『馴れ初め』


吉継が御典医のところから戻ると、三成が吉継の寝所で待っているという。
「やれ、今宵戻るとも、いっておらなんだに」
そういいながら、吉継はいそいそと夕餉を湯をすませていく。
念入りに看てもらったが、今回も病は良くも悪くもなっていないとの見立てだった。
治る見込みはないので、まあ、悪くなっていなければよい、と吉継は思う。失明したら、いくさばに出るどころではない。刑部の仕事も軍師の役目もやってやれないことはないだろうが、三成と共にあるのは難しくなる。
それならば、あの美しいかんばせを見ていられるうちに、もっと一緒に過ごしたい。
もちろん、そんなしおらしい台詞は、三成の前では言わない。
余計な心配をかけたくないし、なにより恥ずかしい。
それでも素肌に単衣を羽織っただけの軽装で、寝所へ急ぐ。


「……やれ、どうした三成」
三成は天窓を開け、月を見上げて、物思いにふけっていた。
「刑部」
戻ったか、どうだった、と笑顔で迎えてくれると思った。もしくは無言で抱きしめてくれるかと。
しかし、三成はまだ夢から醒めきらないような顔で、吉継を見た。
「左近に馴れ初めを訊かれた」
妙なことを言いだす。
「なれそめも何も、ぬしから付きおうてくれ、といわれただけのことよな?」
「そうだな」
三成はうなずいた。吉継はやれやれ、とため息をついた。
「ぬしもほんに物好きよな。いったいいつ、こんなわれを気に入ったものやら」
「貴様が豊臣にきた時からだ」
三成の遠い目は、若き日の思い出を、今の吉継に重ねているからのようだ。
「紀之介は、いや、貴様はいつも、美しかった――」


