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 王家に捧ぐ歌(7月19日大劇場)
 先ず全般的な問題として、オペラ並みに歌で構成する必要があったのだろうか、という
疑問が残った。台詞を歌で表現しようとすれば、必然的に物語の展開が遅くなり、内容は
希薄なものになる。本作も1本立てであるにもかかわらず、2本立て作品の芝居と同程度
の内容しかなかった。宝塚の作品の場合、やはりもっと木目細かな脚本に仕上げて欲しか
った気がする。
 オペラの場合には歌を聞かせることが主であるから、多少ストーリー展開が荒いもので
あっても差し支えない。しかし本作の場合、特に強烈な印象を残すような歌はなかった。
まだ1度だけの観劇なので断言はできないが、全体を通じてテーマとなるような音楽がな
く、平べったい音楽が続いていたような印象を受けた。ただ全体的な印象として、エリザ
ベートの雰囲気と似ているような箇所が多々見られたので、エリザベートの影響はかなり
あるのではないかと思う。
 物語の舞台は3500年前となっているが、この時代の歴史には疎いので詳しいことは
全く知らない。それでも気になったのは、やたらと「戦士」という言葉が使われているこ
と。専門職としての兵士が登場するのはずっと後のことで、当時は指揮官クラスの一部の
人間を除き、戦の度に一般国民の間から兵士を徴収して戦場に向かっていたはずである。
ファラオの暗殺もあまりにも安易に過ぎて不自然だが、これは物語の展開に必要なので、
あえて深くは問わない。

 檀れいさんに関しては、歌に対する努力の後が見られ、月組時代では考えられないほど
進歩している。固より完璧であるとは言いがたいが、トップとしての責任は十分に果たし
ていると言えよう。
 今回のアムネリスは霧音の時以上に男らしさを要求され、非常に難しい役であると思わ
れるが、王女としての存在感と共によく表現できていた。入団以来歩んできた道は安易な
ものではなく、むしろ障害の方が多かったのではないかとも思われるが、それを乗り越え
てきた経験がアムネリスの存在感を高めているのではあるまいか。同じ木村氏の作品のた
めかもしれないが、鳳凰伝でのトゥーランドットに共通するものを見た気がする。これだ
けの存在感を出すことが出来るのは、若い娘役では無理であり、今の宝塚では花總さん以
外にはいない。しかしよくよく考えてみれば、檀ちゃんのトップ就任は花ちゃんに次いで
古いんですね。
 『公』としての気丈なアムネリスは申し分ないのだが、『私』であるアムネリスはもっ
と人間臭くても良かったと思う。勿論悪いというのではないが、外部出演の「極楽〜」で
の印象が強かっただけに、もっと心情の変化を強く出してもらいたかった。十分にそれが
出来る人なので、あえて苦言を呈する。
 二幕8場の最後は非常に存在感を必要とする場面であるが、「役者・檀れい」の本領を
発揮するものであった。ただ残念なことには、次のフィナーレに移るまでの時間があまり
にも短すぎる。フィナーレ自体はそれまでの芝居とは無関係なので、もっと余韻に浸る時
間を長くしてからフィナーレに移るべきであろう。以前「ME AND MY GIRL」の時に強く感
じたことであるが、残念ながら今回も改善されていなかった。

 ラダメスの湖月さんは、力強さを発揮する場面は非常に良かったのだが、アイ−ダとの
場面ではもっと軟らかさがあった方が良い。アムネリス同様、公私の違いを際立たせた方
がそれぞれの立場での存在感が増すと思う。歌だけで表現しなければならないので、普通
の芝居より難しいとは思うのだが。お披露目公演ということで力が入っていたのかもしれ
ないが、『公』の部分ではそれが良い方に出て、『私』の部分では逆目になってしまった
ような気がする。
 舞台においてトップスターに最も必要とされるものは、存在感ではないかと私は思って
いる。この点では小さくまとまることなく、堂々と演じられていて良かった。作品そのも
のにも言えることだが、今現在で100%完成されている必要はないと思う。いくら稽古
をしても稽古は稽古であり、作品を仕上げるのは実際に観客の前で演じてからになると思
われる。まだ先は長いので、じっくりと仕上げて行って欲しいものである。

 アイーダの安蘭さんは、さすがに歌は申し分ない。初の女役とは言っても、新人公演で
一路さんの役を演じていただけのことはある。演技も一つ一つ見ると悪くはないのだが、
その繋がりにぎこちなさが見られた。しかし一番気になったのは『目』である。長年男役
をやっていると、どうしても『男役の目』となってしまうようで、急に女役をやっても目
だけは男役のままの人が多い。双眼鏡で見られると演じる側もつらいものがあるかもしれ
ないが、目は心の内面にも繋がるので、今後の大きな課題であろう。

 この作品で一番大きな不満は、役を与えられる生徒が非常に少ないことである。特に娘
役の場合には、アムネリスとアイーダの他にはめぼしい役がない。宝塚の舞台の場合、若
手を育てるような脚本が絶対に必要であると思う。しかし今回はその配慮が全く見らてお
らず、一般の商業演劇という印象を受けた。木村氏が自分の理想を表現したい気持ちは分
かるが、やはり「若手を育てる」配慮は捨ててはならないと思う。木村氏自身もまだ若い
ので、若気の至りといったところであろうか。
 19日午後は阪急交通の貸切公演だったが、歌が主体の作品だったためか、アドリブら
しきものは見られなかった。しかし私はこれで良いと思う。アドリブを好む人もいるが、
総見とか楽日のような特別なものを除いて控えるべきだと思っている。何度も見ている人
はアドリブを楽しむことが出来るかもしれないが、1度しか見られない人も多くいる。そ
の人にとってはアドリブはアドリブでなく、そのように作られた作品として見られるので
ある。より多くの人が楽しめるよう、過度のアドリブは慎むべきである。
 大劇場の場合、人数が減らされるという噂はあるが、一応専属の楽団である。しかし東
宝劇場の場合は外部委託となっているので、このように歌ばかりの作品にはどうしても不
安が残る。東宝でも通年公演をやるのだから、専属の劇団は絶対に必要であると思う。エ
リザベートでは経験者もいたと思うが、今回の場合は全く新しい音楽となるので、臨時編
成の楽団でどこまでやれるかが心配である。
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