『憂 い』


三成が、明るいうちから部屋へ引きこもり、文机に帳面を積み上げて難しい顔をしているところへ、音もなく吉継が輿でやってきた。
するりと障子を開けて、
「三成」
「ああ、刑部」
膝を揃えたまま、三成がすっと向き直ると、吉継は輿を下ろした。不自由な脚でにじりよると、向かい合う形で三成の膝にまたがる。
「かまいやれ」
「ん」
三成は動じることなく、吉継の腰に腕をまわし、その背をあやすように撫でた。
吉継は、三成にもたれかかりながら、
「わけを訊かぬか」
三成は優しげな声を出した。
「なんの理由だ」
「明るいうちから、こんな……」
吉継が身をすりつけると、三成は澄みきった瞳で吉継を見上げ、
「おとないはいつでも嬉しい。だが、貴様に憂いの元があるなら、断たねばなるまいな」
「いや」
吉継はうっすら瞳を潤ませ、
「ぬしの顔を見たら、ぜんぶ忘れた」
そういって、三成の肩に頬をうずめる。
三成は吉継の背を、軽くポンポンと叩きながら、甘えるままにさせている。
しばらくすると、吉継は顔をあげた。
「今日は珍しく早う戻ってきたな。この帳面の山は何よ?」
「ああ。少し気になることがあってな。書庫から少し持ち出してきた」
「どれ」
三成が検地をした土地の、石高一覧のようだ。
「あわないのだ」
「あわぬ?」
「私が間尺ではかった土地の広さと、ここに記されている広さが」
吉継は目を剥いた。
「おおごとよな、それは?」
三成の測量は正確で公平であり、石高も不作の年を基準に定めるため、だいたいが以前の年貢より軽くなる。なので、検地された土地の人間が表立って豊臣に逆らうことは、まず無い。
なのに、それをあえて誤魔化そうとするものがあるとは。
「それぞれの田畑の幅が、少しずつ削られている。とれる米の量ではわからぬほどだが、まとめれば、ある程度の広さになる。つまり田畑であった土地を、そうでない使い方をしているということだ」
「どれ、われにも見せよ」
「ああ、見てもらえると助かる」
膝から降りて帳面をめくりはじめた吉継を、三成は後ろから包み込むようにしながら、
「ここと、ここが、まずおかしい」
「ホウ、よく気付いたものよなァ。さすが津々浦々を走り回っているだけのことはある」
「それと、ここが」
「さすれば、こちらもか」
「ああ」
二人は帳面に集中しはじめた。
吉継は豊臣の軍師、石田軍副将であるが、それ以前に小姓の頃から、文字通り二人とも豊臣を支えてきた者たちである。話は早かった。



「三成様ァ! おまたせしました!」
いきなり障子を開けた左近は、次の瞬間、凍りついた。
三成と吉継が文机の前でぴったりと寄り添っていたからだ。重ねた左手は指まで絡めている。
「すんません、お邪魔しましたっ」
声もかけずに入ってくるな、と叱責されると思ったが、三成は静かな声で、
「謝らなくていい。必要だからもってこさせたのだ。続きはそこへ置いておけ。すぐに見る」
「は、ハイッ」
左近は、運び盆ごと、古い帳面を置いた。
吉継も三成も低い声で囁きあうようにしているが、艶っぽいものではなく、仕事の話のようだ。
「なにかの貯蔵庫か、落人の隠し場所か。それにしては猫の額だな」
「そうよなァ。穴蔵を掘って、何か蓄えておるのか」
「昔の帳面とつきあわせてみないとわからないが、あらかじめあった穴蔵に、新たな出入り口をつけたということもありえるな。それならば、大がかりな普請も不要だ」
「まあ、ひそかに足を運ぶにこしたことはない。われもたまには、刑部にいそしむことにしよ」
「苦労をかける」
「いや、このような策を弄する者は油断ならぬ……いや待て、われ、ちと賢人に頼まれたことがあってな、こちらは後回しにせねばならぬかもしれぬ」
「ああ、まずはご報告だな。なに、無理に貴様が行くことはない。半兵衛様の采配を仰ごう」
左近は首をすくめた。
なんにしても、自分の出番はなさそうだ。
そっと部屋から出て、後ろ手に障子を閉めた。



