『裏切り』
「どうした、刑部」
その月夜、三成は吉継を抱き寄せた瞬間、ふと、異変に気づいた。
「どうした、とは、なんぞ」
「なぜ怒っている」
「怒ってなど、おらぬが?」
だが、その静かな声には、確かに怒りが混ざっていた。
三成は狼狽した。
昨夜はあんなに甘えてくれたのに、今日はどうして、こんなに身をこわばらせている?
冷たい眼差しを向けてくる?
いったい何に憤っているのか。
「われが怒るようなことを、何かしたのか、ぬしは?」
三成は凍りついた。
心当たりが何もない。
ということは、この怒りはとけない、ということだ。
「ぎょうぶ……」
声が震える。
どうしていいか、わからない。
今晩、このまま抱いてはいけない、ということはわかる。
しかし、だからといって、別の部屋へひきとって寝ることもできない。
それをしたら、吉継は更に拗ねてしまうだろう。
三成は、深く息を吸った。
できるだけ落ち着いた声を出す。
「刑部。私にとって、一番は貴様だ」
吉継はだが、顔を背けた。
「そうであろ」
「違うだろう、といいたいのだな」
吉継は黙ってしまった。
三成が、自分がどんな軽率を働いたか必死になって考えていると、吉継はため息をついて、
「ヨイヨイ。何でもないわ。気にするでない」
「刑部……!」
* * *
「みつなり……」
明け方、ふと目が覚めて、三成の腕の中にいると、なんともいえない満たされた気持ちになる。薄い胸に、その肩に顔を埋めて、ぴったりと身を寄せると、三成の腕が腰のあたりに添えられて、とろりと甘い情感に溺れそうになる。
三成の性戯は、特に巧いということもないが、なにしろ細やかだ。何が吉継を一番満足させるかというと、朴念仁の極みのような無骨な三成が、閨では別人のようにかいがいしいことで、全身で尽くされる感じがたまらない。「貴様が一番だ」という囁きが吉継の自尊心をくすぐる。世辞の下手な、嘘をつけない男だからこそ、それがじわじわと効いてくる。
裏切りが日常茶飯事の戦国の世にあって、三成ほど信じられる者もいるまい。
身をまかせるにしても、安心していられる。
《この男は、われを、裏切りようがないのよな》
秀吉に忠誠を誓う三成が、豊臣を離脱することはありえず、武将として吉継の敵にまわることはない。
三成を慕う者は少なくないが、どんなに美しい者に言い寄られても、閨を共にすることがない。一番も何も、紀之介・佐吉と呼び合う小姓時代から、三成は吉継一筋である。
《まあ、たとえ他の者と寝ようと、それは裏切りではないゆえなァ》
曲がったことの嫌いな三成である。他家の者に手をつけることもありえず、己の小姓であっても、厭がるものを無理に抱くこともない。合意で配下の者と寝るなら、吉継が口をはさむことではないし、裏切りと責めるほどの関係にもなりえない。
ただ、男同士が寝るのがごく自然なこの時代にあっても、吉継の立ち位置は特異だ。上下関係のまったくない間柄、単なる同僚で、ここまで緊密な関係を持っている者同士は、他にはいない。吉継が人にうとまれる病にとりつかれても、変わることなくその肌を慈しむ三成の誠実さを疑う必要など、みじんもないのである。
「われも、ぬしが、イチバンよ」
三成の熱い肌に包まれて、いつもの心地よい眠りに落ちていった――のだが。
すこし寝坊をした吉継が、古い書物の整理のために書庫へ移動する最中、左近隊が調練をしている音が聞こえてきた。
《やれ、ずいぶんと真面目にやっておるの》
左近の部隊は、常に先陣を切っているだけあって、もともと少数精鋭だが、その腕をさらにあげるべく、厳しい訓練をしているようだ。
「そこ、隊列の幅、考えねーと、同士討ちしちまうかんな!」
「ハイッ」
「ゼッタイに後ろ見んなよ。気配と足裏の感覚だけで動くんだ。ずいぶん下がったと思われたら、敵さん、数を増やしてくっからな、そこで踏んばれ。気持ち、負けんなよ!」
左近が意外なほどに、部下の調練を丁寧に見ているようだ。竹中半兵衛の仕込みが効いているのか、後詰めの訓練も始めているのだろう。敵に背を見せず、追撃を押し返しながら整然と退却するのは、いくさばでもっとも難しいことだ。しんがりを見事に果たせば、どの軍にあっても、力のある武将と褒め讃えられる。《豊臣の左腕に近し、島左近!》の名乗りを、伊達でなくそうとしているのだ。
吉継がそのまま、物陰でしばらく耳を澄ませていると、
「よし、ここでちょっと休憩な!」
左近の合図に、武具を置く音が続く。
「あざーす!」
「やっぱ、きっついなあ!」
「おまえら、水、飲んどけ。午後になったらもっと暑くなっからな。メシん時じゃなくても、塩っ気とっとけよ」
「左近さん、これ、どんぐらいやるんすか」
「いや、移動がもちっとサマになんねーとなあ」
「うーい」
「ちぇ! それにしても左近さん、ズルいっすよ!」
「ん、何がだ? おまえらとおんなじことやってるだろ」
「そうじゃなくて。貴様が一番だとか、俺たちだって三成様に言われてぇっすよ」
貴様が一番?
