『背 中』


かんたんに昼餉をすませた左近は一人、縁側で物思いにふけっていた。
《三成様の掌……いいよな、マジで……》
その大きさと重みを、ぼんやり反芻している。


あの時も、こんな感じの穏やかな昼下がりだった。
だいぶいい陽気になってきたのもあり、明るいうちでも、左近の中で疼くものがあった。
《そんでも、あの間に割り込むのは、誰でも絶対無理だかんな》
三成様は、刑部さんが好きで好きでたまらない。
刑部さんも、まんざらじゃねえらしい。
ってか、昼間のこなれた刑部さんからは想像もつかねえけど、三成様の腕の中で、甘えたり、続きをおねだりしたりとか、してんだよな。
そりゃ三成様も、飽きるわけねえし。
混ぜてくださいよっていったら、そりゃ「お断り」に決まってる。
俺が三成様でも萎えるわ。邪魔すんなっていうわ。
せめて昼のうちは役にたっとかないと、左腕に近し、どころじゃなくなっちまう。
「オレも、刑部さんみてえに、三成様の背中を守れたら、な」
ぼんやりしていたので、そんな心の声も、いつしか外へ漏れ出していた。
「随分としおらしいことをいうな、左近」
「え、えっ、三成様ァ?」
いつの間にか背後に現れた主君に、左近は飛び上がった。
「すんません、刑部さんみたいにとか、マジですんません」
しかし三成は真顔で、しかも静かな声でこう言った。
「いや。いずれ貴様にも、しんがりをつとめる日が来るはずだ。私が先に下がらねばならない時もあるだろう。心がけとしては、悪くない」
「三成様」
「貴様の隊の主立った者を、すぐにここへ呼べるか」
「え、ハイ、呼んできます」
主力となる兵を十人ほど集めてくると、三成は左近とともに座敷に上げる。車座に座らせて、さっと見回すと、
「先駆けにおいて、貴様たちが力があるのは、私がよく知っている」
みな、驚いて顔を見あわせる。
三成は口うるさい男で、めったに部下を褒めないからだ。
しかし、三成は重々しく続けた。
「できれば今後も、血路を切り開いてもらうつもりだが、戦況は変わる。本隊の移動次第で、貴様らが一番遅れることになったら、どうする?」
「それは、三成様たちに、ついてくしか、ないんじゃ……」
つぶやきに近い小さな声。
三成は、声を出した男をちらりとみたが、自信なさげな様子を特にとがめもせず、
「しんがりをつとめる場合、敵と死にものぐるいで戦わねばならぬのは、先駆け以上だ。それだけではない。決して死んではならない」
兵たちの顔が引き締まる。
「なぜだか、わかるか?」
左近がうなずいた。
「俺たちが盾にならなきゃ、本隊がやられちまうかもしれないからです。死んだら盾になれねえ。敵さんを完全に撃退しきれなくても、途中で死んじまう方がもっと悪い」
「そのとおりだ」
三成はもう一度、全員を見渡すと、
「ほかに、しんがりで大切なことはなんだと思う。臆せず言ってみろ」
みな、思い思いに答える。
「背を見せない?」
「敵を近づけさせないように、長物を使うんすよね。あと、鉄砲でも矢でも」
「こっちの数を多く見せえねと。声出したり、火使ったり」
「罠をしかけたり」
「伏兵もありですよね」
「気合いですか」
三成はうなずいた。
「そうだ。そのどれも正しい。しんがりは、不利な戦況も覆すことができる、もっとも重要な役割で、見事つとめれば武将の誉れとなる。左近、自信のほどはどうだ」
左近は首をすくめた。
「もちろん、まかせてもらえりゃ嬉しいっすけど、自分にゃまだ早いかもしんねっす」
「ほう? なぜだ」
「だって、刑部さんがいるじゃないすか」
「刑部がどうした」
「しんがりに一番むいてんの、刑部さんでしょう。敵からどんなに離れてても、あの数珠で戦えるっしょ。背中向けるどころか、敵さんやっつけながら下がれるし。結界はれるから、足止めできるし、伏兵わざわざ置かなくとも、毒塵針おいとけるし。俺、足技なら誰にも負けねっすけど、速さとか守備範囲とか、刑部さんに、勝てっこねえですもん……」
左近の声が少しずつ低くなっていき、消えてしまうと、三成は左近の頭に手を置いた。
「よし。貴様の答が一番だ」
三成の掌が、左近の髪をくしゃりと撫でた。
「自分の不利を自覚しているのなら、補えばいい。同じように戦うのは、この私だとて無理だ。貴様のいうとおり、刑部は万能だ。先駆けだろうとしんがりだろうと、すべてつとまる。それと同じようにしろとは、私もいわない」
「三成様」
「貴様も半兵衛様の教えを受けた身だ。明日から調練を変えられるな? わからぬことがあれば、改めてご教授を受け、私の背を守れるようになってみせろ」
左近は、頬が赤くなるのをとめられなかった。
「は、ハイ、わかりました!」
「私の話はこれだけだ。呼びつけて悪かったな。持ち場に戻れ」
「あ、ありがとうございます!」
左近隊の兵たちが急いで頭を下げる。三成はすらりと立ち上がると、座敷を出て行った。
「さ、左近さん……?」
左近はすぐに動けなかった。かすれた声で、ようやくこういった。
「俺、三成様に、褒めて、もらった、んだよな?」
「そうですよ。よかったじゃないですか」
「そうだよな。なんか、びっくりしちまって」
「三成様、あんまり笑ったりはしませんけど、本当はお優しいですからね」
「ヘヘッ」
左近はようやくいつもの顔を取り戻すと、
「俺、半兵衛様のとこ、いってくるわ。明日から、ちょっと厳しくアレすっかもしれねえけど、そこんとこ、よろしくな!」
兵たちがうなずくのを見て、左近はぱっと飛び上がった。
口の中で《とよとみの、左腕に近し、島左近》と呟きながら。


