夕暮れて
 今年も来ぬか
  オニヤンマ



かつて群馬県は養蚕が盛んで、どこの農家でも蚕を飼っていた。
重労働の割には収入は低いものであったが、貴重な現金収入源であった。
最初は黒い点のようにしか見えない幼虫も、繭を作る頃には小指大にまで成長していた。
蚕棚は次々に増え、土間・屋根裏に至るまで家中蚕だらけ。人間が片隅で暮らすことになる。
その頃の盆は月遅れの週遅れで、蚕の片が付く8月下旬であった。

盆の頃の夕方になると、どこからとも無くオニヤンマの大群が現れて飛び回っていた。
子供たちは竹箒で叩き落して遊んだりしていたが、オニヤンマは動ずること無く飛んでいた。
時は移り、ここ数年と言うものは、オニヤンマの姿を見かけることは無くなった。
道路を広げるために川に蓋をして、幼虫であるヤゴが住めなくなったしまったのである。
子供がいくら叩き落しても減ることの無かったオニヤンマ・・・
環境の変化は極めて容易に、そして確実に動物の存在を消し去ってしまう。
今の子供たちは、オニヤンマの飛んでいた本当の「自然」と言うものを知らない。
見掛けの豊かさだけを求めて、環境の悪化には平然としている。
環境の悪化は、いつか人間にも災いをもたらす。

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