『密 会』


「夕食は不要だ。今晩は戻らない」
「出張か」
「そんなようなものだ」
吉継はカレンダーをちらりとみる。二〇一五年七月二十三日、木曜日。
「どこへ行くのよ」
「熱海だ」
「接待か」
「それはいえない」
「さよか。社外秘か?」
「ああ、すまない、行ってくる」
三成が出かけると、吉継は大きな瞳をキョロリと動かした。朝食の後片付けをしながら、
「ぬし、相変わらず、嘘が下手よな……声がうわずっておるわ」


戦国の世、豊臣が滅びてから、すでに四百年の月日が流れていた。
東京の某大学の入学式で、三成と吉継は、今生の再会を果たした。
二人とも昔の面影を残していて、見間違えようがなかった。会った瞬間に、過去生の記憶がよみがえった。なにしろ、声も口調もそのまま。名前まで、かつて歴史上に二人が残したままだった。
三成は経済学部、吉継は法学部と、学部こそ違っていたが、二人とも中央線沿線に住んでいて同じ大学に通っていたので、三成は吉継の下宿に通いつめた。少ない荷物をもって引っ越してくるまで、そう時間はかからなかった。
大学を卒業しても、二人は一緒に暮らし続けた。三成は丸の内の商社に勤め、吉継は大学の先輩の法務事務所の下請けを、居職で行っていた。
仕事先には二人とも、家賃がもったいないので、遠い親戚と同居している、と告げてある。二人とも関西出身だったので疑われなかった。家事一般を担当し、誕生日がやや早い吉継が、三成の保護者として自然に認知された。
二人が恋人同士ということは、とりあえず公表していない。
元から防音のしっかりしたマンションだったが、三成が、それにさらに防音壁を重ねた。夜ごとの睦み合いは、決して外へ漏れないようになっている。
夜の三成は時にケダモノだが、朝になれば、淫らなことなど何もしらぬげな、涼しげな顔で部屋をでていく。吉継は吉継で、情事の跡は綺麗さっぱり片付けて、ふいの来客にうろたえる必要もなかった。
係累の少ない三成は、籍をいれたいと考えているが、身内とすっかり疎遠になっているわけでもない吉継は、そう簡単に養子縁組の話に乗れない。それでも愛しさにひかされて、ズルズルと同棲を続けている状況である。
過去の記憶があるからといって、そういう仲になる必要はなかったはずだが、三成の求愛の熱心さは戦国の世と変わらず、吉継は早々に根負けしてしまった。この時代では病もちでもないし、もし今後かかったとしても現代医療では治る病気だ、それを理由に身体の関係を拒否することはできなかった。むしろ現代では、男同士であることの方が障害になるのだろうが、吉継は男子校出身なので、本人的にはあまり抵抗を感じなかった。肌を重ねる相手は見目麗しさの方が大事で、つまり、今の三成も好みだったのだ。
まあ、二人ともまだ若い、こんな関係も悪くはなかろう。
ならばそれぞれ、嫁をめとらねばならぬような日が、来るまでは――と。