大谷紀之介は美形だった。
黒目がちの大きな瞳、白く豊かな頬、紅い口唇。
最初からもう、佐吉の好みだった。
もちろん容姿のみが素晴らしかったのではない。早くに父を亡くして苦労していたせいか、人当たりがよく、分別があり、ひとつしか年が変わらないとは思えないほど大人びている。腕がたち、仲裁なども巧みで、めきめき頭角をあらわしてきた。後から豊臣に入ってきたとはいえ、佐吉は紀之介に一目置いた。
紀之介は誇り高く、己の仕事に絶大な自信をもっている。負けず嫌いがふと表情にでる時があって、子どもっぽさも残しているところも可愛らしく、また清潔に感じられた。
「ああいう馬鹿共は嫌いよ」
「ほう」
湯屋で二人きりになった時、紀之介がうちつけに毒を吐いたので、珍しいな、と佐吉は思った。
紀之介は、どんな愚昧な者でもよく相手しており、佐吉はその根気強さに感心するのが常だった。皮肉らしいこともいうが、それも頭の良さゆえと、不快に感じたことはなかった。佐吉自身も直情径行ゆえに「ぬしはもう」と、諫められる側であったが、心配してくれているのがわかるので、今まで反発もせずにきた。
その紀之介が、今宵はずいぶんと悔しげにしている。
「侮られたものよな。金目当てで豊臣にいると思われては、かなわぬわ」
佐吉はうなずいた。
「確かに一緒にされたくはないな」
夕刻、紀之介は、つまらぬ無駄話をする連中に絡まれていた。
「雇い主を見極める力がなければ、今の世の中、生き残れないだろう」
「それはまあ、そうだろうがなァ」
紀之介がその場をうまく繕っていたので、佐吉は声を荒げるのもはばかられ、遠くからその会話を聞いていた。ヘタに口を出せば、「ぬしのような子どもにかばわれるとは、われも堕ちたものよな」と皮肉をいわれかねない。
「秀吉様に忠誠を誓わないといってるわけじゃない、だが、ここよりいい条件で雇ってくれるというなら、紀之介だって主君を変えるだろう」
「やれ、ここより良い待遇が、そうそうあるとも思えぬが?」
さらりと流している。こういう輩はまともに相手をしないのが得策で、なるほどな、と思いながら佐吉は見ていたが、あくまで穏やかな口調だったので、そこまで彼が怒りを覚えているとは気づかなかった。二人きりになるまで、そんな様子も見せていなかった。
だいたい、紀之介が、己の口と母とを養うために、金銭的に潤っている豊臣に来たのは事実だ。
秀吉は一見、拳だけの男に見えるが、ひのもとの将来を見通す力も、軍資金をうみだす才覚もあり、ほとんどそれだけでのしあがってきた。そのため、優れた牢人が集まるだけでなく、ついていけばいいことがあるに違いないと考える有象無象も志願してくる。
元々大名であったわけでない秀吉には、部下が少ない。そのため、集まってきた者たちを選ぶ余裕が無い。資質のない者も訓練でそれなりの兵士に育てる。つまり、豊臣の待遇はかなり良いもので、普通ならそれに応じて働いて、出世していくわけだが、中には忘恩の徒が混ざっている。金だけもらって鍛錬はさぼる。いくさばでも働かない。さすがに敵に寝返ったりはしないが、愚かな連中だ、と佐吉は思う。怠けて楽な方へ逃げてばかりいると、力がつかない。恩賞ももらえない。そして結局、つまらぬ死に方をすることを、わかっていない。
そんな連中と一緒にされるのは、誰だってごめんだ。
「しかし、珍しいな。紀之介がそんな風に怒るのは」
佐吉は低く囁くと、紀之介はまだ怒気を含んだ声で、
「ここに来る前ならともかく、実際に太閤に接して、そのありがたみがわからぬ者など、とっとと出て行けばよい。そうであろ、佐吉?」
紀之介が母と共に雇われたことに深い恩義を感じていることは知っていたが、はっきり忠誠心を口にするのも稀なので、佐吉は大いにうなずいた。
「その通りだ。秀吉様のお心がわからぬ者など不要だ。だが、あんな連中に怒ってみせたところで、時間の無駄だから言わなかったのだろう?」
紀之介がうなずいたので、佐吉は微笑んだ。
「私には、そういうことも、ちゃんと言ってくれるのだな」
「ぬしは、違うゆえ」
きょとん、と佐吉が見返すと、紀之介は目をそらした。
「ぬしは聡い」
わかってくれるであろ、という意味だということは理解できた。なので佐吉は、サラリとかわした。
「紀之介に比べれば、たいしたことはない」
「いや、ぬしはトクベツ。よき男よ」
佐吉は頬が熱くなるのを感じた。
紀之介が、年下の私に、一目置いている。
心を打ち明けてもかまわぬ者と思ってくれている。
それはつまり、脈がある、ということ。
「貴様の方が、よほどよい」
「佐吉?」
「貴様は立派な男だ。豊臣にどうしても必要な力だ。それから、私にとっても」
その瞬間、佐吉は心を決めていた。
秀吉様にお願いしよう。
明日にでも紀之介と添う許しをえよう。それから正式に申し込もう。
ずっと好きだったと伝えて、許してもらえるまで口説き続ける。
目の前にいる美しい小姓は、それだけの価値のある男だ。
ただの同僚でなく、紀之介の特別になりたい。
すっかり意識して、その夜佐吉は、紀之介に触れるどころか、その肌を盗み見るようなことすら、しなかった――。


