『瑠璃玉、飛んだ』


「これが優秀作? へえ?」
「いいの、こういうの? トリック写真じゃんね」
「あの家だから、特別扱いなんじゃない」
「そういうのってあり? むしろ触らない方がよくない?」
「なんかさー、すっごい非常識な時に救急車よんだりするんだよね。びっくりしちゃった」
「そういえば、須永の家が近いんだっけ」
「うん。ほんと、あそこの家、変だわ」
噂話が聞こえてくる。本人のいないところで悪口、ってやつだ。
中学校の文化祭は外部の人間が立ち入り禁止だけど、子どもの作品が少しでもみたいという親からの要望で、駅ビルのホールで、市内の中学の合同文化祭的な展示会が催されていた。皆さんも見学に行きましょうということで、クラス別に連れられてきた。
文化祭に出した作品でなくてもかまわないようで、大人たちが集まった絵や写真や立体物に勝手に賞をつけている。
一枚の写真の前で、私の足は止まった。
そのタイトルは。

とんで、きえた

ルーフバルコニーに、サンダルが脱ぎ捨てられている。
ただそれだけの写真なのに、サンダルはバルコニーの真ん中あたりに散らばっていて、本当に誰かがそこで、ホップ・ステップ・ジャンプして、そのまま空に消えたように見える。構図っていうか、背景の切り取り方がうまいんだ。私が同じところで撮っても、こういう写真にはならない。パノラマモードにしても無理だ。
「こんな写真を撮る人がいるんだ」
撮影したのは同じ中学の子で、名前は須永葵とあった。
隣のクラスの子だ。よくは知らないけど、確か親が二人とも音楽家で……。
私がずっとそこで立ち止まっていたので、絵の展示をみていた美咲ちゃんが近づいてきた。
「どうしたの、何かあった?」
「これ、すごいなと思って」
「そう?」
「うん」
美咲ちゃんはなぜか、顔を背けた。
「興味ない」
「え?」
「私は興味ないから」
「なにが?」
「明石さんも深入りしない方がいい」
「え、なに、どうしたの」
「私の絵は見てくれないの」
「えっ、美咲ちゃんの絵、展示されてるの? どうして教えてくれなかったの」
「風景画じゃないから、ちょっとね」
「見たい見たい。行こう」
私たちはその場を離れた。
美咲ちゃんの絵はいつもと少しタッチの違う、ちょっと東洋風の人物画だった。ファンタジーか神話の登場人物なのか、肌が蒼く塗られている。
「今回は佳作で、優秀賞じゃないんだけどね」
「審査する人も見る目がないよねえ。こんなに綺麗なのに」
「気に入った?」
「うん」
「じゃあ、展示会が終わったら、明石さんにあげる」
「いいの」
「うん。親にアクリル板で額装してもらうつもりだから」
「わあ、ありがとう」
美咲ちゃんとそんな風に話をしながら、その場を離れたが、須永さんの写真のことは、なぜかずっと、心にひっかかったままだった。


隣のクラスに小学校の頃のクラスメートがいたので、須永葵さんについて知っていることを教えてもらった。
ものすごく色白でほっそりしてて、あんまり身体が丈夫じゃないのか、時々、学校を何日か続けて休んでしまう。
父親が音楽プロデューサーでアメリカで活動中、母親はピアニストでイギリスで活動中で、両親は不在。十歳以上年の離れた、茜さんていうお姉さんがいて、葵さんと二人で留守を守っているらしい。ちなみにお姉さんは音楽教室の先生をやってるらしいけど、葵さんは音楽はやらないみたいで、歌も特にうまいわけじゃない。
「趣味は写真みたい。家族との連絡用スマホで、いろいろ撮ってるみたいだよ。こないだのみたいのとか」
「ふうん、スマホね」
「ねえ、紫乃ちゃん、美咲ちゃんに内緒で、なに調べようとしてるの」
「えっ」
「顔に書いてあるよ。なになに、浮気?」
「浮気ってなに?」
「うん、まあ、葵ちゃんも美人だからね。普通だったらけっこうモテそうなんだけど、ちょっと不思議ちゃんだから、家まで遊びに行く子もいないっぽいよ。あと、成績はいいんだよね。あんなに休んでるのにさ。家庭教師とかに勉強、みてもらってるのかな」
「そうなんだ」
「あ、そういえば親戚のお姉さんが時々来るって言ってたかな。私が知ってるのはそれぐらい」
「ありがとう。これ、約束のお礼」
「こっちこそありがとう。紫乃ちゃんのノート、細かいところまで書いてあるから好き」
「見づらくない?」
「見やすい方がいいなら、教科書読むよ。じゃね」


