『雲間月』


「刑部」
三成の腕の中は、落ち着く。
抱きしめられて目を閉じると、優しく口を吸われる。
されるままになっていると、三成は顔の角度を変えて、もっと深く口唇を重ねた。
吉継の好きな、魂を吹き込まれるような口づけだ。
互いの舌を食べてしまうような激しい口づけも好きなのだが、これが一番好ましい。
顔が離れると、吉継は目を細めて三成を見つめた。
「ん、どうした」
「この屋敷は、ずいぶんと明るいの」
「厭か」
「そうではないが、月明かりが随分と、まぶしゅうてな」
目の前の三成がひどく眩しく見えるのは、その髪の色のせいか、それとも満月だからか。
「私は、貴様がよく見えて嬉しい」
「左様か」
「羞じらう様も、可憐で好ましい。だが、あまり明るいのが厭なら、天窓を閉じるか」
吉継は首をふった。
「今さらぬしに、隠すことなどないわ」


その夜の三成は丁寧で、というか執拗で、吉継はその身をのたうたせた。
「愛しい……刑部……もっと欲しい」
三成の腕の中で、よがりくるうのが恥ずかしくて、さらに感じてしまう。
明るい閨が恨めしいような気もするが、自分を慈しむ三成の顔と、その裸身の美しさをずっと見ていたくもある。
すっかりよくなって、三成の胸に顔を埋めると、再び抱きしめられる。
「朝まで、こうしていたい」
「ん」
互いの身体がしっくり馴染むように、吉継は身を寄り添わす。
「ここから登城するがよかろ」
「いいのか」
「朝餉も、ともにすればよい」
「そうだな」
三成は吉継の背中を撫でながら、小さく呟いた。
「ほんとうなら、一緒に暮らしても、かまわない、はずだな……」
三成は満足げに目を閉じた。
だが、吉継はなぜか、いつまでも三成の腕の中で目を開けていた。


翌日、登城した後、吉継は竹中半兵衛を急ぎ探した。
天主のてっぺんで帳面を繰っていた半兵衛は、笑顔で吉継を迎えた。
「やあ、新しい屋敷はどうだい、大谷君」
「その件については、礼をいわねばならぬようで」
吉継は慇懃に答えた。
「われの下屋敷が、またたきの間に三成の隣になろうとは。賢人の一夜城の伝説は健在かと、改めて感じ入った次第」
湯屋の様子から物の位置まで、そっくり移動されたような再現ぶりで、空いた屋敷に仮に入れという命令だと思ってやってきた吉継は、本気で驚いた。
元の下屋敷と違うのは、川に近い立地と、天窓があることぐらいだった。
星見を好む吉継にとって、それは困ることでもなく。
「いいんだよ。君の下屋敷は大坂城から離れすぎてたからね。君には三成君を御する役目があるんだ、隣ぐらいでいいじゃないか。不都合があったら、何でもいってくれたまえ」
「それでは、ここで言うても、よろしいか」
吉継の声は硬く、半兵衛の顔から微笑が消えた。
「何かあったの? 三成君、どうかした?」
吉継はじっと、半兵衛の瞳を見つめる。
「なに、あの三成が、黙っておることを覚えるとは、と……」
半兵衛も吉継を見つめ返した。
「なにをいってるのかな、大谷君?」

*      *      *

今朝も三成は優しかった。
目覚めて身を起こすと、三成は吉継の額に口づけて、
「よく眠っていたな。慣れぬ屋敷で、疲れていないか」
「いや」
吉継は三成の背中に腕を回した。
「ぬしが優しゅうて、何も辛いことはない」
「そうか」
三成も吉継の背中に腕を回しながら、
「私は刑部が、こうしてくれるのが好きだ」
「ん?」
「私を抱き寄せてくれるのが、嬉しい」
「みつなり……」
優しく口を吸われて、トロンと目を潤ませた吉継に、三成は、
「朝餉の前に、もういちど食べたいくらいだ」
「そ、それは」
「わかっている。今日は早く帰って、ここへ来るから」
「ん」
「待っていて、くれるか」
コクンとうなずいてしまって、吉継は思わず目をそらした。
「そろそろ朝餉をすませねば」
「そうだな」
吉継の腰に掌を添える。
「登城も、一緒に、で、いいか……?」
その温かさに、強烈に三成の胸に甘えたくなった。
ようやく踏みとどまったのは、そんなしおらしい自分を知られたくなかったのと、三成のいたわりや、いつも以上に甘い言葉の出所が、竹中半兵衛の入れ知恵としか思えなかったためで――。

