『惚 気』


「戻ったか」
人前であるせいか、ようやく湯治から戻った吉継に、三成は妙にそっけない。
吉継は薄く微笑んで、
「あい戻った。われの留守の間に、ぬしがどう大坂城をとりまわしておったか、これからじっくり、見せてもらうことにしよ」
三成はうなずいた。
「そうか。足りないところは、よろしく頼む」


関ヶ原の後片付けも早々に、三月ちかく生駒山で静養していた吉継が一番心配していたのは、大坂城の風紀だった。
三成は苛烈な男だ。
無駄遣いを嫌い、私室は驚くほど質素である。いくさばでのきらびやかな装束や装具などは、あくまで秀吉のお仕着せ、つまり豊臣の威光を示すためだけにつけているのである。
そんな三成の厳しさに、音をあげているものはいないか……そう思って城内を見てまわるが、石田軍などは相変わらずよく統制されていて、むしろ静かすぎるほどだった。
炊屋に近い一室で、早めの夕餉をしたためていたところへ、三成が来た。
やぶからぼうに叱りつける。
「貴様は働き過ぎだ。初日ですべて取り戻す気か。旅装ぐらい、とけ」
「まだ明るかろ。まあ、そろり休むかと思うておった」
あまりに三成らしい物言いに、吉継の頬がゆるむ。
戻ってきたのが早朝なので、疲れがでてきていたのも事実だった。
「それよりぬし、また飯を食うておらぬな?」
「ああ、今すませる」
三成も膳を運ばせ、吉継にあわせて、せっせと口に運ぶ。
目を細めてその様子を見つめていると、三成が「なんだ」ときくので、
「今宵は下屋敷にさがった方がよいか、それとも、とどまった方がよいか」
尋ねると、三成は目を伏せて、
「戻りたいならかまわないが、刑部の部屋は前と同じに、用意してある」
秀吉が斃されてからというもの、吉継も大坂城に常駐せざるをえず、三成が選んだ部屋で寝起きしていた。日当たりのよい暖かな部屋で、近くの温泉から湯をひいた簡易な湯屋もほど近く、特に不自由はなかった。
「では、ここで休ませてもらうか」
三成がうなずくと、吉継は先に箸を置いた。
湯屋で身を清め、乾いた湯着の上に二枚ほど羽織ると、あてられた室に向かう。
「やれ、どうした三成」
まだ夕日の名残りが見えているというのに、吉継の部屋の前に立つ三成も、すでに略装だった。
「どうもしないが」
そういう三成の前で、吉継は輿をおろした。ゆっくりと立ち上がり、障子を開ける。
「どうもしない、か」
部屋にはすでに、床がのべてあった。
当然のように、二人分だ。
暗くなるまで待ちきれなんだか、と笑いそうになって、吉継はハッとした。
ほのあかるい部屋の様子は、前と同じではない。
というより、吉継の下屋敷と、衣桁の位置までまったく同じに整えられている。
気に入りの漢籍まで、文机の上に揃っている。
「どうした、刑部」
「これは……この部屋は」
「以前は整える余裕もなかったからな。私なりに片付けてみたつもりだが、あとは貴様のいいようにしてくれ」
そして三成は、吉継の腰のあたりに手を添えて、
「こうしてまた、大坂に貴様を迎えることができて、嬉しい」
囁かれた瞬間、吉継の全身を熱い情感がかけぬけた。
こんなにも三成は、われを待ち望んでくれていた。
心を尽くして、迎えようとしていたのだ。
「われもよ。ひとりねは、もう、飽いた……」
瞳を潤ませ、かすれ声で答えた吉継を、三成は抱きすくめた。
障子の閉まる音をきいた次の瞬間、しとねの上に組み敷かれていた。
「三成、まだ明るい」
「じき、暗くなる」
「あ」
あっという間に前を乱され、三成に口唇を奪われ、しかしそれが嬉しくてたまらず、吉継は自分から、すがりついていった。
ぬしになら、どんなにめちゃくちゃにされても、かまわぬ、と……。


