『羨 望』


「いいか、このいくさばに置いては、貴様が先陣を切ることになるが……」
左近があまりに見つめてくるので、説明していた三成の眉間に、深い皺が刻まれた。
「……私の話をきいているか、左近?」
「ハイ、いっつも切り込み隊長やらせてもらえて、ありがたいっす」
「貴様の兵法の理解が気にかかる。陣形の意味を説明してみろ」
「ええっと、俺がココに潜んでるはずの伏兵ブッつぶして、ここで刑部さんが敵さんの本隊をひきつけて、最後に三成様が殲滅戦に持ち込むんですよね。いつも通りっちゃ、そうですけど、だいたい敵さんは石田本隊の移動速度をナメてますから、つーか、まず予想できないっすから、今回も問題はないんじゃないかと」
「わかっているならいい。だが、なぜ私の顔をジロジロ見る」
左近はため息をついた。
「なんつーか、三成様って、ホント、肌キレイっすよね。髭とか生えないんじゃないかと思うぐらい、ほっぺたツルツルで。口元もツヤツヤで」
いった瞬間、叱責の声が飛んでくると思って首をすくめた左近の耳に、低い囁き声が聞こえた。
「当たり前だろう。刑部は病人だぞ」
「へっ」
左近は言葉を失ってしまった。
冷やかしの文句さえ浮かばなかった。
我欲を見せない三成が、服装だけは常に美しく整えている理由は、豊臣の威光を示すためだということを左近は知っていた。
だが、その肌を繊細に手入れしているのは、愛しい人の肌を少しでも傷つけない気遣いらしい。よく見れば、指先までよく綺麗にしている。
なんと、あからさまな惚気なのか。
「刑部さんは、その」
「なんだ」
なんといっていいかわからない。というか、ここで余計なことをいってはいけない。吉継は病のせいで皮膚感覚が鈍くなっているはずで、「いくら三成様が頑張っても、その肌を感じることもできないんじゃ」などと軽口を叩いたら、この場で斬滅されても文句はいえない。
「……幸せっすよね、刑部さん」
ようやくそれだけいって、曖昧に笑うと、なぜか三成は目をそらした。
「たいしたことではない。それぐらいのことで、刑部の気持ちが少しでも和らぐのなら」
左近はドキリとした。
まるで三成自身が病に苦しんでいるかのような、深いため息。
文字通りの一心同体。
割り込む隙などない。
左近はわざと軽い声を出した。
「あのー、三成様。明日に備えて、今日はこの辺で休みましょうよー?」
「ああ。豊臣の栄明、刹那たりとも翳らせるな」


常勝豊臣の名に恥じぬ戦を終え、その夜も、三成は吉継と同衾していた。
三成の腕枕に頬を預けながら、吉継がため息をつく。
「やれ、左近とぬしが、同じ香りを身につけるとは」
「なんの話だ」
「なんでも粉にした茶葉で顔を洗い、椿油で肌を濡らし、伽羅と丁子を調合して薫いておる。たいした色男ぶりよな」
「左近にも、気になる者ができたということか?」
「いや、単にぬしの真似をしたいだけであろ」
「伽羅と丁子は練香の基本だ。別に珍しくもない」
「やれ、ぬし、妬いてもみせぬのか」
「妬く?」
「その調合を誰が教えたか、などと考えぬのか」
「もし、貴様が左近に練香を教えたところで、妬く理由になどならない」
「左近がわれの閨に忍んできても、わからぬようになるであろ」
三成は目を瞬いた。
「そうか。まだ足りなかったのか」
三成は吉継の脚を割り開いて、
「つまらぬ謎かけは不要だ。欲しいなら、いくらでもしてやる」
熱い剛直が、吉継の中を深く犯した。
ア、と甘い声が洩れるのをきいて、三成はゆるく腰を動かし始める。
「それとも、本当に若い男の精が欲しいのか?」
「わ、われは……」
「左近に何か、いわれたのか」
「ぬしこそ、左近に何か吹き込んだであろ」
「私が?」
「われに美顔のコツを訊くなど、ぬしに何か、いわれなければ……」
「私が何かいうものか。だいたい、私に直接問えばすむことを、わざわざ貴様に訊いたのは、どういうことだ」
「ひそかに知りたかったのであろ」
「意味が無い。左近が私と同じ香りをまとったところで、元々の体臭が違う、あれは悪食だからな。だから、もし本当に貴様と寝ればわかる。むしろ白檀でも持ち歩いた方が、いろいろと誤魔化せるだろう」
口調は平素のままなのに、中で出すつもりらしく、腰の動きだけがせわしくなってくる。
「やれ、ぬし、われを疑ごうておるのか」
思わず泣き声を出すと、三成は首を振った。
「そうではない。わざわざ閨で、他の男の名を口に出すからだ。私のこれは、本当に、貴様、だけの、ものだ……」
腰をひねりながら、奥を突く。
いつもよりさらに硬く、強く脈打っている。
吉継は頭の芯が痺れたようになり、その声もすっかり蕩けて、
「アア、われの……われ、だけの……みつな、りぃ……!」

