『人形の家』


「ひなちゃん、どうしたの、窓辺で大きなため息ついて」
「あ、紫乃ちゃんに見られちゃったか。来週、植木の手入れの人たちが来ることになってて、裏の家のこと考えると頭が痛くて」
「気難しいおじいさんが住んでるんだっけ? 生きがい事業団の人が剪定に来ると、裏庭にちょっと葉っぱを落としても怒るって言ってたよね。今年も大変そうなの?」
ひなちゃんはもう一度ため息をついた。
「それが、別の話で……実は、裏の家には死んだ女の人が住んでるんだ。だからあんなに、庭に入られるのを嫌がるんだなあって思って」
「え、なにそれ」
「話をきいてくれる、紫乃ちゃん」
「きくのはいいけど、怪談は得意じゃないから、途中でストップかけちゃうかも」
「だよね。ごめんね。厭な話だもんね。でも、誰かに話したくてさ」
「なら、明石さんのかわりに、私が続きをきく?」
いつの間にか後ろに、美咲ちゃんが立っていた。
「え、緑川さんが?」
「美咲ちゃん?」


朝比奈雛子の父親は実家が裕福で、自分の家を建てる時、庭の狭さなどお構いなく、実家のイメージそのままに、めったやたらに植樹した。柿、無花果、桜、金木犀、棕櫚、柾……結果、どうなったかというと、まったく手入れが行き届かない。最初は本人が頑張って剪定していたが、その結果、腰を痛めてしまい、人を頼むようになった。植木屋を入れるほどの庭でもないので、安価に仕事を受けてくれる自治体の老人ボランティアに、年に一度か二度、来てもらうことにした。ところが剪定時に、裏の家・吉良家(おじいちゃんにキラコウズケノスケのキラって説明されたけど、意味がわからないと雛子は言った)とトラブルが発生する。
吉良家には足を悪くした老人と、その娘と息子が住んでいた。老人は勲といい、交通事故で足が不自由になり、その時に妻のさくらも失った。娘は二人いて、菫と百合子という。二人はほぼ同世代だが、その下に孫ほども年の離れた息子の樹というのがいて、この春にろう学校を卒業して就職したらしい。ところで娘の百合子はおととし、病気で亡くなったと町内の回覧板で情報が回ってきて、老人の勲の方も今年の初めに亡くなったという。何年も続いている流行病のせいで、葬式はすべて身内だけで行い、後からのお知らせになりました、ということだった。
そこまでざっくり書いてまとめると、美咲ちゃんは顔をあげた。
「で、朝比奈さんは幽霊はどっちかわかってるの? お母さんなのか、娘さんなのか」
「娘」
「どうしてわかったの」
「だって声にすっごい特徴あるんだもん。声優レベルだよ。回覧板とかもってくと出てくるのはだいたい百合子さんだったし。亡くなっちゃったんだ、と思ってたのに、菫さんと話をしてるのをきいちゃったから」
「きいた? 気難しい勲さんが死んだから、お隣の庭に入りやすくなったってこと?」
「んー、ちょっと言いにくいんだけど」
「盗み聞きを言いにくいのは当たり前だから、何を言われても驚かない」
「それもそうだね。実はうちと裏の家の境目、古いコンクリートの塀になってて、ちょっとはしごかけるか、よじ登るかすれば、その上を歩けるんだ。今年はもう、柿がなり始めちゃってて、カラスがつつきにくるとうるさいと思って、腕の届く範囲で、青い実をもいでおこうと思ったわけ」
「それは親孝行。自慢していいよ」
「ありがとう。親には、中学生にもなって危ないことするな、とか、おまえは猫か、とか、叱られるんだけど、飛び降りても怪我する高さじゃないから。で、こないだ塀の上を忍び足で歩いてたら、台所から声がしたの」
「どんな?」