《あ、あの子》
図書館に本を返しにいった時、隅の席に、ほっそりした色白の子が座っているのを見つけた。
外を見ている。
声をかけて平気かな? うるさくしなければ大丈夫かな?
「あの、須永葵さん?」
「誰だっけ」
須永さんはイヤホンを外した。スマホで何か聴いていたみたいだ。
「私、隣のクラスの明石紫乃っていいます。こないだ、合同文化展示会で、須永さんの《とんで、きえた》を見たの。いい写真だな、と思って」
「ありがとう。でも、どうして私が誰だか知ってるの。しかもマスクしてるのに」
「マスクはこっちもだけど。須永さん、親が音楽家で有名だから」
「そんなにたいしたものじゃないんだよ。うち、そんなにお金持ちでもないし。ハウスキーパーさんを雇う余裕もないんだから」
「でも、家とか防音してるんじゃ」
「防音室はあるけど、全部の部屋じゃないよ」
ふうん、話してみると普通の子だなあ。どこが不思議ちゃんなんだろう。
「それで、明石さんは、写真に興味があるの」
「友達がよく撮ってて、私もうまく撮れたらいいなと思って」
「別にうまいわけじゃないから」
「そんなことないよ。本当に消えたようにみえたもの」
「うん。だって、本当に消えたんだもん」
「え?」
「ちょっと場所を変えようか。休憩室に行かない? ここじゃうるさいって怒られそうだから。図書館って、あんまり長くいても叱られるんだよね。私、本も読まないでぼーっとしてるから」
「須永さん、ここの景色を見に来てるの?」
「ううん。図書館はフリーWi-Fi使えるから。ギガ使わないで音楽きけるじゃない」
「何きいてるの」
「ん? ヒーリングミュージックとかそんなの。親のはあんまりきかない」
須永さんはすっと立った。またイヤホンを片耳につけると、
「いこ?」
先に歩き出した。