*      *      *

半兵衛は桜色のくちびるに、ふたたび薄い笑みを浮かべた。
「大谷君が何を疑ってるのかわからないけど、僕がしたのは配置換えだけだよ。理由は、さっきいった通りさ。だいたい、三成君が、君に嘘をつけると思ってるの?」
吉継は首をふった。
「それでも、黙っておるぐらいの智恵を授けることは、賢人には、いともたやすきこと」
ある朝、三成が吉継と朝寝をした。
その時はなんとも嬉しくて、じっと肌を寄り添わせていたが、あの真面目な三成が、許可なく登城しないわけもない。
つまり、二人とも休む許しを、あらかじめ半兵衛から得ていたのだ。
それをいわなかったのは、色気のない話だからで、つまり三成は、そういう智恵がまわるようになっているのだ。いや、おそらく、そこまで半兵衛に教わっているのだろう。
「なんだ、信用ないんだなあ。君に僕が嘘をついて、なにかいいことがあるの?」
吉継が疑わしげに目をぎょろりと動かすと、半兵衛は面白そうに笑って、
「それとも焼き餅? 三成君には、なんでも全部、打ち明けて欲しい? 知らないところで、われの佐吉がって思うだけで、不愉快かな?」
吉継の肩に掌を置いて、
「三成君はまだ幼いところも多いけど、大切な人のためになら頑張れる子だよ。信じてあげてよ。君が信じてあげないと、おかしくなっちゃうよ、きっと?」
吉継はうなずくしかなく、つまり、天主から去るしかなかった。


書庫での調べ物にも身が入らず、外の空気を吸いにでてきたところだった。
「あーっ、刑部さん!」
左近がフラフラと近づいてきた。
その気配に気づかないほど、吉継は上の空だった自分に驚いた。
「いやー、三成様、今日はホント機嫌よくって、ありがたいっす! 隊の訓練も昼で切り上げで。もちろん、指導はキッチリやってくれてますけどね!」
「左様か」
あれっ、と左近は首を傾げた。
「どうしたんすか、刑部さん? なんでそんな暗いんス?」
吉継は薄笑った。
「闇をまとうておるのは、いつものことよ」
「そういう話じゃなくて、なんで三成様はあんな嬉しそうなのに、刑部さんは浮かない顔なんすか?」
「三成が、嬉しそう?」
「そりゃあ、嬉しいにきまってるっしょ! だって刑部さん、昨日、お隣に引っ越してきたんすよね。そしたら、これからずっと一緒みたいなもんでしょう……あ、もしかして三成様、舞い上がりすぎて、アレがアレすぎちゃったってことっすか?」
吉継は苦笑した。
「知っておろ。三成は閨では、世の夫の見本のような、礼儀正しき男よ」
「そっすよねー、三成様って、けっこう紳士っすよねー。手技は凄そうですけど。あれっ、じゃあ刑部さん、何で不機嫌なんすか? 優しすぎて物足んなかったとか……テッ!」
吉継は思わず、左近の後頭部を数珠ではたいていた。
「明るいうちから、艶話をするでない!」
「ってぇぇぇーーーー! 本気で殴んないでくださいよ!」
頭をさすりながら左近はため息をつき、
「いや、本気の刑部さんだったら、死んでるか……」
「よいか左近、三成がどうであろうと、われはいつもどおりよ。詮索されるようなことは、なにもない」
「そっすか。ただ、俺は三成様の部下っすから、ひとつだけ、いってもいいっすか」
「艶話ならきかぬ」
左近は頭を掻いて、
「えっとー。三成様が心から信じてるのは、刑部さん、だけなんで」
「左様なことはあるまい」
すかさず否定する吉継に、左近は首をふった。
「ほんと、刑部さんだけなんで、三成様のこと、くれぐれもよろしくお願いしまっす!」
ぺこりと頭を下げると、左近はパッと走り出した。
余計なことをいって、さらに吉継に殴られるのは本意でないだろう。
「やれ、あらためていわれずとも、三成の面倒をまともに見られるのは、われぐらいのものであろ」
吉継も輿をひるがえした。仕事に専念できないのなら、新しい下屋敷を整える方がいいと判断したのだ。
そう、われは三成の面倒を見るために、隣に寄せられただけのこと。
三成が賢人と何を話していようと、それが変わるわけでもなく――。


