『教 授』


「みつなり……」
この頃、明け方になると、吉継が三成の肩口に頭を押しつけてくる。
あまりに可憐な甘え方で、三成はその背中をそっと抱き寄せる。
そうすると、さらに吉継がぴったりと身を寄せてきて、三成はたまらない気持ちになる。
何よりも愛しい者が、己を求めてくれる喜び。
だが、己の肌を寄り添わせながらも、三成はかすかな苛立ちを感じている。
《刑部、どうして……いや、気にする私がおかしいのだ……だが》
こんな逡巡は、らしくない。
三成は直情径行の男である。
気になることがあるなら訊く。それが一番物事をこじらせないことも知っている。
だが、吉継が掠れた声で三成の名を呼び続け、三成の愛撫に溺れる姿を見ていると、自分がいかにも愚かに思われて、どうしても訊けない。
それゆえ、終わった後、つまらぬ疑念が深まっていく。
訊くほどのことではないのだと、己の心をねじ伏せようとすればするほど、いけない。
《刑部を疑っているわけではない、のに》
三成は目を閉じて、心の内で呟く。
《そう、明日にでも、さりげなく訊けばいい……たいしたことでは、ないのだから……》
そして、吉継をさらに優しく抱きしめて――。

*      *      *

「さて、そろそろ孫子も畳みどきかの」
黄昏どき、吉継が本を閉じ、兵法の講義を終えると、左近はハァ、とため息をついた。
「なんか、あらためて読み直すと、孫子の兵法って不思議っスね」
「何がよ」
「兵法書なのに、どうしたら、いくさをしないですむかとか、そういう前書きがめっちゃ長いじゃないすか。あと、敵軍の食糧をどうやって自軍が奪取するかとか、ぱっと見、セコい話が多いっスよね」
「いや、兵站はいくさの要よ。敵を飢えさせ、自軍を消耗させないのは兵法の基本であろ。賢人も得意とするところよ。そして三成は、兵站に関しては豊臣で右に出るものがない」
「そうなんすか!」
「三成は苛烈な男だが、石田軍の者はみな、三成を好いておろ?」
「ハイ。三成様、めっちゃ慕われてますね」
「なぜだか、わかるか」
「えっ。強いから、っすか?」
「三成は物惜しみをする。人の命もよ。口では豊臣のために死ねというが、実際、三成の率いる部隊が、常に人死にが一番少ないのよ。斬り死にはともかく、飢えて弱ることなど、まずありえぬ。それも習い性で、ほとんど無意識にやっておるようだがな。つまりどんな死にたがりも、無駄死は厭だから、三成のもとに集うのよ」
「そっかー。三成様って、優しいんすね」
「それを優しいと呼ぶかはともかく、軍の者が三成の無事を案ずるのは、どんな困難ないくさばでも、かならず血路を開いてくれると、信頼しておるというのもあろうな」
「そっすねー。相手はたまったもんじゃないっすけど」
「三成は、殲滅戦も得手ゆえな」
「しかも、めっちゃ速い」
「兵糧攻めは時間がかかる。新興の豊臣では各地で繰り広げられるものではない。三成は無駄を嫌う。時をも惜しむということよ」
「ハァー、やっぱ三成様って、ほんと、すごいっスねえ」
吉継はすっかり暗くなった障子の外に目をやり、
「やれ、そろそろ夕餉にするか」
「あ、今日もご相伴にあずかっていいんスか」
「ぬしの食いっぷりを見ておると、こちらも食がすすむわ」
「やーりぃ! 刑部さんとこって、朝餉も夕餉も、めっちゃウマいんすよね」
「食が細い三成のために、太閤が腕のある者を揃えたからな。自然、ここもそうなる」
「さすが、秀吉様の覚えめでたき、ってことっすね」
「さて、膳を運ばせよ。誰か」
そう吉継が声をあげた時、ひどく細い男の影が、部屋に落ちた。
「私もここで、すませてよいか」
左近がサッと立ち上がった。
「あっ、三成様! 今日は、お早いお帰りで」
駆け寄っていくと三成はうなずいて、
「思っていたより速やかに用事がすんだ。今日は兵法の講義の日だったか」
「ハイ、もうじき孫子が終わります」
「では、そろそろ止め時だな。刑部はそう暇ではない」
「そっスねー。刑部さんに教えてもらうと、よくわかりますけど、あんまり甘えてちゃあ、いけませんよね。じゃ」
「どこへ行く」
「せっかく早く帰ってこられたんですから、お二人でごゆっくり。俺はお邪魔なんで、帰りますよ。明日も早いし」
「そうか。では早く休め」
「ハイッ!」
左近は元気よく返事をすると、パッと部屋を飛び出して行った。
「……騒々しい男だ」
三成はそう呟くと、吉継の前に腰を下ろした。
小姓が二人分の膳を捧げもってきたので、三成は「そこに置いておけ」と命じた。
下がらせてから、自分で膳を運び、吉継と自分の前に置く。
そして、汁椀から口をつけはじめた。
二人は黙って夕餉をしたためた。
あらかた食べ終えたところで、吉継は薄笑いを浮かべて呟いた。
「……やれ、ぬしらしゅうもない」
「何がだ」
「左近とわれのやりとりを、小半時ほど、隣で聞いておったろう」
三成は箸を置いた。
「気づいていたのか」
「己の城にあって、ぬしの足音が聞き分けられぬようでは、副将など務まらぬわ」
