『束 縛』

それは一見古文書に見えた。だが、神官文字で書かれているものの、それはシェーンの手跡だし、皮紙もインクも新しい。おそらく何処からかひきうつしたのだろうと思われた。普段のギャロウズなら、特に興味ももたずソッと元へ戻したろう。というか、弟の寝台の隙き間に落ちていた手ずれた皮紙を、どこへ戻したものかすぐに思いつかなかったのだ。
それで、読んでしまった。
ギャロウズの頬はみるみる赤くなった。
手にしたものを、慌てて寝台の下へ敷きこんでしまった。

その晩、湯浴みから戻ってきたシェーンが、小さく呟くように、
「おばあさま、今日はお籠もりだそうです」
うすく染まった頬が、何を伝えたいのか端的に示している。
「わかった」
ギャロウズも低く囁き返した。
「綺麗にしておく。上で待っていろ」
シェーンは何かいいかけて、それからコクンとうなずいた。大人しく寝室へ上がっていく。
ギャロウズも水浴び場へ向かう。身体の外を清めるだけでない、する前には中も自分で洗うことにしていた。シェーンにされると、そこで始まってしまう可能性があるからだ。
きわめて事務的に、ギャロウズは身体をこすっていく。そうでないと、昼間読んだものを思い出してしまいそうで、怖かった。
皮紙に書かれていたのは、昔の妖しげな儀式の一つだった。ある里で、適切な神官候補が見つからぬ時に行われた、変身の儀式……男盛りの者の中から、特に屈強なものが【柱】として選び出される。経験豊かな男数名が、交代で彼に手淫をほどこす。人前でも羞恥をおぼえなくなるまで、日に何度も繰り返し行い、その精を出し尽くす。慣れてきたら、秘薬を塗った器具を体内に挿入し、前と後ろを同時に責めるようにする。内部でも喜びを覚えるようになったら、器具を留め具で固定した神馬に乗せ、一日じゅうそれを走らせる。器具と振動だけで何度でも達するようになれば、【柱】の身体に変化が始まる。男性器が体内へ沈んで目立たなくなる。髭がすっかり薄くなる。胸がふくらんでくる。そして、その身が完全に女性化した時、彼は夢見の力を得る、と。
簡潔な文章だった。だが、それゆえ淫靡だった。
シェーンが何を、誰を思ってそれをうつしとったかと思うと、身体の芯がほてった。あの賢く取り澄ました弟が、こっそりと、だが、指の痕がつくほど繰り返し、あれを読んでいたかと思うと。

初回はともかく、肌身を重ねるうち、受け身としてのダメージはほとんどなくなっていた。それはギャロウズが慣れてきただけでない、シェーンが巧みになってきたのだ。キスひとつにしても、ただ口唇を押しつけるのでなく、軽く吸い上げるようになった。舌を噛んだり、からめてみせたり……いじらしさを感じてされるままのギャロウズだが、どこで学んでくるのだろう、とふと疑問に思うこともあった。こういうものは経験を重ねないとうまくならないという、それならどこかにシェーンの性戯の相手がいるのだろうかと。この弟のことだから下手もうつまいが、と思いつつ、軽い嫉妬をおぼえる時もあった。そもそもオレがかりそめの恋の対象なんだ、美しいシェーンがその気になれば、本来は誰だって、とすぐに思い直しても、胸中は複雑だった。
だが、その秘密の一端を、ギャロウズは知った。
そう、知で補う、ということ。
手ほどきの書などを読んでいるに違いない。誰も見向きもしないインチキな古文書でも、役にたつと思えば使う、それが彼のやり方だったのだ。
もしかしてシェーンは、ああいうものを読みながら、俺のことを思いながら、ひとりで欲情を鎮めているのかもしれない――そう想像したとたん、内部を洗う指を、思わず自分で締め付けてしまった。
「クソッ」
淫らな儀式の描写が、脳裏を離れない。
それはギャロウズ自身を興奮させていた。
性の快楽というのは、若い女と向かい合い、その内部で達することだとずっと思いこんでいた。それ以外の欲望など存在しないと。
だが、いま感じている、異様な情感はなんだ。
贄になった男は、何を思って達したのか。屈辱を感じながらも欲情したのか。それとも【柱】の義務として、すすんで喜びに身をまかせたか。儀式をほどこす男達は、どんな気持ちで【柱】をなぶったのか。何度も何度も、密室の中で、屈強な男をかわるがわるに犯し続ける、それを正気で行えたのか。文中に何気なく登場する秘薬とはなんだ。麻薬の類かもしれない、だが、それがすべての免罪符だというのか。
冷たい水をかぶりつづけて、やっとギャロウズは立ち上がった。
知られてはいけない、こんな混乱を。
シェーンが迷ってしまう。
俺はあくまで、単純で陽気な兄でいなければ。