目覚めると、月が明るかった。まだ夜は浅いらしい。
「三成……」
隅々まで愛されて、吉継は満ち足りていた。
どんな相愛の夫婦よりも強く、結びついていると感じていた。
いつもと違う場所で愛し合うのも悪くないが、決まった部屋でじっくり睦み合うのがよい。
特に、三成のような男相手の場合は。
久方ぶりに肌をあわせたかのように、三成の愛撫は熱烈で、かといって一方的でもなく、優しい気遣いは相変わらずで、身も心も蕩けてしまった。
ああ、戻れてよかった。
もう、けっして三成と離れまい。
この寝心地の良い上質の布団も、軽くて暖かな掻巻きも、すべらかな温石も、ぜんぶ三成の思いやりだ。
落ち着く。
ふたたび目を閉じようとして、吉継は身を起こした。
三成が戻っていない。
となりの床は、空である。
《やはり、何かあったか?》
先刻、後始末を終えてもまだ名残り惜しく、横になって見つめあっていると、障子の外で音がした。
「殿」
小姓らしい高い声に、三成の鋭い声がとんだ。
「左兵衛か。どうした」
「昨夜の者どもが」
「わかった。すぐ行く」
三成は装束を整えながら、
「すまない刑部、先に寝ていてくれ」
「なにがあった」
「たいしたことではない、ただ、私が始末をつけねばならぬことだ」
「あいわかった。待っておる」
「ああ」
まだまだ夢心地で、城内も静かだったので現実感がなく、三成が出て行くのもボンヤリ眺めていて、そのまま眠ってしまった。
しかし、まだ戻らぬということは、たいしたことなのだ。
こんな夜中にわざわざ小姓が起こしにきたのだ、なにか騒動が起きているに違いない。
《やれ、裁くのは刑部の仕事だというになァ》
吉継は身を起こし、着る物を整えた。
輿はいつものように、音もなく滑り出す。


