『過ぎたるもの』


夜半に目を覚ますと、吉継はだいだい三成の腕の中にいる。
三成は、彼の後ろに、ぴったりと身体をつけていた。
その左腕は、吉継の頭を、ゆるく抱え込んでいる。
右腕は吉継の身体に沿わされて、だいたい腹のあたりでとまっている。
きつく抱きしめていると眠れまい、という三成の配慮だと思うが、この格好でも動けないのは変わらない。三成を起こさずに厠に行くことなど、至難の業だ。
ただ、いやな感じはしない。
三成の熱い肌は、ここちよい。
吉継の肌に満足して、ぐっすり眠っているらしいのも、悪くない。
ただ。
《われ、向かい合わせに寝る方が、好きなのよな……》
三成の胸に甘えて、眠りたい。
目が覚めた時、三成の顔を見たい。
眠っている三成の口唇を、そっと吸いたい。
甘いくちびる、である。
冷たく引き締まっているように見えるのに、柔らかく、あたたかい。
三成にそっと口を吸われる、あの瞬間がたまらなく好きだ。
ためらいがちに、吉継の反応をうかがいながら、さらに口唇を重ねてくるのも。
何度寝ても、そういう初々しさを失わないのが、三成らしい。
激しく互いを貪りあう時も、ふとした瞬間に、三成のいたわりを感じる。
人のいうことをきかぬ男だが、好きな相手には限りなく誠実なのだ。
だから、眠る前にこちらから寄り添ってしまえば、そのまま眠ってくれる気がしないでもないが。
《まあ、三成が好きなら、これでもよいか》
それがこの男なりの、甘えの表現であるならば。
正直、佐和山の城に連れてきてくれただけ、いい。
仕事がたまっているだろう、本格的に春になる前に、いろいろと片付けておいで、と半兵衛が三成に命じたのが、ここへ来たきっかけだった。
その際、三成が「刑部はどうする、一緒に行くか、敦賀に戻るにはまだ寒いだろう」と誘ってきた。
佐和山城は三成が秀吉に正式にたまわった、彼の城である。
三成が大坂、伏見で仕事をしている時は、石田家の身内が詰めているが、城主は彼だ。
軍事的に要衝の地でもあり、それを任されているということは、三成がそれだけ、豊臣政権に重んじられているということだ。
外装の派手さ壮麗さに比べて、城内は実用一点張りだが、それも三成らしく、好ましい。
そんなことを考えて月明かりに目を細めていると、三成も目をさましたようだ。
「どうした刑部。眠れないのか」
「そうではない。佐和山は静かでよいな、と思うておった」
三成の腕の力が緩んだので、吉継は身体を反転させた。三成は吉継を抱き直しながら、
「そうか。なら、左近は伏見に帰してしまうか」
「それもヨイナァ」
それを三成が実行しかねないことを知っていて、吉継はそう答えた。
この忙しい男を、独り占めしたい。
そう思うことぐらいは、ゆるされても、よかろうと――。

*      *      *

「大谷君、最近、三成君とはどうなの?」
竹中半兵衛にそう問われて、吉継は口唇をとがらせた。
「やれ、石田はタヌキの離反のせいで、だいぶん忙しい様子」
「ええっ、石田って何? どうしたの、急に他人行儀な呼び方して」
「われに恩すら、売らぬ有様ゆえ」
「恩ってなんの話?」
「先日の茶会のことは、賢人も承知しておるのでは」
半兵衛は、ふふっと笑った。
「これはまた。惚気話かい」


