『君の名を』


《なにもかもどうでもいいよ》
Zoom交流会の最中だが、積極的に発言する気にもなれず、山梨千尋はうわのそらだった。パソコンの画面の中では、コロナ対策について、県内の小中学校の吹奏楽部の顧問が話しあっている。
「パーティションは基本として、どこまで立ててます?」
「あの二重のマスク、使ってます? フェイスシールドも気休めですけど。パート練習は部屋を別にするにしても、合奏時はねえ」
「スワブの管理をどう指導してます? 結露水の処理は使い捨てペーパーにした方がいいと思うんですが」
「定演がないとモチベーション上がらないですよね。テレワークでもと思って検討してるんですが、演奏場所、どう確保されてます?」
《どうしたって感染するって。登校だけでも危ないのに。授業もぜんぶテレワークに戻しちゃえばいい。正直、子ども達に教えなきゃいけないことは音楽じゃなくて、この国を出て行く方法じゃないの?》
山梨千尋は中学校の英語教師で、なぜ吹奏楽部の顧問をやっているのかというと、子どものころ六年ほど、吹奏楽部でトランペットを吹いていたからだ。うまいわけではないが、経験者ということで今の学校に採用された。メイン顧問は音楽教師の長野明日香だが、部活は合唱の経験しかないので、二人顧問になっている。前任者が非常に有名な指導者で、全校女子生徒の三分の一は吹奏楽部という大所帯、一人では足りないだろうという配慮もあった。
《そもそも、私なんて要らないんだよ》
コロナ禍で思うように指導ができないだけではない。去年一年英語を教えた吹奏楽部の生徒から、長野先生、と名前を呼び間違えられる始末だ。そんなに存在感がないのか。どうして音楽教師じゃなくて私が会議に出てるんだ。言うことなんて、なにもないのに。
「それではあと五分ほどでお開きにしたいと思いますが、他に何か」
主催者のアナウンスに、やっと終わるとほっとした瞬間、チャットで話しかけられた。
「丹沢中の山梨先生ですよね。少しお時間いただけますか。新しいアドレスとパスを送りますので、二人でお話しできたら」
山見小の指導者だ。イトコの三重ちゃんに似てるなあと思いながら、
「なんのご用でしょう」
「それも、よろしければ新しいルームで」
首をひねりつつ移動すると、
「山梨先生、お忙しいところ、ありがとうございます。山口先生の後任で大変だと思うのですが、きちんと指導されてらっしゃって素晴らしいと思いまして」
「誰がそんなことを?」
「そちらの中学でサードペットをやっている宮城優奈です」
「えっ」
「宮城は山見小で三年間、鼓笛隊をやってまして。マーチングドリルをやらせると、一人だけ別方向へ歩き出すような慌て者ですが、トランペットは好きで、よく練習していました。親の引っ越しが決まって、吹奏楽で有名な丹沢中に行けるのを、とても喜んでいました」
「それは山口先生が有名だったからで、私は何も」
「山梨先生はロングトーンや基礎の指導も丁寧にやってくださるし、合奏で音が荒れている時も、たった一声でみんなの気持ちを整えてくれたと言っていました」
そういえば定演の直前、暑さと疲れで調子がでない時、フルートを三人選び出して、一人一人、最初の音をロングトーンで出させ、音の高さを揃えさせた。その後、「今のみんなの演奏は、満身創痍。傷だらけってこと。でも思い出して。なんのために練習してきたのか。聴いてくれる人のことを思い浮かべて。友達やご家族のことを」
とっさに出た言葉だったが本心で、それからは嘘のように音が揃った。前の指導者がやらせていた基礎練習の賜物でもある。
山梨は苦笑した。
「でも、私は宮城に、長野先生と呼び間違えられたりしているんですが」
「ああ、その話もききました。山梨先生のお顔を今日拝見して、ああ、長野先生と間違えてしまうなと思いました」
「なぜです?」
「私はあまり、誰かに似ていると言われたことがないのですが、山梨先生もそういうお顔立ちですよね。しかも、長野明日香先生も、吹奏楽部の顧問でらっしゃる。それはついうっかりするうこともあるだろうと。実は私も長野ですので。長野友美と申します」
言われてみれば確かに似ている。雰囲気や話し方も。
「宮城は山梨先生のことを慕っているので、呼び間違えたことをとても悔やんでいました。何かの時にお声をかけてやってください」
「慕われていたのは長野先生でしょう。懐かしい面影を重ねていたからこそ、間違えたのなら」
「ではなぜ、ショックを受けていると思います? そこをどうぞお間違えなく」
それもそうだ。とにかく自分を評価してくれる生徒がいるのだ。投げやりになるのはやめよう。やるべきことをやろう。
山梨は笑顔で画面を閉じた。


「ありがとう! 緑川さんの言うとおり、山梨先生は全部わかってくれてた! 話、きいてくれて、ありがとね!」
ゆなちゃんが手を振って去っていく。私は美咲ちゃんの後ろにこっそり立って、
「また、私に内緒で事件を解決?」
「わあびっくりした。明石さん、立ち聞きはやめてよ」 「だっていいことしてても、美咲ちゃん、私に教えてくれないんだもん」
「事件でもなんでもないよ。宮城さんの小学校の担任と、すこし話をしただけ」
「ふうん、別にいいけど。根掘り葉掘りきくようなことでもなさそうだし、私、美少女探偵の専属作家じゃないし」
「待って、私に隠して何か書いてるの」
「ふふ」
私はニッコリした。
「ただ、美咲ちゃんは誰よりも素敵だってこと、他の人にもわかってもらいたいだけ、なんだけどね?」


(2022.8脱稿「野生のぺらっと」参加作品 折本版はこちら)




《創作少女小説のページ》へ

copyright 2022
Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/