『静 寂』


「最近、三成君、ずいぶんと静かだよね」
物思わしげな半兵衛に、秀吉はこともなげに、
「吉継が伏せっているからではないのか」
先のいくさで負傷した大谷吉継は、ひとつきほど床についていた。
「うん、でもそういう時は、三成君、たいてい大騒ぎするじゃないか」
「あれももう幼くはない。命にかかわるほどの怪我ではなかったのだ、吉継のためを思って、静かにしているのだろう」
「そうなのかな」
秀吉は半兵衛の肩に手を置いて、
「貴様の策のおかげで、しばらくは大いくさの予定もない。心配はわかるが、様子見でかまうまい」
「そうだね。君がそういうなら」
半兵衛は小さくため息をついた。


「やれ、静かよな」
吉継は低くつぶやいた。
障子越しの柔らかな日差しから、日が暮れかけているのがわかる。
だが、聞き慣れたあの足音がしてこない。
「あれもずいぶん忙しいと見える。見舞いにも来られぬほどとは」
怪我をしたところはまだ痛むが、横になっているのも飽きてきた。
むろん呼べば、すぐ身の回りの世話をする小姓が来る。呼ばずとも食事は運ばれてくる。滋養のあるものや好物ばかりだ。清拭や着替えも頻繁に行われていて、床ずれもしていない。頼めば書物も枕元に積まれる。ある意味、至れり尽くせりといえる。
それにしても静かで、己の人望のなさが身にしみる。
「まあ、あれがおらねば、こんなものよな」
腹をえぐられ、意識を失う寸前、三成の声をきいた。
「貴様が死ぬことは許さない。私の元から去るな!」
悲痛な叫びであったが、反射的にこう思った。
《煩い》
どろりと意識が沈んでいく中で、反射的に怒りを感じていた。
《われはな、ぬしに許されて生きておるのではないわ……!》
普段ならそんなことは思わない。
三成という男は、大事なものが欠落している。
秀吉の左腕という重要な役割をなんなくこなしているように見えるが、それは吉継の支えあってのことだ。そのことを本人は痛いほど知っているので、吉継を決して離さない。吉継が病をえても、忌避するどころか、さらに近くに置こうとする。つまりは心配で仕方がないのだ。むしろ心を砕いてやっているのは、こちらだというのに。とはいえ、そんなことを言えば、意気消沈して使い物にならなくなるから、口には出さない。
そんな風にぼんやり朋友のことを考えていると、御医が来た。
吉継の傷を簡単にあらため、
「もうじき起きられましょう。少しずつ、風にあたられるとよろしいかと」
「われはそも病人ゆえ、出歩くはむしろ迷惑であろ」
「病の方も悪くなってはおりませぬ。それにみな、ご容態を気になさっておりますよ」
「みな、とは」
「秀吉様も半兵衛様も、もちろん、三成様も」
「太閤や賢人は見舞いに来たがな」
「三成様は、私が行くと刑部がよく休めない、と言って、毎日小姓を呼びつけて、吉継様の様子をきいておられますよ」
「ほう、ずいぶんと行儀のよいことよな」
「うるさい、と叱られた、とおっしゃっていましたが」
吉継は飛び起きた。
「われにか?」
御医はきょとんとした。
「他に誰が叱れると?」
吉継は身体の芯が冷たくなるのを感じた。あの時、怒りをそのまま口に出してしまったのか。むろん、この命は三成のものではないが、言いようがあったはずだ。
そうか。
だから来ぬのか。
「それではお呼びしても?」
御医はすっと立ち上がり、障子を開けて声をあげた。
「三成様。今日はまだ起きてらっしゃいますよ」
恐ろしい勢いで何かが近づいてきた。常よりはずっと静かな足音だったが。
「刑部」
ただでさえ肌の白い男だが、その削げた頬はひどく青ざめていた。
入ってくると、布団の脇にそっと腰を下ろす。
「息災か」
「ぬしの方が死人のようよ。どうせろくに飯も食わずにおるのであろ」
「朝と夜、かならず何か口にするようにしている」
「さよか。では眠っておらぬな」
「眠くなくとも毎晩床にはついている」
「さよか。で。われに何用よ」
「用がないと来てはいけないか」
「そうはいわぬが、言いたいことがあるという顔をしておる」
「刑部。私が間違っていた」
「ん」
「許可をえなければならぬのは私の方だ。貴様が私に愛想をつかすなら、去るなと言っても無駄なのだ。刑部の命は私のものではない。それを、私は……傲慢だった」
声が震えている。
吉継は笑った。
「別に、ぬしに愛想づかしなどしておらぬが」
「だが」
「しゃんとしせ。ぬしの声があまりに大きすぎて、うるさいと言っただけのことよ。われはこのとおり息災よ、そこまで悲嘆にくれる必要はなかろ。そんな調子で太閤の左腕がつとまるか」
「秀吉様の命は、すべて間違いなくこなしている」
「ならよい。ならば、われもそろそろ役目に戻らねばな」
「もうそんなによいのか、刑部」
「よくはなくとも、ぬしがそのていたらくでは」
「すまない、迷惑をかける」
御医がそこで立ち上がった。
「そろそろ日が暮れますので、また明日にでも参ります」
吉継はうなずいた。
「すまぬな」


外へ出た御医は苦笑した。
「半兵衛様の言うとおりだ」
《大谷君の容態に一番効き目があるのは、三成君の見舞いだと思うんだ。今回はなにか遠慮してるみたいだから、誘ってあげてよ》
三成が入ってきた途端、吉継の瞳は生気を取り戻した。三成も少しずつ頬の色を明るくしていく。本当に不思議な仲である。傍で見ているぶんには面白いほどだった。
「また、うるさいと叱られるほど通わねばよいが」
いや、それはないだろう。
それに吉継も、二度とうるさいとは言うまい。
そもそも、静寂の似合わぬ武将なのだ。二人とも。



(2022.1脱稿・WEBイベント「戦客万来!」アンソロジー用書き下ろし)

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Written by Narihara Akira
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