「今宵は戻らぬ、というたからには、戻らぬのであろうな。では、どこへゆくかだ」
熱海だ、とハッキリいったからには、行き先は静岡県の熱海市である可能性が高い。もしくは、その近辺にある海辺の町だろう。
吉継は熱海にいったことがなく、俗悪な観光地、淫猥な温泉場のイメージしかもっていない。正直、三成にもっともふさわしくない場所に思われる。枕営業でもするなら別だが、あの三成に、そんなことができようはずもない。色事ぬきの接待なら、ありえないこともないだろうが。
「もしくは、本気の相手ができたか?」
昔、熱海は新婚旅行のメッカだったと聞く。
もし、秘密にせねばならぬ女がいるというなら、われは……。
吉継はさんざん迷ったあげく、昼休みに三成の会社へ電話をかけた。いつもの口調を封印して、
「大谷と申しますが、本日、石田は出社しておりますでしょうか」
三成の直属の上司が出た。
「ああ、大谷さんでしたか、いつもお世話になっております。ええ、石田君、来てますよ。外回りから帰ってきて、お昼にいっていますが、携帯、つながりませんか? なにかご伝言があれば、お伝えしましょうか」
なるほど、ちゃんと出社しているようだ。
ということは、会社から熱海へ向かうつもりか。
「いや、今朝、どうも顔色があまり、よくなく……」
モゴモゴと呟くと、上司は明るい声で、
「そうでしたか。変だな、むしろ顔色はいいぐらいでしたよ。外へ出る前に明日の有給を申請してましたが、何か大きな荷物を受け取ってましたし、週末を三連休にして、旅行にでも行くのかな、と思ってましたが」
「いや、まあ、そんなところで……お忙しいところ、失礼をいたしました」
「いえいえ。石田君はいつもよくやってくれるんで、助かります。たまには息抜きも必要ですよ。ご旅行、楽しんできてくださいね。それでは」
電話は切れた。
吉継は茫然としていた。
大荷物? 有給? 三成はいったい、何をしようとしている?
上司は何の疑いもなく、吉継と旅行に行くと思っているようだ。
三成は、会社では首尾良く立ち回って、嫌われていないらしい。
興味のないものにはとことん無愛想な男だが、意外にも三成は、優秀な営業マンらしい。自社商品をよく研究しており、顧客に的確なアドバイスをする。数字に強く、データを読み違えることもない。なにより、誠実で正直なのがよい、と先の上司がいっていた。お互いに損をしない取引を重ねているので、新人ながら、顧客から信頼されているという。
《その誠実な男が、なぜ、われに嘘をつくのよ》
吉継はもう、仕事が手につかなかった。
電話とメールで先方に連絡をとり、急ぎの案件からはずしてもらって、新たな仕事は週明けに受けることにした。
簡単に支度をすませ、家を出る。
探偵の経験はないが、吉継は三成を尾行することにしたのである。途中でバレたらバレたで、その場で三成を詰問すればいい。出張でも社外秘でもないことは、会社に確認したのだから。
《だが、なぜ、われ、こんなことをしておるのであろうな……?》


