『眠り疲れて』

見る夢見る夢、あまりにリアルで、現実と混同する日もある。知り合いのセラピストは「最近、お疲れじゃないですか?」という。
いや、これは昔からだ。

「俺はもう死ぬんだ」と再び親がわめきはじめた。普通の病人なら、家族は涙するところだろうが、何十年も前から「俺が死ねばいいんだ」といってきた男なので、今さら同情されない。「さっさと死んでしまえ」と怒鳴り返しても、むろん死なない、しおれない。「俺を小説にでも書けばいい」という台詞は皮肉のつもりらしいが、もう何度も書いている。読んでも自分と理解できないだけなのだ(おまえの頭の悪さは、海外にまで知られてるんだよ)。醜いまでに元気な病人で、医者が「何を食べても大丈夫ですよ、それで救急車で運ばれる可能性は、ご家族が交通事故にあう確率以下です」と太鼓判を押したぐらいだ。

「お父様は本当に闘病中だったのですね」というメールが届く。その小説を書いたのは何年も前で、親の病気が判ったのはつい最近だ。いわゆる現実がおいついてきた、というやつだが、予想したわけでもなんでもない。「純然たるフィクションです」と返信する。こんなくだらないことこそ、夢であればいい。病気であろうとなかろうと、年をとったものが先に死ぬのが順序というもの、慌てる必要もないのだ。

眠りたい。疲れがとれない。疲れがたまると、夢のリアルさが増す。

いつもの買い出し、いつもの坂道。「危ないぞ」とトラックに怒鳴られて、慌てて自転車のハンドルを切る。ブレーキがきかない。たしかに古い自転車で、あちこちきしむ音もするが、私はブレーキはいじらない。うっかり油でもさしたら、どんな目に遭うか知っているからだ。なぜなら小学生の頃、父が余計なことをして……。
「おまえの自転車、チェーンがうるさいからなおしておいたぞ」
帰宅すると、父が玄関先でニヤニヤしていた。「ブレーキが甘かったろう?」

だめだ。もう眠れない。



(2008.8脱稿/初出・『幻視コレクション〜新しい現実の誕生〜』2008.11 「文芸スタジオ回廊」発行の掌編アンソロジー。1000文字以内のオリジナル、テーマ「新しい現実の誕生」)

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Narihara Akira
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