城内はやはり静かで、何かがあったとしても、終わっているとしか思えなかった。
三成の怒声が響けば、耳ざとい者でなくとも飛び起きる。
いったいどこにいるのやら、と考えて、吉継は天守に向かった。
頭を冷やさねばならない時、三成はあそこにゆく。
太閤を偲びながら、風に吹かれていると、すこし落ち着くようだ。
しかも、こんなに月が冴え冴えとした晩なのだ。
吉継の推測は、最上階に近づくと正しいことがわかった。
三成と小姓が、低く語り合っている声が聞こえてくる。
「……あの者たちも、豊臣のためを思ってしたこと。ですから、殿の仕置きが、納得できないのです」
「わかっている。だから今晩は、手当てして返したろう」
「脱走する者が悪いのです。しめしがつかないではありませんか。申し出さえすれば国に帰れるものを、黙って抜け出そうとしたから斬ったのでしょう」
「捕まえるのはともかく、斬ることはゆるさない。私はそういっただけだ。いきなり斬ることはこれと同じだ、とその場で仕置きしただけのこと。むしろあの場で斬っておけばよかった。それを恨んで、翌日も不穏な動きを見せるとは。石田軍においてはおけぬ」
「殿、これ以上、事を荒立てては」
なるほど、吉継が戻ってくる前の晩、脱走騒ぎがあったのだ。
そのゴタゴタのせいで、吉継が戻ってきても、すぐに笑顔を見せなかった。
騒ぎがあったのを知られたくなくて、あんな取り繕い方をしたのだろう。
石田軍が妙に静まりかえっていたのも、久しぶりに三成の逆鱗に触れたからに違いない。
昨夜の激情を思い出したのか、三成の声は、いささか昂ぶっていた。
「よいか、左兵衛。徴兵された村人どもは、元から豊臣に従っている武将とは違うのだ。もうじき春だ、いくさが終われば、一刻も早く国に戻りたいのが、人情というもの。だから順に、恩賞をつけて帰しているのだ。それが遅いと焦れる者がいるなら、私の仕事が遅いだけのこと、責められるべきは私だ。だいたい、風紀を取り締まれなどと、誰が命じた? 私の部下ならば、そんな勝手はゆるさない」
「誰も責める気などありません、殿のお仕事が多すぎるのです」
「それは言い訳にならない。私は、秀吉様がめざした、たいらかで強いひのもとをつくらねばならない。その為にも、いくさの後始末は、きれいでなくては」
「食い詰めて招集に応じた者もおります、そんなに急いで戻す必要があるのでしょうか。あまり急に兵が減っては、豊臣軍が弱体化します」
「兵というのは、数があればよいものではない。石田軍だけで、大坂城を守るには充分だ。むろん村人どもも、豊臣式の調練で戦えるようになってはいるが、一人の強い武将に太刀打ちできるほどではない。ならば普段から雇っておくよりも、恩を売る形で村へ帰した方が、後々の役にたつ。いざ、事が起きた時も、当座はそこにいる者で持ちこたえられるのだから、調練に損はない。そして、豊臣に従えばいい目が見られると思えば、逆らう国がひとつでも減る。こんな合理的な方法はない」
「秀吉様が目指しておられたのは、兵農分離ではありませんでしたか」
「私は秀吉様ではない。同じようにはできない」
つかのま、会話が途切れたので、吉継はもう少し近づき、月明かりにすかして、二人の様子をうかがった。
なるほど、あれが噂の松浦左兵衛か、と目を細める。
三成を慕うあまり、閨に忍び込んで、情けをえようとした小姓だ。
ほの白い光の中、その美貌はきらめかしい。
主君に恵まれず、行き場をなくしていたところを、気の毒に思った三成がひろった口である。細身の美少年とは思えぬほどの膂力で、武勇の持ち主ときく。
黒目がちの大きな瞳、白く豊かな頬、赤い口唇。
閨での無礼を咎めもせず、優しく諭して帰したというが、あのように可憐な容姿では、物堅い三成も、いささか甘くもなろうもの、と吉継は思う。紀之介、と呼ばれていた若き日の彼に、似ていないこともない。
左兵衛は、物憂い声で言葉を継いだ。
「殿。大谷様を生駒山から呼び戻して、よろしかったのですか」
「何か不満か」
「殿があまりにご多忙ゆえ、その悟性に期待してよばれたのでしょうが、まだ、調子がすぐれないとおききしております」
「その通りだ。私も、もっとゆっくり身体を休めていて欲しいと思っていた」
「それではなぜ、こんなに早く、大坂に」
「生駒山では、静かすぎた」
三成は、気に入りの小姓の瞳をのぞきこむようにして、
「大谷刑部という男はな、にぎやかな場所でないといられないのだ。ちやほやされるのが好きなのだ。幾日もひっこんでいると、それだけで顔色が悪くなる。湯治に行かせて、そのことを思い出した。休んでいるはずなのに、日に日に元気でなくなっていくのだ。悪くなっては意味が無いから、戻れといった」
「ご病気が、すすんでいらっしゃるからではないのですか」
「最近は、渡来の薬を使っている。あれで少しは食い止められるはずだ。城内の湯屋も増やしたし、前よりは居心地よくなったはずだ」
小姓の声が、すねた調子に変わる。
「どうしても、大谷様でなければならないのですね」
「刑部が気に入らないのか」
「優れた方であるのは、よく存じております」
「悟性ばかりが、好ましいのではない」
三成はなだめるような声で、
「刑部はな、実力があるからこそ、それを認められたいのだ。派手好きなのも、見栄っ張りなのも、己に自信があるからだ。だが、もっと大事なものをもっている。どんな苦しい時も、そうと見せない忍耐を。勝つための策謀を練っている時も、豊臣への忠誠心を忘れない。そのすべてが、いとおしいのだ」
「殿にお仕えしている者は、みな忠誠を尽くしております」
三成は首をふった。
「日が差さねば作物が枯れる、水がなければ生き物は渇き死ぬ。私が刑部を失うというのは、それと等しいことなのだ。左兵衛もわかっているだろう、半兵衛様が健在であれば、秀吉様は家康ごときに、倒されたりなどしなかった」
「でも、大谷様は」
「わかっている。私が病に冒されぬか、心配なのだろう。だが問題ない。むしろ、左兵衛は、己が身を案じることだ」
三成の声は低く、そして優しくなった。
「世の中には、小姓同士の恋を面白く思わない主君もいる。だが、秀吉様はすべておゆるしになられた。私も咎めたりしない。左兵衛ならば、いくらでも慕う者があるだろう」
「殿、私は」
「左兵衛が主を何度も変えねばならなかったのは、豊臣のせいもある。だから側においたのだ。だが、どうしても辛ければ、私の元を去っても良い。おまえの武勇は惜しいが、前田が腕のたつものを探しているというから、推挙してもよい」
「加賀……そんな遠くへ」
「遠い方がよくはないか。その美しい肌を慰めることは、私にはできないのだから」
「そんな卑しい気持ちで、お仕えしているわけではございません」
「わかっている。よくやってくれている。左兵衛はきっと、私よりずっとながらえて、優れた武将になるだろう」
そう囁いて、小姓の肩に掌を置く三成の姿が、在りし日の主君と重なって見えた。
吉継は静かにその場を離れ、あてられた室に戻った。
立ち聞きを咎められるのを怖れたからではない。
この身が冷えていては、戻ってきた三成が、余計な心配をするだろうから――。


