『妬 心』


「大谷殿……」
幸村は、吉継の身体を抱きしめながら、満足げなため息をついた。
「いましばらく、このままで」
受け身の身体に負担をかけないため、いつもならすぐに厠へ行って後始末をし、さらに湯屋で温め、隅々まで清めるのだが、その夜、幸村の腰はすっかり蕩けてしまって、動けないでいた。
「よいよい、われも楽しんだゆえ」
吉継は低く笑って、幸村の背中に腕を回し、きゅっと腰を締める。
「あっ」
あまりの具合のよさに、幸村のものは一気に力を取り戻してしまった。
「某、そんなつもりでは」
吉継は幸村の頬に指を這わせ、
「われの身をおもんぱかっているのなら、まだヘイキよ」
そう囁くと、幸村の口唇を舌先で濡らす。幸村は目を潤ませ、
「しかし、あまりによすぎて、かげんができませぬゆえ」
「まだヘイキ、というておるであろ」
「そんな風にされたら、某、もう、たまりませぬ……!」

湯屋で身を清めながら、幸村は再び、甘いため息をついた。
幸福感が醒めない。
大谷吉継という武将に魅かれ、想いを告げた時、幸村は肉の喜びを求めていたわけではなかった。
もちろん、素肌に触れたい、もしゆるされるのなら最後まで、と思ってはいたが、快楽の虜になってしまうとは、予想していなかった。
吉継も静かに、仕上げの湯をかぶっている。
厠にしても、この湯屋にしても、あまり大きくはない。
他人に肌を見せたくない吉継のために、生前の秀吉が屋敷の隅につくらせたものらしい。近くの温泉から湯をひいて、いつでも身を温められるようにしてある。
それだけ吉継は、秀吉に愛されていたのだ。もちろん、朋友の三成にも。
吉継本人は、ほとんど自覚していないが。
「やれ、そろり戻るか」
声をかけられ、物思いにふけっていたのを悟られた気がして、幸村はハッとした。
肌を乾かすための湯着をもち、吉継の後ろから着せかける。
「このようなこと、優れた武将にさせることではないナァ」
小姓のような仕草、と皮肉られているわけだが、幸村は首をふった。
「させてくだされ。少しでも、大谷殿に触れていたく」
「やれ、ぬしという男は、一緒にいると病がうつるかもしれぬなどということは、まるで考えぬのよな。まあ、このように熱い肌には、この病もとりつくことはできまいが」
そういいながら、幸村の掌を拒まない。
「某、人の肌に触れることがこんなに良きものとは、今まで知らずに参りました。こうまで満ちたりるものとは……大谷殿の胸に甘えて、細やかな手業まで教えていただけるなど、思うてもみず」
あらかた肌の水気がとれたので、幸村は湯着をはがし、寝着を着せかける。
されるままになっていた吉継だが、ふと幸村に顔を寄せ、
「やれ、そのぬしに、最初に手業を教えたのは、いったい誰よ?」
幸村は顔を赤くした。
「大谷殿が、初めてでござりまする」
「いや、われが教えずとも、やり方を承知していたであろ?」
「それは」
幸村が一瞬視線をそらし、外の気配を窺ったので、吉継は気づいた。
なるほど。
やはり、猿か。
側に控えてずっと守ってきたのだろう。淫ら事も手取り足取り、清らかな主に教え込んでいても、何も不思議なことはない。
道理で、嫉妬のそぶりなど見せてきたわけだ。
「われはな、ぬしを責めておるのではない。なかなか上手と誉めておるのよ」
「大谷殿?」
「われが生娘で、ぬしが初めてであったなら、二度と離れられぬと思うたであろ。いや」
そっと幸村の口唇を吸い、
「清らな身でない、われですら、もう、ぬしの虜よ……」

*      *      *

大坂城の屋根の上、佐助は深いため息をつく。
明るい天気に似合わぬ、暗い顔だ。
「あーあ、馬鹿馬鹿しい」
猿飛佐助は、大谷刑部吉継が気に入らない。
最初は敵意などなかったが、今ではすっかり苛立ちの種だ。
幸村が吉継に夢中だからだ。
「なーに舞い上がってんだか。お館様の病気やら上田城の修理やら真田丸の資金繰りのことなんて、すっかり忘れちゃって。大将の自覚は、どこいっちゃったのさ。俺様はさ、いずれ旦那が可愛いお嫁さんもらって、落ち着いてくれると思ったから、がんばって手ほどきしたんだよ? なんで魔性の男相手に、手管、つかっちゃってるかなあ」
あんな浮かれ具合では、吉継と三成との緊密な関係にひびが入ってしまうかもしれず、とにかく「目を醒ましてよ」と、佐助はいいたい。
だが、幸村はわざわざ、佐助の留守中を狙って、吉継に夜這いをかけたのだ。
留守においていった忍び隊にも、わざわざ「絶対に邪魔をするな」と言い含めていたらしい。
「その策士ぶりも気に入らないんだよなー。智将って、そういうことにつける形容じゃないんじゃないかなあ。まったく、俺様の立場、なさすぎだろ」

