『闇の底』


無銘刀を鞘におさめ、三成は天を仰ぐ。
「秀吉様、私に許しを請う許可を……!」
三成に、太閤秀吉の葬儀を整えさせたのは正しかった、と吉継は思う。
納得できてはいなくとも、主君の死を少しでも受け入れることができたようで、夜眠れずにわめきちらし、いたずらに彷徨うこともなくなった。いくさばでの凛々しい剣士ぶりも、あいかわらずだ。
《だがな。今のぬしの剣には、心がこもっておらぬ》
三成の腕前ならば、心などなくとも、雑魚を切り伏せることが可能だ。
だが、名のある武将を前にして、うつろな心のまま倒すことは難しいだろう。
まして、仇はあの狸だ。どのような卑怯な手を使ってくるかしれず、ただ強いだけでは、勝利できまい。
まだまだ策が必要か。
どうにか毛利と同盟したが、それだけでは戦力的にも充分ではない。
《……だが、あまり暗ばかり、使うのもなァ》

毛利元就が、大谷吉継に出してきた同盟の条件は、「四国壊滅」の四文字だった。
西海の鬼と呼ばれ、豊臣嫌いで通っていた長曾我部元親が、なぜか領国を留守にしているという。
元親は四国を一気にその手におさめた海賊で、勢いがある。かつて家康とも懇意だった。
このような時期なだけに、天下を狙う気かと思ったが、特に誰かに同盟を働きかけている様子がない。
四国は大坂とも近い。現在の豊臣の戦力的に、完全に制するのは不可能かと思いつつも、吉継は元親の動向を警戒していた。
そこを毛利が、こうそそのかしてきた。
「奴に家康と組まれて困るのは、貴様らの方ではないのか」
元親が目障りで仕方ないのは、瀬戸内海を挟んで領国を接している毛利なわけだが、それは一理ある。吉継はうなずいた。
「まあ、そうよなァ」
「だとすれば、ただ四国を潰すだけでは、意味がなかろう」
「なるほど、フラフラとおのれの海からさまよい出たのが、運のつき、ということよな」

吉継は単身、石垣原坑道へ向かった。
九州攻めの際に、怪しい動きを見せた黒田官兵衛を、ここへ幽閉していたのである。
坑道の主として、官兵衛は黙々と働いていた。
手枷をつけられた、罪人の姿のままで。
「暗よ。太閤がぬしを殺さなんだのを、ありがたく思うことよ」
篝火のかたわらで、二人は対峙した。
「刑部。今さら、小生に何のようだ」
「魚の留守に、すこし四国をかきまわしてこぬかと、誘っておるのよ」
「なんだって」
官兵衛は思わず立ち上がった。
「本気で小生が、おまえさんに協力すると思うのか。讒言したのは、いったい誰だ」
「われは讒言などしておらぬ。ぬしの野心が、人の知るところとなったゆえであろ」
九州攻めの前、小田原無血開城を進言するなど、官兵衛は豊臣の軍師らしく行動していた。しかしそれが、北条と組んでいずれ豊臣に反旗を翻すつもりであったためということが、いくつかの書状から、もれてしまったのだ。
「ぬしにとって損な話ではない。まあ、聞け」
吉継は毛利の提案を、手短に官兵衛に語ってから、
「……考えてもみよ。毛利につくのと、家康につくのと、ぬしにとって、どちらが得か」
「戦力として期待されてるってことか。へん、どっちにつくもつかないも、小生の勝手だろうが」
「むろん勝手よ。だが、家康が天下をとれば、ぬしの出番は、もうあらぬぞ?」
「だが、毛利や豊臣が勝ったところで……ん?」
毛利は中国地方から、その領土を拡大しようとはしないだろう。秀吉亡き後の石田軍は、天下すべてをおさめるだけの力量をもたないだろう。
だが、家康が本気でひのもとを統一しようとしているなら、官兵衛の出る幕は、もうない。
毛利は洗礼名をもっているという。いざという時にはザビー教つながりで、融通がきく展開もあるかもしれない。
「なによりぬしは、西海に、なんの義理もなかろ」
官兵衛はため息をついた。
「少しでも家康の戦力を削ぐって腹か」
「できぬというなら、それまでよ。天下とりの野心を抱いた者が、それっぽっちの謀略もすぐ思いつかぬとは、情けないことよなァ」
「わかったよ、やってやるよ。そのかわり」
吉継の口元が、笑みでつりあがる。
「穴蔵から出るのが望みか。なに、三成の機嫌がなおれば、その機会もあろ。だがな、家康は露骨な野心を嫌う。決してぬしを、ひきたててはくれぬぞ」

