特の「男役」である点が、他の多くのショーとは大きく異なっていると言えるだろう。 そしてその違いは「男役」の存在に留まらず、 演出自体もショーガール主体のショーとは異なったものとなっている。
 その理由は言うまでもなく客層の違いであり、 宝塚程女性客の占める割合が多い公演は他にはないだろう。 それ故に女性客を対象とした演出になるのは、止むを得ないことである。 逆に宝塚以外のショーではキャバレー等のショーに限らず、 男性客を主たる対象として構成されていると言っても良いだろう。
 女性ファンには絶大の人気を誇る黒燕尾の群舞にしても、 私にとっては特別なものではなく、むしろ退屈気味な場面となってしまう場合もある。 黒燕尾による無彩色の舞台は、どう見ても華やかな舞台とは言い難い。 更に照明の状況が適切でない場合には、最悪の舞台になってしまう。 公演プログラムに載っている公演アンケートの中で、 ショーから受けるイメージとして「ピンクの衣装」と言う回答を見たことがある。 舞台を構成する上では様々な色を使い分けることになるだろうが、 やはり「ピンク」は最もショーらしい色ではないだろうか。
 それでも黒燕尾の群舞は見所を見出せる場合もあるのだが、 どうにも我慢できないのはチンピラ風のダンス(?)である。 現代風のスーツに身を包み、上半身を前傾させて指を鳴らし、 客席を睨みながらスッチャカスッチャカやっているやつである (こんな表現で分かるだろうか?)。 拍手の状況から判断すると、やはり女性客には結構人気があるようなのだが、 私にとってはこの「チンピラダンス」は天敵のような存在なのである。

 芝居とは違って、ショーの場合にはそれぞれ独立した場面の集合である場合が多い。 従って全ての場面が面白いものである必要はなく(そうであれば理想的だが)、 自分が面白いと思った場面だけを楽しめば良いのかもしれない。 今後も宝塚の演出方針が変ることはないだろうし、変る必要もないだろう。 大多数を占める女性客を喜ばせることが本来の使命でもあるのだろうから、 男はそっと見守ることとしよう。

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