『騎 乗』


「大谷様の噂をきいたか?」
「笠取山に籠もって、怪しい修験者を呼び寄せているというな」
「山頂の霊場で、奇怪な術を操るのを見たというものがいる」
「大がかりな争乱を企んでいるという話もあるぞ。ままならぬ我が身に世を呪い、修行で身につけたその術で、あまたの人を殺……」
雑兵たちは、ひょろりと痩せた男の気配に気づかなかった。
気づいていれば、そんな物騒な台詞を口にするはずもない。
全員、瞬時に殴り倒されていた。
「刑部がそんな、愚かな男と思うのか!」
「三成様……!」
鬼の形相で見下ろす三成に、反論するほど愚かな者はいなかった。
「刑部より義を知る者などいない。皮肉はいうが口先だけだ。豊臣がひのもとを統一せんとする時に、それを乱すことなど、考えるわけもないだろう!」
「もうしわけ、ございません!」
「いいか、二度とくだらん噂話をするな。私の前だけでない、誰の前でもだ。刑部について一言でも余計なことをいう輩は、殴るだけではすません。志の低い兵は、豊臣には必要ないからな!」
みな震え上がった。
無銘刀の錆になりたい者などいるわけもない。
逃げるようにその場を去る雑兵たちの背をにらんでいた三成の冷たい瞳が、ふとその力を弱めた。
「あのような者どもに、こうまで苛立つのも無様なことだ。貴様が知ったら笑うか、それとも私を叱るか、刑部?」

大谷刑部吉継は、二ヶ月ほど前から、醍醐寺の宿坊で療養生活を送っている。
先日、馬で遠乗りにでて、鞍を血膿で濡らして戻ったからだ。
病で爛れた腿が、長時間の騎乗に耐えられなかったのである。
手当てをしながら御典医が「馬術はもう、お諦めを」といった。鞍を挟む脚の力も弱ってきている。馬で移動すること自体が危ないというのだ。そろそろ杖を使い始めるべきだとも。
武芸百般などというが、武将にとって馬で移動できないのは致命的である。
胸を患っている竹中半兵衛ですら、馬でひのもとを駈けまわっている。
軍の指揮をとる際、戦場の全体を見渡すことが肝要で、臨機応変に動くことが必要だからだ。いざという時に早駆けができないということは、即、死につながる。
しかも吉継は、視力そのものも落ちてきている。
すなわち今の彼は、軍師以下の働きしかできないのだ。
「三成よ。しばらくひとりにしてはくれぬか。すこしこの身を、いとうてやりたい」
吉継からそう打ち明けられた時、三成は返す言葉がなかった。
今でも肌を重ねている三成は、吉継の弱り具合を、一番よくわかっている。
病を得てからは、以前のように頻繁に袖をひかれることもなくなったらしく、つまり三成の求めに前よりも応じてくれるようになったのだが、快楽を感じているか不安になるほど、反応も鈍くなってきている。身体の自由がきかなくなってきたせいか、三成が膏薬を塗るのを手伝っても厭がらなくなり、むしろ甘えるような仕草を見せたりもする。その信頼が嬉しい半面、吉継の矜恃を知っている三成としては、ひとりで不治の病と闘う辛さが伝わってきて、胸が詰まってしまう夜もある。
できることなら、いたわりたい。
その身をあたため、ゆっくりと休ませたい。
そう思っていた矢先に、この療養宣言である。
黙って行かせるしかなかった。
板輿で運ばれていく友人を見送った三成は、己が身を切られるよりも辛い思いをしたが、それを理解できたのは秀吉と半兵衛ぐらいのもので、彼らですら、その夜の三成の涙を慰めえる言葉を、もたなかった。