「確かに、馴れ初めというほどのものはなかったな。一目惚れというのも違う。だが、あの頃の私にとって、貴様しかいなかった。いや、今でもだが」
三成は吉継を見つめた。
正直、あの夜、紀之介が呟いたのは物凄い殺し文句だった。
憧れていた美しい小姓が、自分を特別に想ってくれている。
そう気づいた瞬間、心に火がついた。
若くして秀吉の片腕に近い場所にいながら、その真面目すぎる生き方から、佐吉はいつも孤独だった。しかも、一人でいるのに慣れているような涼しげな顔をしていながら、人一倍あたたかな情に飢えていて、己を案じてくれる者を、心をわかちあえる者を求めていたのだ。
「私の思いを受けてくれて、嬉しかった」
吉継は、その涼やかな微笑と澄んだ瞳を見つめながら、ため息をついた。
馴れ初めというほどのことではないが、佐吉はおそろしい殺し文句を吐く少年だった。
《貴様は立派な男だ。豊臣にどうしても必要な力だ。それから、私にとっても》
つまらぬ世辞をいわない佐吉が、ハッキリこういった。
正直、紀之介は主君に可愛がられている純真な佐吉を、ずっと羨ましく思っていた。
紀之介は人当たりがよかったが、裏を返せば誰も信じていないということで、その能力の高さから、周囲の人間を見下していたともいえる。つまり、彼もまた孤独だったのだ。裏表の無い佐吉にあえて本心を吐露したのは、この少年が愚かでないとわかっていたからだ。紀之介が秘めている闇も、心の脆さも知りながら、敬意を払ってくれている。自分を必要とし、大事に思ってくれる友、それは得がたいものだった。
そんな風に意識しあった二人が、肌を重ねるようになるのに長い月日がかかるわけもなく、結局、紀之介が佐吉の求愛に折れる形で、結ばれた。
「いや、あの頃だけのことならば、いわゆる若気の至りというか、珍しいことでもあるまいが」
主君に美しい小姓が求められるのも、小姓同士が魅かれあうのも、そう珍しいことではない。古今東西、いくさばではよくある話だ。だが、少年の時期は短い。佐吉を受け入れた時も、いずれ自分に飽きるだろう、と紀之介は思っていた。そうでなくともお互い、一人に決めるには若すぎた。
それが大人になっても、病に冒されてからも、かわらず貪りあう仲になろうとは。
「今のぬしは、物好きと思われても、仕方あるまい」
「ふ」
三成は首をふった。
「そんなことはどうでもいい。くだらぬことを言う者を、相手する時間の方が惜しい。それより貴様に、触れていたい」
「あ」
吉継を抱き寄せると、三成は声を甘くした。
「今回は三日も会えなかった。さびしかった」
吉継の胸は熱くなった。
「われもよ」
三成の口をそっと吸う。
吉継に回された腕に、力がこもる。
時がとまる。
ああ。
清らかさを絵に描いたような男に、こんな風に身も心も奪われてしまうとは。
互いの舌の感触を確かめているうちに、吉継は頭の芯が痺れてきた。
慣れた愛撫のはずなのに、飽きたりしない。むしろ期待の方が大きい。三成なら必ず気持ちよくしてくれる。優しくしてくれる。ねだれば何度でもしてくれる。煽れば激しくしてくれる。
そういう風に三成を育てたのは他でもない自分だが、それでも、己を曲げることのない男が、閨でこうまであわせてくれるのが嬉しい。愛おしい。
「刑部。もう、欲しくて、たまらない」
「ん。よい。ゆるりとな」
三成は己をそっとあてがう。凶王という名にふさわしい質量と熱をもって、吉継をじっくり犯していく。
「ああ……!」
思わずため息を漏らすと、三成が動きをとめた。
「いいか?」
「ヨイ」
「私もだ」
その声はすでに掠れていて、三成がもっと激しくしたくて、焦れているのがわかる。
「みつなり」
吉継は緩急をつけて締めつけながら、ゆるやかに腰を回す。
「ぬしのを、もちっとゆっくり味わっていたい」
「わかった。うんと焦らしてやる」
「いや、ぬしの好きにしてよい」
「甘い肌だ。急くのはもったいない。もっと触れたい」
「左様か。なら、たっぷりと、な……」

*      *      *

「紀之介。少し話がある。夕餉の後、我のところへ一人で来い」
秀吉に呼ばれたあの日、その真面目な声音からして、紀之介は新たな職務を与えられるものだとばかり、思っていた。
身仕舞いを整え、急ぎ奥の間に向かうと、秀吉はすでに軍装をといて寛いでいた。
「さすが早いな。まあ、かしこまらず聞け」
紀之介はうなずいたが、膝を揃えて頭を垂れた。
「今宵は一体、どのような御用向きで」
「単刀直入にきくが、紀之介は佐吉を、どう思っておる」
「いささか先走るところがありますが、良き小姓かと」
正直に答えると、秀吉は苦笑した。
「うむ。まこと、その通りよ」
「佐吉が、なにか?」
「いやな。貴様と契りたいので、お許しをいただきたい、といってきたのだ」
紀之介は悲鳴を上げそうになった。
主君にいきなり何をいう。
いや、そんなつもりがあるのなら、せめて好きだの一言ぐらい、われにいってからにせよ。
言葉を失っていると、秀吉の大きな掌が、紀之介の肩に置かれた。
「佐吉なりに筋を通そうとしたのだろう。それだけ本気なのだ。できるものなら添い遂げたいのです、といっていた」
はっと顔を上げると、秀吉は微笑んでいた。
「最初は驚いたが、我はゆるした。だが、紀之介はものではない、許しをえるなら紀之介を口説くのが先だ、いくら命じたからといって、心までやれるものではないぞ、とな。佐吉は、わかっております、といった。紀之介にゆるしてもらえるまで、諦めたりなどいたしません、と」
佐吉がまっすぐ主君を見つめて告げる姿が、目に浮かぶようだった。
「貴様はどうだ。佐吉が気に入らぬか」
紀之介はため息をついた。
「そのような色気をもっていたとは、まるで気づかず」
「うむ。どうしても嫌なら、応えずともよい。だが、すこし考えてやれ」
「そ、それでよろしいので……?」
「紀之介も佐吉も、我にとっては大事な小姓よ。だから、わざわざ呼んで話をしている。互いが傷つくようなことがあってはならぬ。できれば巧く、導いてやってくれぬか」
「面倒を、見ろといわれるか」
うろたえる紀之介に、秀吉は笑みを浮かべた。
「佐吉と紀之介は一見、正反対に思われる。佐吉は正直で裏表のない男だが、一番大事なことは、なかなか口にせぬ。紀之介は普段は己をつくろっている男だが、一番大事なことは顔にでる。今もな」
紀之介は頬を染めていた。
なぜ言ってくれなんだ、とは思ったが、佐吉に慕われているのは不快でなかった。
清らかな子どもに一途に好かれて、悪い気がするわけもない。
秀吉は優しく、紀之介の肩を撫でた。
「我は似合いと思う。お互いの足りぬところを補えるからな。それに、佐吉も貴様も、実は似ている。二人とも義を重んじる。信頼のおける男よ」
紀之介は、大きな目を更に大きく見開いて、秀吉を見上げた。
すっかり外堀を埋められてしまっている。
これでは断りたくとも、どうにも断れない。
いや、嫌ではない、嫌ではないのだが、だからといって簡単に応というのも、何か違う。
「我は無理強いせぬ。だが、佐吉はああいう子どもだ。諦める気はないといったら、諦めぬであろう。度が過ぎるなら叱ってよいが、もし断るつもりなら、相当、根気強くやらねばならぬぞ」
秀吉の言うとおりであることは、紀之介も容易に想像がついた。
「思し召しのままに」