幸村と寝たのは、だいぶ前のことだ。
例によって幸村が、顔を赤くして「破廉恥でござる」と繰り返し呟いているので、「どうしたのさ」と声をかけざるをえなかった。
「世継ぎをつくるのが武将にとってどれだけ大事なことか、それは俺も知っている。だから、恥ずかしさを耐えて、やり方を教わってきたのだ。だが、嫁をもらう前に、何度か経験しておけ、といわれては」
つまり、幸村の性教育は最終段階にさしかかっており、最後に実戦を積めと命令されたのだが、そこが一番、幸村には耐えがたいことらしい。
「お館様まで、適当に、好みの生娘を選べばよいのだ、などと……好きならば、最初からもらう。なぜ、その前にせねばならぬのだ」
幸村のいらだちは、自分のために嫁入り前の娘の花を散らすなど、というところにあるようだ。
佐助はため息をついた。
普通の村娘なら、嫁入り前にすませているものだろうと。
だいたい、所帯をもつまでは自由にしてよいというのが、ひのもとの伝統的な考え方だ。まして、美形の幸村に選ばれたら、たいていの娘は厭がるどころか、よい経験として喜ぶだろう。厭がる相手に無理強いする青年でもないわけで、そこらへんはあまり心配するところではないのだが、幼い頃から見守ってきた佐助としては、幸村の生真面目さも大事にしてやりたい。
「あのさ、旦那」
「なんだ佐助」
「好きな人をもらうんだったら、夜も、その人のこと、喜ばせたいよね?」
幸村は赤くなった。
「なんにでも、修練が必要なわけよ。嫁さんをもらうにしてもさ」
ハッとした顔で佐助を見つめる幸村に、
「武家の娘さんをもらうなら、おぼこも多いだろうから、向こうからなにかしてくれること、期待しちゃダメなわけでさ。相手を喜ばせつつ、自分でたぎんなきゃいけないんだよ。それは本で読んだだけじゃわかんないし、第一、うまくなんないと思わない?」
「だからといって」
「わかってる。だから、俺様が練習台になってもいいよ」
「佐助?」
「旦那もさ、適当な娘を選べとかいわれたから、困ってんでしょ。実地を一通り教えるぐらいなら、それなりにやれるからさ」
佐助がトン、と胸を叩くと、幸村の顔から赤みがひいた。
だが、あまり真剣に見つめてくるので、佐助は苦笑して、
「で、旦那のお好みは? 可愛い系? 爽やか系? 優しい系? それとも気が強い感じの方がいい?」
「なんの話だ」
「娘に化けるのは、別に難しい術じゃないからね。暗くするけど、せめて顔ぐらいは、旦那の好みにした方がいいんじゃないかって、いってんの」
幸村は首をふった。
「佐助のままでよい」
「え」
「おまえを抱くなら、そのままでなければ」
その瞬間、不覚にも、胸の奥がしめつけられた。
もしかして、これって告白されてんの?
佐助は笑顔をつくろった。
「うん、イイ線いってる。旦那に真顔でそんなこと囁かれたら、たいがいの娘はイチコロだよ。だけどいったよね、練習台だって。してる最中に、名前、よばないでね?」
幸村はうなずいた。
「ま、組み手と思って、気楽にやろうよ。相手の急所を押さえるって意味では、そんなに差はないからさ。相手に怪我させないのも武術のうちだし。まあ、色気は後からついてくるから、とにかく手順ね。脱がさなくていいから、まずは教わったとおりにやってみて」
幸村は緊張の面持ちで佐助を横たえてから、ふと気づいたように、
「布団を敷かなくてよいのか」
「んー、こんな明るいうちから雰囲気だしちゃってもアレだし、俺様は平気だから、そのまま続けて。どうせ、ひととおり練習するのに、一ヶ月ぐらいはかかるっしょ」
「一月もかかるというのか」
「旦那の場合、基本を押さえとけば大丈夫だとは思うけど、相手によって、やり方も変えなきゃ、だめだからさあ。相手が必ず若い娘かどうかも、決まってないわけだし」
幸村はため息をついた。
「そんなにも長い間、佐助につらい思いをさせねばならぬのか」
「あー。こっちは全然、つらいこと、ないから」
「ない、とは?」
「本番なし。最後のあたりは、こっちでうまくやるから。だから旦那は心配しない。あと、別にうまくやろうとしなくていいからね。あんまり手慣れすぎてても、アレだしさ」
「わかった」
幸村は、最初から最後まで真剣だった。
佐助が股間に挟んだ掌の中で達けるようになり、愛撫されてもうろたえず対応できるようになり、つまり真面目な幸村が基本的なことを憶えるのに、一ヶ月もかからなかった。
ある夜、佐助は後始末をしながら、さっぱりとした声で告げた。
「こんなもんでしょ。練習台は、今晩でおしまい。あとは、相手の様子をよくみて、相手にあわせてやれば、いいからね?」
「佐助、最後に」
幸村が口づけようとすると、佐助はすっと押しのけて、
「だめだよ。口の中にまだ、旦那の味が残ってるから」
「俺は構わぬ」
「こっちが構うの。それに、名前呼ばないでって、いったよね?」
佐助は手早く服を身につけながら、
「これ以上やると、変なクセがついちゃうからさ。今の旦那は、ひととおりのことはできるけど、誰にも染まってない。その状態で、お嫁さんをもらって欲しいわけ。だって、本気出すのは、旦那がほんとに好きになった人相手じゃなきゃね。我慢して練習台やってきた意味も、なくなっちゃうからさ」
黒い羽を残して、佐助は姿を消した。
今の幸村の顔を見たくなかった。
情をうつしても、うつされてもいけない。
あの夜が、その限界だった。
だから佐助は、それから二度と幸村に触れなかった。触れさせもしなかった。