「秀吉様」
「どうした、三成」
真剣な面持ちで御前に進みでた三成は、きっちり膝を揃えると、低く頭を垂れた。
「私に、刑部の見舞いへゆく、許可を……」
顔を伏せたままの三成に、秀吉は静かな声をかけた。
「われの許しをえる必要の、ないことよ」
「秀吉様の元を離れねばなりません」
「醍醐寺にいるのだ、さして離れてはおらぬではないか。半日もあれば、馬で麓までゆけるであろう」
秀吉が改築し、美しく整えて、花見ができるようにした歴史ある寺である。
吉継は、その花見の席を遠慮するほど病が進み、日頃から面か頭巾で、顔を覆うようになっていた。
その醍醐寺がある笠取山頂上付近に、上醍醐とよびならわされる立派な別寺がある。
薬師などがいるわけではないが、宿坊では精進料理がでる。厳しい軍務を休み、湧き水と素朴な食で身を清め、規則正しい生活を送れるのだ。
吉継は優れた武将であったからこそ、口さがない者のくだらぬ噂に、その誇りをひどく傷つけられていた。僧の修行場を選んでいったのは、身を休めるというより、騒々しい俗世を離れて心を落ち着かせようとしているのだろうと、三成は思っている。
「秀吉様。ひとこと、ゆるす、といってはいただけないのでしょうか」
「では訊こう。いったい何をためらっておるのだ、三成」
「ためらっているわけでは」
「ならば、今すぐゆけ。豊臣に長年尽くしてきた朋輩の見舞いに行くのに、ゆるしも理由もいらぬであろう。出立の日さえ知らせてゆけば、誰も咎めぬ。むしろ、様子を見にゆく頃合いだ。迷うことなど、ひとつもあるまい」
「それでは本日のうちに仕度し、明日早朝、醍醐寺へ参ります」
「そうせよ。むしろ、我は心配していたのだ」
三成は顔をあげた。澄んだ瞳にきょとんと見上げられ、秀吉は嘆息した。
「このところ、顔色がすぐれぬようだな。共にしばらく、身を休めてきてもよいのだぞ」
「いえ、私は」
「そうか。ならばこれからは冷え込む時期だ。吉継の様子が落ち着いておれば、山に雪が降る前に、こちらに連れかえせ」
「秀吉様! お心遣い、ありがとうございます!」
三成の頬に血のいろが差した。すっくと立ち上がると、急ぎ退出していった。
秀吉は目を細めてそれを見送った。
「若いというのは、佳きものよ。なんとも熱い血よ」