*      *      *

ある夕暮れ時のこと、吉継は、左近が濡れ縁に座って賽子を弄びつつ、ボンヤリ空を見上げているところへ出くわした。
「やれ、ぬしも早に湯を使え。夕餉もまだであろ」
左近は表情をくすませたまま、
「あー、そっすねー。今日は荒仕事がなかったんで、つい」
「やれ、例によって賭場で大負けでもしたか」
吉継が引き立てるような軽口を叩くと、左近は、へへ、と鼻をこすって、
「いや、別に、なんかあったわけじゃないんすけど。そういや、三成様って、粉にした茶で顔を洗ってるって噂、ホントなんすか」
「噂ではない。日焼けや切り傷にも効くゆえな、余った茶葉を使っておるようよ」
「それであんなに、白い顔をしてんだなー。お肌、ツヤッツヤっすよね?」
「それは、椿やホホバの油を使っておるのよ」
「なーんか、さりげなーく、いい香りもするし」
「伽羅と丁子であろ。丁子は重宝するゆえ、われも常にもっておる」
「薫き物は、刑部さんが用意してるんすか」
「あれにはあれのやり方があるであろ、そんな些末なことまで、われは口出しせぬわ」
「へえ」
左近は薄く笑った。
「ホント、刑部さんって、三成様のことなら何でも知ってますよね」
「その程度のこと、三成の近習なら誰でも知っておることよ。われもアレとは、腐れ縁ゆえな」
「あー、いいなァー、もう!」
突然、左近はパタンと濡れ縁に仰向けになった。
「俺、最初会った時、三成様、自分は秀吉様のために死ねるっていってました」
「まあ、太閤に最も忠誠を誓っておるのは、三成なのは事実ゆえ」
「だから俺も、三成様のために死ねる自分になれれば、と思ってたんすけど」
「ヤレ、そろそろ三成に愛想が尽きたか?」
「いや。三成様って、秀吉様のために死ねるけど、刑部さんのためなら、生きられるんだなあって」
吉継はギョッとした。
「やれ、あれがわれに何をしておるというのよ」
「刑部さんのためなら、頑張れるんだな、と思ったら、なんつーか、羨ましくて」
「なんの話かトンとわからぬが、ぬしも三成のために生きるがよかろ。あれは、ぬしの死など、許しはせぬ」
「そう、なんすかね?」
左近はひょいと身を起こした。
「ま、いいや。三成様が幸せなんだったら、俺もいいことづくめなんで、余計なこと考えてないで、精進しまーす!」
言い捨てて、湯殿の方へ走り去ってしまった。
「やれ、いきなり何をいいだすやら」
左近が三成に憧れ以上の気持ちを抱きつつあるのは知っていたが、それを心配するより、「刑部さんのためなら生きられる」という台詞が気になって、三成に探りをいれたくなった。
やれ、ぬしは左近に何を吹き込んでおるのよ、余計なことをいうでない、と。
他の者が知る必要のないことを、軽々しく口にして欲しくない。
たとえそれが、どんなに大事な部下で、あろうとも。