「待たせたか?」
シェーンは首を振った。
下帯ひとつのギャロウズを、少年は白い貫頭衣いちまいで待っていた。長い金髪は結わえたままだ。まるで初夜の花嫁のような初々しさで(彼の年齢からすれば当たり前だが)、寝台の上で膝を揃えている。
その脇へ静かに腰をおろすと、腕が伸びてきた。
頬に口唇を押される。
つつましい、素朴なキス。
なんとなくほっとしていると、シェーンの口の中で、カリッと小さな音がした。
寝台に押し倒され、仰向けになったギャロウズの口唇に、シェーンの口唇が重なる。
植物性のものらしい微かな苦みが、口の中に広がった。
「……媚薬か?」
「シッ」
いくら寝室に強固な結界をはったところで、大声を出せば里人に知れる。
大声でなくとも、淫らな言葉は、なるべく口にしない方がいい。
この関係が露わになれば、二人は破滅だ。
バスカーからの追放だけならまだいい、だがシェーンなど、はやく【柱】の本分をまっとうさせないからだと、生け贄の祭壇にそのまま捧げられてしまうかもしれない。
そう、いくら約束したこととはいえ、なぜ自分は何度も弟に抱かれているんだ、なぜこんな危険なことを……ギャロウズの中で荒れ狂っていた暗い興奮は、突然さめた。
「ひとつ、きいておきたい」
「なんです」
「俺を、女にしたいのか?」
シェーンの頬もすうっと引き締まった。
「やはり見てしまったんですね、あれを」
ギャロウズはうなずいた。位置を変えてしまったのだ、持ち主に隠してもしかたがあるまい。
「おまえも年頃だ、ああいうものに興味が湧くのはわかる。試してみたい気持ちもな。だが、眉唾モノかそうでないか、いずれ見分けがつくようにならんとな」
「わかっています、どこからが嘘かは」
シェーンは目を伏せた。
ギャロウズも視線をそらした。
「……なら、いい」
シェーンに口移しされたものが、ギャロウズをとろかしはじめていた。浅黒い肌が、血のいろでさらに暗く染まる。
薄闇の中、白衣も脱がずに、シェーンは兄の下帯をとる。そのまま兄に覆いかぶさる。清められた洞窟は充分に濡れていて、潤滑剤を必要としなかった。深く入り込んでから、兄の前に手を触れ、後ろと同時に責め始めた。慣れた仕草で。
シェーンの興奮は伝わってきた。だが、それが媚薬によるものなのか、兄の身体から得ているものなのか、ギャロウズには判断できなかった。ただ、いつもより更に哀しげな瞳で自分を見つめているのが気になる。身体は興奮しているが、淫らな気持ちになりきれない。そう、これはたった一人の、大切な俺の弟。切ない気持ちを受け止めてほしくて、必死になっている小さなこども。薬でごまかし愛撫をとばしたのは、早く終わらせたいため、ただ肉欲だけで兄を犯していると思われたいため。
シェーン。
無理を、するな。
おまえの気持ちに応じきれない兄に、喜びなど与えようとするな。
そんなに寂しい顔をさせたくて、肌身を許したんじゃない。
しかも俺は、おまえの愛撫で欲情している。おまえのもので達こうとしてるんだ。
蔑んで構わないものを。
ああ。
絶頂が近い……。

「は……あ」
薬の効果がきれたらしい。
シェーンはふかいため息をついて、華奢な身体を兄の胸にぐったりと投げ出した。
それを抱きしめてやりながら、
「大丈夫か」
「兄上こそ」
「大丈夫だ。だから今日は、俺が洗ってやろう」
「そんな」
身をすくめつつも、シェーンの声は少し嬉しそうだ。
抱きしめあって眠ることは、この兄弟はできない。翌朝ハルに見つかった時に、どのような申し開きもできないからだ。
「行くぞ」
弟を抱えるようにして、兄は水浴び場へ降りた。
寝具の後始末をし、自らと弟を丁寧に清めると、その額に軽く口づける。
「シェーン」
「兄上」
はしばみ色の瞳が、何か物いいたげに動く。
しかし、出てきた言葉は、たった一言だった。
「……おやすみなさい」

逃げるように寝室へ戻り、シェーンは自分の寝台へもぐりこむ。
恥ずかしくて、たまらなかった。
自分の秘密を見られてしまったこと。たぶん誤解されていること。そして、それなのに、兄はいつもどおり、いや、いつも以上に優しかったこと。
古文書から淫らな儀式をうつしたのは、確かに兄を思いながらしたことだが、むごい儀式を実際に兄の身体に再現したいと思ったのではない。ただ、荒唐無稽なファンタジーを繰り返しむさぼることによって、自分の中に巣くう愚かな願いをなだめたいだけ――せめて性戯で、愛するものを完全に、永遠に虜にすること。自分の愛撫に魅かされて、兄がバスカーに留まってくれる訳もないのに、少しでも長く一緒にいたい、濃密な時間を過ごしたい、その一心で、祖母の留守を狙っては兄の身体を犯す。「おまえになんでもくれてやる」という台詞を言質にとって、甘えを性戯にすりかえる。
浅ましい。
なぜ普通に「行かないで」と懇願できない。
兄の中で、何度も逐情する。
浅ましい。
兄上の優しさにつけこんで、僕は……。

「シェーン」
戻ってきたギャロウズは、寝台で動かずにいる弟を見下ろし、それ以上の言葉をかけなかった。
言いたいことを言えない弟の胸中を思うと、何も言えなかったというのが正しい。
ギャロウズ自身にも、どうしても言えない台詞があるのだ。
自らの口唇に再度それを禁じて、ギャロウズも眠りに落ちた。

おまえは俺の身体が欲しいといった。
だが、おまえのものになっているのは、もう、身体だけじゃない……。

(2002.7脱稿)

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※注:文中の古文書の下敷きにしたのはHarry Benjamin“The Transsexual Phenomenon”(1966)中の、プエブロインディアンの風習と“mujerado”についてです。


Written by Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/