「そうだな」
「で、何がそんなに気にかかるのよ。盗み聞きをするようでは、左近の勉学の進捗ではあるまい」
「ああ。だいたい、あれが兵法をきいてくるのは、私に話しかけたいだけで、何もわかっていないわけではないからな」
吉継はため息をついた。
「わかっていて、賢人に教えを乞え、とゆうたのか」
「半兵衛様に厳しく仕込んでもらえば、浮ついた態度が少しでも改まると思ったのだ」
「ぬしはひどい男よなァ。賢人をなんだと思うておる」
「だが実際、以前よりずっとよくなった。なまじ技量があると、いざという時、力押しで切り抜けてしまうからな。場を見る力がない者に、先陣を切らせることはできない。半兵衛様なら、それを細やかに教えてくださるだろうと」
「やれ、ぬしはそんなに左近が可愛いか」
「本当に、そう思うか」
三成は目を伏せた。
「私がなぜ、隣できいていたと思う」
「わからぬから、きいておる」
「わからぬか。それならいい」
「よくなかろうが」
「貴様は左近と、仲がいい」
吉継は首を傾げた。
「それは、あまり優しくせぬように、ということか?」
三成は首をふった。
「左近は勝手に貴様に近づいた。二人で私の知らない話をしている。閨でも左近の名前が頻繁に出る。それは、仲がいい、というだろう」
吉継は苦笑して、
「いったい、何を、いまさら、な」
「刑部」
三成は膝を揃えると、真剣な顔で身を乗り出した。
「貴様の小姓が噂しているのだ。左近が貴様に、コナをかけたと」
吉継は、思わず、ハァ?と声を出しそうになった。
「左近が、われに?」
誰がそんな噂を、といいかけて、吉継は気づいた。
あれか。あれのことか。
《余計なことまで、考えちゃうんで。もしかして、その……刑部さん、俺の事、少しはって……期待しろってことかなーって》
まあ、コナをかけられたというなら、そうなのだろう。
吉継が口元を微妙に歪ませたので、三成はさらに詰め寄った。
「おそらく左近の冗談だとは思った。なんでもないから、刑部も私に何もいわないのだと。だが、貴様がそんな顔をするということは、本当に言い寄ったのか」
吉継はため息で応えた。
「言い寄られたわけではない」
「でも、何かあったか」
吉継は、正直にいうことにした。
「あまり親身になってくれるな、というておった。憐れみのようで、厭だとな」
「そんなにシンミリした男か。先ほども、二人で歓談していたではないか」
「あれとぬしの話をするのは面白い。あれはぬしを、わかっているようでわかっておらぬ。それでもぬしが好きなのよ。いじらしいことよなァ」
「どうしても貴様は、左近をかばうな」
「かばってなどおらぬ。ゆえに、ぬしが妬いてみせるのが意外なのよ」
「私は別に、嫉妬しているわけでは」
「そうであろ、そうであろ。ぬしは妬く必要はなし、われにも後ろ暗いところなど何もなし。それでよかろ」
「何も、ないのだな」
「ない」
「不埒なことを、されていないな?」
「何が悲しゅうて、あれにこの肌を許さねばならぬ」
「あれが好きではないな?」
「まあ、嫌いではないが」
「刑部!」
「よくわからぬが、なぜ、そこまで気にするのよ」
「それは……」
三成はふっと目をそらした。
「ここのところ、私に抱かれながら、何か別のことを考えていたろう」
今度こそ、吉継はドキリとした。
三成と左近の間に、何もないことを知っていながら、それでも左近を意識しているらしい様子が、小さな棘のように吉継の心を刺していた。新参の若者にこんなに期待している姿を見るのは初めてだったし、三成は実は美形好みだ。左近とならいつどこで寝ようが、誰にもとめられない。武将が、いくさばにともなう若者と合意の上で寝るのは、この時代においては、ごく普通のことだ。むしろ病身の同僚と肌を重ねることの方が、よほどおかしいのだ。
「……何も、ないわ」
吉継が即答せず顔を背けたので、三成は己の腕の中に、吉継をさらいこんだ。
「ある。何千回、貴様と寝たと思っている。いくら鈍な私でも、貴様が私だけを思ってくれているか、うわの空でいるかぐらい、わかる」
「三成」
吉継の瞳に、熱いものがもりあがった。
「ぬし、だけよ。ぬしのことしか、思うておらぬ」
瞬きをすると、そのまま目の縁から溢れる。本音もこぼれる。
「ぬしを疑うておるわけではない。妬いておるわけでもない。だが、われの見ていないところで、ぬしと左近がどれだけ親しく交わっているかと、余計なことを考えてしまうのよ。いずれこの身も、いくさばに出られなくなるかと思うと……」
寂しかったのよ、という言葉を口にする前に、三成にくちびるを吸われていた。抱きしめられ、押し倒され、しばらく無言でもつれ合った。
「刑部」
三成の瞳も潤んでいた。
「すまない。なんと私は、つまらないことを……!」
「いや、われの方が今更よ。よほど詰まらぬ感傷よ」
すでに着物は乱れきっており、もうすっかり陽も落ちた。
することはもう、ひとつしかなかった。