吉継は耳を疑った。
何の聞き間違いかと思っていると、
「そっすよ。ズリーっすよ。俺たちだって、三成様に褒められて、くしゃくしゃって頭、撫でてもらいたいっす!」
「へへん。おまえらも頑張れば、三成様もしてくれるって!」
思わず板輿が傾くほど、吉継は動揺していた。
三成が?
左近が一番?
部下の頭を撫でてやった?
そんな光景は、ついぞ見たことがない。
なにしろ堅苦しい男である。肩に掌を置くぐらいならまだしも……軽薄にも、太閤秀吉の真似事を始めたものか。
若い頃は男同士で肩を組み合ったりするものだが、三成はそれすらまれな男だ。
吉継に対しても、「触れていいか?」と確認してから抱きしめてくるほどなのに。
どす黒いものが、胸の底から沸き上がる。
それは「裏切られた」という、どうにも説明しようのない、怒り――。
* * *
「……三成」
泣き出しそうになっている三成に背を向けて、吉継は呟くように、
「もう、われが要らぬのであろ」
「なんの話だ」
「ぬしの背を守るのは、もう、われではないのであろ」
三成がビクリと身を震わせた。吉継の怒りの原因に、ようやく気付いたらしい。
「左近が貴様に、何かいったのか」
「あれは何も言わぬ。ただ、熱心に後詰めの調練をしておった。ぬしに褒められたと自慢をしておったわ。雑兵どもも、あれを羨ましがっておった」
三成は声を落とした。
「後詰めを教えているのは、貴様が不要だからではない。貴様が一番に決まっている。だが、いつまでも先駆けばかりさせていられない、いずれはしんがりも務める日がくる。刑部がいない時に、いくさばで左近が遅れたら、被害を最小限にするためには」
「わかっておる」
「刑部」
「わかっておるわ……」
三成が嘘をついていないのはわかっている。それでも吉継が言葉を継げないでいると、
「左近は最初、辞退したのだ。しんがりをつとめるのは、自分にはまだ早いと」
「ん」
「後詰めにおいて、貴様がどれだけ優れているか、あれにもわかっていたからだ」
「さよか」
吉継は遠距離攻撃を得手とし、後じさりしながらも敵を攻撃できる。結界もはれる。毒霧も操れる。先駆けも伏兵もしんがりも、思いのままなのが大谷隊である。普通はそうはいかない。
「だから、左近隊の中では、貴様がもっとも判断力があると褒めた。それだけのことだ」
「なるほど」
目に浮かぶようだ。
左近が必死に後詰めについて考え、その結果、吉継を褒め讃え、それを喜んだ三成が、左近の頭を撫でてやったのだろう。それこそ息子にしてやるような、やましさなど微塵もない触れ方で。
「だがまだ、本当にしんがりを任せるわけにはいかない。あれはそこまでは育っていない。私には、貴様が必要だ」
「わかっておる」
「刑部」
吉継は、三成の頬に手を触れて、
「本当は、ぬしが先駆けたいのであろ。ぬしの方が、左近より速いのだから、露払いにしても、ぬしの方が効率が良い。かといって、まだ本隊となるだけの力も備えておらぬ。後詰めの心得を教えて、さらに鍛えようとしたのであろ。よう考えたものよな」
三成の表情が緩んだ。
「わかって、くれたか」
「わかっておる、と何度も言うたであろ」
「よかった」
三成は、そっと吉継を抱きしめた。
吉継の身体に、先ほどまでの緊張がないのを確かめると、安堵のため息をつく。
「先に貴様に、相談をしておけばよかった」
「その程度のこと、いちいちせずともよい。ぬしの仕事の速さには、誰もついていけぬ」
「そんなことはない」
「三成」
吉継からそっと、三成のくちびるに触れる。
「つまらぬことを言うたな」
「いや」
二人はそっと口を吸い合った。
吉継が、うすく瞳を潤ませて三成を見上げると、頬を赤くしている。
「それは、つまらぬことではない」
「ん」
「私だって、刑部には、いつも、一番に思って、もらいたい……」
吉継は目を大きく見開き、そして、三成の額を叩いた。
「何をぬかすか」
まるで本当に、自分がいつも三成のことばかり考えている気がして、思わず手がでた。
