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 戦艦「大和」〜高角砲(1)

 戦艦「大和」の評価の中で、 『副砲の代わりに高角砲を多数装備すべきだった』と言う声は良く聞かれる。 このこと自体は間違いでは無いのだが、 意見の内容は単なる結果論を述べているに過ぎないものが殆どである。 副砲に関しては装備したこと自体に問題があるのであるが、 この件に関しては別記事で述べているので、 ここでは高角砲に絞って私論を述べていくことにする。
 
 艦船に高角砲を装備する場合、 砲塔形式と砲架形式の2つの方法があり得るが、 旧海軍においては「秋月」型駆逐艦を除いて全て砲架形式である。 現在の艦艇を見慣れていると砲塔形式が当然のように思えるかもしれないが、 両者の間には一長一短があるからこそ併用されていたのである。 費用及び重量・容積を無視すれば砲塔形式が優れているようにも見えるが、 それは駆逐艦のように装甲を有しない艦の場合の話であり、 戦艦の場合には条件が大きく異なってくる。
 米海軍では戦艦のみならず巡洋艦の高角砲も砲塔形式としているが、 砲塔形式が砲架形式に比べて大きく優っていることとして、 給弾員が機銃掃射等に曝されないことが挙げられる。 しかしその反面被弾した場合には弾薬が艦内で誘爆し、 砲架形式よりも被害が大きくなる欠点も持っている。 そのためか米海軍でも巡洋艦の場合には非装甲と思われるが、 戦艦では「N・カロライナ」以降軽度の装甲を施しているようである。
 装甲とは言っても対象は小口径砲以下と考えられるし、 施工範囲も艦内の給弾に関する区画に限られ、 砲塔そのものには装甲は施されていないと考えられる。 5吋砲程度の砲塔にそれなりの装甲を施せば重量が増し、 高角砲としての本来の性能を維持できなくなる可能性が高いからだ。 仮に機銃弾によって砲塔内で弾薬の誘爆が引き起こされたとしても、 爆発の程度も小さいし、圧力は外に逃げるので艦内への影響は小さい。
 砲架形式では利害が砲塔形式と反することになり、 砲側への給弾作業時に危険に曝される可能性が高くなるが、 弾薬の誘爆が発生しても艦内へ及ぼす被害は軽度のもので済む。 米艦においても40o機銃の場合には砲架形式とせざるを得ないので、 5吋高角砲の要員が安全な環境で戦闘を行えるのに対し、40o 及び20o機銃の要員は日本艦同様、機銃掃射に曝される恐れがある。
 旧海軍の5吋高角砲は砲塔型が開発されなかったこともあるが、 副砲を撤去した後でも「大和」の増設高角砲は砲架形式である。 しかし砲塔形式の5吋高角砲が完成していたとしても、 恐らく増設高角砲としては用いられなかったものと思われる。 砲塔形式では給弾室が必要となるので艦内容積が苦しくなる可能性もあるが、 戦時中なので必要性の低い区画を廃すれば装備が不可能ではない。 砲塔形式と砲架形式の2種類の砲が混在するのも好ましいことではないが、 砲自体の緒元は同じなのでこれも致命的な問題ではない。 やはり一番大きな問題は換装工事が大規模になることであり、 工事期間を延ばしてまで砲塔形式とするだけの利点は無いものと思われる。
 三番艦である「信濃」の場合には長砲身の10cm高角砲の搭載が予定されていたが、 装備位置は変わらないようなのでやはり砲架形式であったものと思われる。 更に五番艦たる797号艦においては舷側の副砲を廃止し、 最初から長10cm砲を装備する計画であったが、 砲塔形式とする予定であったかどうかは分からない。 ただし主砲を50cm砲とした798号艦の場合には発砲時の爆風が一段と強くなるので、 搭載を予定していた長10cm砲は恐らく砲塔形式だったのではないかと思われる。
 