三成は定時で会社を出て、地下鉄に乗った。
上司がいった通り、出かける時にはもっていなかった大きな紙袋をさげている。機嫌も良さげだ。
そして、東京駅で降りて窓口に行く。
よく通る高い声で、新幹線の指定席の切符を買った。吉継も、急ぎ切符を買った。同じ新幹線に乗れば、当座は見失うまい。三成は、待ち時間に菓子屋を見てまわったらしく、新幹線に乗り込む時に、さらにヨックモックの包みを増やしていた。
本当に、何をしにゆくつもりか……。
少し離れた席に座って、吉継は三成の様子をうかがっていたが、三成は実に静かなものだった。新幹線の中で、誰かと待ち合わせているのでもないようだ。吉継は持って出たおにぎりで小腹を満たし、熱海までの車中を無言でこらえた。
三成は、熱海の駅で降りた。海の方へいく下り坂を、ゆっくり降りてゆく。人気の少ない道だったが、まだ陽が残っているので、観光客が歩いていないこともない。吉継も、三成の背を見失わない距離で、ついてゆく。
三成は、古めかしいバス停の前にある、ひなびた温泉旅館の前で足を止めた。
看板を確認し、中へ入っていく。
「石田様、お待ちしておりました!」
「世話になる」
吉継は、バスの時刻表を眺めるふりをして、女将の声と三成の声に耳を澄ませた。
「今日は、二階は石田様しかいらっしゃいません。一階は立ち寄り湯になっておりますので、夜八時まで、外から人が入ってくることがございますが」
「わかった」
「お部屋は、内側からしか鍵がかけられませんので、貴重品は、金庫の方へお願いいたしますね」
「了承している」
「お部屋は、一番奥の左手にご用意いたしました。ご案内いたします」
「よろしく頼む」
三成が二階にあがっていく気配を確認してから、吉継はなんでもない風を装って、旅館に入った。
「ここは、一階は、誰でも入れる、か……」
「ようこそいらっしゃいませ。ご入浴ですか、どうぞ」
内側も、昭和の風情をたっぷり残した木造の旅館だった。一階にいくつか浴場があり、立ち寄り湯になっているようだった。吉継は湯銭を払って、中へ入ってみた。
三成が降りてくる気配がして、吉継は慌てて物陰に潜んだ。
「ごゆっくり、どうぞ。お肌によい湯でございます。御夕食は、一階の食堂にご用意してありますので」
「ああ」
三成はもう丹前に着替えていて、すぐに風呂を使うようだ。別の風呂に入ったところを確認し、旅館の人間がすべて調理場へ引っ込んだところをみすますと、吉継は足音を殺して、二階へ上がった。
《奥の部屋、とゆうておったな》
二階の突き当たりに、流しと炊事場があった。
吉継の胸は、かすかにきしんだ。
《ここは、ホンモノの湯治場か》
上の炊事場は、自炊する人間のためにあるのだ。湯治は身体を癒やすもの、つまりは長く温泉場に逗留しないと治療効果がないので、宿泊客は地元の市などで食材を買い、自分でつくって食費を浮かせるのである。病によっては食べられないものもあるわけで、旅館側にとっても、それが合理的なのだ。部屋に内側からしか鍵がかけられないのは、古式ゆかしい旅館だからというのもあるが、お互いを信頼しあえないような者と養生するな、という意味もある。
四世紀前、病身の己が、自炊や粗食の憂き目にあわずにすんだのは、ひとえに豊臣が、文字通り豊かで懐が広かったからで、もし、数十年前に転生して同じ病を得ていたら、それこそ戦国の世より、酷い目に遭っていたかもしれない……。
奥に部屋は二つあった。日当たりのよさそうな左手の部屋の引き戸を、吉継はそっと開けてみた。
三成の荷物は部屋の隅に片付けられており、もう、床がひとつ、のべてあった。
そして、その上に、信じられないものが広げてあった。
《これは、われの……昔のわれの似姿……!》
板輿に乗り、緋色の胴をつけ、家紋をあしらった白い頭巾をかぶった、包帯だらけの自分の絵だった。
なぜ、こんなものが、ここにある!
ふと、人の気配がしたので、吉継はあわてて押し入れにその身を滑り込ませた。
「いい湯だった。泊まり客は、いつでも入れるのだな?」
「はい、私どものいない時間でも、ご自由にお入りくださいませ。明日のお食事は、部屋にお持ちいたしますか」
「いや、先ほどの食堂でいただこう」
「では、八時にご用意してお待ちしております。ごゆっくりどうぞ」
三成が部屋に戻ってきた!
どんなカラスの行水なのか。いや、今の会話からして、もう夕食もすませてきたらしい。何をそんなに急いでいるのか。
三成は部屋に入ると、すぐに内鍵をおろした。
「刑部」
吉継が押し入れの戸を薄く開けると、三成が布団の脇に膝をついているのが見えた。
「まさか、この現代で、貴様の昔の姿を見ることができようとはな。手にいれることができるとわかった時、注文せずにいられなかった」
そういって、似姿を印刷したタオルに添い寝する。
「買い占めたいとも思ったが、よく似ていると知っているのは私だけだから、我慢したのだ。私の腕の中で、どんなに可憐に乱れるか知っているのも、私だけだからな」
三成は、似姿の頬を、指先でなぞりだした。
「いや、本当はもっと美しかった……隠すものなど不要だった。閨で寄り添っている時、私より幸福な者はいるまいと思っていた。どんなつらさも苦しさも、見せるのを恥とする、誇り高い紀之介……それが、未熟な私の物思いを、まるごと受けとめてくれたのだ。私の心は、あの日すっかり救われた。すさむこともなく生きられたのは、いつも貴様が側にいてくれたからだ。貴様は実の親よりも、私を深く案じてくれた」
顔もすうっと近づけて、
「今生では二人とも、いくさに関わることも、権謀術数も不要だ。いつまでも穏やかに二人で暮らしていけるかと思うと、それが嬉しくてたまらない……だからいつも、どんなに愛おしいか、何度でも囁きたいと思うのに、貴様は、恥ずかしげに身を縮めてしまうから……今宵は存分にいわせてくれ。ここは他の建物からだいぶ離れているから、誰に聞かれる心配もない」
三成の声は、すっかり熱を帯びていた。
「好きだ、刑部。貴様のすべてが欲しくて、たまらない……!」
ひとしきり甘やかな言葉をはきかけると、三成は静かになってしまった。目を閉じているようだ。
《眠ってしまったのか?》
吉継は、そうっと押し入れの戸を開けた。
身体がすっかり、火照っていた。
暑いから、というだけではない。
三成の囁きのせいで、欲しくてたまらない状態になっていた。
吉継は、そっと似姿をとりのけると、そこへ己の身を横たえた。
三成は目を閉じたままだ。
端正な顔立ちを見ているうちに、くちびるが吸いたくなった。
ためらいがちに、小さく、呼んでみる。
「みつな、り」
次の瞬間、三成は吉継をぎゅうっと抱きしめた。
「捕まえた、私の蝶」
そのまま口を吸われ、服を脱がされ、熱い肌に包まれて、吉継は切なく喘いだ。
「ああ、われ、ぬしがほしい。みつなり、早く……!」
「ああ、いくらでも!」


