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 長崎しぐれ坂/ソウル・オブ・シバ(7月12日東京宝塚劇場)

怒りの和歌  7月12日夜の部公演を観てきました。 ある程度予想はしていましたが、大劇場公演と根本的に異なる点は無く、 良い作品を観客に見せようと言う努力が感じられず、 大いに落胆すると共に怒りも発生してきました。
 原作の「江戸無宿」には『おしま』と言う人物は出て来ないそうですが、 この作品においても『おしま』の存在は必要不可欠と言うものではなく、 宝塚歌劇団には『娘役』と言うものが存在するので、 しょうがねえから何か役を当てておこう、 と言った程度の考えで登場させられたとしか思えません。
 この作品に限らず、近年娘役の存在は極端に軽視されるようになって来ました。 観客の大多数が女性なので男役優先の方針は止むを得ないでしょうけれど、 それにも限度と言うものがあると思います。 トップを主演と呼び方を変えたようですが、 この作品はあくまでも主演男役二人だけの作品であり、 従来のような主演娘役というものは登場してきません。 劇団としてはそれで十分に観客を呼び込めると判断したのでしょうが、 大劇場に引続いて東京公演でも入りは芳しくないようです。 この日も6時過ぎに窓口でチケットを求めている人がいましたが、 係員の対応から推測すると、まだ座席券が残っていたような印象を受けました。 平日の遅い時間の公演とは言え、これまでは見られなかった現象ではないでしょうか。
 檀ちゃんの演技に関しては別に言うこともありません。 大劇場と同じような脚本では、演技に変化を生じることも無いでしょうから。 伊佐次と卯之助に関しては第8場でのやり取りが増えているようですが、 最後は第19場欠と言うことなのでしょうか。 何れにしても納得の出来る終わり方ではありませんね。
 
 これは宝塚の脚本家に限ったことではありませんが、 あらゆる分野に精通している人間なんて存在し得ないと言って良いでしょう。 自分の得意な分野に関しては思っていることをそのまま脚本に出来るとしても、 不得手な分野に関してはもっとその道に詳しい人の意見を取り入れるべきかと思います。
 この作品における検討不十分な場面を列挙すれば、 先ずは前回の観劇評でも述べたように港での汽笛が揚げられます。 ヒュ〜〜〜イ、と言うような乾いた音はサイレンかホイッスルだと思いますが、 やはりこの当時には使われていなかったはずです。 現在の港の風景をそのまま幕末の舞台に持って行ったのでは、 当然のことながら大きな過ちを犯すことになります。
 汽笛の件については第19場の修正要望と共に植田氏に連絡してあるのですが、 どうも宝塚の座付き作者は部外者の意見には耳を貸す気は無いようです。 私は海上自衛隊で艦船に関する仕事に携わっていたので、 船に関しては宝塚の脚本家・演出家よりも詳しいと思っています。 以前にも船に関して正反対のことを述べている台詞があったので指摘したことがありますが、 やはり何らの訂正も無いままに東京公演が実行されていました。 何故宝塚の人間は他人の意見を無視するのか不思議でなりませんが、 いつも若い女性に囲まれて先生先生と持てはやされている為なのでしょうか。
 間違いを指摘するのは別に作品にケチを付けようなどと言う魂胆ではないし、 勿論それによって報酬を得ようと言う訳でもありません。 殆どの人が全く気が付かないような些細なことかとは思いますが、 たとえ些細なことであっても修正していけば必ず前よりも良い作品になるはずです。 大掛かりな装置の変更を伴う修正ならともかく、 容易に修正出来ることも直そうとしないのは単なる怠慢としか思えません。
 これは東宝系の他の劇場で観た作品ですが、 やはり船の大道具でしたが大きな間違いがありました。 演出家と知合いと言う訳でもないので宝塚出身の主演者の方に手紙を出しておきましたが、 次に観劇した時にはその箇所が修正されていました。 これも殆どの人が気付かないようなものでしたが、 修正することによって作品の質が上がることはあっても落ちることはありません。 他人の意見を聞き入れるだけの心の余裕があれば、 他の作品でも良いものに仕上がるのではないかと思います。
 
 江戸時代末期の作品としてみれば、他にも不自然な設定は沢山あります。 それが原作に起因するものなのか、それとも宝塚の脚色に起因するものなのかは分かりませんが、 まあ娯楽作品として観られれば良いので深くは問いません。 しかし常々最近の宝塚作品には脚本に見るべきものが無いと思っていますので、 檀ちゃんの退団を機に大幅に観劇回数が減ることになるでしょう。 今後は宝塚の作品を見ても、余程のことが無い限り観劇評を書くことも無いでしょう。

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