休憩室はドアが開けっぱなしで、外より寒いぐらいだった。
「明石さん、なんかのむ?」
「私は別に」
「じゃ、ちょっとまっててね」
あたたかいブラックコーヒーを買うと、須永さんはそれをゆっくりのんだ。なるほど美少女だ。美咲ちゃんとタイプは違うけど。
マスクをつけなおすと、須永さんは休憩室の椅子に腰掛けた。私も隣に座った。透明な仕切りごしに横顔を見ていると、
「うちね、親戚のお姉さんがいたの。るりさんっていうの。瑠璃玉の瑠璃って言ってた。字、わかる?」
「なんとなく」
「瑠璃さん、自分ちとうまくいってなかったっぽくて、何年か前から、うちに時々避難してきてたんだ。うち、大人がいないから、逃げてきても叱られないですむじゃない。うちの姉さんとおない年だっていうけど、なんていうか、ちょっと子どもっぽかった。姉さんにもベタベタ甘えてたし。でもね、勉強は得意だっていって、予習復習とかすごく手伝ってもらって、瑠璃さんがきてから、授業休んでも大丈夫になった」
「ふうん」
「でもね。ある日突然、消えちゃったんだ」
「消えた?」
「うん」
「どういうこと?」
「写真、みてくれたんじゃないの? 空に飛んでっちゃったんだよ」
「え?」
「だって雨戸をあけたら、あそこにサンダルがあったんだよ。あんなところに、普通、置けるわけないじゃない」
いや、別のサンダルを履いて、バルコニーの真ん中に置いて戻ってくれば不可能じゃないし、とは言えなかった。そもそも、そんなことをする理由も思いつかないし。
「それから瑠璃さんの姿を見てないってことね」
「うん。姉さんは、瑠璃さんのことをきこうとすると、話をそらすし。瑠璃さん、姉さんと喧嘩して、それでいなくなっただけかもしれないんだけど。最近、ちょっと、もめてたし」
「そうなんだ」
「私が写真を撮るようになったのも、瑠璃さんの影響なんだよね」
「そうなの」
「だって、世界って、時々色がなくなるじゃない」
「えっ」
「そういう時、写真を撮ってみるの。そうすると、目の前にあるはずのものの輪郭が戻ってくる。少しだけね。で、気に入った風景だけインスタにあげとくんだ」
「インスタやってるの」
「非公開にしてる。姉さんがうるさいから。あ、明石さん、見てみる?」
須永さんは、写真の並んでいるスマホの画面を私に見せた。
「わあ、いいね、これ」
どれも綺麗な風景写真だけど、どこで撮ったかわからないようにうまく加工されてる。いま、写真の投稿サイトはそこそこあるから、そういうところに投稿したらお小遣いが稼げそうではある。中学生でそれが可能かどうか、わからないけど。
「ありがとう。写真だけは、見せるとみんな、褒めてくれるんだよね」
「だけは?」
「他に得意なことないもん。瑠璃さんは音楽もできたけど、私には何にもない」
「何にもって」
「明石さんは、夜、寝ようとして寝られなくて、私って何のために生きてるんだろう、って思ったことない?」
「何のため?」
「親はたぶん、私みたいな子はいらないし、姉さんだって時々、すごく面倒くさそうな顔して私のこと見る。瑠璃さんの面倒もみなきゃいけないし、いろいろ大変なんだと思うけど」
「瑠璃さんて、なんか大変なの?」
「たぶんね。よく病院いってたし。でもあんまり姉さんに文句はいえないんだ。食事も洗濯も掃除も、ぜんぶやってくれちゃうから。手伝うよっていっても、いいからって言われちゃって。だから、家にいてもやることないから、ぶらぶらして写真撮るわけ」
話の筋は通っていて、別に不思議なことはない。
「須永さん」
「なに?」
「そんなにしょっちゅう、寝られない時があるの」
「そうでもない。寝ちゃうとずっと寝ちゃう。コーヒーのんでも無駄」
「ずっと?」
「うん。それも病気かもね」
「そんなに寝ちゃうの」
「うん。起きられない時は、姉さんが学校に電話してくれる」
「そうなんだ」
「変な家でしょ」
「どうなんだろうね。私はひとりっこだから、親がいない時はいろいろ自分でやるけど。でも親が二人とも働いてて、家にいないのって割と普通だし、だからって自分がいらない子なんだと思ったことはないなあ」
「お育ちがいいんだね、明石さんって」
「お育ちって、そういうものなの?」
「そうだよ。うちはだめ」
須永さんは気怠げにのびをした。
「なんか落ち込んできちゃった。ヒーリングミュージック、聴いてもいい?」
「いいけど」
須永さんはスマホを動画ページに切り替えて、イヤホンをつけた。
「ところで、明石さんと、連絡先とか交換した方がいいの」
「須永さんがいいなら」
「遊びにきてっていいにくい家なんだけど」
「いいよ、無理におしかけないから」
「そう? じゃ、これ番号」
お互いに番号を教えあう。
須永さんはちいさくため息をついた。
「人と話したら少し気がまぎれるかなと思ったけど、だめだね」
「だめな感じなの」
「うん」
「家まで送ってく?」
「場所しらないでしょ」
「教えてもらえればいけるよ」
「ううん、来ない方がいい。ごめんね。一人で帰る」
須永さんはそのまま、休憩室を出て行ってしまった。


そんなわけで、人体消失を写した写真の謎は、とけなかった――。


「なんで消えちゃったんだろうなあ」
そんなのわかる、わけないか。
でも、美咲ちゃん、気になること言ってたよね。深入りしない方がいいとか。
なんか知ってるのかな。
「なんで消えちゃったかは、問題じゃないんだよ」
びっくりして振り向くと、美咲ちゃんがいた。
嘘。
もしかして尾行されてた?
「どうして須永さんが消えたと思ったか、が一番問題なんだよ。おかしいと思わなかったの、中学生にもなって、人が空へ飛んでったと思い込むなんて」
「え?」
「明石さんがあの写真を、トリック写真だと思わなかったのはどうして?」
「え、あ、すごく自然だったから」
「そう。自然だったから。そして須永さんが本気でそう思って撮ったから。だからだよ」
「どういうこと?」
「だから明石さんはこれ以上深入りしちゃだめ。これはもう終わったこと。事件でもなんでもないから」
「美咲ちゃんは何を知ってるの」
「何も」
美咲ちゃんは泣きそうだった。
「ねえ、どうしてわからないの。あの写真は、台風の翌朝に撮られたんだってこと」
え?
そういえば今年は夏からひどい台風が何度かきて、家のまわりのものが飛ばされたことあったっけ。あんなに強い風だったら、バルコニーに置いてあったサンダルが、真ん中まで吹き散らされることはあるだろう。
でも、台風の翌朝にそれを見たら、「ああ、バルコニーのサンダルをしまうの忘れてた、あそこまで飛んじゃったんだ」としか思わないよね。
だとすると、須永さんは、台風があったのを知らなかったってこと?
そんなことありえるかな?
一晩中、嵐みたいな音がしてたのに。
防音室で寝てたとか?
待って。
須永さんは、寝ちゃうとずっと寝ちゃうって言ってた。
そういう時は、姉さんが学校に電話してくれるって。
親戚の瑠璃さんは病気がちだっていってたけど、いったい何の病気だったんだろう?
「明石さんは、いずれ気がついちゃうと思ってた。だからわざわざ、私は興味ないって言ったのに。どうして厭なことを、無理に知ろうとしちゃうの」
「美咲ちゃん?」
「私のいうこと、きいてくれないの」
そういえば須永さんのクラスメートが、展示会で悪口いってたっけ。非常識な時に救急車をよんだりするって。
まさか、台風の晩に、とか? それは確かに迷惑だろうけど。
「……わかった、気がする」
「ねえ!」