《あれから、何日もたってんのにな……》
左近は、自分の右手を前から頭に乗せてみる。そして、くしゃっと髪を乱す。
それだけで、すこし頬が赤くなる。
髪を撫でられるのが、あんなに気持ちいいなんて思わなかった。
最近の三成様、ほんと優しいよな。
ちょっと、いい気になっちまいそうだ……。
と、ため息をついた瞬間、頭の上に何かゴチンと落ちてきた。
「ってえーーーー! って、刑部さん!」
左近の頭と手をこづいたのは、子どもの頭ほどもある大きな数珠で、他の人間の仕業のわけはなかった。しかし、左近は心底、驚いていた。今まで、どんな悪戯めいたことをしても、これをくらったことはなかったのだ。
「なにすんですか、刑部さん」
「ほうけておるゆえ、活を入れてやろうと思うてな」
左近はドキリとした。
主君に懸想していることを知られているとはいえ、三成様に触ってもらえて嬉しい、とニタついているのを見られるのは良いことではない。
「すんません、飯食ったら、ちょっと眠くなっちまって」
「ならば横になったらどうよ」
「具合悪いわけでもねーのに、昼間っからごろ寝ってわけにも」
「三成のことを考えて、ため息をついておる方がみっともなかろ」
やはりお見通しだ。左近は頭をかいて、
「手厳しいっすね、刑部さん」
「たまにはわれが、ぬしを叱らなぬとナァ」
左近は首をすくめた。
「別に、刑部さんに叱られるようなこと、してないっすよ。三成様に頭、ぐしゃぐしゃってされただけで。俺って完全に目下だよなって考えてただけっす」
「目下とな」
「だって、一目おいてたら、髪、ぐしゃぐしゃってやんねえっしょ。刑部さん、三成様に、そういうことされたこと、ねえでしょ?」
と口走った瞬間、左近の背筋に冷たいものが走った。
マジか……!
刑部さんが怒ってんの、そこなのか!
そんなことで妬かれても、俺、どうすりゃいいんだよ!
吉継は薄笑いを浮かべながら、
「病人の髪など、頼まれても、誰も触りたくないものよ」
「三成様は違いますよ!」
「あれはな、もともと美形好みよ。ぬしが可愛がられておるのも、そういうことよ」
「刑部さん」
左近は真顔になった。ぐっと吉継との距離を詰めると、
「足りねえんすか」
吉継は目を細めた。
「なにがよ」
「俺は、刑部さんがうらやましくてしょうがねえのに。閨であんだけ可愛がられてても、まだ足りねえんすか」
数珠で殴られるだけでは足りないことを言った。
そう思った左近は、一瞬だけ、身をすくめた。
吉継はじっと左近を見つめていたが、再び薄笑いを浮かべて、
「足りぬなァ」
呟くと輿を回して、すうっと去って行く。
その姿が見えなくなると、左近はヘナヘナと縁側に座り込んでしまった。
「こ、怖ぇぇ……!」
殺されるかと思った。
あそこまで威嚇されるということは、自分の存在が、吉継の脅威になっているということだ。今までは気の毒がられていた風すらあったのに、ただ、頭を撫でられたというだけで、あそこまで豹変するとは。
「だーから、言ったじゃねえですか、三成様。三成様の背中を守るのは、俺にはまだ、早えって」
あの人がいるのに、無理に決まってんじゃん。
落としどころのない想いにため息をつきつつ、「明日の三成様、どんな顔してっかな。無事だといいけど」と呟いた。


その夜、三成が吉継の閨を訪れると、吉継はもう床に入って目を閉じていた。
「刑部?」
静かな息をたてているので、三成はしばらく、吉継の顔を見つめていた。
そして、吉継の頬に掌を伸ばす。
そっと触れ、それから吉継の短い髪に指を入れる。指をからめて、軽く引く。
それでも吉継が目を開けようとしないので、三成は身をかがめ、吉継の唇を吸った。
「どうした、刑部。今宵は何を怒っている」
吉継は目を開けた。
「怒ってなど、おらぬが」
「口を吸われるのが嫌でないのに、なぜ、寝たふりをしている」
吉継はキョロリと目を動かして、
「ぬし、左近になんぞ、いわれたのではないのか」
「左近がどうかしたのか。また何かしたのか」
「やれ、あれもそこまで、愚かではないようよな」
「刑部?」
吉継は三成の頬に掌を伸ばし、先ほど三成がしたように、髪に指をすき入れる。耳を撫でる。
「われもぬしに、このようなこと、あまり、したことが……こわい髪だの」
「すまないな。私は心地よいが」
「よいか」
「ああ。刑部は……?」
吉継の襟足から指を入れて、引き寄せる。
「悪くはない」
「気に入ったなら、もっとするが」
「ん」
吉継は三成の胸に甘えながら、
「そういえば、ぬし、太閤に頭を撫でてもらっていたのよな」
「そんなこともあったな」
「嬉しかったであろ」
「それはもちろん、秀吉様だからだ……が」
三成はふと、手をとめて、
「私が撫でても、嬉しいのか、刑部?」
「いや。まあ」
吉継は声を低くした。
「ぬしなら、われの、どこを、触っても……」


(2016.5脱稿)

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Written by Narihara Akira
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