波の音が、聞こえてくる。
「まんまと、ぬしに、たばかられた、な」
「ん、なんだ?」
夏の夜は短い。外はもう明るくなりはじめている。一糸まとわぬ姿が恥ずかしくなって、吉継は上掛けを引き寄せた。
「ぬし、われが会社からついてきていたのを、知っていたのであろ」
「ああ。貴様の気配を、間違うわけもない」
「それより何より、ここの旅館のものに、われが来ることを、あらかじめ言い含めてあったのであろ。どうも妙だと思うたわ」
三成も上掛けの中に潜り込んでくる。
「そうだ。ここを予約した時に、もしかして、連れが遅れて来るかもしれないが、奥ゆかしい男で、あまり人目にたたぬように入ってくるかもしれない、そうしたら、見ないふりをしてくれ、と写真を見せておいた」
吉継は大きなため息をついた。
「ぬしがそこまで、嘘のうまい男とは思わなんだ。朝のあれから、最後まで演技とは」
三成は真顔で答えた。
「嘘などついていない。もし、刑部が様子見についてこなければ、朝まで貴様の昔の姿と添い寝して、それから家に戻るつもりだった。いや、もっと早く声をかけてくると思っていたからな。今か今かと待っていたのだが、まさか、気づいてくれていなかったとは……新幹線の中で声をかけてきたら、一緒に食そうと思って、わざわざ東京駅で、貴様が先日、テレビで興味深そうに見ていた、ヨックモックのハニーシュガーまで購入したのに……」
吉継は目を丸くした。
そういえば、「ゴーフレットの蜂蜜がけか、貴様は好きそうだな」と呟いていた気もするが、そんなささいなことまで、覚えていたとは。
「ぬし、われなら、タオルと添い寝でもよいのか」
「もちろん、本物の方が良いに決まっているだろう」
三成は吉継のくちびるをなぞりながら、
「だが、ああいうことをずっと囁き続けていると、貴様は怒るだろう……歯が浮かないのか、とか……慎ましい貴様も愛しい、厭がることはしたくない」
「三成」
「本当はもっと、優しくしたい。もっと欲しがってほしい。ずっと触れていたい」
なんの迷いもない眼差し。
「今生の貴様の上に、たくさんの幸福の星が降り注ぐよう、いつも願っている」
「みつなり」
「今回は、たまには場所を変えるのも面白いかと、私の趣味で選んでしまったが、次に旅行をする時は、刑部が好むところに泊まろう。どんなところがいいか、教えてくれ」
「いい」
「ん?」
「ぬしが良いなら、われはどこでも」
「そうか。なら、明日は露天のある、新しいホテルでもゆくか」
「ぬしはそれで、我慢できるか」
「ああ、なるほど」
明るいところで肌をさらしあっても、抱かずにいられるのか、と吉継が目できくので、三成は微笑した。
「せっかく休めるのだ、一日中、睦みあっていてよいなら、どこでもいい」
「やれ、まるで密会よな」
「密会か」
三成は吉継の額にくちびるを押した。
「別に隠すこともない。私は貴様にゆるしてもらえるなら、他の誰がゆるさずとも、どんな障害があろうと、必ず、どこへでも……」



* 限定版「皇」販促SS『密会』
戦国BASARA4 皇 LIMITED EDITION 大谷吉継 / LIMITED EDITION / PS3
公式サイトで予約受付中、6/5まで。リンク先はPS3ですが、PS4版もあります。


(2015.4脱稿)

《よろずパロディ》のページへ戻る

Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/