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 駆逐艦「しらゆき」(1)

 駆逐艦「しらゆき」は、私が船体部監督官として最初に担当した新造艦である。 尤も建前上は「船体部」と言う指定は無いので、 指名されれば他の部門の監督行為を行うことも出来るし、 逆に他の監督官に船体部の仕事を依頼することも可能である。
 なお『検査監督』とひっくるめて言われることもあるので誤解を招き易いが、 検査行為と監督行為とは全くの別物である。 この点に関しては商船の方がはっきりとしており、監督官は船主から派遣され、 検査官は船級協会あるいは担当官庁から派遣されて任務を果たしている。 防衛庁の場合にも監督官と検査官の兼務は禁止されているが、 それぞれの任務を考慮すればこれは賢明な方針である。 しかし例外として担当官が少ない場合には兼務が認められており、 実情は慢性的な人員不足の状態であったから、 恐らく現在でも兼務しているものと思われる。
 
 駆逐艦「しらゆき」は昭和53年度計画艦であり、 受注したのは日立造船、建造所は舞鶴工場である。 当然艦名はまだ決まっておらず、53DDまたは建造番号で2211号艦と呼ばれていた。 私が当時の調達実施本部大阪支部舞鶴調達管理事務所(以後『舞調管』と略す) に着任したのは54年11月であり、2211号艦の起工直前の時期であった。 日立舞鶴では同年3月に補給艦「さがみ」が就役して以降船台上に艦艇は無く、 舞調管には管理要員が在籍するだけで船体担当の検査官は空席となっていた。
 舞鶴へ行く前の勤務先は技術研究本部の設計部門だったので、 「しらゆき」や一番艦である「はつゆき」の図面は見たことがある。 しかし新造艦の監督と言う仕事は初めての経験であり、 大学で学んだことがそのまま役立つ訳ではない。 在学中の造船所実習では石川島播磨重工を選択し、 当時建造していた駆逐艦「あやせ」の様子を見たことはあるが、 実習は時間の長い見学のようなものであり、やはり実務とは全く異なるものである。 海上自衛隊での教育も新造艦の監督とは程遠いものであるから、 全てを一から学びながらの監督業務に就くことになったのである。 それだけに「しらゆき」は思い出に残っている艦であり、 以下起工から引渡しに至るまでの過程を紹介していきたい。
 
 着任後間もなく起工式が行われたが、 戦前の鋲接艦のように船台上にキール板を据え付ける訳ではない。 最初に搭載予定のブロックのキール板に電気溶接の火花を発生させるだけで、 場所も組立工場の中で行われる。 溶接と言っても鋼板の上にビードを置くだけであり、 構造部材に対して悪影響を及ぼすほどのものではない。 造船所としては契約上の関係で起工式は重要な意味を持っているが、 現場で作業する者にとっては縁起担ぎのようなものである。 吉日を選んでゆかりのある神主に依頼して工事の安全を祈願する訳であるが、 これは土木や建設の起工式と同じであると思って良いだろう。
 起工式が終わっても直ちに船体ブロックが出来る訳ではないので、 最初は設計部門による室内配置の図面審議から始まる。 基本設計で作成される配置図は全体を示す大まかなものであり、 詳細な設計は受注した造船所に委ねられる。 実際に物が出来上がってからの変更は余計な費用と時間を要することになるので、 図面段階で不都合が発生しないか検討しておくのは重要なことなのである。
 
