『理 想』


吉継が目をさますと、まだ薄暗かった。
三成は隣の布団で、静かな眠りを眠っている。
その端正な横顔を、吉継はじっと見つめた。
身も心も満ち足りていて、三成の胸に甘えたいというより、よく休んでいて欲しいと思う。
すると、ふっと三成が目を開いた。
視線に気づいたらしく、吉継の布団に滑り込んでくる。
「刑部」
吉継を抱き寄せ、低く囁く。
「寝ても覚めても、貴様が恋しい」
「みつなり」
熱いものがこみあげてきて、三成の肩に甘えるように頬を押しつける。
われも、ぬしと、おなじよ、と。

*      *      *

「ひとつ訊いてもいいかな、秀吉」
天守で城下を見下ろしていると、竹中半兵衛がすっとその脇へ並んだ。
秀吉は赤い瞳を細め、
「貴様が知らぬことで、我が知っていることが、あるとでも?」
「君は策士だからね」
「その言葉、そのまま貴様に返そう」
半兵衛は苦笑した。
「それは僕の仕事だから、いいとして」
ぐっと声を低めると、
「三成君に、何をした?」
秀吉は怪訝そうに、
「特に何かした覚えもないが」
半兵衛は細い眉をあげ、
「ああ。人たらしの君に、そんな訊き方をした僕が悪かった」
「何を懸念しているのだ、半兵衛」
「いや、どういう手管を使ったのか、と思ってね」
「手管?」
秀吉は、そっと半兵衛の腰に手を添えた。
「え」
思わず秀吉を見上げた半兵衛を、腕の中にさらいこむ。
「半兵衛」
「……だめだよ。まだ、明るいよ」
思わず目をそらしてしまった半兵衛の頬に、秀吉は掌を添えて、
「われが三成を抱いたとでも、思っているのか」
「思って、ないよ」
声をかすれさせる半兵衛に、秀吉はさらに顔を寄せて、
「そう思わぬなら、何が訊きたい」
「だって、朴念仁を絵に描いたような三成君が、すっかり落ち着いて大人の男らしくなって、大谷君とも、前にもまして仲睦まじい様子だし、いったい何を教えたら、ああなるのか、知りたくなるじゃないか」
頬を染めて呟く半兵衛に、秀吉は低く囁きかける。
「三成が落ち着いたのなら良いことだが、われの手柄ではあるまい」
「でも、他に三成君に影響を与えるような人間がいるなんて、考えられないからね」
「ふむ。主君としての心を忘れるな、と諭しはしたがな」
「左近君の、こと?」
「若い者の面倒を見るうち、育つものもあるであろう。それに、もともと三成は、大事に思う相手のためなら、何でもやろうとする男だ。吉継と睦まじいのは、始めからだ」
半兵衛はようやく、秀吉をまともに見返した。
「ああ、そういえば君、左近君にコナをかけてたよね」
「む?」
「こないだ、ここで口説いたって」
「ああ。あれか」



