『ヨイコト』


「刑部。私はよいことがしたい」
三成が低い声で呟くと、吉継は首をかしげた。
「ヨイコト? そういえば、また島津のお家騒動にかり出されるときいたが。恩を売るためとはいえ、ぬしもなかなか大変よな」
以前、島津家がゴタゴタした時、秀吉が三成を遣わして、事をおさめたことがあった。
意外にも三成は、島津家に好かれた。万事手早いこと、約束を破らぬこと、そして裏表がないところがよいらしい。秀吉からよく言い含められていたのもあるだろうが、三成はそういう仕事がこなせるのだった。伊達に左腕を名乗っていない。
「ああ、近日中に発つのだが、その前に」
「その前に?」
「いや、いい。また来る」
「さよか」
三成は肩をそびやかして、吉継の部屋を出ていった。
吉継はふっと笑った。
「また、いらぬ遠慮を」
吉継は先のいくさで負傷し、ひとつきほど床についていた。ようやく回復し、こまごまとした仕事に手をつけはじめているが、三成が夜にやって来ない。
「われの身が、そこまで心配か」
抱きたくてたまらなくなっているのはわかっている。城内ですれ違うと、三成の視線が吸い付いてくる。だが、珍しく「欲しい」とせまってこない。まだ、吉継が万全でないことを、御医からきいているのだろう。
本当のことを言えば、吉継もいいかげん、独り寝が寂しい。なので「よいことがしたい」と決死の覚悟でいった三成を、あのようにはぐらかす必要はなかった。
のだが。
「さすがにな」
もし吉継から誘えば、三成は吉継をむさぼり尽くすだろう。長いこと飢えた時の三成は文字通り凶王だ。今のこの身ではもたない。
しかし、島津のお家騒動に再び介入するとなれば、三成はひとつきは戻るまい。ふたつきも離れていて、三成は大丈夫だろうか。すっかりしおたれてしまわないか。いや、むしろ反動で、戻ってきたときに本当にケダモノになってしまったらどうする。いつもの三成がそれなりに落ち着いているのは、吉継がうまくなだめているからで、そうでなければ――。
「かげんせよというと、添い寝しかせぬからな」
三成の熱い肌に身を寄り添わせて眠るのは好きだ。あの三成が満ち足りた顔で自分を見つめてくる時、吉継の胸にも満ちてくるものがある。こんな優しげな表情を見られるのは自分だけだと思うと、悪い気はしない。ただ、まだ男として枯れきっているわけではないので、それだけでは物足らない。
さて、どうする。


「ああ……」
三成はため息をついた。
「刑部はまだ本調子でないのか」
二人きりになると、抱き寄せたい、という誘惑にかられる。欲しい、と口走りそうになってしまう。むしろ吉継の方が、三成より《ヨイコト》は好きなはずで、あのようにはぐらかすということは、やはり回復していないのだ。
つらい。
同じいくさばにいながら、吉継にそんな深手を負わせてしまったことが、あらためて悔やまれる。朋友に背中を守られているからこそ、三成は驚異的な進軍速度を誇る。しかし自分は、その朋友を守れなかったのだ。絶対に失うことのできない相手を。
島津の元へ赴く前に、せめて掌なり握りたい。その肌の熱さを確かめたい。甘いくちびるを吸いたい。そうしないと、もう気力が保たない気がする。今回は島津からの正式な依頼で、主君の命でもあり、失敗することはできないのに。
どうすればいい?


出立の日が決まった。
それを口実に、三成は昼から吉継の部屋に行くことにした。
「刑部?」
吉継はなぜか、着替えの支度をしていた。三成を見上げると、
「御医から沐浴のゆるしが出たのよ。久しぶりにさっぱりしようと思うてな」
「そうか。邪魔をした」
「いや、別に邪魔でもないが」
吉継は首をかしげて、
「むしろ、ぬしも湯を使うか?」
三成は一瞬、何を言われたのかわからないという顔をしたが、
「いいのか、刑部」
「出立の前によく身を清めておくのは、ヨイコトであろ」
「そうだな」
「ぬしも着替えを用意してくるとよい。小姓の手伝いは断っておく」
「わかった。私が手伝う」
三成は部屋を飛び出していった。
吉継は苦笑した。
「まだ明るいというに……」