《あなたの味方は私だけ。私は最後まであなたを守るわ》

美咲ちゃんは静かな声で、
「それ、本当に百合子さんの声だった? 録音じゃないのは確か?」
「だって菫さんがそれに返事してたし、人の気配はしてたし」
「なるほどね。でも、それってそんなに怖がること?」
「えっ」
「泣かせる台詞じゃない。スマホとかに録音しといて、聞き直してたかもしれない。死んだ人の声は消しにくいし、そういうメッセージなら、独り言で返事ぐらい、するかも」
「そっかあ。でも録音って普通の声の大きさじゃない気がするんだけど。テレビとかならともかく」
「テレビに返事することもあるかもよ。動画サイトにあげとけいて、テレビとかパソコンで見ることもできるわけだし」
「そっか。そしたらもう、怪談じゃないね」
「そうそう」
美咲ちゃんは優しげな声で、
「何も心配することはないよ。だって、生きてる人を死んでるようにみせかけるなら保険金詐欺とか、死んでる人を生きてるようにみせかけるなら遺産相続とか、ドロドロした話になるかもしれないけど、他の人が盗み聞きする可能性がものすごく低いところで、ぼそぼそ呟きあってただけなら、違うでしょう」
「そうだよね。ああ、よかった。じゃあ、死んだ女の人はいないんだ」
「菫さんの心の中では生きてるかもしれないけど」
「そっか、仲よさそうだったしね。二人ともお父さんの世話と、耳の聞こえない弟の世話で大変だったみたいでさ。あの家は娘が二人でよかったわね、って親も言ってたし。よし、今年はあのおじいさんもいないし、植木の手入れの時に事業団の人が怒鳴られることもないわけだし、もう心配しなくていいんだ。緑川さん、きいてくれてありがとう!」


帰り道、二人きりになった時に、思い切ってきいてみた。
「ねえ、どうしてひなちゃんに嘘の説明をしたの。なにか隠してるよね?」
美咲ちゃんは肩をすくめた。
「やれやれ、明石名探偵はお見通しか。じゃあ、次の日曜日、つきあって」
「そしたら教えてくれるの?」
「なにが真相かはともかく、私が知ってることは教えられるよ。あと、お気に入りの人形かぬいぐるみがあったら、ひとつ、連れてくるといいよ」
「どういうこと?」

*      *      *

「明石さんは今日が初めてでしたよね。楽しんでいただけましたか?」
講座が終わったあと、菫さんに話しかけられた。
日曜日、美咲ちゃんに連れていかれたのは自治会館で、《パペットセラピー講座 講師・吉良菫》と貼り紙がしてあった。
「吉良さんて、これ」
「うん。月一回、これに参加してる。講師は朝比奈さんの裏の家の人」
「美咲ちゃんって、本当に多趣味だね」
「ひまつぶし。まあお人形さんごっこだけども、中学生にもなったら、もうみんな、ぬいぐるみで遊ばないじゃない? でも、ここだとそこそこ楽しいから」
美咲ちゃんは、鞄からウサギのパペットを取り出した。
「可愛い。もしかしなくても美咲ちゃんの手づくり?」
「ご明察。ほめてくれてありがとう。明石さんの猫のぬいぐるみは、私が昔、あげたやつだよね」
「そうだけど、だめだった?」
「かまわないよ、もちろん」
 参加者の年齢はバラバラだが、女性だけだった。もってきたぬいぐるみの口を借りて、困りごとや趣味のことを話す。講師に誘導されると話しやすくて、初対面の人相手に、私もいろんなことを話してしまった。
菫さんに感想をきかれた時も、すらすらと返事をしていた。
「そうですね。うちのみいちゃんが人気者になって、びっくりしました」
「素直で可愛いし、要領のいい子ですからね。愛されると思います」
「そうなんですか。私は無愛想なのに」
「本当にそう思っていますか」
「え」
「パペットセラピーのパペットは、あなたのペルソナです。ペルソナって難しいかな、あなたの性格の一面を表現しているということです。自分自身をひどく嫌っていたり、否定ばかりしている人でも、パペットを使うと愛されたい部分を表現できたりします。人はいろんな顔をもっていて、一人の人に見せているのはほんの一部。自分自身だって無意識の部分についてはわからない。だからパペットで解放してあげると、心が楽になりますよ。よかったらまた来てくださいね」
「そうですね……」