先日、天主へ上がろうとした秀吉に、半兵衛が声をかけた。
「ごめん、秀吉。上がすこし、散らかっているかもしれない」
「む、どうした」
「左近君に、書庫の虫干しを頼んでいてね。持ち出すものを積んでいるかも」
秀吉の表情が動いた。
「貴様があの若造に、虫干しをさせていると?」
「ああ。もちろん、あそこから持ち出しても問題のないもの、だけだよ」
秀吉は目を瞬いた。
半兵衛が三成の部下に兵法の初歩を教えていたのは知っていたが、書庫の扱いをまかせるほど信頼しているとは思わなかったからだ。
だが、あの三成が、先陣を切らせている若者だ。軽々しいところが目につくが、それだけの力があるのだろう。
「ならば様子を見てくるか」
秀吉が天主へ行くと、髪の赤い若者が、日の当たらない場所に書庫の本を広げていた。
「あっ、すんません、秀吉様。すぐ片付けます」
「よい。そのままにしておけ」
「いや、でも、何かここまで見にこられたんすよね?」
「強いていえば、貴様か」
「へっ?」
「まあ座れ」
秀吉は椅子をひき、天主にある卓に左近をつかせた。
左近は恐縮して、身をすくめている。
「えっと、あの、なんでしょう、秀吉様?」
この男、三成に懸想して熱を出したりもしたらしいが、そういう翳りは見られない。
「近頃は、左近の名前に恥じぬ働きぶりときくが」
「え、マジっすか。ヤリィ!」
「おまえの目から見て、三成は、この頃、どうだ」
「頼もしいっすね。剣の技もますます冴えて、絶好調ってトコっすかね」
「そうか。貴様にとって三成は、よい主君か?」
左近はうなずいた。
「俺は日本一、ついてる男だと思ってます」
「そうか。三成のどこがいい」
「三成様は、俺に、いい夢をみさせてくれるんす。俺は三成様に出会うために生まれてきたんだって思います」
「いい夢か」
秀吉は微笑した。どういう夢かとは訊かずに、
「われでは不足か?」
「へっ」
「われより三成がよいか」
「えっ、ちょ、秀吉様、冗談っすよね?」
左近は慌てふためいている。秀吉の直属の部下になるなど、断っても断らなくても、おおごとになる。どちらにしても三成に叱られること間違いなしだ。
「われの夢を三成に継がせるのだ、どちらについても変わるまい」
「三成様は……」
左近は目を伏せた。
「俺、三成様に最初に会った晩、この人になら殺されてもいい、と思ったんす。正直、その場で斬られても仕方なかったのに、素性も何も知らない俺を、ひろってくれて、いつも本気で叱ってくれて……側にいられるのが嬉しくて、今さら、他の誰かに仕えたいとか、考えられないんす」
「そうか。ならば、若き豊臣よ、もっと力を示せ」
「秀吉様?」
「虫干しの合い間にも隙なく学ぶがよい。鍛錬せよ。三成の力となってやれ」
「は、ハイッ!」
実にいい返事だった。
秀吉はうなずくと、書庫へ入って必要な絵図を抜き出し、左近に虫干しを続けるように声をかけてから、静かに天主を降りていった。



「三成君の時でさえ不思議だったのに、君まで左近君を部下にしたいといいだすとは、思わなかったからね」
「あれは逸材かもしれぬ。だが、三成のところに置いておくがよかろう。われの役には、まだ、立たぬ」
「そうだね、うん」
だが、半兵衛は口を尖らせた。
「君の秘密を知りたかったのに、うまくはぐらかされちゃったな」
「はぐらかすも何も、秘密などない。豊臣のことで、貴様に隠せることなど、あるわけもなかろう」
「でも」
秀吉は半兵衛の薄い口唇をなぞりだした。
「もっと信じてやれ。三成はわれの大事な左腕よ。なるべくしてあのようになったと思ってやれ」
「三成君と君の間には、僕の知らない信頼がある、ってことか」
「そう拗ねるな。妬くようなことか」
「だって、触ってごまかすなんて、君らしくない、から……あ」
ついに口唇を奪われて、半兵衛は小さく喘いだ。
「駄目、だよ、ひでよしぃ」
「ごまかしてなどおらぬ。貴様が愛いだけだ」
「そんな……立って、いられなく、なる……」
秀吉は半兵衛の腰をさらに引き寄せた。
「余計なことを考えずにすむよう、よく眠れるようにしてやろう。少し休むがいい」

