原勝洋編KKベストセラーズ刊「戦艦大和建造秘録」(以下建造秘録と略す)には、
二番及び三番副砲撤去工事に関する一般艤装図が載っている。
ただし同書に掲載されているのは一番副砲から四番副砲までの間で、
最上甲板平面と艦外側面だけの限られた図面ではあるが、
この図を参考にして高角砲及び機銃の改装工事について検討していくことにする。
なお図面は昭和19年2月7日付であるが、
同図の通りに工事が行なわれたものとして検討を進める。
改装後の兵装配置については写真でも把握できるので目新しいものではないが、
図面を見て最初に気になったのは各砲の番号に関してである。
副砲の方が分かりやすいので先に説明すると、
四番副砲が二番副砲と改名されている。
副砲は2基のみになったのだから、
後部砲塔を二番副砲と呼ぶのは当然のことと思われるかもしれない。
確かに平時であればそのように改名した方が使い勝手は良くなるのであるが、
戦時下で戦局が悪化しつつある状況下では話が違ってくる。
兵装が変更されれば当然部署も変更されることになるが、
就役時から四番副砲に配員されていた者は、
恐らくそのまま二番副砲要員として配置されたものと思われる。
即ち彼らにとっては部署の名称自体は変わったとしても、
従来どおり混乱も無く配置に就けたはずである。
しかし他の部署についている者、
例えば応急要員等の場合には悪影響が発生する可能性もある。
変更が副砲だけならばそう混乱することも無いだろうが、
高角砲のように大幅に変更された場合には、
その配置を完全に把握するのに時間を要することが考えられる。
改装後の習熟訓練が不十分なものであったとしても、
非戦闘時には大きな混乱は無いものと思われるが、
戦闘時、特に被弾した状況下では冷静さを失いがちな状況が考えられるので、
平時には予想していないミスが発生する可能性もある。
右図は冒頭で述べた一般艤装図を基にして作成した改装後の高角砲の概略配置であるが、
丸囲み数字は改装後の高角砲の番号、赤数字は対応する改装前の高角砲の番号を示している。
旧海軍における区画や装備品の番号付与基準は、
先ずは前方からの位置を優先し、次に船体中心・右舷・左舷と言う順になっていたようである。
区画では上部の甲板にあるものを優先しているようだが、
高角砲等の暴露部の装備品では上下位置は関係ないようである。
なお右図では装備位置の高さを区別していないが、
内側の6基と外側の6基とでは高さが異なっている。
図を見れば分かるように、
高角砲では全ての番号が改装前とは異なったものになっている。
高角砲の場合にも就役時からある6基については配員の変更はないものと思われ、
部署の名称が変わるだけなので何ら支障は無いだろう。
また増設の6基に対しては撤去した2基の副砲要員、
更に新規の乗組みを増員して配置されたものと思われるが、
何れも自分の部署だけを考えていれば良いので、
短時間の訓練で戦力を発揮出来る域に達せられるだろう。
やはり問題が発生するとすれば応急要員や運弾要員であり、
多数の増設機銃を含めて瞬時に位置を把握するには時間を要したものと思われる。
艦内全ての区画を把握することは容易ではないので、
応急隊毎に所掌範囲を限定して任務に当たっていたのかもしれない。
しかし戦闘が激化して被害が拡大すれば、
当然艦内全般にわたって移動することになるだろう。
青字で示すのは上部高角砲揚弾薬筒(以下揚弾筒と言う)であるが、
名称に「上部」と付いているのは下部揚弾筒もあると言うことであり、
恐らく弾薬庫から上甲板までを下部が担当し、
各上部揚弾筒までは上甲板を水平方向に運搬していたものと思われる。
改装用の一般艤装図では各揚弾筒に番号が付されているが、
副砲のように番号を変更して書き込んだ形跡は見られない。
と言って就役時には番号は付されていなかったと断定することは出来ないが、
改装後の対応する高角砲と揚弾筒との番号はちぐはぐなものになっている。
一般艤装図から対応する両者の関係は次のようになるものと思われるが、
番号が一致するのは9番と11番のみである。
右舷:1−3、3−1、5−7,7−5、9−9、11−11(左・高角砲、右・揚弾筒)
左舷:2−4,4−2、6−8,8−6、10−12、12−10
図の中で10番と11番で左舷が先になっているのは、
右舷に奇数番号を振り当てたかったためかと思われる。
また9番揚弾筒が船体中心付近に設けられたのは、
配置の関係で他に場所が無かったためと思われる。
しかしこの位置から最上甲板の9番高角砲に給弾することになるので、
使い勝手は悪かったものと思われるのだが、
改装工事の結果なので止むを得なかったのであろう。
揚弾筒で就役時と同じ番号なのは1番と2番だけであり、
その2基の場合でも改装後には別の番号の高角砲への給弾となっている。
高角砲も揚弾筒も就役時とは大きく番号が変えられてしまい、
しかも本来ならば対応しているべきである両者の番号は一部しか一致していない。
必要に応じて任意の場所に行かなければならない応急要員の場合でも、
十分に訓練を積んでいけば混乱を防げるかもしれないが、
戦時下にあっては即戦力のなることが何よりも重要なはずである。
では両者の関係をもっと分かり易いものにする方法があるのかと言えば、
簡単に解決することが可能なのである。
即ち就役時の番号はそのまま残しておき、