湯をすませ、早めの夕餉を準備させていると、三成がやってきた。
三成も身を清めてきたらしく、まだ髪がうっすら濡れていた。そんなところも艶めかしくうつって、吉継は顔を背けた。
「早すぎたか」
「いや。もう、膳の支度もできておるゆえ」
「そうか」
三成は腰を下ろした。
「夕餉の前に、少しだけ」
「あ」
腕の中にさらいこまれ、口唇を奪われて、吉継は身を硬くした。
三成が、明るいうちから、こんな無体を……。
吉継の反応に気づいたか、三成は身体を離した。
「すまない、せくことはなかったな」
「誰か見るであろ」
「そうだな。見せぬ方がいい」
二人は、うつむいたまま夕餉をしたためた。
少食の二人ゆえ、普段からそう進まないのだが、本来的には、いくさが仕事の武将としては、通常の食事は早くすませるべきものだ。
三成が先に箸を置いた。
「馳走になった」
「病人用ゆえ、味より滋養なのだがな、ぬしにはそれもよかろ」
吉継も箸を置き、膳をさげさせた。
三成はすっと立ち上がった。
「口をゆすいでくる」
「場所がわかるか」
「前の屋敷と同じだろう。刑部も行くか」
「われは水をもってこさすゆえ、ぬしだけでいってまいれ」
「そうか」
「閨で待っておる」
「わかった」
三成は迷わず出て行く。勝手知ったる他人の城とでもいうように。
吉継は小姓に手伝わせて、純白の夜着に着替え、閨までゆく。
すこし雲が出ているが、今日も早いうちから、月が明るい。
障子越しでも問題ないほどなので、吉継は天窓を閉めさせた。
夜の冷たい空気は、病の身に障る。
そんな言い訳をもぐもぐと呟きながら、吉継は薄闇の中、敷かれた布団の上にあぐらをかいて、三成を待った。
障子の前に、見慣れた影が立つ。
「すまない、遅くなった。入るぞ」
「ぬしの、好きに」
すっと開けて、三成が入ってくる。
いつもの藤いろの夜着姿だ。もしかして一度、自分の城に帰って支度してきたのかもしれない。もしくは、もってこさせたか。
「ここも急ごしらえゆえ、ぬしにあうものがなかったか。ぬしの寝着を、いくつかこの城にも置いておくとよいな」
吉継が苦笑すると、三成は吉継の前に膝をついた。
「刑部。二人きりになったのだから、そろそろ教えてくれ。昨日から何を怒っている?」
吉継は目を瞬いた。
「何も、怒ってなど」
「私のお守りに、疲れたか」
「われの勤めのようなものよ。ぬしが気にすることはない」
「やはり怒っているではないか。なぜ隠す」
吉継は目を伏せた。
「隠しておったのは、ぬしの方であろ」
「私が?」
「われの屋敷替えを黙っておった。ぬしは、あらかじめ知っておったのであろ」
「半兵衛様がしようとおっしゃっていたが、こんなにすぐとは知らなかった。ここらは川風があたるから、屋敷にいろいろ、手当ても必要だろうし……あ」
三成はやっと気づいたようだった。
「半兵衛様は、あらかじめ刑部に、何も知らせていなかったのか」
「驚かせようとしたのであろ。賢人の手にかかれば、そのような手当て、一夜もかからぬゆえな。われはただ、この屋敷が空になっておるから、入れといわれただけよ」
「そうか。知らなかった、のか、刑部」
その驚きに嘘はなさそうで、吉継の奥に沈んでいた重い塊は、一瞬にして消えた。
三成は首をふり、
「いや、すぐに刑部のところに飛んできて、私からいうべきだったのだ。半兵衛様がはからってくださるらしい、そうなれば、私も嬉しい、と」
