『温石』
あたりはすっかり、シン、としている。
柔らかく積もった雪が物音を吸いこんで、命ある物がすべて息絶えたような気がするぐらい、静かだ。
もちろん、呼べばくる距離に、小姓達がいくたりも控えている。
月のあかるい晩で、雪明かりもあり、闇に押しつぶされることはない。
吉継は身体を丸めて、懐に温石を引き寄せた。この寒さでは、火鉢では足りないであろうと、あぶられて渡された丸い石だ。皮膚感覚の鈍る病ゆえ、火傷をしない温度であることが確かめられてから、差し入れられる。柔らかな布でくるまれたそれを布団にいれると、多少は身体のこわばりもほぐれる気がする。痛みを感じない時は、いくら業の病に苦しむ吉継とて、安楽に休める。このまま眠ってしまおうと思った。
《三成は、今宵は戻らぬか》
ようやく春めいてきたかと思ったら、ぶり返した寒さである。
俊足の三成とはいえ、戻ってくるのは厳しいかもしれない。
《いや、毎晩、来ずともよいが》
三成は、なぜこんな自分に執着し続けるのか、と思う時がある。
太閤への忠誠心は容易に理解できる。
ある時、佐和山の城で三成の実父・正継に会って、その理由が更によくわかった。
見回りに来た吉継の姿をみとめると、さっと近づいてきて、あたたかな笑みを浮かべた。
「お噂は、かねがね」
それから近隣の状況や城の守りについて、言葉少なに説明を始めたが、簡にして要を得るとはこのことで、さすが石田村を束ねる土豪、文武両道に優れた者という噂は真実だと思った。三成の父親らしく、悟性もなかなかのものだ。身ごなしにも隙がないが、異形の吉継へのまなざしや声音は、とても柔らかなもので、これならいっぺんで相手を信頼させ、虜にしてしまうだろう。
話が一区切りついたところで、吉継はため息まじりに呟いた。
「ご子息は、もう少し長く、貴殿の近くで教えを請いたいと思うておったかと」
次男の三成が、早くに寺小姓として出されてしまったことを、吉継は知っていた。三成は親のことを語りたがらないが、母親が口やかましく、そりがあわなかったことは聞いている。この慈父の元でもう少し長いこと育っていれば、今よりは落ち着いた性格になったのではないかと考えたのだ。
すると正継は、すっと頬を引き締めて、
「あれは私の器では御しきれない者。早くに秀吉様に見いだされて、良かったのです」
吉継は震えた。
なんと、この父でも抑えきれない程の癇症だったというのか。扱えぬ者として放り出されたか。父や兄の話もほとんどしないのはそのせいか。
三成は、家族すべてから見捨てられたと思っているのだ。素行が乱暴であるとか放蕩息子であったというならともかくも、あの真面目な性格では、何が悪いのかもわからず、ずいぶんと思い詰めたに違いない。
吉継はうなずいたが、
「それでも三成は、今でも貴殿を心から頼っておりましょう」
「あれのおかげで、こうして私も秀吉様に引き立てられました。留守はしっかり守っておりますので、大谷殿もどうぞご安心を」
「元より疑うことなどありませぬが」
「これからも、あれをよろしくお頼みもうします」
軽く頭を下げると、正継は去っていった。
母はともかく、三成はあの父を深く慕っていたに違いない。しかし、ゆえなく捨てられた。そんな時に太閤のような、光り輝く武将に抜擢され、重用されれば、実の親以上になつくに決まっている。己が居場所を与えられて、三成は初めて生きる意味を見いだしたのだ。頼もしい主君のために命を捨てる覚悟は、当たり前に備わったのだ。
《だが、われは、三成の何でもない》
ただの小姓同士、ただの同輩である。豊臣に来たのも吉継の方が後で、年もひとつしか離れていない。三成の兄は父に似た人柄らしく、吉継とはだいぶ違う。兄として慕われているわけではない。
《いったいわれの、何をそんなに気に入って……》