 加工工場・組立工場ではブロックの建造が進められているが、 溶接作業を行えるのは防衛庁の承認を受けた工員だけである。 軟鋼の場合にはNK等船級協会の資格を持っていれば書類審査で承認されるが、 高張力鋼(以後HTと略す)の場合には防衛庁の定める実技試験に合格しなければならない。
 戦後の艦艇の船体は溶接による縦式構造となっているので、 鋲接・横式構造の戦前の艦艇に比べて船殻重量を大幅に減らすことが出来る。 更に高速を要求された戦前の駆逐艦ほど極端な船体の軽量化は必要ないので、 船殻部材として軟鋼を多用しても船殻重量が過大となることは無い。 それでも一部にはHTを使用して軽量化を図っているが、 重心降下や断片防御の観点から適用個所は強度甲板や舷側厚板附近となっている。 1番艦の「はつゆき」では予算が通ってからの要求性能の増加に伴い、 復原性の確保と予算要求時に用いた基準排水量以内に収めるために、 HT以外に調質高張力鋼(以後HHTと略す)とアルミ合金も用いられている。 2番艦である「しらゆき」では更に装備が増えているが、 基本的な構造は同じだったと記憶している。
 アルミ合金の使用範囲は上部構造に限られているので急ぐ必要はないが、 HTを使用するブロックはじきに組立を開始することになる。 日立舞鶴も艦艇メーカーであり、前艦の「さがみ」でもHTは使用していたはずである。 しかし「しらゆき」の場合にはHTの使用範囲は大幅に増えているし、 資格の有効期限が切れる工員はその前に試験を受けておかなければならない。 HHTの使用個所は飛行甲板だけなので直ぐに必要とはならないが、 全員がHHTの試験片を用いて試験に臨んだと記憶している。 HHTの資格を取ればHTの溶接も可能なのである。
 実技試験は定められた試験片を用いて溶接により結合し、 溶接部を試験片と面一になるように加工して180度曲げ、 亀裂が入らなければ合格となる。 殆どの受験者が一度目で合格していたが、 時にはアンダーカットがあって視認検査で不合格となる人もいた。 試しにそのような試験片も曲げてみたが、 180度曲がる前に例外なく折れてしまった。 なお試験における不正を無くすため、 試験片の作成にも立ち会ってHHT材であることを確認しておく。 鋼材メーカーからの品質保証書によって該当鋼材であることを確かめ、 試験片には防衛庁の刻印を打ってから加工するのである。
 具体的な数値は忘れてしまったが、資格には薄板と厚板の2種類がある。 全ての作業に従事するためには両方とも取っておく必要があるが、 これも受験者全員が両方受けていたと記憶している。 工員にしても自分の技量を磨くことが出来る訳だし、 会社がそれを無料で支援してくれることになるのだから、 受けなければ損と言うものであろう。 一度目の試験では不合格となる人もいたが、 試験はその後も受けることが出来るので、 最終的にはかなりの有資格者が存在することとなった。 防衛庁の試験に合格して艦艇の建造に従事している工員の技量は高いので、 当然商船の建造でもその実力を発揮することが出来る。
 溶接工の資格は溶接姿勢にも制限が設けられている。 最も基本的な下向き溶接から始まり、 垂直な鋼板を下から上に溶接して行く縦向き溶接、 頭上にある鋼板を下から溶接する上向き溶接、 そして垂直な鋼板を水平方向に溶接して行く横向き溶接の順に難しくなる。 上位の姿勢に合格すれば下位の姿勢も可能なのであるが、 縦向き以上の試験に挑戦する人の数はそれ程多くなかったように記憶している。
 完成した艦船を見ると溶接ビードは色々な方向に走っているが、 全ての溶接がその状態で溶接された訳ではないのである。 ブロック建造におけるブロックの大きさは各造船所の設備や能力によって異なるが、 多くの小ブロックを地上段階で組み立てて大ブロックを作り、 それから船台に載せる点では共通している。 そして小ブロックの組み立て順序を工夫することにより、 多くの溶接を下向きで行うことが出来るようになる。 こうした現場での実際の工事は工作図によって行うことになるが、 工作図の作成は基本的な構造図を作成する設計部門とは別の担当者が行っている。 下向き溶接の範囲が増えることは品質の向上や作業工数の削減、 更には安全性の向上に繋がると言うことも出来るので、 適切な工作図の作成も重要な仕事なのである。
 地上でのブロック作成段階でもやはり全姿勢の溶接が発生するが、 船台に搭載してからの大ブロック同士の接続では、 どうしても大量に全姿勢での溶接が必要となってくる。 しかし艦艇における溶接作業で最も困難なのは、 直接視認出来ないような狭隘個所の溶接である。 検査するのさえ困難な溶接箇所もあったから、 溶接を行った工員の苦労は大変なものであったことだろう。 時にはアクロバチックな姿勢での溶接も必要となり、 鏡を見ながらの溶接となることもある。 しかし如何に溶接が困難な状況であっても、 欠陥があれば合格とする訳には行かないのだが、 経験豊富な溶接工は見事な溶接を行っていた。 艦艇建造従事者の技量は、間違いなく世界に誇れるものだと思っている。
 