先日行われた秀吉の茶会で、吉継の番が回ってきた時、業病による膿が、茶碗にしたたり落ちた。
その場の空気が凍りつく。
吉継はいたたまれぬ思いで、茶巾で飲み口をぬぐった。
次の瞬間、さっと三成がとりあげ、飲み干した。
「秀吉様のありがたきお茶。もう一杯いただく許可を、いただきとうございます」
その仕草の、なんとも端正なこと。
いつになく静かなその声に、秀吉はウム、とうなずき、新たな茶をたてた。
そのまま茶席は続けられ、滞りなく終了した。
吉継は三成を追いかけ、思わず咎めた。
「なぜに先ほど、皆に忌まれたあの茶を飲んだ。われへの憐れみか。それゆえに気遣ったか」
三成の顔から表情が消えた。かすかな苛立ちをこめた声で、
「そんなつもりなど、毛頭ない。ただ、秀吉様の茶席を穢す愚を、認められなかっただけだ」
「んん?」
「秀吉様が設けた場に、狭き心の持ち主など必要ない、それだけだ。貴様のことなど、考えてもいない」
そう言い捨てて、三成はその場を離れた。
黄昏の中に取り残されて、吉継は友の言葉をかみしめていた。
むしろ、考えぬいているからこその、その台詞。
あの茶席を穢したのは、いくら痛覚を失いつつあるとはいえ、傷の手当てが足りなかった、吉継自身だった。だが、病に蝕まれてから、公の場に出ることが少なくなった吉継である、ますます引っ込まざるをえなくなるのが耐えがたくて、あのような言い方になったのだろう。
もちろん、三成の言葉に嘘偽りはない。
病というだけで疎んじる者どもの狭量さに、常に苛立ちを感じているのだろう。
だから「貴様のことなど考えてもいない」という台詞は、この程度のことで恩など売るか、という意味だ。
だが、それがひどく、寂しくもあり。


「恩を売る、売らない以前に、三成君はいつも本音だと思うよ。だいたい、君たちって、お互いの身体で知らないところって、あるの?」
半兵衛にそういわれて、吉継はハッと回想から醒めた。
三成は、吉継の体液の味を、幾種類も知っている。
膿の落ちた濃茶ぐらい、なんとも思わないだろうことも、事実なのだ。
だが。
「そのような気の遣われ方は、あまり、好まぬゆえ」
「ハハ、水くさいっていいたいんだね。まあ、堅苦しい子だからねえ。ただ、つまらないことで、疎遠になるのは困るなあ。三成君を御せるのは君だけなんだから、思いきって甘やかすぐらいで、いいんだよ」
「いま以上、三成を甘やかすのは、どうも」
「それが厭なら、君からもっと甘えるといいよ。三成君、喜ぶと思うなあ、すごく」
「三成が……」
喜ぶ?
もう若くもない、病に爛れた醜い身体を引きずる自分が、甘えて、喜ばれる?
半兵衛はニッコリした。
「そんなびっくりした顔をするぐらいなら、試してごらんよ」
吉継は苦笑で応えた。
「何をどう試したものやら」
家康離反の後も、左近の屈託のなさ、にぎやかさに、三成が救われているのを知っている。甘えるのは、ああいう若者の方がよほど良かろう、と思うのだが――。

*      *      *

三成の顔を間近でじっと見つめていると、水底いろの瞳が伏せられた。
「刑部。今宵は月が、明るいな」
「そうよなァ」
「あかりをつけずとも、よく見える」
「ん」
コクン、とうなずくと、三成は腕をほどいて、吉継を仰向けに横たえた。
「みつな、り……?」
三成の長い指が、吉継の短い髪を撫でる。
口唇が、重なる。
舌が、舌を吸い上げる。
吉継の身体から力が抜けた。
三成が、この身を欲しがっている。
顔を離すと、三成は、吉継の頬に、額に口づける。
それが首筋をつたい、胸を通り過ぎ、そして爪先まで触れていく。
一番大事な部分には触れないので、焦らされているのかと思うが、三成の様子は、あまり余裕のあるものではなかった。その息は乱れ、肌は熱い。時々吉継の肌をかすめていく三成自身のものも、硬く勃ちあがっている。
三成が吉継の手をとり、その甲に口づけた。
「刑部。欲しい」
「ぬしは、ほんに、こんな身体がよいのか」
「当たり前だ。触れるたびに、刑部の頬が、肌が緩んできて、もう、たまらない……!」
こちらの反応にそんなに煽られていたかと思うと、吉継の身体は羞恥にすくんだ。
賢人はもっと甘えろというが、これ以上、どう甘えろというのか。
「こんなわれを、だらしない、とは思わぬのか」
「だらしないのは私の方だ。明日まで我慢しようと思っていたのに、貴様の瞳が潤んでいるように見えたら、もう」
三成は吉継の脚を押し開き、ズン、と深く突き入れた。
寝る前に一度して、やや緩んではいたものの、慣らされていたわけではないので、吉継は息をのんだ。
三成はハッとしたように、すこし身を引いたが、すぐにまた深いところを、探るように動き始める。
「この身体より良いものなど、あるわけがない。私が欲しいのは、未来永劫、貴様の肌だけだ」
「ああ……」
吉継は腕を伸ばし、三成の首にからみつかせる。
「われはぬしの口唇が欲しい」
「貴様は口吸いが好きだな」
「ぬしは厭か」
「厭なわけがあるか」
吉継は首をふった。
三成はわかっていない。
たとえば遊女は、下の口はゆるしても、上はゆるさないというのが、ままある。
口唇をゆるすのは、本当に惚れた相手にだけ、というわけだ。
好き合ったもの同士の、特別なことだからこそ、吉継は三成の口唇が欲しい。
「ぬしの清らな魂が、吹き込まれるような気がするのよ」
そう囁きかけると、三成は瞳を潤ませた。
「そんなに好きか。なら、私からねだろう」
身をかがめ、そっと吉継に口づける。