官兵衛の仕事ぶりは悪くなかった。
元親の部下を殺し、目撃者も殺し、葵の旗を使って、家康の仕業とみせかけることに成功した。
細かな後始末までは行き届かず、元親の疑念をよびかねない小者は、吉継が始末したが、そこまではまあ、自由の身でない官兵衛に要求するのは無理なことといえた。
それにしても、四国での殺戮は本意でないこと、いかにも後味の悪いことだったらしく、坑道の奥で、再び蠢きだそうとしているらしい。
《むしろ、目の届くところに置いておくか。あやつはもともと、裏切り者よ。三成も今さら、暗に傷つけられたりすまい》
そう考えて、再び吉継は石垣原に向かった。
三成は、官兵衛に会うのを厭がるかと思ったが、なぜかついてきた。
「官兵衛は本当につかえるというのか」
「それを確かめにゆくのよ。手枷も武器のように使いこなしはじめたというからナァ」
「官兵衛め、余計なことを考えているというなら、今度こそ斬る」
「そうよナァ」
吉継はとめなかった。
再び単身で動くことで、三成に余計な疑念をもたせたくない。
三成は、毛利の提案したような策略を、人一倍嫌う男だ。
よそから漏れて知られるのは、避けたかった。
官兵衛もまた、三成の前で、自分のやったことをペラペラとしゃべるほど愚かではないだろう。だてに豊臣に仕えていたわけではないのだ。吉継が思うより暗愚であったとしても、三成の前で謀略をしゃべれば、その場で斬られることぐらいはわかっているはずだ。それとも、それがわからぬぐらいの馬鹿か、確かめておいた方がよいのか、と。