 工事が進んで船底ブロックが完成するようになると、 いよいよブロック単位での船殻完成検査が始まる。 検査は主として溶接個所の外観検査であり、 溶接欠陥があれば手直しを行って後日再検査となるが、 予め造船所の検査担当者が確認をしているので、 手直しを要するような欠陥はそれ程多いものではない。 なおこのような作業は検査業務になる訳であるが、 防衛庁の内部規定では監督官が行うことになっている。 同一人物が検査官と監督官を兼務しているので現場で混乱を招くことは無いが、 この点に関しては何れ詳しく説明するつもりである。
 ブロック建造では地上で出来る工事を出来るだけ多くし、 船台上での工事を極力減らすのが効率の良いやり方である。 艤装品の取り付け等は当然のことであるし、 二重底内のタンク等で可能なものは地上で水圧検査も済ませておく。 更にスケグやビルジキールのように完成すると中を見ることの出来ない部材に関しては、 小ブロックの段階で内部の検査を行っておき、 内部の塗装も済ませてから大ブロックに取り付けることとなる。
 塗装の話が出たのでついでに紹介しておくと、 屋外の船台上で長期間にわたって風雨に曝される艦艇にとって、 錆対策は極めて重要な問題である。 鋼材はメーカーの出荷段階でウォッシュプライマー塗装を行ってから納入されるが、 ウォッシュプライマーは長期間の防錆効果を期待された塗料ではないし、 溶接による熱影響で剥離している個所も多い。 商船では既に防錆能力の優れたジンクリッチプライマーが利用されていたのだが、 防衛庁の基準ではまだ使用が認められていなかった。 ジンクリッチプライマーには名前が示すように亜鉛が含まれており、 溶接に対する亜鉛の影響が不明である、 と言うのが未承認の理由だったようである。
 錆の発生はやはり溶接によって熱影響を受けた個所が著しく、 船台上ではそれが模様となって外板上に現れる。 ウォッシュプライマーは緑色をした製品が一般的であるが、 これは白色の罫書き線が見易いようにとの配慮であるのかもしれない。 本艦の場合には軟鋼はやはり緑色であったが、 HTには赤っぽい色の製品を使用し、 HHTではHTに少し黒味のかかった製品を使用していた。 これは現場の作業員が容易に材質を把握出来るようにとの配慮であり、 文字を書き入れてHTであることを示す方法よりもずっと確実であった。 文字だけではその上に物が置かれれば見えなくなってしまうので、 誤って無資格者がHTへの溶接を行わないとも限らない。 ただしこの方法だと外観だけで使用材料の違いが分かってしまうので、 偵察衛星の画像でも十分に認識可能であったことと思われる。 しかしかつての戦艦「大和」のように秘密裡に建造する必要はないので、 作業性を重視したプライマーの色分けは適切なものであったと思っている。 なおアルミ合金には黄色のプライマーを用いていた。
 錆の発生は、錆とは縁の切れない鋼材を扱う上で頭の痛い問題であり、 舞鶴地方は雨が多いので湿度も高いものと思われる。 恐らく太平洋側に位置する造船所よりも悪条件下にあると思われるが、 塗装に関してはまた改めて紹介するつもりである。
 