「あー、ビックリしたわー」
廊下を歩きながら、左近は低く呟いた。
三成と吉継が、夜、どんなに睦まじいかは知っているが、昼間からあそこまで、というのは初めて見た。
「三成様って、すっげー正直で、誰に対しても素みたいに見えるけど、潔癖症ってかなんてえか、人慣れしてない感じがすんだよな」
長年の恋仲に対しても紳士ぶりを発揮するのは、簡単に人を信用するにもかかわらず、どうしても他人と親密になりきれない、三成の性格によるものだ。
それゆえ、いくら自室とはいえ、昼間からぴったり身を寄せている姿が衝撃的だった。
「俺、未練、ありすぎだよな……」
はっきり《刑部さん一筋な三成様が、好きなんすよ》といってしまったのに、今でも抱かれる夢を見る。
夢の中では、乱暴にされるのが好きだ。
着流しの三成に部屋に押し込まれ、「しゃぶれ」と命じられる。前をかきわけ、熱くて硬い凶王を舐めあげると、転がされ、四つん這いにされて後ろから犯される。奥まで突かれ、かき回されて、あっという間に達してしまう。「淫乱め」と囁かれながら熱いものをたっぷり注ぎ込まれ、ぐしょ濡れになる。良いところをこすられて、喘ぎまくり、達きまくる。
《三成様、こーゆーこと、絶対しなさそうだかんな》
ゆえに、割り切って夢だと楽しめる。三成が力をふるう場合、殴りつけ、切り刻むという直接的な行動に出る。弱い者をなぶり、罵り、弄ぶようなことはしない。だが、乱暴にされても性的に求められている気がするので、こういう夢もなんとなく嬉しいのである。
反対に、優しい三成の夢を見ると胸が痛い。
そっと口を吸われ、とろんと蕩けているうちに、静かに胸をまさぐられ、耳を甘噛みされ、前にも後ろにも繊細な愛撫をほどこされてから、身体をすっかり開かれる。丁寧な性戯は吉継のためのもの、吉継に仕込まれたもののはずなので、左近は切なさに身もだえる。すっかりグズグズにされて、「三成様ァ」と甘えてしまう。終わった後も離れられない。つい、これが本当だったら、と願ってしまう。なまじ、三成の優しい顔も知っているだけに、胸の奥から溢れてくるものがとまらないのだ。
さすがに、泣きながら目覚めることはなくなったが、時々は寝言で、鼻にかかった声で主君の名を呼んでいるに違いない。さすがに恥ずかしいが、普段からじゃれついているわけで、聞かれたところで今更である。
「いい夢、見てんだ、俺は」
少し前まで牢人だった自分が、天下統一に一番近い豊臣の中枢で、先陣を切っている。秀吉の左腕に信頼され、実の息子のように可愛がられている。
石田三成あってこその島左近だ。もし、万が一にも三成が斃されることがあれば、彼は豊臣から姿を消すだろう。他の誰にも義理はない。いや、竹中半兵衛や大谷吉継にも大いに世話になったのは事実だが、彼らの部下ではないのだから……。
淫らな夢も、悪いものではないと思う。今の自分が夢の中にいるようなものだ、好きで好きで仕方ないなら、もっと役にたてるようになればいいだけの話なんだ、と。
そう思うと、さっぱりした気持ちで出られる。三成と顔をあわせづらいということもない。秀吉に声をかけてもらってから、豊臣に仕えているという自覚もあらためて湧いた。今の俺は幸せなんだ、と思う。故郷も仲間もぜんぶ失って、博打に身を投げうって、ようやく生きている実感を得ていたあの頃より、はるかに。
「ところで、三成様たち、前の年に検地したばっかりのトコ調べて、妙なこと、いってたよなあ」
俺もちょっと調べてみるかな……などと不穏なことを呟きながら、左近は書庫へ戻っていった。