《三成、三成、三成、三成、三成三成三成、みつなりぃ……!》
腰を抱え込まれ、激しく突かれながら、吉継は短い喘ぎを繰り返していた。
余計なことはいっさい考えず、三成が与えてくれる快楽に溺れていさえすればよいということが、頭の芯を痺れさせる。
《三成は、こんなにもわれに夢中よ。これはわれだけのもの。われだけの三成》
出会ったばかりの頃の三成は、まだまだ可愛らしかった。一途で素直な小姓で、最初から吉継に好意をもっていた。熱心に求愛してきて、拒否しきれず、あっという間に公認の仲になった。
年下の男に甘えるわけにもいかず、閨では常に自分が導く立場で、学問上もそうであったはずなのに、いつの間にか三成はさまざまな技量を身につけ、主君の左腕を名乗るまでになった。それにひきかえ、病の自分は公の場に出られないことも多くなり、三成の隣に並ぶことさえ、引け目を感じるようになっていた。三成だけは吉継がどうなろうと、若い頃と変わらず誠実に接してくるのに、勝手に屈託していた。手の届かぬ煌星になったと、ひがむようになっていた。
だが、その三成さえも、たとえば左近の若さや人なつこさに脅威を感じ、愛しい者を奪われる可能性を思うと、礼節も忘れて立ち聞きまでするのだ。その、人間らしさ。
ほっとする。
変わらず想ってくれる三成が、愛おしい。
二人きりの今なら、甘えられる。
「みつなり、もっと」
「ああ。もっとだ」
身体の向きを変え、違う場所を刺激しながら、三成の声も蕩けている。
「刑部。いい。たまらなくいい。私の、私の刑部……!」


互いの肌をたっぷり堪能してから、湯屋へ行く。
吉継の身体を清めながら、三成は実に幸せそうな顔をしている。頬もツヤツヤとしている。いっさいの憂いが消えている。
「ぬし、やけに嬉しそうよな」
「おかしいか?」
「おかしくはないが」
「刑部。一つ訊いてもいいか」
「なんぞ」
「貴様が左近と話していた時、しきりに私を誉めていたが、隣にいるとわかっていたから、あのような言い方をしたのか」
吉継は笑った。
「いや。いつも通りよ」
「左近は気づいていたのか?」
「さあ、それはわからぬが、どちらにせよ、常のとおりよ」
「そうか」
三成は吉継の身体に、静かに湯をかける。
「左近の出来を誉めるぐらいなら、刑部も私に教えろ」
吉継は目を丸くして、
「今さらぬしに、教える兵法などないわ」
「兵法ではない」
「今のわれが、ぬしに教えられることなど」
「だから、世辞でなく、本当は私をどう思っている」
「そうよなァ」
三成の瞳をじっとのぞきこむと、
「今のぬしのような蕩け顔を、われの前でだけ見たい」
三成は頬を引き締めた。
「そ、そんなに私はだらしなく笑っていたか」
「それでよいのよ。われが閨でも取り澄ましたままでよいのか、ぬしは?」
「それは」
「ようわかった」
吉継は三成の肩に腕をかけ、そっと顔を近づけた。
「いくらでも教えてやろ。ぬしがどんなにみっともない男か」
「刑部」
「それでも、われはな……」
ぬしが好きよ、という言葉を封じて、くちづけた。

(2014.10脱稿)

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Written by Narihara Akira
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