帰り道、二人きりになってから私は口を開いた。
「美咲ちゃん」
「なに、難しい顔して」
「ひなちゃんがきいた台詞だけど、あれって菫さんがパペットセラピー講座の練習をしてたってだけの話じゃないの? あなたの味方は私って、今日の練習の台詞にも、そんな感じのがあったじゃない」
「そうかもね」
「なぜ言わなかったの。偶然、吉良さんの講座に行ったことがあって知ってたんだけど、って一言いえばすむ話だったのに。それとも美咲ちゃん、講座に通ってるのが子どもっぽいと思って、ひなちゃんに教えたくなかった?」
「それもあるけど」
「他に何かあるの」
「寝た子を起こすなって言葉があるよね」
「どういう意味」
「朝比奈さんが説明してくれた吉良さんの家の情報、ほとんど間違ってた。それは彼女の理解力がないとか記憶力が悪いとかじゃなくて、親が嘘の説明をしてるんだと思う。近所の人も噂しないようにしてるんでしょう。だから私も隠すことにしたの。もし朝比奈さんに話して、この講座に興味をもったら、菫さんと必要以上に近づいて、気づいてしまうこともあると思うから」
「なにに」
待って。
親が娘に隠したいことって何? それだけじゃない、美咲ちゃんもあんまり言いたがらないことっていえば……そういえば、保険金詐欺とか遺産相続とか、へんなこといってたよね?
「もしかして、菫さんと百合子さんは、本当は姉妹じゃないの?」
「元々が姉妹じゃない、が正しいかな。百合子さんは吉良家の養女。勲さんは子どもの頃から病気のせいで足が悪くて、それだけじゃなくて耳も悪くて、奥さんはすごく苦労したみたい。しかもうんと年の離れた息子なんて産んでしまったから、娘に応援を頼んだけど、二人とも仕事してるわけで、働きながら勲さんと樹さん、耳が不自由な二人の面倒を見るのが難しかった。その時、最初、ヘルパーとして呼ばれたのが百合子さん。百合子さんと菫さんは高校時代の同級生で、吉良家にくる前から知り合いだったみたいよ」
そうか。

《あなたの味方は私だけ。私は最後まであなたを守るわ》

「百合子さんは菫さんを守ってたのね。最初は友人として、それから仕事として、最後は家族として」
「そういうこと。あと、養女といっても、百合子さん、勲さんの養女じゃないから。菫さんの養女だから。菫さんの方が誕生日が早かったから、そうしたみたいよ」
なるほど、美咲ちゃんが教えたくなかったのはこの話ね。お父さんが長いこと町内会長をやってるから、そういう情報も自然と入ってくるのかな。それともパペットセラピーで話されたのかな? まさかね。
「そっか。百合子さんの方が養女なら、先に亡くなったなら、遺産相続は関係ないかもね。でも百合子さんが死んだふりをして、菫さんが保険金を受け取る可能性はあるのか」
「明石名探偵は怖いことを言う」
「先に保険金って言ったのは美咲ちゃんじゃない」
「たぶんかけてたと思うから。お互いを守るためにね」
「養女になるだけじゃ足りない?」
「養女になるのも大変だからね。親や親戚がいるから何を言われるか。いろいろ乗り越えてようやく家族になったんだから、それぐらいのことをしてたろうと思って。菫さんがパペットセラピーを始めたのも、人に言えないことを吐き出すためだったんじゃないかな。最初は百合子さんと二人でやってたのかも」
「なるほどね」
私は鞄から猫のぬいぐるみを取り出した。それを動かしながら、
「美咲ちゃん。それ、ひなちゃんが知っても、そうだったんだ、としか思わないよ。変な話じゃないもの。大切なひとを守りたいって、普通のこと。隠さなくてもいいじゃない」
「普通と思わない人もいるよ」
「美咲ちゃんは、好奇の目で見られるかもしれない人、しれないことをすごく怖がるけど、どうして?」
「厭に決まってる」
「美咲ちゃんのいやがることはしたくないけど、でも、私には秘密にしなくていいよ」
「でも」
「美咲ちゃんと離れなきゃいけないことになって、他に方法がなかったら、私も養女にだってなるよ。簡単じゃなくても」
そう言いながら頬が熱くなってきた。
美咲ちゃんも鞄からウサギを取り出した。ぺこりと頭を下げさせると、
「……ありがとう、紫乃ちゃん」


また、ひなちゃんがため息をついている。
「どうしたの」
「やっぱり、葉っぱはどうしても裏の家に落ちるじゃない? だから親が手紙で《今年も九月何日に植木の手入れをします、そちらに落ちた葉などは事業団の人が後で始末にうかがいます、担当者に連絡のつく携帯番号はこちらです》って書いて、吉良さん家に送ったのね。そしたら《絶対にうちに入らないでください。大量に落とされなければけっこうです、うちで始末します》ってすごい怒った文面の返事がきちゃったの」
「そうなんだ、近所づきあいって難しいねえ。でもまあ、やっぱり最近は物騒だし、コロナも怖いし、きかれたくないこともあるんじゃないかな。しょうがないから、今度から挨拶だけにしておいたら」
「そうする。これが本当、難しいおうちってやつなんだね」
私は苦笑した。
「そうね。そうなのかもね」




(ペーパーウェル08参加作品。2022.5脱稿)

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