*      *      *

改めて隅々まで愛され、清められ、褥に戻ってくると、再び三成の腕を枕にして、吉継は目を閉じた。
三成のもう片方の腕が、そっと吉継の背中を撫でる。あやすような、いたわるような動きで、吉継はホウ、とため息をついた。
「三成……」
「なんだ」
「ぬし、太閤が死ねというたら、死ぬか」
「死ぬ」
即答だった。
「死ぬか、やはり」
「秀吉様が、そのようなご命令をするとは思えないが、もし命じられるとするなら、ここが命の賭け時だということなのだと思う。だから、それがどんな死地でも赴く。己の使命をまっとうする」
「やれ、道理よな」
もともと、主君が絶対の三成である。与えられた使命であるなら、潔く死すというのは、もののふとして、至極まっとうな心構えだろう。
「では、われがぬしに、死ねというたら、死ぬか」
三成の身体に緊張が走った。
背中を撫でる腕がとまり、一瞬、呼吸すらとまった。
「三成?」
深いため息とともに、三成は言葉を吐き出した。
「……謝る」
「死ねぬ、と謝るのか」
「違う。万が一、貴様が私に、死ね、と暴言を吐くというなら、吐かれるだけのことを、私がしたということだ。なら、私は詫びねばならぬ。ゆるしてもらえるまで、あらゆる方法で謝らねばならない。それでもどうしても許されず、私の命でしか贖えないことであるなら、その時にあらためて、貴様に殺される」
「われが手を汚さねば、駄目か」
「私は刑部なしで生きられぬのだから、ゆるされぬなら同じ事だ」
「さようか」
「あ……」
「どうした、三成?」
「もしかして、何か怒っているのか?」
「いや、われこそ、すまなんだ。どうやら、いらぬ勘ぐりをしたようよ」
「何度でも言うが、私は刑部以外では勃たない。誰がどんなに迫ってこようと、役立たないから、そのことだけは心配不要だ。それとも、どうでもいいことか?」
「あいあい、ようわかった」
吉継は苦笑し、三成の肩口に頬を押しつけた。
ようやく三成は安堵したようで、再び吉継の背を撫ではじめた。
「疲れたろう、よく休め」
「そうよな、今宵はよう眠れそうよ」
「そうか」
三成も目を閉じ、しばらくすると、規則正しい呼吸を聞かせるようになった。
吉継も目を閉じていたが、しばらくは考え込んでいた。
《われが死ねといったら、謝る、か。やれ、なんともぬしらしきことよ》
ひるがえって、もし三成が、自分に「死ね」といったら、どうだろう。
《死ぬ、かもしれぬな》
もし、三成が共に死んでくれという日が来るとしたら、それはおそらく、豊臣の滅ぶ日だろう。どのみち二人とも生きていられぬなら、三成も「豊臣のために死んでくれ」というかもしれない。それ以外の状況が想像できない。
三成は無遠慮な鉄砲玉だと思われているが、その心根は優しく、まっすぐで、弱い者はいたわり、好きな相手には徹底的に尽くす男だ。仇敵以外に「死ね」などというわけもない。
《ほんに、ぬしが、われのために生きられる、というなら……》
病に朽ちかけたこの身体も、せいぜい労ってやらねば、と吉継は思う。
三成にとって、ある意味、主君よりも自分の方が大事だというなら。
《そんなにも、われを……》
そんな風に惚気たというなら、左近も「羨ましい」などと、臆面も無く言うわけだ。
だが。
果たして今の己が、羨ましいと思われるような身であろうか。
《まあ、ぬしの純情を、われだけが味わい尽くしているというなら》
どう考えても面倒を見ているのは吉継の方だが、それもひとつの、幸と呼ぶべきなのかもしれない。
こうして寄り添うことで、寝食を忘れて走り回る三成が、トロトロと眠るというのなら。
《このやせっぽちの男が愛いように思える。不思議よな》
少し身体をずらして、三成の胸に頬を埋め、伽羅の残り香を心地よく思いながら、吉継も眠りに落ち――。

(2014.9脱稿)

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Written by Narihara Akira
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