三成の俊足はそれこそ馬いらずで、醍醐寺から続く険しい山道も、さして苦もなくわけいっていった。もし連れ帰れそうなら、その場で吉継を背負ってでも、と考えているので、余計な荷物ももってきていないし、供も馬も麓へ置いてきた。
山頂近くまでくると、空気がみずみずしく甘かった。白い飛沫をあげて落ちる滝のせいだ。友の胸が清々しく潤っていればよいと思いながら、三成は寺へ向かう。
「刑部はどこにいる!」
門の近くにいた法衣姿の修行僧が、静かに応えた。
「奥にある小さな宿坊で、休んでおられませぬか」
「いないから訊いている」
「それでは近くを散策されておられるのでしょう」
「散策?」
「いずれ戻られます。石田三成様であれば、お会いになるでしょう」
「貴様、なぜ私の名を知っている」
「めったな者は、追い返せと」
三成は頬を赤らめた。刑部が自分の名だけを知らせていたのだと気づいて、なんともいえない心地がしたのだ。
「わかった。自分で探す」
三成は外へ出た。吉継の膏薬の匂いを憶えている。緑深い山の香気にすっかり消されていなければ、追えるのではないかと思う。
そうして歩き出したが、結局三成は、元の宿坊へ戻ってきてしまった。
「刑部、そこにいるのか!」
「やれ、その声は三成か。よくぞ来た。面白いものを見せてやろ」
懐かしい声をきいた瞬間、三成は坊へ飛び込んだ。
「刑部!」
三成は、幼馴染みの姿をそこに見た。
病んだ全身に膏薬を塗り、白い細布でいましめ、頬を隠す面頬ほか、最低限の小具足をつけた友の姿を。
そして、なぜか、宙に浮いていた。
板輿の上、結跏趺坐で背筋をのばし、呼吸を整えている。
そのまわりを、大きな八つの数珠が、円を描くように舞っていた。
雑兵どもが噂していた怪しい術とはこのことか、と三成は即座に理解した。
「何かが欠けると、何かを得るなどというがな、病がすすみ、われもついに、人でない者になったわ」
「違う! 貴様は人だ。修行を積んだだけのことだろう!」
修験者や山伏と呼ばれる行者たちが、厳しい行の結果、空中浮遊の業を身につけるという話は三成もきいたことがある。
「やれ、まだ山伏ほどの力はない。ただ、板輿の上だと、こうして安定するようでな。まだ御しきれぬが、数珠の力を借りれば、馬並みの速さもだせるようになった」
吉継のその台詞に、三成は泣き出しそうになった。
なんと、切ない。
動くのもつらいはずなのに、馬に乗れぬ身を補おうと、そこまで思い詰めているのか。
武将としての矜恃が、吉継にそこまでさせているのかと思うと胸が苦しく、抱きしめたいと強く願いながらも、愛しすぎるあまり、動けない。
「ぬしは驚きもせぬようだな」
「動けるのなら、よいではないか」
三成は涙をこらえて、かっと目を見開き、
「先日の腿の傷は、癒えたのか」
「むろんよ」
「ならいい。その輿は降ろせるのか」
吉継は、すうっと輿を床へ降ろした。
「ほれ、この通りよ」
「輿からは降りられるのだな」
「乗ったままでは、用が足せぬであろ」
「立てるのか」
「まだ立てる。このまま寝たり、飯を食らったりするわけもなし」
「そうか」
ついに三成の頬を、ツッと涙が滑り落ちた。
「私は、なんと……あさましいッ!」
次の瞬間、吉継の身体はふわりと宙を舞い、三成の身を抱きしめた。
「やれ、どうした、泣くでない」
吉継はあやすように、三成の背を撫でた。
三成の方が背が高いが、どう見ても吉継が保護者の趣きである。
その証拠に、吉継が口に出さずにいた思いは。
《とっさに抱いてしもうたが、この力は清浄な暮らしと修行で身につけたもの、こうして三成に触れると、悟りも含めて、すべて失うかもしれぬなァ。だが俊足のぬしの背を追いたいと思うあまりに身についたものよ、これきりのことで失うならば、それでもよいわ。ぬしを泣かせずにすむのならば、それで》
三成はまだ、熱く涙を流し続けていた。
「刑部……私は、なんと……貴様の見舞いに来たというのに……触れたくて……抱きたくて……たまらない、などと……!」
かすれ声で囁き、吉継の細い身体をつよく抱きしめる。
その言葉どおり、三成はその身を熱く、硬くしていた。
「やれ、まるで、ふたつきも抜いておらぬような、熱さよの」
「抜いていない」
「やれ、ぬしもそのような冗談がいえたか」
「冗談ではない。貴様を抱きたいと思うと胸が苦しくなって、自分ではできなかった」
三成はもう、声までグズグズだ。
「だが、こうして触れると、安心する……刑部……」
膏薬の匂いだけでない、吉継の体臭は、ひだまりのねこのような、やや獣臭いもので、そのすべてがまざった甘い香りが、三成に限りない安堵をもたらしていた。
「しばらくこうして、刑部の輪郭を、確かめていたい」
「三成」
こみあげてきた愛しさに、吉継は自分から身をすりつけてしまった。
「ぬしはな、ひとつきも耐えられず、ここへ来ると思うておった。もしくは、二度とわれの前に、顔を見せぬか」
「来るに決まっているだろう! それに、秀吉様も、見舞ってこいといってくださった」
「そうか、そうよなァ」
吉継の声に落胆の響きが混じった。
こんな時まで、太閤の名を出すかと。
三成も今さら、浅ましいなどと卑下する必要はないのだ。枯れるには早すぎる年齢だ、相愛の者を抱きたいと願う心は、むしろまっとうなものだ。実際、三成のこの二ヶ月は、吉継の宿坊生活よりも清廉なものであったろう。
吉継は再び、なだめるように三成の背を叩き、
「三成よ、奥にしとねが敷いてあるゆえ」
「よいのか」
「むろんよ。今宵はもう寝るだけと思うておったから、用意しておいた」
「わかった。刑部がよいのなら、私は……」
そのまま二人は奥の部屋へ、しとねへ、もつれあいながら転げこんだ。