 鮮明に写っている大和型戦艦の写真は極めて少ないが、 設計あるいは工作に用いた詳細な図面となると更に少なくなる。 高角砲や機銃の増設も数量に関しては写真からでも判断できるが、 その給弾方法となると写真だけで推測するのは極めて困難である。 しかしこれらの対空火器が有効に働くためには適切な給弾経路の確保が必要であり、 弾薬庫から砲側までの弾薬の運搬方法は極めて重要な問題である。
 高角砲と機銃の弾薬庫は前後部の副砲弾薬庫区画に併設されており、 弾薬庫からは一旦防御甲板である中甲板(暴露甲板の2層下)に揚げられ、 それから艦内の通路を使って該当個所まで運搬したものと思われる。 ただし概略配置図から推測すると中甲板には運搬に使えそうな通路は無いので、 更に1層上の上甲板にまで揚げてから水平移動させる必要がある。 通路は両舷にあるので左右別々に運ぶことが可能であり、 高角砲の場合には暴露部への揚弾装置も両舷にあったものと思われる。 ただし各々の砲に専用の揚弾装置を設けるのではなく、 片舷1基だけで各砲に共通した装備だったものと思われる。 しかし機銃の場合には装備位置が広範囲にわたるので、 各々の機銃に近い通路から適宜人力で運搬していたものと思われる。
 艦内通路を使って重量物を移動させる場合、 水密戸があると下部のコーミングが邪魔をして台車等を通すことは出来なくなる。 艦艇では輪切り状に水密区画を設定するのが一般的であるが、 本艦の場合には応急甲板を上甲板に設定し、 前後部を除く上甲板の通路には水密戸は設けていなかったものと思われる。 中央部の上甲板まで水に浸かるような状態にまで浸水していれば、 既に甚大なる損害を蒙って復原性の確保が困難なものとなっているはずである。 ただし応急面では火災に対する対策も必要なので、 非水密ではあっても防炎のための戸は設置されていたものと思われる。
 高角砲を砲塔形式とした場合には上甲板に給弾室を設けることになるので、 運弾通路から各給弾室に弾薬を運び込む通路が必要となってくる。 米戦艦「N・カロライナ」では全通暴露甲板に片舷2基、 更に1層高い所に3基装備されているが、 給弾室は何れも艦内の同じレベルの甲板に設けられているものと思われる。 続く「S・ダコタ」と「アイオワ」では各砲が更に1層高くなっているが、 給弾室はやはり主船体内の同一甲板であると推察される。 高角砲の弾薬庫の位置は不明であるが、 仮に中央部にあったとしても直接給弾室に揚げるようなことはやらないはずである。 やはり一旦は防御甲板の上まで揚げることになるので、 給弾室は同一レベルの甲板の方が単純化できて好ましい。
 給弾室や砲塔までの揚弾筒区画には軽度の装甲があるようだが、 艦内の運弾通路には特別な装甲は無いものと思われ、 暴露甲板や舷側の装甲だけが頼りとなる点では砲架形式と同様である。 これらの装甲がどの程度の防御力を持っているのかは不明であるが、 完全に防御されていない艦内に多数の爆発物を集積していることになるので、 被弾時には砲架形式の場合よりも被害が拡大する可能性は残る。 ただしそれによって下部の防御甲板が大きく破壊され、 致命傷を蒙ることは無いように計画されているはずではあるが。
 日本の戦艦でも「長門」以前の艦においては、 副砲への給弾も同様な方法で行われていたようである。 副砲及び高角砲の弾薬は暴露甲板の1層下の上甲板に揚げられ、 艦内を移動させて上甲板上の副砲へはそのまま砲郭内に搬入し、 最上甲板の副砲、更に1層上の高角砲へは揚弾機を使って揚げたものと思われる。
 「大和」に装備された副砲のように直接弾薬庫から給弾する方式では、 砲塔に十分な装甲を施すことが出来ないので防御上の欠陥が発生する。 そしてそれを避けるために弾薬庫を装甲に守られた安全地帯に設置した場合には、 どうしてもこのような給弾方法にならざるを得ないのである。
 
 改装後の「大和」の配置図は発見されていないようだが、 撤去された副砲の弾薬庫は高角砲と機銃の弾薬庫として利用されたものと思われる。 中央部の副砲弾薬庫は高角砲の直下にあるので、 前後部の既設弾薬庫よりも給弾には好都合の位置になる。 しかし給弾に関しては直接最上甲板に揚げることは出来ないので、 一旦上甲板に揚げてから従来の経路を利用して砲側まで運搬することになるだろう。 単純に考えても運搬する弾薬量は倍増する訳だが、 そのために揚弾装置を新設したかどうかは分からない。 しかし増設した砲は装備位置が1層下になるので、 既設の運搬経路のままでは利用することが出来ない。 もし機銃弾の揚弾も可能な装置が新設されていたとすれば、 増設した高角砲や機銃も期待通りの戦力を発揮することが出来ただろう。
 軍艦の性能と言うと、砲や魚雷発射管の数、 あるいは速力と言った表面上の数字に目が向くことが多い。 対空火器の増設にしても数量だけを評価の対象とし、 給弾方法まで含めたシステムとして検討している者は少ない。 更に言えば被弾によってシステムの一部が破損した場合、 どの程度の戦力を保持し得るのかも重要な要素なのである。 しかしながらこうした能力を推測することは極めて困難な作業であり、 それ故に検討されることが無いと言うことも出来よう。
 三番艦の「信濃」は長10p砲が予定されていたが、 空母として就役した時には 5吋 砲に変更されている。 あるいは長10p砲の製造が間に合わなかったためかもしれないが、 この影響で「武蔵」への5吋高角砲搭載が不可能となったのかもしれない。 戦時においては計画通りに生産が進まないのも止むを得ない一面もあるが、 旧海軍において十分に検討されていたとは思われない。

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