 艦艇は商船と異なり、外板の平行部分は皆無に近い。 勢い外板は複曲面で形成されることになるので、 ローラー等による機械的な曲げ加工は実施することが出来ない。 造船所で実施しているのは線状加熱と呼ばれる方法で、 ガスバーナーにより加熱し、水で冷却しながら曲げていく。 加熱位置や長さ、加熱時間や冷却のタイミング等は製品によって異なるので、 熟練工の経験だけが頼りの作業でもある。
 曲げ加工を行った外板が図面通りに作られているかどうかの確認は、 その外板を所定の定盤の上において実施する。 定盤と言うのは碁盤目状の交点に支柱を立てたもので、 それぞれの高さは設計図から拾い上げて決められる。 各支柱が外板に接するように作られていれば図面通りと言うことになり、 やはり図面に従って加工された骨材の溶接作業に進むことになる。 そしてブロックが完成すれば船殻工事の完成検査となる訳だが、 舞鶴工場の場合には監督官が常駐しているので迅速な検査が可能であり、 船殻検査が終わるまで艤装品が取り付けられることは無い。
 完成したブロックがある程度溜まったらいよいよ船台への搭載となるが、 そのためには盤木の据付けと共に船台基準盤を埋め込んでおかなければならない。 船台基準盤は名前の通り建造艦の各種計測を行うための基準となるもので、 地面(実際はコンクリートだが)に埋め込んで固定しておく。 船体中心線には盤木があって設置できないので、 適当な間隔を取って平行移動させて設けることになる。 基準盤の埋め込みが終わると見通し作業を行い、 正確な位置に設けられているか確認することになる。
 船台基準盤を何所に設置するかは定められておらず、 各造船所のノウハウに従って位置決めが行われる。 米海軍のように同一建造所で同型艦を多数造る場合には船台基準盤は流用できるので、 他の治具の流用も含めて効率的に建造できるのだが、 日本の現状ではそれを望むことは出来ない。
 盤木は船台の中央に据えられるのが普通であるが、 この時には54AGS(5103号艦)の受注が決定しており、 2隻の同時建造に備えて端に寄せられている。 本艦が5年線表、即ち予算成立年度から5年以内に就役となるのに対し、 海洋観測艦「すま」となる5103号艦は3年線表なので、 就役は「すま」の方が早いのである。 造船所の作成した予定線表では進水は本艦の方が若干早く、 船台でのブロックの運搬・搭載作業に支障がないよう、 本艦の方がブロック置場から遠い場所で建造するように盤木が並べられた。
 船台基準盤の検査も終わり、盤木も並べられて最初のブロックが載せられる。 ブロックの分割方法や搭載方法等は造船所によって異なるが、 艦艇の場合には船体中央部の機関室船底ブロックを最初に搭載し、 前後上方へと山形に搭載していくのが一般的である。
 ブロックの搭載位置は進水時のことを考慮して決められており、 工事が進んでから修正することは出来ないので最初のブロックは慎重に据えられる。 前後位置は勿論であるが、船体中心線と平行になっていなければならない。 ブロックの向きがいい加減なものであれば、 出来上がった船体はジグザグに折れ曲がったものになってしまうのだ。 盤木の高さも一直線上に無ければ船底が凸凹したものになってしまうが、 こちらは見通しを行って調整されている。
 
 最初のブロックが搭載されてから進水まで1年余り、 船台上での工事と検査が続くことになる。 舞鶴工場は艦艇メーカーとしては唯一日本海側に位置する造船所であるが、 船台期間が1年以上ということは当然船台上で冬越しをすると言うことになる。 舞鶴地方は豪雪地帯と言うほどではないが、毎年それなりの降雪は避けられない。 船台上での工事は降雪時には行えないし、 晴れていても気温が定められた値より低い時には溶接作業が禁じられている。 雪による工事の遅れは見込んだ上で線表を作成しているので、 就役が延期されるような事態は発生していないのだが、 やはり雪の影響は大きな負担になっているように感じられた。
 右の写真は翌年の冬に撮影したものであるが、 このような状態では船殻関係の工事は行うことが出来ない。 手前の広い所は飛行甲板と格納庫、その前の山型の個所は機関室である。 まだガスタービンシステムが搭載されていないので上甲板ブロックが未搭載のままであり、 巨大な開口が開いたままとなっている。 船底部に雪が積もってしまえば除雪が極めて困難になるので、 開口を完全に覆い隠せるように屋根を載せたのである。
 雪の比重は新雪で水の1/10、根雪では1/3と言われているが、 舞鶴の雪は水気を含んでいてかなり重い雪であった。 造船所もこの点は承知しているので、 積雪によって雪除けの屋根が崩壊することは無かった。
 日本海側では今年は近年にない大雪とのことで、家屋の倒壊が相次いでいる。 積雪による倒壊は木造家屋に限ったことではなく、 舞鶴工場ではこの年ではなかったと思うが加工工場が倒壊したことがあった。 始業時に天井クレーンの走行不良によって異常を察知し、 作業は中止して工場内への立ち入りを禁止していたので、 幸い死傷者は皆無であった。 この日は晴天だったので融け始めた雪が屋根を滑って中央部に集まり、 重量が集中して倒壊に至ったものと思われる。
 この事故で興味深かったのは、恐らく戦前に建造したと思われる個所は無事であり、 倒壊したのは新しく建て増した個所だけであったということである。 倒壊原因が設計ミスによるのか施工不良によるものかは知らないが、 技術の進歩を過信して安全率を低くしたのがマクロ的な原因ではないかと思っている。 古い物はとかく軽視されがちな時代ではあるが、 安全と言うことに関しては昔の方がより慎重であったような気もする。
 
 最後は「しらゆき」とは直接関係の無い話になってしまったが、 真っ白な雪に関する話なので、「しらゆき」の名に免じて許して頂こう。 次回はブロック搭載以降の状況を紹介する予定である。

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