再 会
ピョン吉は、ホウホウじいと初めて会った時のことを思い出しました。
疲れていたとは言え、ピョン吉がほんのちょっと警戒を緩めただけで、
絶対絶命のピンチになってしまったのです。
やはりホウホウじいの言う通り、最後まで油断は出来ないのです。
ここまで来てタカやテンに襲われることがあったら、
今までの苦労が水の泡になってしまいます。
ホウホウじいが森の中へ消えるのを待っていたかのように、
雲の切れ目から数条の光が漏れてきました。
ピョン吉はホウホウじいが無事に帰れたか気になりましたが、それは余計な心配でした。
経験豊富なホウホウじいはこのようなときに備えて、
秘密の隠れ家をあちこちに持っているのですから。
森の中からピョン吉の様子を見ていたお母さんオコジョは、
何かを見付けて急いで立ち去りました。
ピョン吉は驚いて上空を見上げましたが、空にはタカもワシも見えません。
念のために後ろを振り向くと、そこには別のオコジョがいました。
じっとピョン吉を見ているそのオコジョこそ、
ピョン吉が会えるのを楽しみにしていたお母さんだったのです。
お母さんは信じられないような顔をしていますが、それも無理の無いことです。
幼い頃にひとりで行方不明になっていたピョン吉が、
突然目の前に元気な姿で現れたのですから。
森の中からはチョロ吉が、そしてチコとピコも出てきました。
全員無事に大きくなれたようで、立派な体つきをしています。
もちろん、彼らもピョン吉を見て驚いたようです。
「お母さーん」
ピョン吉は夢中で走り、お母さんの胸に飛び込みました。
ドサッ!
受け止めてくれるはずのお母さんは、ピョン吉と一緒に倒れてしまいました。
お母さんもピョン吉も、昔の小さなピョン吉のつもりでいたのです。
でも今ではピョン吉は立派に成長して、ずっと大きくなっていたのです。
そのピョン吉が思い切って飛び込んだので、
お母さんは支え切れずに倒れてしまったのです。
お母さんは倒れたときの痛さも忘れ、無事に帰ってきたピョン吉を見て大喜びです。
兄妹たちも一斉に駆け寄り、じゃれ合ってピョン吉の帰還を祝いました。
成長したように見えても、子供たちはやはり子供でした。
喜び過ぎて無警戒になっていたのです。
でもお母さんはこんなときにでも外敵に対する警戒を忘れずに、
少し離れた所で子供たちを見守っていました。
ピョン吉は再会した家族を前にして、ピコと別れてからの出来事を話し始めました。
ピョン吉はまだ再会の興奮が残っており、話したいことは山ほどあったので、
なかなか頭の中の整理が出来ませんでした。
ピョン吉の話は印象の強いものから始まり、筋道もばらばらで取り留めの無いものでしたが、
兄妹たちは興味深そうな顔をして聞いています。
お母さんも子供たちを見守りながら、ピョン吉の話に耳を傾けていました。
ピョン吉にとっては久し振りの楽しいひとときでしたが、
いつまでもピョン吉の話を聞いていられるほど、時間の余裕はありませんでした。
この日は子供たちが独立し、巣立って行く日だったのです。
冬が来て雪が降る前に、子供たちは新しい土地へ行き、
自分自身の住まいと狩り場を確保しなければならないのです。
最初に見たとき、お母さんはちょっと寂しそうな顔をしていましたが、
それはこのためだったのです。
さっき森の中に消えて行った、あのお母さんオコジョも寂しそうな顔をしていました。
でも、以前子供がタカにさらわれたときのような、悲しい顔ではありませんでした。
きっとひとりだけ残っていた女の子は無事に成長し、
お母さんを残して巣立って行ったのでしょう。
ピョン吉は、あの女の子が無事に成長したことを確信し、何と無くうれしくなりました。
子供たちの行き先はもう決まっていました。
チョロ吉はピョン吉が見た大きな白駒池の近くの森へ、チコはこの岩場の下にある森へ、
そして寒がりのピコは北風を避けられる断崖の下の森へ行くことになっています。
ピョン吉も自分の行き先を見付けなければならないのですが、
たった今帰ってきたばかりなので、すぐには無理です。
それにやっとお母さんと会えたというのに、もう別れなければならないなんて・・・