*      *      *

竹中半兵衛に声をかけられたその日も、三成は走り回っていた。
家康が離反し、秀吉から豊臣の左腕であることを自覚しろ、といわれ、「左腕三成」と自称するようになり、今まで以上に奔走していた。
半兵衛の負担も減らさねばならぬのだが、三成は凶王のあだ名されるとおり、いったん殺戮を始めると、かげんができない時がある。なるべく調略で押さえたい半兵衛の策とあわぬのである。
「三成君、ちょっといいかな」
「は、半兵衛様」
「最近、大谷君とはどうなの」
「どう、とは?」
「この間、ちょっと大谷君と話してみたんだけど、なんか辛そうにしてたからさ」
「刑部が……!」
三成の声は震えた。
「心当たり、ない?」
「私が至らない、ということなのでしょうか、半兵衛様」
「そういうわけじゃないけど」
青ざめる三成に、半兵衛はすっと顔を近づけて、
「大谷君と君は、両輪だ。足りないところを補いあえる二人だ。豊臣の後継者として、お互いに歩み寄ることが、大切だよ」
「それでは、病が進んでいるというわけでは、ないのですね」
「たぶんね。ただ、君が恩も売ってくれないって、寂しがっていたよ」
「恩」
三成はふと、目を伏せた。
「半兵衛様」
「なんだい、三成君」
「私は、刑部に釣り合っているのでしょうか」
半兵衛は目を丸くした。
「今さら何をいってるんだい? 何が釣り合わないっていうんだい? 君たちは小姓の頃からずっと友人で、同じ位を授かって、今でも一緒にいくさばに出てるっていうのに」
「時々、思うのです。私があまりに熱心に口説いたために、しかたなく、つきあってくれているのではないかと」
「ええっ?」
半兵衛は自分の耳を疑った。
平素の三成の言動からすると、信じられない台詞だった。
常に共にあることが、当たり前のように振る舞っているのに、内面にそんな屈託を隠していたとは。
「あのね、三成君。君が自分から口説いたのって、大谷君だけなんでしょ?」
「はい」
「それからずっと、一筋なんでしょ?」
「はい」
「まあ、最初は渋々だったかもしれないけど、君に口説かれて、大谷君はすべてをゆるしたんじゃないの?」
「はい」
「君が一番大事に思ってるのは、大谷君じゃないの?」
「は……いえ、秀吉様です」
「いや、そういうことじゃなくて。豊臣のためなら命を捨てろって兵にいう君が唯一、個人的に惜しむ命は、大谷君でしょ?」
「は、はい」
「道理で大谷君、さびしがってたわけだ。君が忙しいのは我慢できるかもしれないけど、今でもそんな遠慮があるなら、水くさいって思ってるよ、きっと」
「刑部が、さびしい、と?」
「時間がないのは確かだけど、君たちの意思疎通ができてないなら、時間をとらなきゃいけない。ところでそろそろ、佐和山も整備点検が必要な時期だよね。大谷君の意見がききたいとかなんとかいって、一緒に行っておいで。ちょっと甘やかしてあげなよ」
「甘やかす」
「君がそういうの、苦手なことは知ってるけど。でもせめて、閨で朝まで抱いてるとか。離れたくない、ぐらいのこと、囁いてあげてる?」
三成の頬が、一気に赤くなった。
「それは、その……」
「ああ、なんだ、いえるんじゃないか。だったらさ。久しぶりにゆっくり、二人きりで仲良くしてきなよ」
「しかし、左近が」
「彼がどこでもついて行く、ってことか。ただ、あの子が君らの夜を邪魔するほどの馬鹿なら、追い返したらいいんじゃないかな」
「確かに」
三成は、深く頭を垂れた。
「ありがとうございます、半兵衛様。お気遣い、感謝いたします」

