『初 恋』


「紫乃ちゃん、そんなに急いで、今日は何かあるの」
「うん。誰にも言わないで」
二人で秘密をわけあうことは、よくある。仲良しの秘訣だ。
「好きな人ができたの。だから今日はごめん。さよなら」
え、なに、どういうこと?


小学生の女の子が誰かを好きになったら、噂はすぐに広まる。九歳の子どもは、誰かが好きなそぶりを隠せない。でも今まで、紫乃ちゃんにはそういう話がなかった。だいたい、クラスメートはみんな、子どもっぽすぎる。でも、学校の外の人かもしれないし。
なんのヒントもないまま、何日か過ぎた。紫乃ちゃんは時々ぼーっとしたり、一人でニコニコしたりしてる。楽しそうでしゃくに障る。
謎がとけるきっかけになったのは、学級日誌だった。紫乃ちゃんが日直の日、担任の元木先生がこんなコメントを書いていた。
《こないだ教えてもらった本、とても面白かった。もうすぐテレビで見られるのが楽しみね》
これだ。
紫乃ちゃんから、楽しみな秋の番組の話はきいてない。
原作ありの新作ドラマかアニメを探せばいいんだ。


「……え、これ?」
紫乃ちゃんが急いで帰った日は、『少年探偵ブルー』という子ども向けミステリの発売日で、最新刊はアニメ絵のカバーになっていた。主人公は蒼井大洋という小学生で、黒縁眼鏡をかけて、黒い長髪を颯爽となびかせている。性格がちょっと尖っていて、友達は紅井月子という幼なじみだけ。それでも日常の謎を鮮やかに解決していく。「僕は頭がいいんだよ」という決め台詞を、馬鹿な連中に投げつける場面は痛快だけど、まあ子ども向けだし、この程度の頭の良さでいいなら、私の方が賢いかも?
それにしても、これが本当に紫乃ちゃんの好きな人なのかな。
お店を出てからもページをめくっていると、
「本を読みながら歩くのは危ないわよ」
先生に見とがめられてしまった。
「それ、紫乃さんの好きなシリーズね。新しい本が出てたのね」
「先生が面白かったって学級日誌に書いてたので、どんな本か気になって買ってきました。先生、紫乃ちゃんは、この本のどこが面白いんでしょう」
「あら、気がついてないの?」
「え?」
「そうね、紫乃さんも無意識かもしれないけど。美咲さんは、男の子なのに長い髪をしてる蒼井くんが、気にならなかった?」
「男の子の髪が長いと、何かおかしいですか」
「うーん、小学生で髪をそんなに長くしてる子は珍しいってことよ。あなたみたいにね」
「えっ」
「そういうこと。蒼井くんは言葉が足りないところもあるけど、本当は優しい子で、いつも誰かの役に立とうとしてるじゃない? 紫乃さんはそういう子が好きなんだと思うわ。たぶんね」


紫乃ちゃんがため息をついてる。
「何かあった?」
「うん」
「大好きな蒼井大洋くんが、どうかした?」
紫乃ちゃんは顔を赤くした。
「やっぱり美咲ちゃんは頭がいいなあ。もうわかっちゃったんだ。本の中の人を好きになるなんて、子どもっぽいって笑われると思って、黙ってたのに」
「誰を好きになってもかまわないじゃない。アイドルが好きな子だっているし。笑うことじゃないよ」
「ありがとう。でも、もう、あんまり好きじゃなくなっちゃって」
私はぎょっとした。
「どうして」
「昨日、秋アニメの特番があったの。蒼井くんが動いたりしゃべったりするのが見られると思って、すごく楽しみにしてたのに、ぜんぜん蒼井くんじゃなかった。八方美人だし、月子にだけ冷たいし。大事な友達につらくあたるような人、私、大きらい。ほんとガッカリしちゃった」
「そうなんだ」
「あのね、ブルーは、お母さんが買ってきてくれたの。珍しいの、そういうこと。それで、読んでみたら面白くて、蒼井くん、素敵だなあと思って。でも、本の蒼井くんもあんなだと思われるのがいやだし、これから本の蒼井くんもアニメっぽくなっちゃうかもしれないし、もう、考えるだけでうんざり」
紫乃ちゃんはそこでハッとして、
「あ、ごめん。美咲ちゃんもブルーを読んだんだよね? 面白かったんだったら、けなしてごめん」
「気にしないで。それに私、月子ちゃんの方が好きだし」
「そうなの?」
「月子ちゃん、いい子だから」
「普通じゃない?」
「紫乃ちゃんがいい子だからそう思うんだよ」
「ふうん?」
紫乃ちゃんは首をかしげていたが、
「とにかく、この間は本当にごめんね。今日は一緒に帰りたいな」
「いいよ。蒼井くんの魅力を、たっぷり語ってくれるなら」
「えっ、それは恥ずかしい」
「そう。なら、無理にはきかないけど」
「あ、そこが好き」
「どこ?」
「相手のことが気になった時、無理にきかないで、推理でなんとかしちゃうところ」
「頭のよさをひけらかしてるだけじゃない?」
「僕は頭がいいんだよって台詞は、おまえ達は無神経だって怒ってるからだと思って。蒼井くん、優しいから」
「紫乃ちゃんはそう思うんだ」
「違うかな」
私は本の中のブルーのように、さらりと髪をなびかせて、意味ありげに笑ってみせた。
「さあ。どうなんだろうね?」


(2022.1脱稿「掌編小説とエッセイのアンソロジー BALM 青盤」参加作品)




《創作少女小説のページ》へ

copyright 2022,2023
Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/