*      *      *

気がつくと、三成の腕の中で眠っていた。
月はすっかり傾いて、東の空はもう、明るみ始めている。
《やれ、夢か》
三成が、馴れ初めなどといいだした、昔の夢を見たものらしい。
翌日から始まった、佐吉の猛攻をのらりくらりとかわして、その一途さを見極めようとした、己の無駄な努力を思い出す。
この男ぐらい、嘘偽りや浮気心から遠い者はいない。
いくら拒もうと、皮肉をはきかけようと、ゆらぎもしない。
病にとりつかれようが、奇っ怪な能力を身につけようが、気にしない。
その、ひたむきな愛情。
「どうした、刑部?」
吉継が目覚めたらしい気配を感じて、三成が背中をそっと撫でる。
「佐吉め、意外に策士であったな、と思うてな」
「なんだ、なんの話だ」
「ぬし、われを口説く前に、太閤にいうて、断れなくさせおったであろ」
三成は驚いたような顔をした。
「まさか、刑部は秀吉様に命じられて、私の思いを受けてくれたのか」
「それは」
言葉に詰まった吉継を見て、三成は表情を曇らせた。
「そんなつもりでお願いしたのではないのだ。だが、秀吉様は……そうか、私が……そうだな、お心遣いだ……」
ため息をつく。
「無理強いだけは、したくなかった、のに」
「三成」
「少しは私を、好きでいてくれると思っていた。だから、私が嫌でないなら、と」
「三成!」
吉継は三成の額をぴしゃりと叩いた。
「今さら何の世迷い言よ。好きでもない者に、このようなことをゆるすほど、われも物好きでないわ」
「刑部……」
水底いろの瞳が、不安げに揺れている。
吉継はため息をついた。
「なぜぬしが、太閤に可愛がられておったか、ようわかるわ」
可愛げのない男と思われているが、かばってやりたい、と思わせるところがある。本人が思っているより不器用ではない。むしろ、甘えるのがうまいのだ。
吉継は三成の首を引き寄せた。
「せっかく人払いして、左近も下げさせておるのであろ。もちっとまともに、構いやれ」
「ん」
三成はうなずき、吉継の口を吸った。しかしまだ、瞳の翳りが消えない。
「刑部」
「なんだ」
「策ではない」
吉継の頬を包み込みながら、
「たしかに、策を弄してでも、欲しかったが」
「あい、わかった、わかった」
吉継は目を細めて、
「ぬしの気持ちを疑ったことなどないわ。だからぬしも、疑うでない」
「ん?」
吉継のかすれた声が、ぐっと低くなった。
「われとて、もう、ぬし、なしでは――」

(2014.8脱稿)

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Written by Narihara Akira
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