『MAD!』

ひっぱるようなブザーの音に眠りを妨げられて、彼はいまいましげに身体を起こした。誰も出ないのに業をにやして、碧いガウンを羽織って寝室を出ると、居間には二人の男がヘッドフォンをかぶってソファに沈んでいる。
「誰か出てくれりゃいいのに、何だよ?」
「うん?」
二人は彼の姿を認めると、面倒くさげにヘッドフォンをはずした。
「ブザーが鳴ってんだぞ」
「わるいわるい。僕が出るよ」
Peterはあやすように抱えていたギターをおいて、玄関へ出た。Mickyはよろしい、と満足気にうなずくと、再びヘッドフォンをかぶった。Mikeは軽く肩をすくめ、不機嫌を隠そうともせずに寝室へ戻った。
「Monkeesに電報です」
「どうもありがとう」
郵便配達夫は何やら卑屈な笑いを洩らすと、いそいそと闇に溶けていった。その、妙におどおどした様子が、何とはなしに凶事の予感を誘う。とにかく彼は、ざらりとした淡い黄色の電報用紙に目をおとした。

MAD!

彼はゆっくりと、遠い瞳を開け放したままのドアの外へ向けた。そして電報用紙をおくと、出ていった。Mickyはうん?と顔をあげた。昼間だったら普段の放浪癖ですます事もできるが、今は夜中だ。彼はヘッドフォンをつけたままできるだけ身体をのばして、テーブルの上の電報用紙を、ひきよせた。

"HE'S GOIN' GOIN' GOIN' GOIN' MAD MAD MAD MAD MAD !!"

この大音響に、Mikeは再び寝室をとびだす羽目となった。
「ヘッドフォンのプラグが抜けてんだよ、何やってんだよ! 本当に君達は」
言葉を失う。二人はいない。ヘッドフォンどころの話ではなく。
「いったいどうしたんだよ?」
ステレオのスイッチを切って、ふつりと静かになった家の中を、彼は眉を寄せて見回し――テーブルの上の電報用紙に気付いた。ぽつんとまさにぴったりの一言。彼は声を張りあげた。
「おい、ほんとに、どこいったんだよ? え?」
じわりと心細さが忍びよってくる。
「いい年をして隠れん坊かい? その手にゃのらないよ。おい」
不安気な視線が、カレンダーにとまった。毎日Peterが12時になると、日付に×印をつけているやつだ。が、今日はどうしたものか、もう昨日となった金曜日に、×がついていない。
「曲に夢中になってて、忘れたんだな」
洋服だんすの把手に、かんぬきの様にいつものマジックインクがさしてある。彼は肩をすくめて、そいつをひきぬいた。
“ぱあん!”
がしゃっという音に、彼は妙な声をあげてあとじさった。観音扉が勢いよく開いて、マネキンがとびだしてきたのであった。右手を45度、左手を90度に曲げたマネキン人形。胡粉がはげて、鼻が白く欠けている。ほっと息をついた瞬間、彼の意識はゆらいだ。
――幻? 銀色の枕みたいな形の風船が、彼をこづいた。一緒に飛ぼう、とうながすかの様に。彼は目を細め――虚ろな夢の中に落ちてゆく表情はさらに強まった。彼はドアの外へ泳ぎだした。