*      *      *

三成の掌にこすりあげられて、吉継の物も、すっかり勃ちあがっている。
中も一番いいところを巧みに突かれて、吉継はかすれた喘ぎを洩らし続ける。
「みつなり、みつなりぃ……」
「いいか、刑部」
「ヨイ、もっと」
「私もいい。熱くて、きつくて、たまらない」
「われも……ぬしのが……熱くて……」
「まだ達きたくない、ずっと刑部を味わっていたい。なのに腰がとまらない、ああ!」
三成が己の白濁を、たっぷり吉継へ注ぎ込む。
吉継はイヤイヤと首をふり、
「もっと、もっとよ」
「刑部」
三成は吉継の頬に口づけを落とし、
「ああ、私もまだ足りない。離れたくない」
「われもよ、もっと、もっとぬしが、欲しい……!」


夜が明け始めた頃、再び吉継は、背中を三成に預けていた。
三成の右手は、吉継の右手をとり、指を絡め合うようにしている。
身体はすっかり満たされていたが、吉継はため息をついた。
「ぬし、われの顔を見るのが厭で、このように寝るのか」
「そんなわけがあるか。この方が、ぴったり肌がつけられて、貴様をより温められると思うからだ」
「さようか」
「右手が自由なら、こんなこともできる」
三成は手をほどくと、吉継の胸に指を這わせた。
吉継はア、と小さく喘いでから、
「われは、ぬしの顔を見ながら、寝るのが好きよ」
「そうか」
三成が仰向けになると、その左肩に、吉継は身を預ける。
甘いため息をもらしてしまい、吉継自身が驚いていると、三成が吉継の髪を撫でながら囁いた。
「私には過ぎたるものが、二つあるという」
「そういう噂も、あるナァ」
世間では「三成に過ぎたるものが二つある、島の左近と、佐和山の城」という。
なにしろ左近は、三成が口説いたのでなく、自分から志願してきたのだ。
もったいないほどとも思われないが、その働きは評判になっている。
だが。
「私にとって過ぎたるものとは、秀吉様に賜ったこの城と、そして、刑部だ」
「三成」
思わず瞳が潤んだ。
「そんな甘言を、ぬしの口からきこうとな」
「甘言ではない、私はいつも本気だ。知っているだろう」
「三成」
「何度でも言う。私には、未来永劫、貴様、だけだと……」

*      *      *

「ほんと、左近君なんか、返していいのに。うまくやってるのかなあ、あの子たち」
「どうした、半兵衛」
夜半、月明かりをたよりに、天主の書庫を探していた半兵衛のところに、秀吉がやって来た。
「いや、大谷君がいないと、仕事がはかどらないなあと思ってね」
「そうか。貴様には苦労をかけるな、半兵衛」
「それはいいんだよ、秀吉。それに、未来への投資が必要な時って、あるからね」
「そうだな。だが、夜は冷える。そろそろ貴様も休め」
「そうするよ、秀吉」
友の腕に肩を抱かれて、半兵衛はうっとりと見上げた。
《大丈夫。僕の策だ。きっと、うまく、いってる――》

(2014.3脱稿)

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Written by Narihara Akira
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