太閤の光では照らしきれない闇が、三成の中にあるのは知っているが――。
《なんにせよ、三成がおらぬと、寒くてかなわぬ》
そう思いながら、さらに身を丸めて、眠ってしまった。
「ん」
明け方近く、吉継は目を覚ました。
あたたかい。
懐が重い。温石が増えている。
いや、綿入れも増えている。
そして寝床の隣に、いつの間にか三成が滑り込んできている。
三成は遅くに戻ってきて、温石と上掛けを増やし、そして自分の体温を吉継に与えたのだ。
かぎなれた練り香を心地よく感じながら、三成にそっと身を近づけた。
「起きたか」
三成が低く囁く。
「ぬしのおかげで、汗をかきそうなぐらい、あたたかい」
「そうか。私の身があまり冷えていなくて、よかった」
湯屋かどこかで温めてきたのだろう。三成の気遣いが身に染みた。大きいが重たくはない綿入れも、増やされた温石も、すべて吉継の身体を冷やすまいという心遣いだ。
もう少し身を寄せたいが、互いの肌に当たって痛いかもしれぬと温石を取り出してみると、三成がもってきたものは、囲炉裏の上につるせるように真ん中に穴が開けてあるものの、硯のように表面がなめらかに削られていて、肌を傷つけないよう加工されたものであるのがわかった。
「ぬしは、なぜ」
「うん?」
「どうして、われにだけ、このように細やかな心遣いを」
三成は不思議そうな顔をした。
「刑部の方がよほど、私に心を砕いてくれているではないか」
「んん?」
われが? われの方が、三成を?
「便りの書き方から身仕舞い、日々の寝食まで気を配ってくれる。小姓の頃だけではない、幼子の親でもそこまですまいと思うほど、今も甲斐甲斐しく面倒を見てくれている。どう考えても私より、貴様の方が親身だと思うが、それをなぜだと問う意味があるのか?」
それはぬしが、太閤の命じたことしか頭になく、いつも自分のことをほったらかしだからで……と言いかけて、吉継は思わず笑ってしまった。
そうだ、われは同衾するずっと前から、この男が気にかかってしかたなく――。
「どうした?」
「そうよなァ。つまらぬことを言うた。忘れよ」
「何か心にかかることでもあるのか」
「いや。ぬしがおらぬと寒さが堪える、と思うておっただけのこと」
「そうか。待たせて本当にすまなかった。よかったら新しい温石も使ってみてくれ」
「これはなかなか、滑らかでよいな。磨いた石を見たのは初めてよ」
「ああ。これはいいなと思ってな。こんなこともできる」
三成は吉継の胸元に手をいれ、包帯の上でつるりと温石を滑らせた。
「あ」
穴の部分を吉継のとがった乳首にはめて、ゆるりと回す。
「う、んん……」
びくりと身を震わせる吉継に、三成は熱くした腰を押しつけて、
「明け方は冷える、もう少し温まることをしても、かまうまい?」
「だが、もう明るい」
「いやか? この雪が溶けるまで、登城せずともよいと言われたのだが」
欲しくてたまらない、と三成の顔に書いてある。
吉継は身を縮めた。
雪明かりで明るすぎて、自分の痴態を見られてしまう。恥ずかしい。
すると三成は綿入れを深くかぶって、吉継の上に肌を重ねた。
「安心しろ。誰も見ていない。こうすれば声も聞こえまい」
「みつなり」
「毎晩でも毎朝でも、貴様が欲しくてならない。私の欲は、深すぎる」
吉継は小さい声で、
「ん。われも……ほし……」
すると三成は吉継を押し開き、灼熱で貫いた。深い息を吐いて、
「私の身も心もあたたかく満たしてくれるのは、そう、貴様だけだ……!」
(2019.3脱稿)
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Written by Narihara Akira
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