二人が測量の異常を報告しにいくと、竹中半兵衛はなるほど、とうなずいて、
「三成君、よくこれを見つけたね。ここから先は僕が調べてみるから、君らはまだ動かなくていいよ」
「そんな、お忙しい半兵衛様のお手を、わずらわせては」
心配そうな三成に、半兵衛は美しい微笑で応えた。
「いいんだよ。こういうのは、先に僕が見つけるべきことだ。それに君たちには、それぞれ他に、頼みたいことがある。おいおい話すから、それまで待っていてくれたまえ」
「かしこまりました」
「さがっていいよ。今日は、よく、休みたまえ」
そうして、半兵衛の部屋を辞去し、下屋敷に帰る道すがら。
「どうした、刑部?」
吉継が再び沈んだ表情を見せているのに気付いて、三成は囁きかけた。
「どうした、とは?」
吉継は空とぼけたが、やはり元気がない。
「半兵衛様の密命は、そんなに難しい仕事なのか」
「なんのことやら」
「私にも言えないことなのだろうな」
吉継はくちびるを噛む。
三成は吉継の輿に触れた。
「すまない。私が知ってしまえば、すでに密命ではないな」
吉継は目を伏せたままだ。
三成は、帳面を繰りながら吉継が呟いていた《われ、ちと賢人に頼まれたことがあってな、こちらは後回しに》という言葉を忘れていなかった。昼間から三成のところへ押しかけ、「かまいやれ」などと、らちもない甘え方をしてきた理由は、半兵衛が無理難題を要求してきたからではないのか。よほどの荒事で、命をおとす可能性があるような。
「三成」
「ん」
「ぬしは、われを、信ずるか」
「疑う余地などない」
吉継は顔をあげ、遠くを見つめた。
「ぬしだけでよい。ぬしだけがわれを疑わずにいてくれるのなら、案じずにゆける」
「私は……」
吉継の眼差しが気になって、三成は声を落とした。
「それが貴様の身にさわることなら、案じずにはいられない」
「病人扱い、するでないわ」
「違う、そういう意味ではない」
吉継は、大きな瞳をさらに大きく見開いて、
「われの不在を、少し耐えてくれさえすれば、それでよい」
「わかった」
つまり吉継に与えられた密命は、手ひどい裏切りにも見えるほどの、思いきった策なのに違いない。しばらく大坂を離れ、ひとりで行わねばならぬことなのだろう。
おそらく、ここまで打ち明けたのは、三成の暴走を防ぐためだ。
三成だけには信じてもらいたい、というのも、きっと、本心で。
「刑部」
「ん」
「今宵はまだ、貴様に甘えてもよいのだろう?」
「今宵どころか」
吉継は目を閉じ、低く呟いた。
「ぬし、ずっと我慢しておったであろ。日が高うても、よかった、に……」
三成は頬を染めた。
「そうだな。気付かれて当たり前だな」
「こんなものはどうでもよい、と放り出してくれないか、と思うておった」
三成は、驚いて吉継を見上げた。
そんな気配は、かけらもみせてもいなかった。
三成がそっと添えた左手にも、強く応えてこなかったから、頼もしい朋友に淫らなことをしかける場面ではないと思っていた。
だが、これをわざわざ言うということは、吉継は、三成に会わずにいられないほど心もとなく、つまり、密命の重みをひとり、かみしめていたということだ。
離れてさびしいのは、三成だけではない、ということ――。
三成は思わず輿を引き下ろした。体勢を崩した吉継を腕の中にさらいこみ、
「欲しい」
吉継は顔を背けた。
「やれ無茶な。今さら慌てずとも」
「貴様の、魂ごと、欲しい」
ぎゅうっと抱きしめると、吉継の身体から力が抜けていった。
「ぬしは、もう……」
ため息まじりに呟いた。
「置いてゆけぬようなことを、するでない」
「刑部」
「戦乱の世にうまれたからには、幼な子でも覚悟のひとつもあろ。ぬしとて、あるはずよ。太閤のために生きられる、と豪語するからには」
三成はうなずいた。
吉継の業病が明らかになった時、三成は何日も、鉛をのんだように重い身体をひきずった。自分の半身、自分の命の源のひとつが、病でジワジワと殺されていくと宣告を受けて、平気でいられるわけがなかった。だが、吉継の前でつらい顔をするのは、さらに彼を苦しめることぐらい、三成もわかっている。命が尽きるまで共にありたいと願いながら、互いの命に対して平然としていよう、と三成はひとつの覚悟をした。それは、己がもののふである以前の問題だった。
「だが刑部、どれだけ覚悟していたとしても、私は貴様を、失うことはできない」
「あいあい」
吉継は三成の頭を撫でた。
「われもよ。だからいつもどおり、平然として待っておれ」
「わかった」
こたえる三成は、うっすら涙ぐんでいた。
「やれ、どうした。さびしいか」
「違う。貴様も私を、失えないのだと思うと、つい」
「三成」
吉継はそっと三成の背を抱き寄せた。低く囁く。
「続きは、閨で、しよ……」


(2015.9脱稿)

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Written by Narihara Akira
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