「いや、そこまでは」
吉継は思わず三成に身を寄せ、
「なんでも思ったことを、その場でいえばいいというわけでもない、時には色気のないことよ」
「いや、騙しているつもりもなかったのに、隠し事と思われるぐらいなら、色気など要るものか。だいたい、私に色気など……」
「三成」
吉継は三成の頬に触れ、黙らせるように口唇を吸った。
顔を離すと、吉継は微笑んだ。
「昨夜のぬしは、常にもまして、艶めいておった。われがここへ来たのが嬉しくて、それでぬしのありったけで、われに尽くしてくれたのであろ」
「刑部」
「今さら、ぬしの新妻になったようであった。ぬしが触れるたび、この身が震えて……」
「もっと、触れて、欲しいのだな?」
「われの勤めは、ぬしの相手よ」
「勤めか」
三成は目を細めた。
「せめて閨では、守りなどさせたくないのだが、勤めというなら、受け止めてくれるか」
「あ」
三成は吉継の脚を押し開き、己のもので深く犯した。
その熱さ硬さに、吉継は苦痛ではなく、満足の喘ぎを洩らした。
「ああ、このように心地よき勤めならば、いくらでも」
秘孔でゆるく締めつけ、己の腰を揺らしながら、吉継は三成のもたらす肉の喜びに浸った。
雑念のせいで、没頭しきれなかった昨夜のぶんを、取り戻そうとするかのように。
大きく腰を回しながら、三成は吉継の奥を突く。
「よいか、刑部」
「ヨイ」
「勤めだから、抱かれるのか」
吉継は首をふった。
「ぬし、だからよ」
「刑部」
吉継は腰をひねりながら、
「ぬしのいうこと、ぬしのすること、何ひとつ偽りはないゆえ、この、ぬしの熱さは、そのままぬしの、心持ちであろ。やれ、嬉しや」
「ああ」
三成は吉継を更に深く犯しながら、
「ゆるして、くれるのか」
「ゆるすも、ゆるさぬも」
「私だから、よいのだな?」
「よい。たまらぬ」
三成の首を抱き寄せながら、
「みつなり、もっと」
「私のことが……」
口の形だけで、好きか、と問いかけた三成の頬を、吉継は掌で包んだ。
今さら気づいたが、三成は吉継と、本当は一緒に住みたかったのだ。
しかし互いに一国一城の主であり、それぞれの家臣もいるわけで、下屋敷をひとつにするのは難しい。
それでも隣にしてもらえて、三成は心の底から嬉しかった。
そして、何より、吉継にも喜んで欲しかったのだ。
いじらしいことだ。
「ぬしは、われを、信ずるか」
「疑う余地などない」
三成の腰に腕を回し、さらに引き寄せながら、囁いた。
「われも、ぬしを疑わぬ。心を曇らせてしまっては、せっかくの純心を見失ってしまう」
「刑部」
「ぬし、われに抱きしめてもらいたいのであろ?」
ふっと三成の瞳が潤んだ。
「ああ。私には、貴様がいないと……」
賢人はいった。われがおらぬと三成はおかしくなると。
左近はいった。三成が心から信じておるのは、われだけ、と。
「われもよ。われも同じよ」


飽くことなく腕も脚もからませあい、喜びに溺れる二人を、今宵も雲間からのぞいた月が、そっと照らしている――。

(2014.6脱稿)

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Written by Narihara Akira
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