何をいい気になっておる、ぬしとわれとは違う。
われは別に、そのような――。
そう言いかけると、三成の瞳がみるみる曇った。
「思うだけでも、だめなのか」
吉継は言葉を飲んだ。
うかつなことを言ってはならぬ。
なにしろ、言葉を額面通りに受け取ってしまう男だ。
もし「ぬしなど嫌いよ、これっぽっちも思っておらぬ、触れるな」といったら、本当にそのようにする。「ぬしには愛想を尽かした」といったら、本当に心を冷ましてしまうかもしれない。
たとえば、今のわれが豊臣を裏切っても、三成はわれを殺せまい。何か事情があるのだと、かばいだてさえするかもしれない。
だが、われが三成を見放した後であったら、太閤に命じられたら即座に殺せるだろう。
それぐらい、極端な男だ。
だが、可愛げがあるともいえる。
やましくもないのに左近のことを言いつくろうのも、われに好いて欲しいからだ。
極まった時に、「ぬしがイチバンよ」と甘えた声を出してしまうのは吉継の方で、それをききたさに、手を尽くすのだろうに。
「……思うのは、ぬしの、勝手ゆえ」
「刑部」
「このようにひねくれた病人に、好いたのなんだの言いかけるから、はたかれるのよ。普通は面倒だと忌避するであろうに」
三成は眉を寄せた。
「面倒なのは、私の方ではないのか」
「ん?」
「私は融通のきかない子どもで、ずっと紀之介に迷惑をかけてきた。それこそ、面倒だったのではないのか。なのにずっと、共にいてくれた。いい気になるなと叱られても仕方がないが、好きな相手に好かれていたいと思うのは、いけないのか。嫌われたら、何もできないではないか」
眼差しが揺れている。
怖いのだ。
吉継を失うことが。それだけは、どうしても厭だと。
「ずっと、触れて、いたい、のに」
吉継はじっと見つめ返した。
「ならば、存分に触れればよかろ」
「いいのか」
三成の良いところは、どんなに肌を重ねようと、いい気にならぬことだ。それだけ吉継を、いつも尊重しているということだ。
「ぬしは、ほんに、ぬしよなァ」
吉継は三成を抱き寄せた。
「……よくなければ、いわぬ」
「刑部」
「ん」
三成が喜ぶかと思いきや。
「まだ身体が硬いな」
「柔らかい肌がいいなら、よそへ行きやれ」
「違う。まだ、貴様の心が晴れていないということだ」
「ぬしこそ、つい先ほどまで、泣き出しそうな顔をしておったであろ」
すると三成は、吉継を抱いたまま仰向けになった。肩口のあたりに吉継の頭を落ち着けさせると、黙って深く息を吐く。
そのまま、静かに長い呼吸を繰り返す。
吉継がその呼吸につられて、深く息を吐くと、身体がすうっと緩んできた。三成の腕が優しく、吉継の背を撫でる。いっそ眠気すら誘うほどだ。
三成が何も言わないので、吉継は低く呟いた。
「ぬしが、こんな手管を知っておるとはな」
「手管?」
「われを落ち着かすことができようとは」
「手管もなにも、貴様はこれが、一番好きだろう」
そのとおり、一番好きだ。
「刑部がこんな風に寄り添ってくれると、安心するし、何より嬉しい。信頼されている、と思えるから」
ぬしを疑ってなど、と言いたいが、左近のことで悋気を起こしたのは己だ。
すまぬな、といおうとした瞬間、三成の指が吉継の唇に触れた。
「今宵はもう、余計な言葉はなしだ。だが、朝まで離さない」
みつなり……と呼ぶ間もなく、口を口でふさがれる。
いつの間にか寝着を乱され、肌をまさぐられている。
熱っぽく見つめられて、吉継は甘いため息をつく。
そう、この朴念仁は、われをようわかっておる。
信じるにたる男よ。
いつでもわれが一番で、決してわれを、裏切らぬ――。
(2016.4脱稿)
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Written by Narihara Akira
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