美咲ちゃんにヒントをもらったおかげで、真相らしきものがうっすら見えた気がする。
なんで美咲ちゃんが泣きそうになってるのかも。
ね、わかるよね?


「私のこと、守ってくれようとしてくれてありがとう」
美咲ちゃんはぎょっとした顔で、
「なに」
「なんとなくわかった。瑠璃さんはちょっとメンタルを病んでて、台風の晩に、手首を切ったかなんか、したんだね。それが救急車をよぶぐらいの大事になっちゃったから、そのまま実家に帰されたか、入院しちゃったかしたんだ。でも、それは事件じゃない」
美咲ちゃんは頭を抱えた。
つまり、この推理であってるんだ。
「問題は、葵さんがそれに気づかなかったこと。つまり、台風が来ようが救急車が来ようが、それが全然わからないほど、ぐっすり寝ちゃってたってこと。しかも、その話を、お姉さんは葵さんに隠してる。今回が初めてじゃなかったから。つまり、自分に都合の悪い時、お姉さんはいつも、葵さんを無理矢理眠らせてたんだね。瑠璃さんの眠剤かなにかを使って。そっちのほうが、事件」
美咲ちゃんはくちびるを噛んだ。私は続ける。
「須永さんの家には防音室があるから、そこで何かしてても外には聞こえない。けど、家の中の人は、夜中にへんな気配がしたら、防音室をのぞくよね。それをさけるために、お姉さんは……」
「だから!」
「わかってる。お姉さんのしたことはよくないけど、瑠璃さんと自分を守るためだったんでしょう。そんなことがばれたら、引き離されちゃうもんね。ベタベタしてるところを妹に見せたくないのも、ちょっとわかる。二人のことを、わかってもらえるかどうかも、わからないし」
「明石さんは、わかるっていうの?」
「うーん、ぜんぜん知らない人のことを、わかるっていうのはおかしいけど」
私はにっこりした。
「美咲ちゃんが、怖い真相から私を遠ざけようとしてくれたのはよくわかった。ありがとう」
「私は、別に」
「でも、本当に、そのまま引き離されちゃって、よかったのかなあ。葵さんのお姉さんって、瑠璃さんにとって必要な人だったんじゃないのかな。大丈夫なのかな。無事だといいけど」
「うん。そうだね」
「ところで美咲ちゃんは、世界が色をなくして見える時ってある?」
「今までのところ、ないけど」
「私、その方が、よっぽど怖いな」
「こわい?」
「うん。たとえば、美咲ちゃんが突然、私の目の前からいなくなったら、色がぜんぶ消えちゃうかも」
「ばかなこと言って」
「もしかして葵さんも、瑠璃さんのこと、ちょっと好きだったんじゃないかな。だから時々、色がなくなっちゃったのかもしれないよね」
「ああ」
美咲ちゃんは空を仰いだ。
「それは、あるかも」
「ところで」
「なに」
「私、いつから美咲ちゃんに尾行されてたの」
「わざとしたんじゃないよ。たまたま図書館に行ったら明石さんがいて、しかも須永さんに話しかけてたから……」
「そうなんだ。心配かけてごめんね。借りたい本、もう借りられた? そろそろ帰らないと」
「そうだね」
「それにしても、美咲ちゃんはすごいなあ。あの写真をみただけで真相がわかっちゃってたなんて。噂話とかきいてたの」
「別に」
「ふうん」
それから全然関係ない話をして別れたけど、美咲ちゃんは最後まで笑わなかった。
いやだったんだろうな。私が首をつっこんだこと。
そしてその真相が、大人の女の人同士の恋愛のもつれだなんて、言いたくなかったんだろうな。
いい話じゃ、ないもんね。
「でもね、美咲ちゃん、そんなに心配しなくていいんだよ」
これからどんな痴情のもつれをきこうと。
絶世の美少女が私の目の前に現れたとしても。
私の一番はずっと、美咲ちゃんだよ――。


(2022.2脱稿 pixiv百合文芸4投稿作品)




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