「心地よいか」
「よい」
「ここは好きか」
「好きよ」
「刑部」
「三成」
「欲しい」
「われもたまらぬ。はよう、三成」
二人とも閨の中で、互いを存分にむさぼりあった。
ふだんは行儀のよい三成も、久しぶりの吉継に夢中になり、我を忘れて腰を動かす。吉継は吉継で、そっと口を吸いあうだけで身体の奥に火が灯るのを感じ、燃え上がった。病の進行で鈍っていたはずの肌の感覚も、包帯ごしに触れられているのに、ずいぶんと敏感になっている。むしろ馴染みの愛撫であることが、吉継の官能に訴えていた。あらためて三成という男の良さを、その誠実を、純粋さを、無骨な優しさを深く味わっていた。
文字通り慈しみあい、ようやく欲が落ち着くと、三成の胸に甘えながら、吉継はため息をついた。
「やれ、ぬしはともかく、下界に戻ればまた、みな、われを指さすであろうなァ」
「なにを指さすというのだ」
「面妖な力を手に入れた、とすでに噂になっておるのではないのか?」
「馬鹿な!」
三成は眉間に皺を刻んだ。
「貴様のあの姿をみて、くだらぬことをいう者があるか! 武将として、どれだけ戦ばたらきがしたいと願っているか、わからぬ者がいるというなら、私がすべて殴り倒してやる。第一そんな愚かな兵は、豊臣にはいらぬ!」
吉継は三成の頬に触れながら、
「われはよいが、ぬしが指をさされるようなことは、するでない」
「貴様が指をさされてよいなら、私もさされるだけのことだ。刑部は私と、ずっと共にあるのだろう」
いわれたことが一瞬わからず、吉継が目をまたたかせると、三成は首を傾げ、
「違うのか? 私と共にいくさばに出てくれるために、独り、つらい行を、耐えていたのではないのか」
吉継はドキリとした。
やれ、三成はわれの心を、ちゃあんとわかっておったか。
「すべて義のため、ぬしのためよ」
低くこたえると、三成は吉継の背を撫でながら、
「わかっている。だから耐えた。雑念にも、ひとりでいることにも、余計な騒音にも」
「やれ、ぬしがそんなに我慢強いとは」
「刑部も同じだろうと思ったからだ。ただ、ひとつきを過ぎた頃から、私はおかしくなった。心がくすみ、身体が淀み、命じられた仕事に打ち込めず、別の人間にかわってゆくような気がした。どれだけ刑部が、ふだん私の側で心を砕いていてくれたか、どれだけ多くを刑部に負っていたのか、はっきりとわかってしまった」
吉継は苦笑した。
「それはかいかぶりというものよ。さすがのわれも、ぬしの面倒を、そこまで細やかに見てはおらぬ」
「刑部はさりげない言葉や仕草で、私をいつも正しい道に連れ戻してくれていた。だから私は、顔をあげて生きてこれたのだ。秀吉様の導きは眩しく尊いが、それだけでは、歩いてゆけぬ」
「三成」
澄んだ眼差しが、吉継の瞳をじっとのぞき込んだ。
「これからも、ずっと私に添うてくれ、刑部」
「もとより、そのつもりよ」
「ならばひとつ教えろ。私は刑部に何ができる」
吉継はホウ、とため息をついた。
「われよりも、一刻でも長く生きやれ」
「そうではない、日常のことだ」
「そうよなァ。時々ぬしに、このように可愛がってもらえれば、それでよい」
「可愛がる、だと」
三成は耳まで赤くした。
「私は、別に、可愛がって、いるわけでは」
意外な反応に、吉継は思わず微笑んだ。
《なるほど、ぬしは弱き者やら目下をかまっておるつもりはないのか。ほんにわれを慕っておるゆえに、触れられると、こうまで、心地よいか》
吉継は三成の身を押して仰向けにさせ、己の脚でまたいだ。
「あっ、刑部」
「では、われも時々、こうしてぬしの上に乗って、たっぷり可愛がってやろ。それならよかろ?」
「わ、私がする! 貴様は無理をするな!」
三成は慌てて身を起こし、吉継を抱きしめた。
「貴様の怪我が癒えているなら、背負ってでも帰ろうと思っていたのだ。それが、貴様が私に乗るなどと」
「やれ、われが上では厭か」
「いや、厭なわけではないが……私は……」
吉継は三成の頬に口づけた。
「よいよい、ぬしの肌にくるまれて眠ると、この身も楽になるゆえ、他には何もいらぬ」
「刑部」
三成の声が蕩けた。
「秀吉様が、私も少し、ここに滞在してよいといったのだ」
「では、明日は勤めを休んで、いちにち、ぬしと共寝をするか」
三成は、こくりとうなずいた。
「ぬしはほんに、素直でよい。やれ愛しや」
「貴様もだ」
「われが素直と?」
「刑部もさびしかったのだろう? だから今宵は、こんなに乱れて……」
三成の声が、再びかすれた。
「嬉しかった。私を、待っていてくれて」

(2012.3脱稿)

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Written by Narihara Akira
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