彼の手はゆきどまりをまさぐっていた。冷たいものにさわる。ノブか? 彼はそれをつかんで、ゆっくりとまわした。ドアをひくと、ひきずる様なかすかにきしむ音が彼をおびやかした。
――低くうなるようなコーラスが洩れてくる。白装束の男達が三人、蝋燭の灯にうかびあがっている。3。なんだろう。3? 彼の心に“違う”という思いが横切った。何が違うというのだ? 三人のはずがないと何故思うんだ? これは一体、誰が仕掛けた事なんだ? 何のために? 問いはいくら浮かんでも答えはでず、彼はドアをいっぱいに開ききった。
ハミングが途切れた。
“ぱん、ぱぱん!”
「Happy Birthday to you, happy birthday to you...」
ぱっと明るくなった部屋の中に、どこにひそんでいたのか、と思わせるほどの人数が、あふれでたみたいにさんざめき、クラッカーを鳴らしては声をあげた。
「Happy Birthday Dear Mike, happy birthday to...」
突然ベースが鳴った。合唱はさえぎられ、よくあるタイプのロックが騒々しく流れ出した。照明はそれにふさわしく暗くなり、七色のライトがちらちらと闇にまぎれて踊る人波の汗に投げかけられた。
"I' m feeling very bad today..."
不意に彼の心にレコーディングのすんでいないフレーズが浮かんだ。そのヴォーカリストの顔を彼はさがした。ようやく音楽がゆるみ、光も落ち着きをとりもどすと、彼を見つけることができた。Mickyはにっこりと椅子をすすめ、Mikeは面白くもなさげに座った。ざわめきのおさまりきらないうちに、彼はぼそりとつぶやいた。
「どんな気分かきいてみろ」
「え?」
「どんな気分かきいてみろっていったんだよ」
「どんな気分なんだい?」
彼は素直にきいた。Mikeは立ち上がって、怒鳴りだした。
「どんな気分か、だって? 冗談じゃないよ、なんだいこのパーティは。夜中に人を叩き起こすわ、妙な悪戯は仕掛けるわ、招待状もなしの乱痴気騒ぎ、主客を全く放りっぱなしで、何がHappy Birthdayだ! だいたい今日は僕の誕生日なんかじゃありゃしない」
彼はおもむろに調子を整えてあたりを見回すと、つけくわえた。
「ま、狂気の沙汰でい(Saturday)といったとこかな」
"OH"
あまりにもつまらない冗談に、皆のどよめきがしぶいた中、低い笑い声がおこった。それはどよめきの落ち着いていくのと反対に、だんだんと大きくなり、最後にはばか笑いになった。二人が人波のひいたところに、やっと見慣れた顔をみつけたその時、
“だきゅうん!”
銃声と共に、笑い声はやんだ。
「僕は笑われる義務を遂行した。従って笑う権利を得た訳だ」
彼――Peterの手には拳銃が握られている。彼のまなざしは至極真面目で、見るものの心を撃ち抜くようだ。
「僕はね、世界で一番幸せな人種――気狂いになったのさ」
「何いってんだよ、Peter。気でも狂ったのかい」
Mickyが笑って近づこうとすると、ぎりっと銃口の向きを変えた。
「君まで殺すつもりはないんだ、寄らないでくれ。僕の腕は知ってるだろう」
そうだった、確かにうまいんだった。Mikeはひきつれた笑みを浮かべて、肩をすくめた。
「気狂いは自分で気狂いなんていわないよ」
「気狂いの事を君がどれだけ知ってるものか、知りもしないくせに」と彼は言い放ち、立ち上がった。
「何をするつもりだい」
「するつもりなんてない。したつもりだ」
「何をしたっていうんだい、そのぶっそうなピストルちゃんで」
「あいつを殺したのさ」彼はいつもののんびりとした微笑に、本当の凄味をくわえていた。
「あいつ?」
「きまってるだろ」
奴を? まさか。だってそんな、いくら何だって、冗談だろ。な?
「いったいぜんたい、どーしてさ?」半信半疑のMickyが泣き声をあげる。
「嫌いなものは仕方がないだろう。死んだ後まで憎んでやる価値はない、と踏んだから殺しただけだよ。僕がいつもへらへら笑ってるからって、傷ついてないと思うなよ」
彼に説明をさせるのは無駄らしいと悟ると、Mikeは眉を寄せてPeterをみつめかえした。
「奴はどこだ」
「こっちさ」
彼は拳銃をくるりとまわしてホルスターにおさめた。そしてつかつかと壁に近づいた。
「この裏に、奴はいる」
焼けこげを指さすと、彼はドアへ向かった。二人は後を追った。
「この裏って?」と、Mickyが少しおどけた。
「洋服ダンスの中さ」
こうしてパーティの幕は、閉じたのだった。

――いわゆる、スキャンダルなんでしょうね。
しかしそれは、もみけされた訳でしょう?
――そうです。映画の撮影だと偽りました。
彼は信じた訳ですか?
――信じなくても自分から騒ぎたてたりするもんですか。いや、本当に冗談だととったのかもしれませんねぇ。マネキンを割った時も目を覚まさなかったし、薬が切れた時には「キツイ冗談はよしてくれよ」なんて、笑いましたからね。マネキンはすぐに片付けられちゃったし、たんすの穴もすぐふさがれちゃいましたしね。何の証拠も残ってない事ですから。
脱退の声明は、“騒々しい生活に疲れた”という事でしたが、本当の理由はこの事件がきっかけということで?
――心の整理がつかなくて、あんなとんでもない狂言をやったまでの話です。脱退は、物事の始めと終わりをきちんと自分で選びたかっただけの話で、関係ありません。
今現在とあの頃の生活を比べて、どう思われますか?
――僕はいつでも幸せです。
しかし、やはり環境の変化というものが……
――僕は変わりません。いいえ、変われなかったんです……ああ、これ、オフレコでしたよね?
はい、OFFで。
――よかった。
私が万が一発表したら、どうします?
――どうもしませんよ。ただMickyやMikeの耳に入ったら、やっぱり不快だろうから、と思っただけです。どうにもできないっていった方が正しいかもしれませんけど。
どうもありがとうございました。
――もう、それだけですか?
何か一言おっしゃりたい事がおありですか?
――いいえ。きかれればお答えしますけどね。今更、もう何も言う事はありませんよ。

彼は死刑囚のごとき微笑をぼんやりと浮かべて、69年の顛末をこの様に語ったのであるが、その真意はまるでわからず、真意の存在さえおぼつかない。伝わってくるのはひんやりした想い入れだけで、どこまでが彼のvividly imagined experienceであるかさえ、この私には、わからないのであった。

-- END--

(1985〜1986年頃脱稿/紗智楼遙人名義/初出・『DID THE MONKEE LIE?』Vol.4/サルをネタに遊ぼう会・西田淑子=Joshua発行/1986)

参考映像→ http://www.youtube.com/watch?v=mFibqE5qqm8

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Written by Sachiyagura Haruto(Narihara Akira)
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/