『策 士』


「刑部さんが、うらやましい」
大坂城の天主の片隅で、左近は小さく呟いた。
なぜ今まで、三成と吉継の下屋敷が離されていたのか、よくわかる。
吉継の病が忌避されるもので、彼自身も己の姿を見られるのを好まないというのが表向きの理由だったが、本当の理由は、三成が吉継のところに、完全に居続けになるからだ。実際、三成が自分の屋敷に帰ってくるのは、個人的な物を取りにくる時か、屋敷にあるものを参照しないと仕事にならない時だけになってしまった。
しかも三成は仕事が早い。日暮れ前に必要な帳面をあっという間に見つけ出し、サラサラと文をしたためて配下の者に指示を出す。文の数が十を超えるのに四半時もかからず、終わると吉継の屋敷へいって夕餉にしてしまうので、左近は話しかけるのも一苦労だ。
新婚のようなものと理解しているし、邪魔などする気はないが、「亥の刻より後に私のところへ来るな」と申し渡されているので、夜に内密のご相談、ということもできない。
「マジで、あそこまでベッタリになっちゃうとはなー」
文字通り、朝から晩まで一緒にいる。
たまに三成が自室に戻っているかと思うと、そこには吉継が来ていて、ぴったり寄り添うようにしているので、声をかけようものなら睨まれる。「急ぎの用でないなら、下がれ、左近」と追い払われる。
どうもモヤモヤして、鉄火場でも調子がでない。
だったら、今のうちに点数を稼いでおくかと、左近は竹中半兵衛に、少しずつ兵法を教わることにした。
多忙な軍師である、なかなか捕まえられないのだが、天主の片隅にある書庫に行くと遭遇率が上がるので、ヒマを見つけては入りびたり、半兵衛の書いた軍法極秘伝書や竹中百箇条を読み散らかしている。いきなり孫子を読むよりわかりやすく、退屈しないが、ふとした瞬間に、急に寂しくなってくる。
「仲がいいのは、いいんだけどさあ」
左近は書庫を出て、天主の手すりに身を預けた。
空は青く、城下のどこにも翳りは見えない。
豊臣はその名の通り、豊かな軍だ。三成は意外にも面倒見のよい上司だ。左近の給料も破格だ。
その未来に翳りなど、あろうはずもなく――。
「小姓の頃は、もっとイチャイチャしてたんだろうなー。あれ以上ってホント、想像もつかないけどさあ」
「そうでもないぞ」
背後から低い声が聞こえて、左近は飛び上がった。
太閤・豊臣秀吉その人だった。
「ひ、秀吉様!」
秀吉は微笑を浮かべていた。その声も優しく、
「佐吉は――小姓の頃の三成は、今より更に物堅くてな。われのところに、紀之介と契る許可を、わざわざ求めにきたほどよ」
「僕はその頃、まだ豊臣に来てなかったから、聞いた話でしか知らないんだけどね」
その後ろから仮面の軍師が現れて、左近は思わず後じさった。
「うわ、半兵衛様まで! って、そんな昔の話なんスか!」
「うん。僕が来た頃にはもう、佐吉くんと紀之介くんは、好一対でね。紀之介くんは綺麗な子だったから、ずいぶんモテたらしいけど、佐吉くんは紀之介くん一筋で微笑ましかったよ。今でも、大谷君にベッタリだけどね」
左近は目を瞬かせた。
目の前の二人こそ、似合いだというのに、その人に好一対といわれるとは。
「ところで左近君、今日も僕にしごかれに来たのかな?」
「あ、いいんすか」
「かまわないよ。三成君の左腕が、兵法の初歩も知らないんじゃ、豊臣の恥だからね。僕の躾は厳しいよ?」
「は、ハイィィィッ! よろしくお願いしまっす!」