秀吉が吉継のためにしつらえた湯屋がある。大坂にも湯のわくところがあり、それを城内に引き込んでいるので、いつでも使える。おかげで吉継は、病に爛れた肌を人目にさらさずにすむ。湯治に行かずとも、病の進みを遅らせることができる。しかし最近は怪我のせいで、湯にほとんど浸かっていなかったので、吉継がさっぱりしたいという気持ちは事実である。
だが。
「さて、あの三成が、どこまで我慢できるやら」
余裕めかして呟くが、実は吉継もすっかり欲しくなっている。身体をあたためて柔らかくしておけば、凶王の凶王を受け入れることもできそうな気がしている。気持ちよくなれるほど回復しているかわからないが、あの熱さ硬さを、この身の内で確かめてみたい。
「まあ、我慢はすまいな。やれ、壊すほどにはしてくれるなよ」


湯煙の中で、吉継は身を清めていた。
肌が膿んでいるところはなさそうだ。これなら湯上がりに、ゆかたびらをひどく汚すこともないだろう。
「珍しく遅いことよ」
なぜ来ないのか、といぶかしんでいると、ようやく白い裸身が現れた。筋肉のよくついた、しかしほっそりとした男。
「待たせてすまない、刑部」
よく見ると、三成の髪は濡れていた。こちらへ来る前に身を清めてきたようだ。
「いや、さほど待ってはおらぬ。ぬしに洗ってもらわねばならぬところも、なさそうよ」
「いや。後で洗わねばなるまい。湯も替えねば」
「三成?」
「人払いしてきた。今宵はせねばならぬこともないから」
三成の声はかすれていた。吉継を抱えあげ、大きな湯船にともに入る。
「身体が浮く方が、貴様も楽だろう?」
三成の掌はもう、背後から吉継の肌をまさぐり始めていた。硬いものが腰にあたる。
「やれ、せっかちな」
「いやか」
「どうしても厭なら、ぬしに肌など見せぬわ……ん」
「貴様ももう、こんなに熱くして……だめだ、めちゃくちゃにしてしまいそうだ」
「三成、せくな、湯が入る」
「わかった。ゆっくりだな」
「あ、熱い、ぬしのが……」
「貴様の中もだ、もう、こんなにうねって」
「ああ、み、三成……!」
湯がひとしきり、激しく騒いで――。


吉継がぐったりと湯殿の壁にもたれて休んでいると、三成が布の袋をもってきた。
蜜柑を取り出すと、ひとつ皮をむいて、
「食べるか?」
「ん」
受け取って口に放り込む。普通の紀州蜜柑だが、冷たさと酸味が渇いた喉にしみる。疲れが癒えるようだ。
三成も口に入れる。
そして残った皮をもって、湯を抜いた湯船の中に入り、栓のあたりをこすり始めた。
「掃除など、小姓にさせればよかろ」
「だいぶ汚してしまったからな。小姓たちには目の毒だろう」
つまり吉継と三成が出した白濁を、他の者に見せたくないということだ。熱で固まってしまうと湯が流れなくなる。それを綺麗に溶かすために、わざわざ蜜柑を用意しておいたということだ。
「ぬし、変なことを知っておるの」
「そうか?」
そういうところに気が回るよう、育てたつもりはないのだが。いや、親でもないのに育てたというのも変だが。
「いや、意外にすけべよな、と思うてな」
「いけないか」
「いけなくはないが」
「だろうな。よいことだからな」
さらりと答える。掃除を終えると三成は、栓を再びしめて、湯船に湯を溜めはじめた。
「まだのぼせているか? もう一度あたたまってから出るか? どうする?」
「のぼせてはおらぬが、今の身にはさすがに堪えた」
「すまない。つい夢中になってしまって」
「だから今宵は、添い寝だけにしてくれやれ」
「え」
「われも人肌が恋しゅうてな。ぬし、じきに出立なのであろ。それまで夜は、われの閨に通わぬか……?」
三成は吉継に飛びついた。
「わかった。それだけでもいい。これで私も、よく眠れる」
やはり眠れておらなんだか、と吉継が思う前に、再び湯船に連れ込まれた。
じきに湯があふれだす。
そしてしばらく、睦み合う音が続いて――。    


(2022.1脱稿)

《よろずパロディ》のページへ戻る

Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/