巨大カラクリだのなんだのに邪魔をされつつも、官兵衛を訪ねてゆくと、相変わらず坑道の最下層に陣取っていた。
まだ機運が熟していないということは、わかっているらしい。
逆らうようすを見せたので、数珠で調伏の真似事をしてやると、やっと大人しくなった。
「四国に行くぞ、ついて来やれ」
「四国だと、なんてぇ嫌がらせだ!」
官兵衛はどうやら、吉継が考えていたより愚かなようだ。この様子では、どこで何をいいだすか、わかったものではない。
「何を脅える。ぬしの手柄を誇る気はなしか」
ギリギリのところまで、探るように尋ねると、
「あいにく、そこまで落ちぶれちゃいないんだよ!」
それなりにかわしてくるので、吉継は安堵した。
「復興にいそしむ者と己を重ねたか、いやはや、ぬしは優しき男であるな」
官兵衛は倒れたまま、わめきちらした。
「そんな立場に追いこんだのは誰だ、畜生! いいかげん小生を解放しろ! 穴蔵に放りこんで、満足しただろう!」
「わかっておらぬな、だからこそ捕まえるのよ」
その言葉の意味を察したか、官兵衛がうめく。
「くうっ、畜生、刑部め」
「さてと、暗を連れて、次は……」
とぼけてその場から動こうとした瞬間、官兵衛がおそろしい膂力をふりしぼり、手枷についた鉄球をふりあげ、吉継を輿ごと薙ぎ払った。
いや。
薙ぎ払おうとした瞬間、三成がそれをはじきとばした。
「殺すな!」
すかさず吉継が声を発していなければ、官兵衛の首は、胴体から離れていただろう。
無銘刀の切っ先は、官兵衛のまさしく喉首につきつけられていた。
制されたので、しかたなく、三成は刀で官兵衛を殴り倒した。
これ以上、不埒な真似ができぬようにだ。
「うぐう……」
官兵衛はそのまま、動けなくなった。
吉継は、三成の白い陣羽織の背中を見つめた。
美しい。
主君を失い、虚無の中にあっても、その剣法が荒んでしまっていようと、どんなに血にまみれようと、その背は相変わらず清すぎる。儚い、と思えてしまうほどに。
ふと、三成が振り返った。
「どうした、刑部」
三成に見とれていたのに気づき、吉継はうろたえた。
「いや。空を見ていた、さんざめく屑星が降らぬかと」
さすがの三成も、怪訝そうな顔をした。
「屑星だと? ここから星は見えない。働き過ぎか? さっさと休んでおけ」
官兵衛に興味を失ったらしく、三成は先に坑道を引き返し始めた。
吉継は、妖しの力で、官兵衛の身体を宙に浮かせた。
「起きろ。いつまで寝ている」
「うう」
官兵衛はうめいた。
「刑部……おまえさん、小生に、四国で何をさせたいんだ」
それはもっともな疑問である。
吉継は低く笑った。
「西海の鬼は、ふたたび四国を離れた。われらが留守を守ると誓ったゆえな、ぬしが復興の手助けをしてやったらどうだ。四国が手に入れば、大坂までは近い。天下とりの野望にはよい土地だと思うが、ぬしにそこまでの甲斐性はない、というわけか」
「だが、あれがバレたら……」
いよいよ馬鹿だ。
吉継は再び、数珠で官兵衛を殴りつけた。
「それが厭だというのなら、別の穴蔵へ放り込むまでよ。大坂城の井戸はひろいぞ。ぬし一人飼うぐらい、たやすいほどにな」
「なぜじゃああああああ!」
悲鳴をあげる官兵衛をひきずるようにして、吉継も坑道の底を離れた。
どんな星のない場所でも、暗い闇の底でも、きらめかしく輝く戦友の背を追って。

*     *     *

大坂城へ戻り、寝仕度をしていた吉継のところへ、三成がふらりとやってきた。
「やれ、ぬしには余計な遠出をさせてしもうた。やはり暗は使えぬなァ」
さっさと休んでおけ、といったてまえ、様子を見にきたのだろう。
三成の優しさを感じて、吉継の心は久しぶりの温もりを感じた。
飛び出して官兵衛を殴り倒したのも、吉継の身に少しでも傷をつけないためだったのだから。
「そんなことはかまわない。貴様のやることに間違いはあるまい。だが刑部」
三成は、吉継を、ぎゅうと抱きしめた。
「死ぬことは、ゆるさない」
その瞬間、全身の血が沸きたつ思いがした。
ああ、三成。
ぬしの口唇が、熱い肌が、ぬしのすべてが、今すぐ欲しい。
だが、三成の声は、欲情でなく、哀しみに満ちていた。
「私には貴様が必要なのだ」
三成の大事な部分には、案の定、力がない。
これは、迷った子どもが庇護を求めているに過ぎない。
もし、官兵衛ごときに遅れをとるようなことがあればと考え、不安になってしまったのだろう。
吉継は低く答えた。
「わかっておる。太閤の仇をとるまで、ぬしも死んではならぬ」
「ああ、その為に許された命だ」
「やれ、ぬしも休め休め。完膚無きまでにあやつを倒さねばならぬ。そのためには、ぬしが万全にしておらねば」
「ああ。その通りだ。それまでは耐えなければ」
三成はもう一度、抱擁に力をこめると、大人しく引き取っていった。
その姿がすっかり消えてから、吉継はため息をついた。
「それではなおさら、休むわけには、ゆかぬなァ……」
抑えきれない身体の火照りを、感じながら――。

(2013.7脱稿)

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Written by Narihara Akira
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