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花總エリザ 花總まり

 月組のエリザベートも意外な(?)配役で発表されましたが、 やはりエリザベートと言えば花總さんに尽きると思います。 乙女花園第2回はその花總さんの登場です。
 
 花總さんのトップ娘役としての公演は「雪之丞変化」と言うことになるが、 今年で10年目となるから娘役としては異例の長さであり、 男役トップの場合でも最近ではこれほど長い例は無い。 舞台に限らず在任期間が長くなるとマンネリに陥りがちであるが、 花總さんの場合にはそれが見られない。 果たしてその源はどこにあるのか、 大いに興味をそそられる謎の領域である。
 『花總まり』を一言で表すとすれば、上手い、可愛い、品がある・・・ 等々沢山の言葉が出てくると思われるが、 私としては現在の花總さんを『凄い』と言う言葉で表現したい。 では何が『凄い』のかと言えば、どんな役にも対応できる幅広い演技力と歌唱力を持ち、 それぞれの役を自分のものとして舞台上に表していることである。
 トップコンビも主演男役及び娘役と呼び方は変ったようであるが、 その中でも男役も含めて花總さんの実力は最高であると言って良いだろう。 しかし宝塚は男役主体の集団であるが故に、決して花總さん自身は頂点に立つことは無い。 それでいてその存在感は抜群のものであり、 またそれを消すことも出来るのが『凄さ』の一つでもある。
 エリザベートが旬の話題となっているが、 やはり初演時のエリザベートを苦労しながらも演じ切ったことが、 花總まりを完成の域にまで導いたことは確かであろう。 晩年のエリザベートには不満な点も見られたが、 子供時代の演技は抜群であり、子役の代役を全く必要と思わせない。 帝劇での一路さんも流石に子供時代は苦しそうであり、 白城さんも大鳥さんもやはり不自然さを隠すことは出来なかった。 花總さんと言うとどうしてもトゥーランドットやマリー・アントワネット、 あるいはメルトゥイユ公爵夫人のような高貴な人物像を思い浮かべがちであるが、 このように子役をも難なくこなしてしまうところが、 花總まりを『凄い』と表現する所以である。
 「ベルサイユのばら」では子供時代のアントワネットを別人が演じていたが、 演出上の問題、即ち早替りをするだけの時間的な余裕があるならば、 子供時代から一貫してアントワネットを演じることが可能であったろう。 ただし子供時代を演じていた生徒も好演しており、 上演しながら下級生を育てていかなければならない宝塚の舞台を考慮すれば、 子役を設けるのは適切な脚本・演出であると言うことが出来る。
 
 花總さんもトップに就任して10年目となり、 新鮮さが薄れたと言う声も聞かれるようになった。 実際そのような傾向が皆無であるとはいえないが、 その主たる原因は花總さん自身にあると言うよりも、 『花總まり』の大きさを生かし切れない脚本の貧弱さにあると言うことが出来よう。
 いわゆるコスプレ作品ならば衣装で目先を変えることも出来るが、 現代物で取り立てて特徴の無い脚本に出会ったのであれば、 流石の『花總まり』でもある程度のマンネリ化は避けられないだろう。 と言うよりは、そのような作品はタイトルが違うだけの連続テレビドラマのようなものであり、 マンネリと言うよりも必然的な結果と言うべきなのかもしれない。 花總さんが思う存分に力を発揮できるような作品が提供されるならば、 それが現代物であったとしても『花總まり』は生き返った演技を見せてくれるだろう。
 
 花總さんも「エリザベート」の成功で大きく自信を付けたのではないかと思われるが、 それ以降、花總さんの能力を存分に引き出した作品はどれだけあっただろうか。
 「仮面のロマネスク」は物語の展開は別におくとして、 公爵夫人の冷たい気品がよく表現されており、流石は『花總まり』と思ったものである。
 2度目の「エリザベート」は、もはや言うことなし。 自分自身の再演作品と言うことで色々と悩みもあったようだが、 それを跳ね除ける精神力も身に付けて初演を大きく上回る出来栄えであった。
 「激情」のカルメンは大きな役ではあったが、 カルメンの持つ妖艶な色気と言うものは感じられなかった。 万能とも思える花總さんであるが、 唯一の弱点がこの『妖艶さ』に欠ける点ではないかと思っている。 やはりどこかに弱点があった方が人間らしくて良いと思うのだが、 如何なものであろうか。
 トゥーランドットとアントワネットは花總さんらしく演じており、 『花總まり』に相応しい作品であったということが出来る。 ただし「鳳凰伝」の場合、 主役と一部の人物に力を注ぎすぎる脚本となってしまった嫌いがあり、 他の出演者が活躍する場が減ってしまったのは惜しい気がする。
 「傭兵ピエール」も言うこと無しであるが、 こちらは呆れ返って言うこと無し、と言う状態である。 花ちゃん良く我慢してこんな作品に出たなあ、と言うのが正直な感想なのである。 変な勘繰りになってしまうかもしれないが、 これは劇団側の「嫌なら辞めても良いんだよ」的作品だったのだろうか。
 最新作「ファントム」のクリスティーヌは平凡な人間であるかもしれないが、 やはり原作自体がしっかりとした作品なので、 花總さんに相応しい作品であったということが出来よう。 第1場で登場する場面では平凡な一少女に過ぎないが、 その平凡な少女を実に上手く表現しているのが、花總さんの非凡さであろう。
 次の全ツ「風〜」ではスカーレットであるが、 これまで多くの男役が演じてきたスカーレットを凌駕する、 一路真輝以来のスカーレットが観られるのでは無いだろうか。 やはり前売りの出足は早かったようで、残念ながらチケットは入手出来なかった。
 
 花總さんの場合にはどうしても大作が話題となることが多いが、 バウ公演の作品の中では「晴れた日に永遠が見える」が秀逸であった。 私が観たのは日本青年館だったが、 高嶺さんとの掛け合いは正に「トップコンビ」と言うべきものであった。
 花總さんが演じたのは相手の思っていることが分かる少女であったが、 台詞のやり取りはコンマ1秒でもずれたら印象が変ってしまう微妙なタイミングであり、 二人の息は完璧と言えるほど見事に合っていた。 かつては「芝居の雪組」と言われた時代もあったが、 この作品は正しく雪組の本領を発揮した作品であった。
 この作品の中でもう一つ感心したのは、花總さんの変わり身の早さである。 催眠術にかかって一挙に幼児の心に戻ってしまう場面なのだが、 その瞬間的な変化は驚異的なものであった。 ただでさえ幼児を演じるのは難しいかと思われるが、 瞬間的に切り替われる花總さんには恐れ入ったものである。
 ショーでは「シトラスの風」の中の「花占いの少女」が強く印象に残っている。 初演時の若葉ひろみさんの話では怪力女の場面なのだそうだが、 ビデオで再現しながら見ても怪力女とは思えない。 しかし長時間にわたって飛び跳ねる花總さんの姿は楽しさで溢れているようであり、 表情も豊かで楽しさが客席の後ろにまで伝わってきたものである。
 
 2005年の宙組正月公演は正塚氏の現代物のようであるが、 現在大劇場で公演中の花組作品を観た結果から推測して、 同氏の作品では花總さんの実力が十分に発揮出来ないような気がする。 私の予想が外れる作品となれば良いのだが・・・

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