増設した高角砲は右舷の砲を奇数番号として11番〜16番とすれば良いのである。
勿論増設の揚弾筒の場合にも対応した番号を振り当てれば良い。
右の図はそのように番号を設定した場合の配置であるが、
上の図と比べるとずっと分かり易いものになっていると言えるだろう。
しかし番号を変えたところで表面的な数字が変わるわけではないので、
戦力としては何ら変わっていないはずだと思う者もいることだろう。
これはカタログデータに頼っているだけの者が陥りやすい点であり、
実際には使い勝手の向上は攻撃・防御の両面において、
錯誤を防ぎつつ迅速な行動を可能とする等、利するところが大きいのである。
しかも単に番号を整理すると言う作業だけで良いので、
資材も工数も費やすことなく戦力の増強に寄与出来るのである。
むしろ図面の修正は容易になるし、
銘板等を着けていればその作業も減ることになるので、
工数が減ることも十分に考えられる。
「大和」における改装後の高角砲の番号が、
技術側によって決定されたのか、
それとも用兵側の要求によるものなのかは分からない。
しかし人事等を含めて日本陸海軍の遂行した事項を見ていくと、
戦時と平時の区別を全く無視しているように思えるものが多い。
高角砲の増設に際しても砲塔の番号が連続している必要は無いのであり、
戦時にあってはこうした柔軟性のある思考が重視されるべきであろう。
中国三国時代の魏の曹操は「治世の能臣、乱世の奸雄」と言われているが、
戦時と平時で行動が変わるのは当然のことである。
その区別が出来ないままに戦争を遂行して行ったことが、
敗因の一つであることを理解している者はどれ位居るだろうか。
建造秘録に掲載されている一般艤装図は最上甲板平面と舷外側面だけであり、
上甲板平面が無いので運弾経路の詳細は不明のままである。
更に下部甲板の配置が分かれば副砲弾薬庫の改装状況も分かるし、
運弾経路をどのように設定していたのかを推測することが可能になるので、
機銃も含めた防空力強化の状況をより正確に把握出来ることになる。
ともすれば外観や表面的な数値だけに拘って防空力を判断しがちであるが、
システムとして有効に機能するかどうかを判断するためには、
内部状況の把握も絶対に必要なことなのである。
なお建造秘録に掲載の最上甲板平面図は2/8、舷外側面図は8/8となっており、
恐らく他の甲板についても図面が発見されているのではないかと思われる。
所有者がどのような形で公表するかは不明だが、
それらの図面を調べれば更に詳細を知ることが出来ることになる。
建造秘録の一般艤装図には機銃の増設状況も載っているが、
三連装機銃の場合にはやはり増設に伴って番号が変更されている。
改装後の高角砲では装備位置の高さに関係なく前方から番号が付されているが、
同図によれば機銃の場合にも同様の基準で番号が変更されている。
なお同図では番号の無い三連装機銃も記載されているが、
シブヤン海で戦闘中とされる写真ではその存在を確認することが出来ない。
恐らく当初は搭載する予定であったが機銃の製造が間に合わず、
搭載が決定した機銃にだけ一貫した番号を付し、
未搭載の機銃に関しては図面の訂正が間に合わなかったものと思われる。
また、時期は断定できないが「大和」「武蔵」共この工事以前に、
中央部副砲の前後部両舷に合計4基の三連装機銃が搭載されている。
一般艤装図によればこれらの増設機銃には九〜十二番の番号が付されており、
今回のように前方からの位置順に従って番号を変えることはしていない。
恐らく小規模の改装工事なので、新たに番号を追加するに留めたものと思われる。
本艦ではこの後も更に多くの25o機銃が増設されていくが、
どのように砲台番号が付されていたのかは興味深い事項である。
番号の付与を三連装機銃に限定したとしても、
増設の都度前方から番号を付け替えていくのでは余りにも無駄が多いと言える。
と言って単純に搭載順に番号を付していったのでは、
今度は機銃の存在位置の確認が困難になってくる。
最も分かりやすいのは装備位置によってグループ分けを行い、
例えば第一群の二番機銃ならば十二番、
第四群の一番機銃ならば四十一番と言うようにすれば良いだろう。
この改装では単純に前方から付しているのだが、
右舷後部の機銃群で言えば九・十一・十五・十七番が密集しているのに、
十三番だけ数段高い所に装備されている。
砲台番号の付与に際しては高角砲の場合と同様、
機銃の場合にももっと考慮すべきであったと言うことが出来よう。
機銃の増設に伴って機銃用の揚弾筒も増設されており、
この段階では三連装機銃2基に対して1基の揚弾筒が設けられていたようである。
その後も機銃の搭載は増加しているが、
一般艤装図を見た限りでは揚弾筒の増設は容易では無いように思われる。
しかし最上甲板には多数の砲側弾薬格納所が見られるので、
その後の機銃増設に際しては揚弾筒の増設は限定したものとし、
砲側弾薬格納所の増設で対応していたものと思われる。
今回は砲台番号の問題に終始してしまった感もあるが、
艦内の一般艤装図が公表されればもう少し詳しいことまで分析することが出来る。
その時が来たらまた記事を更新することが出来るのだが、
取り敢えずは戦力の増強と言うものは外観や表面的な数値だけでなく、
もっと総合的に検討しなければならないことを知って貰えれば幸いである。