*      *      *

その夜も、三成の腕の中で、吉継はとろりと蕩けていた。
《ああ、なんと心地よい》
今の三成は、彼の理想の男だった。
純粋で、誠実で、どんな愛撫がよいか、心得ていて。
何より、こうして抱かれていると、ゆるぎない愛情が伝わってくる。
身も心も温められて、陶然となる。
近頃はそれに、大人らしい落ち着きが加わって、安心して甘えられる。それが何より嬉しくて、自分から甘えてしまうこともある。そうすると三成も喜び、さらに蕩かしてくれる。いつの間にか三成の下で乱れる恥ずかしさも忘れてしまって、快楽に浸りきれる。夢のようだ。
左近は左近で、なにか吹っ切れたようで、最近はずいぶんサッパリしている。もちろん、三成のことは変わらず好きなのだろうが、主君の夢を見たから泣くというより、良い夢をみたと思えるようになったらしい。そんなことを呟いていた。
三成は相変わらず左近に先陣をまかせているが、それ以上は特別に扱う様子もない。ときどき茶を教えているようだが、数名の座敷に混ぜている。二人きりの特別な、ということはない。
太閤の左腕を自覚し、正しく采配がふれるようになったというなら、いつ自分が副将として役にたたなくなろうとも、安心と言うことだ。ただし、三成に冷静な判断ができるようになっているというなら、必要のない者を側に置いておくかは……。
思わず身を震わせてしまうと、三成は吉継の背を強く抱いた。
「案ずるな」
不安を見透かされて、吉継が驚いて顔をあげると、
「私の行く道を整え、照らしてくれるのは、貴様しかいない。決して離すものか」
「三成、なぜ」
「貴様は用心深い男だ。先の先まで見渡している。それが武者震いでなく震えるのなら、己が身の行く末を案じているのだろう。仕方のないことだが、私の心を疑う必要はない。ただ、それだけだ」
吉継は目を瞬いた。
ここまで頭が回る男だったか。
まるで、太閤のような落ち着きで、それをいうのか。
「疑ってなど、おらぬ、ただ……」
「私らしく、ない、か?」
吉継はさらに目を開いた。
「いや、そんなことは」
「せめて閨では、貴様好みの漢らしい者でありたいのだが」
「アア」
そうか。
この間、抱き方が巧くなったと誉めた頃から、三成は変わった。
変わったと思ったが、違った。
吉継にもっと誉められたくて、好かれたくて、大人らしく装っているのだ。
可愛い佐吉の頃と、少しも変わっていない。
吉継はため息まじりに、
「ぬしもいったい、こんなわれの、どこがそうまで良いやら」
「こんな可憐な貴様に、惚れない方が難しいが?」
「それを真顔でいうから、たまらぬなァ」
装っているにしろ、たいしたものだ。ずっと寄り添っていたいと思わせるだけの器量が、身についてきたということなのだから。
「われもせいぜい、ぬしにふさわしく振る舞うことにしよ」
「私の右は貴様だけだ」
「あいあい」
「刑部」
三成は吉継の背を撫でながら、
「茶化さないでくれ。たまには貴様の本心がききたい」
「われはいつも本気よ。ぬしこそ案ずることはない。ぬしに、あらためて惚れ直しておるだけのこと」
吉継は身をずらし、三成の頬に口づけた。
「われがどれだけぬしに本気か、朝までゆっくり、この身に刻んでみせよか」
「あっ」
三成が思わず息をのんだので、吉継は微笑んだ。
この男が知らぬ、もっと淫らな手管を教えてやろ。それでもこれは、穢れまい。そしてもっと、良き男になるに違いない。
「楽しみよな。ぬしの凶王がどこまで持つか」
「ああ、刑部」
三成はさからおうとしなかった。吉継の本気を察したようで、声をかすれさせて、
「貴様の、思うまま、私を……」
三成が喜んでいるのに気づいて、吉継は満足した。
これは確かにわれに夢中よ。
余裕もなく、ただ、われだけを。
そう思うだけで胸が熱くなり、愛撫の掌に力がこもり、そしてひとつに絡み合って果てるまで、ただ、吉継は満たされていた――。


(2015.9脱稿)

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Written by Narihara Akira
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