半兵衛のしごきがすんで、左近が三成の下屋敷に戻ると、今日は三成が自室で夕餉をしたためているという。
「よろしければ、ご一緒にどうぞ」
小姓たちに勧められて、左近はおそるおそる、三成の前に座った。
「ドモっす。お邪魔します」
「妙な挨拶をするな。静かに食せ」
「ハイ」
常に忙しく働いている三成だが、こうして腰を落ち着けて食事をしている姿をみると、その端正さに気づく。揃った膝、伸びた背筋、美しい箸の運び。
膳があらかた片づいたところで、左近はおそるおそる、口を開いた。
「あの、今日は、刑部さんは」
「御典医のところにいっている。今宵は戻らぬそうだ」
「具合、悪いんすか」
「そうではない。だが、ほうっておいていい身では、ないからな」
病が病ゆえ、定期的に進み具合を調べなければならないのだろう。
三成の声は沈んだ。
「本当は、もっと養生が必要なのだ。湯治に連れて行くのは無理でも、二、三日寝かせてやりたいと思う」
「そしたら、それにも三成様、つきっきりになっちゃうでしょう」
三成は口唇を歪めた。
「だから刑部は、行きたがらない、と?」
「いや、養生っていうなら、静かに休ませてあげてくださいよ」
「わかっている。だから一人で行かせたのだ」
「はあ」
「いちいち変な顔をするな。なにか言いたいことがあるのか、左近」
「いや、あの」
「つまらぬことにうつつをぬかしているヒマがあったら、鍛錬しろ。部下を育てろ。ここのところ、半兵衛様にずっと兵法を教わっているのだろう。試しているか?」
「三成様」
左近は真顔になった。
「あの、俺、三成様の左でいて、いいんスか」
「なんだ。今さら私に許可を求めたいのか」
「俺、三成様に憧れて、勝手についてきて、豊臣の将にしてもらえて……」
「だからなんだ。貴様が本当に左腕になりたいというなら、もっと精進しろ」
「ハイ、そりゃもう、がんばりますって」
「ならいい」
「あのー」
「どうした」
三成は、左近の言葉にいちいち反応する。
いつになく優しいのは、吉継がいなくて寂しいからか。
それなら普段なら叱られそうなことも、きいてみて、いいのかもしれない。
「俺、今日、秀吉様と、少し、話できて」
「そうか、よかったな」
「小姓の頃の、三成様と刑部さんの話も」
「そうか」
「三成様が秀吉様に、刑部さんとつきあっていいか、お許しをもらいにいったって、ききましたけど」
「ああ」
三成は平然と答えた。
「刑部は豊臣の臣だ。その身はつまり、秀吉様のものだ。秀吉様に差し出せといわれれば、断ることのできぬ身だ。刑部に触れるにはまず、秀吉様の許可をえなければならない」
戦国時代の道理ではあるが、左近は首を傾げた。
「でも秀吉様には……あ、まだ半兵衛様がいない頃の話ですか」
「そういう話ではない。正式な婚儀の際には、相手の親に許可を得るだろう。それと同じだ」
「結婚と同じスか」
それはつまり、三成が当時から吉継に本気だったということだが、物堅いとか真面目で形容できるレベルを、すでに超えている。
「秀吉様は、なんていって許してくれたんすか」
「教えてくださらなかったのか?」
「えっと、そこまでは」
三成は目を細め、遠い日を懐かしむような顔をした。
「秀吉様は《われはゆるすが、紀之介はどうかな》といわれた」
「そうっすよ!」
許しをもらいにいく順番が違いますよ、とツッコミをいれる間もなく、三成は大きくうなずいて、
「そして、《われにとっても、紀之介は大事な男よ。もし、無理強いにするというなら、われは決してゆるさぬ》とおっしゃった。だから、秀吉様の言われるとおりにした」
「言われるとおりって」
「必ず許しをえて、無理強いしないことだ」
「ハァ……」
秀吉様がいいたかったのは、そっちじゃないんじゃー、とツッこむ気力はなかった。
しかし、三成のいうとおりだとすると、秀吉の言葉どおり、小姓時代の二人は、そうまでベタベタしていたわけではないようだ。
「お二人のなれそめって、どんなだったんすか」
「なれそめ?」
「つきあいはじめた、きっかけですよ」
「特にない」
「特にないって、なんすか」
「私が刑部に、添うてくれるよう何度も頼んで、許しをえた。それだけだ」
そうじゃなくて、という言葉を左近は飲み込んで、
「えっとぉ、そもそも三成様、どうして刑部さんのこと、好きになったんすか」
三成はキョトンと左近を見返した。
「好きになるのに、理由がいるのか」
真顔だ。
新参の部下に、そんなことまで答える筋合いはない、という叱責の声でもなかった。
「マジすか……」
三成は首をかしげた。
「紀之介は美しい小姓だった。腕が立ち、人望があり、悟性があった。そういえば納得するのか?」
そういう小姓なら、三成のそばにいくらでもいる。少なからず三成に憧れている者もいる。その気ならいくらでも手をつけ放題で、それを咎める人間もいないわけだが、三成は吉継一筋だ。
「いや、あの、きいた俺がアレでした」
《刑部さん、大変だなあ、こりゃ……》
割り込む隙があるどころの話ではない。他の者が対象として目に入ってこないのだ。
主君に命を捧げるのと同じく、吉継に魂のすべてを捧げている。
三成はふっと笑った。
「うらやましいのか」
左近はまた飛び上がりそうになった。三成の口からそんな言葉をきこうとは。
しかし、左近の思った意味ではなかった。
「刑部は難しいぞ」
左近は首をふった。そうじゃない、そうじゃないって。
「すみません。さすがに不相応だってことは、いくら俺でも、わかってますって」
「そうか」
三成は目を細めた。
「難しいが、それだけの甲斐がある男だ」
そこまで惚れられていることがうらやましかったわけだが、こうまで平然とノロケられると、なんだかどうでもよくなってくる。それとも、三成なりに牽制しているのだろうか。
左近は首をすくめて、
「刑部さん、俺にも優しいっすよ」
「そうか」
「ハイ」
「貴様も認められているということだ。せいぜい励め」
そこは焼き餅もやかないのか、と思っていると、三成は目を伏せて、
「左近」
「なんですか」
「貴様も豊臣の臣だ。己の後を継ぐ者を考えておけ。悟性をあずけられる友を。力を補う部下を。養子をとって育てたいというなら、心当たりはあるから、いつでも言え」
「へっ?」
「嫁は自分で見つけろ、といっているのだ」
あー。
なんだ。
そういうことか。
私を諦めろって、いわれてんのか。
「秀吉様は、私に娶れとお命じにならなかった。ご自身も不幸な歴史をお持ちだからだ。だから私も命じないが、貴様はまだ、いくらでも選べるのだからな」
左近の瞳に、ふっと涙が浮かんだ。
三成様は三成様で、俺のこと、心配してくれてるんだ。
なにも考えてないわけじゃ、ないんだ。
三成は立ち上がった。
「もう、ききたいことはないか」
「え」
「ならいい。明日からまた、あまりこちらに戻れなくなる。留守は頼むぞ」
そういい捨てて、出て行った。
湯浴みの支度をした小姓がおいかけてゆく。
左近はパタン、と上体を倒した。
「なんだよ。マジでズリーよ、三成様」
なにが右に悟性なんだ。
いらないじゃん。
三成様、カンペキ、策士じゃん。
そう呟きながら、左近は涙がとまるまで、しばらく顔を覆っていた――。

(2014.7脱稿)

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Written by Narihara Akira
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