ピョン吉はじっとお母さんの顔を見詰めました。
お母さんは迷いました。
ピョン吉も今すぐ巣立って行くべきだろうか。
確かにピョン吉は立派に成長しており、ひとりでも何とか生きていくだけの力を持っている。
早く出発すれば、今からでも良い土地を見付けられるかもしれない。
でもピョン吉はこの付近の地形を完全には知らないだろうし、
何といっても遠い所から苦労して帰ってきたばかりなのだから・・・
お母さんはなかなか結論を出すことが出来ませんでした。
ピョン吉は心配そうにお母さんの顔を見ています。
「ピョン吉は明日にしたら?」
突然チョロ吉が言いました。
「そうよそうよ」
チコとピコも賛成のようです。
「そうだねえ、そうしようか」
お母さんも決心が付いたようです。
ピョン吉は成長したとは言っても、雪については何も知りません。
一日あれば、初めての冬の過ごし方も、
ひとり暮らしでの細かい注意事項も教えることが出来ます。
ピョン吉の行先だって、お母さんの経験を生かして決めることが出来るでしょう。
もちろんピョン吉は大喜びです。
「それじゃあ、ぼくは先に行くよ!」
チョロ吉は新しい生活に意欲満々です。
「元気でね」
お母さんはやっぱり寂しそうでした。
でも、いつかは別れなければならない時が来るのです。
元気良く走り出したチョロ吉は、一度も振り返らずに森の中へ消えて行きました。
ちょうどピョン吉が、バリトラじいさんやクーロンと別れたときと同じように。
「私たちも行こうかしら」
「そうね。でも反対方向ね」
チコとピコも決心が付いたようです。
「十分気を付けて行ってね」
「大丈夫よ、お母さんも元気でね」
初めにチコが出発し、姿が見えなくなってからピコが出発しました。
お母さんはふたりを見送った後、急に力が抜けて座り込んでしまいました。
ピョン吉は寂しそうなお母さんの後ろ姿を見ながら、
お母さんを守るように警戒の目を光らせました。
雲の切れ目は更に広がり、辺り一面は明るく輝き出しました。
久し振りに戻ったその岩場は、ピョン吉が人間の町へ行く前とは様子が違っていました。
岩の間に咲いていた草花は姿を消し、青々と茂っていた葉は枯れかかっていました。
やがてやって来る冬を越すために、草花も冬ごもりの準備をしていたのです。
ピョン吉が正面に見える遠くの山に目を移すと、いつの間にか大きな虹が出ていました。
その虹は、今までに見たことが無いほど見事な虹で、
まるでピョン吉とお母さんの再会を祝福しているかのようでした。
「お母さん、あれを見て!」
ピョン吉は大声でお母さんに知らせると、虹に向かって走り出しました。
そして岩場の下端まで来ると、腰を落として虹を見上げました。
ちょうど初めて虹を見た時と同じように。
お母さんはピョン吉の声で顔を上げ、
虹を見付けるとゆっくりとピョン吉の方へ歩き出しました。
そしてピョン吉の隣までやってくると、同じように腰を落として虹を見上げました。
ピョン吉はそっとお母さんの顔を見ましたが、
うれしそうな顔になっているので安心しました。
ピョン吉は虹を見ながら思いました。
『やっぱり虹もぼくのことが好きだったんだ』
その通りかも知れません。
あの大きな虹は姿こそ見せなかったけれど、
空の上からずっとピョン吉を見守っていてくれたのに違いありません。
今日だってそうです。
あの虹が雲と相談してお日様の光をさえぎり、
ホウホウじいが空を飛べるようにしてくれたのかもしれません。
そのお陰でピョン吉は、兄妹たちの巣立ちに間に合うことが出来たのです。
ピョン吉は心の中で『ありがとう』と言いながら、
虹が消えるまでずっと見詰めていました。
明日になれば、ピョン吉もお母さんと別れなければなりません。
長い間楽しみにしてきたお母さんと暮らせる日も、たった一日しか無いのです。
それは長かったピョン吉の旅と比べたら、余りにも短過ぎるかも知れません。
でもピョン吉は、悲しいとは思いませんでした。
だってそれがたった一日だけだとしても、
大好きなお母さんをひとり占め出来るのですから。
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