「バカバカしいよ、ほんとにさ。初めて惚れた相手が大谷さんとか、冗談キツイ」
吉継なら、男も女も経験豊富だろう。今は病に冒されて、特定の相手もいないようだが、幸村が何もしらなくとも、その気になれば上手に導いたろう。
佐助が練習台になる必要など、かけらもなかったのだ。
「あーあ、もう、手塩にかけて育てた旦那じゃ、なくなっちゃったんだよなあ」
幸村に似た可愛い息子がうまれたら、それも俺様が守らなくちゃね、などというところまで考えていたというのに。
「ほんと、ぜんぜん、要らなかったじゃん。俺様の純情、返せよな」
練習台といったのは確かに自分だが、重ねた夜を、決して忘れていないのに。
たしかに、上田城を留守にされるよか、マシなんだけど――。
「やれ、やけに目立つところで、休んでおるの」
驚いて、屋根から転がりおちるかと思った。
輿にのった大谷吉継その人が、佐助の背後に浮いていた。
佐助は頭を掻いて、
「あんまり驚かせないでよね、危ないから。職務怠慢だって、叱りにきたわけ?」
「それではわれも、どこで油を売っている、と、三成に怒鳴られるやもしれぬなァ」
「っていうかさ、大谷さん、何しにきたの? こんなところで、ひなたぼっこじゃないよね?」
吉継は目を細め、低い声で呟いた。
「真田はな、ぬしにフラれたと思うておる」
「ちょ、なんの話してんの! 冗談やめてくんない?」
「たとえばな、ぬしがわれに化けて、真田に抱かれたとしよ。すぐに見抜いて、嘆くであろ。どうして佐助のままでおらぬ、と」
最初の晩の幸村を思い出して、佐助は顔色を変えないのが精一杯だった。
「伊達に留守の城をとられ、ぬしに叩かれたことがある、とゆうておった。ほんに心が通うておれば、真田もぬしを心配するあまり、城を抜け出したりはしなかったであろ。ぬしが決して踏み込ませぬから、そうまで不安になるのよ」
「ごめん、大谷さんは何がしたいの?」
我ながらその切り返しはどうかと思いながら、佐助は吉継を見つめた。
「ぬしの立場では、どうにもできなかろうがな。まあ、われは長くない、妬く必要もさしてない、ということよ」
佐助はため息をついた。
「そんなこと考えてないし、困ってるのは別のことなんだけど」
「なに、もう真田は覚悟を決めておる。浮かれてばかりおるわけではない。徳川とのいくさが済めば、すべて落ち着くであろ。あと少しのこと、いずれは目も覚めるわ」
「だったら、いいんだけどねえ」
皮肉めいた声で呟く佐助に、吉継は低く笑った。
「むしろナァ、妬いておるのはわれの方よ」
「だから、なんの話?」
「さぞ、初々しかったであろうなァと。初めてというのはトクベツなものよ。憎からず想うておったぬしに誘われて、顔を赤らめながら、実に真面目に挑んだかと……」
「あのさあ、俺なんかからかって、ほんとに楽しいわけ?」
吉継は肩をすくめた。
「やれ、たしかにいわぬが花よ。だがな、最初が誰かと気になるぐらいには真田が気に入っておるゆえな、粗略にはせぬ。悲しませもせぬから、ぬしも気を散らさぬことよ。容易に背後をとられるようでは、まだまだよなァ」
ヒャハァ、と笑うと、滑るように輿は屋根から降りていった。
佐助は額に掌をあてた。
なにかを堪えるような声で、呟く。
「うん。ほんとに。だったらせめて、泣かせない、でよ……?」

(2013.3脱稿)

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Written by Narihara Akira
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