「ぎょうぶ……?」
目覚めて、己の腕の中に愛しい人がいないのに気づき、三成は飛び起きた。
「何をしている」
まだ薄暗いうちというのに、吉継はもう身支度を調えて、帳面を広げている。
「なに、招集した者どもの、生国を見直しておっただけよ。雪国の者は、まだ急いで帰さなくてもよかろ。望む者には、新たな生計の種でも与えてやれ。飢える者が減れば、まつりごともそれだけ、たやすくなるゆえナァ」
「それはそうだが、明け方は冷える。もう少し寝ていても、かまうまい」
吉継は低く笑って、
「われは見栄っぱりゆえな。欲に溺れる、いぎたない男と指さされるのは好まぬ」
「聞いていたのか、刑部」
三成は吉継へにじり寄る。吉継は帳面に指を滑らせながら、
「わざと聞かせたのではないのか? 己の潔白を証明するために」
「そんなつもりは」
「天晴れな男ぶりに、太閤も浄土で、さぞかし安堵していることであろ」
「皮肉をいうな。私がふがいないから、こんな早くから働いているのだろう」
三成が眉を寄せると、吉継は背をむけた。
「われもたいがい、狭量ゆえな。ぬしが他の者を寵愛しているのを見るのは、あまり楽しいものではない。われの悪口をいう者を、片端から殴り倒していたぬしが、われのことを陰で悪くいっておるのを聞けば、穏やかではいられぬ。ゆえに、眠っておられなんだ」
「違う!」
「わかっておる。ぬしに、そんなつもりは、かけらもないのは。だが、ああ思うておったのは、嘘ではなかろ」
「私は」
三成は吉継の背中にすがりつこうとして、やめた。反対に背を向けて、
「生駒山は楽しかった。刑部はずっと湯治にいきたがっていたし、たくさん文もくれる。会いに行けば、喜んでくれる。二人きりだと、甘えてくれる。刑部の素顔がよくわかる。だが」
チラ、と振り向くと、
「あれは、己自身がそうありたいと願っている刑部では、ない」
吉継は肩をふるわせた。
一瞬、泣いているのかと思ったら、低い笑い声がした。
「ぬし、あのあと、小姓に叱られたであろ」
「なぜ知っている」
「そこまで聞いてはおらなんだが、あんな惚気をきかされれば、大概はあきれよう」
「しかし、私は、刑部がいないと」
三成は己を案じて意見してくれる者が好きだ。佐吉が紀之介に惚れたのは、こまごまと世話を焼かれたからだ。つまりあの小姓も好みだからこそ、きちんと叱れない。むしろ平気で惚気てしまって、目下だというのに、反対に叱られてくる。
まったく、この男は。
「そんなにも、われがよいか」
「いいに決まっている!」
三成は吉継を後ろから抱きすくめた。
「われをほしるか」
「欲しい!」
そのまま、床へ転がり込む。
三成の下で、吉継は大きく目を見開いた。
「これからぬしが歩むのは、新たな修羅の道よ。それにわれをひきこむか」
「私のような者につきあわせてすまない、とは思っている。だが、貴様はおとなしく隠居するような男ではない」
きっぱり言い切る三成の首に、吉継は腕をまわした。
「ぬしに約した。この命つきるまで、ぬしと共にあることを」
「刑部」
「悪いと思うなら、夜があけるまでに、われをすっかり、よくしやれ」
「よいのか」
「せっかく戻ったのだ。もう、離すでない」
「ああ」
三成の口づけが降ってくる。
こんな睦言も、控えている小姓が聞いておるであろうな、と思いながら、吉継は、募ってきたものに、そのまま身をまかせた。 妬かれても仕方がないのだ。
なにせ、三成はわれがいなければ滅びるといい、そして、この、われとても――。


*注:松浦左兵衛←三成の小姓で、後の浅香庄次郎。たいへんな美少年で、三成に可愛がられていたそうです。武勇に優れ、三成の勘気をこうむって解雇されても、戦果をあげて許されたとか。関ヶ原の後は、前田利家の四男に雇われたそうです。史実ネタ。

(2013.11脱稿)

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Written by Narihara Akira
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