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 La Esperanza/TAKARAZUKA舞夢!(8月28日宝塚大劇場)

 正塚氏の作品は、何を言わんとするのか分からないものが多い。 この作品のテーマは「塞翁が馬」と言うことになるのだろうか。 どうも話の中心となるものがないので印象が薄くなってしまう。 喩えて言えばキールのない船、あるいは大黒柱のない建物、と言ったところだろうか。 尤も最近の船ではキールの重要性もなくなってきたし、 建造物にしても大黒柱は不必要な構造となっている。 そんな世の中の流れに沿っているならば、 必ずしも1本太い筋の通った話である必要はないということにもなるが。
 プログラムや歌劇誌の中で、 正塚氏は『日常の人々』の『普通の生活』と言う言葉を使っているが、 実際に登場するのはミニ・スーパーマンとも言うべき人物であり、 どう見ても普通の人間とは思えない。 まあ舞台を南米アルゼンチンに設定しているので、 あちらでは普通かもしれない、と言うことなのだろうか。
 しかし終演後に何の感動もないということは、 それだけ印象の薄い作品だったと言うことであり、 当然作者の意図するところを理解することは出来ない。 ただしダンスシーンがふんだんに織り込まれているので、 ダンスの好きな人にとっては面白い作品であるかもしれない。 しかしながらダンスとは無縁の私にとっては、 全く見所の無い作品であると言わざるを得ない。
 
 個々の出演者で強く印象に残っているのは、ダンサーのエレナを演じていた鈴懸三由岐さん。 出番は少なかったが厳しい表情でダンスを踊っており、 プログラムを見るまで誰だかわからなかった。 個性が強くてどんな役を演じても直ぐに誰だか分かってしまう人もおり、 それはそれで自分の持ち味を出している訳だから好ましいことでもある。 しかしそれと同時に誰だか分からないような演技も、 自分を抑えて役に没頭しているわけだから、これもこれで好ましいことであろう。
 主役の春野さんは、こうした現代物がコスプレよりも似合うような気がする。 純粋に演技者として見た場合、強烈な個性を発揮するタイプではなく、 全体的にバランスの取れた演技を身上としているように思えるのだ。 したがって見方を変えれば起伏の少ない正塚氏の作品は、 春野さんには向いていると言えるのかもしれない。
 相手役のふづきさんの場合にも強烈な個性は感じられない。 トップコンビを似たような個性で組むのか、 あるいは対照的な個性で組むのかについては、どちらもあり得ることではあるが、 男役の個性が薄い場合には、娘役の個性も薄い方が無難だろう。 そんな中で第8場の看板描きの場面では、 少年のような雰囲気でふづきさんの良い部分が出ているように感じられた。
 水さんは問題なく無難にこなしてはいるのだが、 それほど個性のない役柄なので何らかの工夫が欲しかった。 相手役をしていた桜一花さんも頑張っていたと思うが、 宝塚ではよく顔の大きさが問題にされることがあり、 コンビとなると最適の組合せとは言い難いかもしれない。
 霧矢さんはもっと重みのある演技をして欲しかった。 ストーリー自体が平坦なものなので、 もっと大袈裟な演技でメリハリをつけた方が良かったのではないだろうか。 実際にやるとなると難しいだろうと思うが、 これからを期待されている人だけにもっと思い切った演技が欲しかった。
 これが宝塚最後の舞台となる矢吹さんは、 得意の悪役から離れてコメディータッチであったが、 流石にベテランの味を出していて好演であった。 個人的にはもう一度凄みのある悪役を観たかったのであるが・・・
 専科の未沙さんは『ジャワの踊り子』に続いての狂言回しであったが、 演技自体については申し分のない出来である。 しかし解説と回想とを切れ目なく続ける演出だったので、 分かりにくい場面も何箇所かあった。 元々が平坦なストーリーなのだから、やはり『猛き黄金の国』の3人組のように、 狂言回しは独立させて区別するべきだったろう。 蘭寿さんもこの狂言回しでは役不足の印象を受けた。
 
 ショーは一貫してギリシャ神話の世界とのことであるが、 そうした統一性を持たせるのも一つの方法で良いことだと思う。 しかし当日は星組前売りの並びで早起きし、その前日の睡眠不足も影響したのか、 居眠りが出たこともあって印象に残っている場面が思い当たらない。 翌日の『ファントム』観劇は夜行で帰ったのでさらに寝不足の状態であったが、 立ち見だったこともあって居眠りは生じなかった。 やはり内容的に見応えのあるものであれば眠気も飛び去り、 退屈するような作品であれば睡魔の格好の餌食となってしまうのであろう。
 トロイ戦争が始まったことまでは覚えているのだが、 その後ドヴォルザークの新世界交響曲で目が覚めた。 噂の YOSHIKI氏の場面は完全に寝ていたことになるが、 まさか子守唄を提供したわけではあるまい。 ドヴォルザークの新世界第2楽章は星組の『イーハトーヴ夢』でも使われており、 今回とは全然違う場面だがとても効果的だったことを覚えている。 静かなメロディーなので居眠りを覚ますような効果は無い気もするのだが、 やはり好きな曲だけに自然と目が覚めてしまったのかもしれない。 クラシック音楽の底力は計り知れないものであり、 宝塚ももっと積極的に採用した方が良いと思う。 ただし選曲には頭を悩ませることになるかもしれないが。

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