公演のタイトル、そして原作のタイトルともなっている「夜叉ケ池」は、
福井県南部の山中、岐阜県との県境付近に実在する池です。
池の名前は地元に伝わる「夜叉ケ池」伝説から呼ばれるようになったものと思われますが、
この「夜叉ケ池」伝説自体は福井県側ではなく、岐阜県側の揖斐川に沿った集落に伝わってきたようです。
それ故に「夜叉ケ池」に隣接する岐阜県側坂内村(現在は揖斐川町)では村内に存在するものと信じられてきましたが、
今年(2005年)になって福井県から苦情が出てきたそうです。
右の写真が「夜叉ケ池」とその周辺ですが、左が福井県で右が岐阜県、
そして尾根に沿って延びている登山道が県境となります。
確かに現在の国土地理院の地形図によれば「夜叉ケ池」が存在するのは福井県内となりますが、
これは一般的に県境が尾根沿いに設定されるためかと思われます。
しかしこの県境が設定されたのは、恐らく廃藩置県の行なわれた1871年以降であろうと思われます。
勿論それ以前にも美濃と越前の境界はあったことでしょうが、
このような山奥まで正確に測量して決めていたとは思われませんから、
もっと漠然とした境界線ではなかったかと思われます。
したがって昔は「夜叉ケ池」が美濃の国坂内村に属していたとしても不思議ではないし、
伝説の伝わり方を考慮すればその方が自然な流れであると言えるでしょう。
このような山中に新しく県境を設ける場合、
従来の境界よりも尾根筋のような地形を重視してしまうことは十分に考えられます。
「夜叉ケ池」も近年訪れる人が増えているそうですが、
安易な観光地化は自然破壊に繋がり、それは「夜叉ケ池」の神秘性が失われることにも繋がります。
上の写真や地形図から見る限りでは、池に流れ込む有力な水源は見当たりません。
むしろ何故これほどの水が溜まっているのかが不思議に思えるくらいです。
この写真は坂内村(現在は揖斐川町)のHPから拝借した5月下旬の状態ですが、
秋にはもっと水位が下がって湖面は狭くなるようです。
「夜叉ケ池」は「やしゃがいけ」と読みますが、
そう読ませるためには「ケ」は小さな文字の「ヶ」でなければならないのだそうです。
しかしパソコンではキーボードから直接「ヶ」を打つことが出来ないので、
私は普通の「ケ」を使って表現しました。
検索してみても両者は混同して使われている場合が多いようです。
また小さな「ヶ」はいろは文字にも50音表にも載っていませんが、
言語学者ではないので何時から使われ出したのかは分かりません。
なお国土地理院の地形図の場合、
昭和51年3月30日発行の「冠山」では「夜叉ヶ池」と小さな「ヶ」になっていますが、
現在WEB上で見られる最新版の地形図では「夜しゃケ池」となっています。
これは恐らく「叉」の字が常用漢字でないために平仮名とされ、
それに伴って「ヶ」も普通に「ケ」となったのではないかと思われます。
しかし地名等は歴史もあるものですから、
安易に平仮名に変えるようなことは避けて欲しいものです。
「夜叉ケ池」の写真が見られる坂内村のホームページ
へはこちらから、
そして「夜叉ケ池」の名前の元となっている「夜叉姫伝説」について
はこちらからどうぞ。
坂内村より南に位置する神戸(こうど)町の小学校のホームページに載っているものですが、
昔話風の絵入りで見ることが出来ます。