『倦 怠』
「そろそろ片がついた頃かの」
吉継は床の中で、低く呟いた。
小競り合いが発生したとの報告を受けて、三成は仕方なく、左近をつれて出ていった。吉継が、「すまぬ、しばらく起きられぬ」というと、三成はひどく不安げな顔になったが、留守を頼む、と言い捨てると、振り返らなかった。
吉継はそれを、ため息で見送った。
もっと身体がつらい時でも、いくさには出ている。
つまり今日は、敢えて、ずる休みをしている。
もちろん、自分が出るまでもないことを見越してである。左近隊も最近はだいぶ使えるようになってきた。多少、戦況の読み違いをおこしても、大事には至るまい。
下半身だけ簡単に清めると、もう一度布団へ潜り込む。
「みつなり」
わずかな残り香の中で、昨夜の愛撫を反芻する。
吉継から甘えると三成は驚き、それから喜びを露わにした。夢中でむさぼってくる三成の熱が心地よく、吉継はそれに溺れた。
いたわるように優しく抱きしめられて眠り、満足した、はずだった。
当たり前のように、左近をつれて出てゆく姿を見るまでは。
「なに、ひとりでも、寂しいことなど……」
三成がしてくれたように、己の肌を慰める。
緩やかにたちのぼってくる情感はあるが、心のどこかが冷えている。
いっそのこと、願い出て隠居してしまおうか。
こんなつまらぬことばかり気にかかるのであれば、すべてを断ち切って山ごもりでもした方がましだ。
病身の自分が、豊臣の中枢にいることが、まずおかしいのだ。
三成も、このままにはしておけない。豊臣の左腕たる自覚がなさすぎる。吉継だけにしか心を開かないのであれば、今後、様々な場面で差し障りがでてくるに違いない。むしろ左近のような若者に親身になれるのであれば、人付き合いの幅が広がるだろう。部下に慕われない主君など、どのような相手の上にも立てないのだし。
もし、人をさける生活を始めたとしても、三成はどんな深い山奥でも、吉継を訪ねてくるだろう。
もし、やってこなくても、それはそれで、構わないが――。
そう考えた瞬間、吉継は胸の潰れる思いがした。
誰の目にも触れず、静かに安楽に暮らしたい気持ちがある。
しかし、三成にすっかり忘れ去られてしまったら、われは……。
こみ上げてくるものを必死で押さえる。
三成が来ない夜を悶々と過ごすことさえあるのに、離れられるのか。
いいかげん、己に正直になるといい。
三成はわれだけを見てくれるということを、それが嬉しいのだということを、この胸の奥にある塊が、身体が、否定させてくれない。
「はよう、戻りやれ」
まだ明るいが、いくさが終われば、飛んで帰ってくるはずだ。
待っていれば、この切なさはいずれ和らぐ。
三成。
「刑部」
障子に影が落ちた、と思った次の瞬間に、もう三成は布団の脇に膝をついていた。戦装束でなく、もう簡単なものに着替えている。
「大事ないか」
「ない。いちにち休ませてもろうて、だいぶようなった」
「まだ、着替えすらしていないではないか」
「かえって身体を冷やす気がしてな」
「熱はなさそうだが……」
三成の掌が吉継の額にあてられる。
「ん」
吉継の肌よりも三成の方が熱い。
「湯を使おう。さっぱりするだろう」
「湯などよい。ぬしが添い寝してくれれば、それでよい」
三成は目をみはった。
「待たせてすまなかった」
「いや、むしろ、われが思うていたより、早い戻りよ」
「そうか。だが、私が余計なことに構っていると思ったら、すぐに叱ってくれ。今ここにいる私は、すべて刑部のものなのだから」
「やれ、ぬしはぬしのものよ。われの家来ではないのだから」
「刑部」
三成は、吉継の細い首に手をかけた。
一瞬、くびりころされるのかと吉継は身を縮めたが、首の両脇の筋を、やんわりともみ始めた。
「横になっていても、よく、眠れていないだろう」
「なぜよ」
「ここが凝り固まっているということは、深い息ができていないということだ。だいたい、目が薄赤い。まるで泣いた後のようだ」
吉継は思わず身をすくめた。
三成の手は吉継の鎖骨へ滑り、その下をさすり始めた。
「ここはどうだ。痛むか」
「平気よ、平気」
三成は吉継を起こすと、もうしばらくあちこち撫でさすっていたが、
「だいぶ、柔らかくなったな」
「ん」
三成のいうとおり、だいぶ身体が楽になり、呼吸がしやすくなった。先ほどまでの動揺が嘘のようで、いったいどこでこんなことを教わってきたのだろうと思う。
「半兵衛様だ」
「賢人が、何よ」
「小姓の頃、眠れず遅くまで鍛錬していると、叱られて、こうすると眠れると教わった。深い息が使えると、剣を構えるのも、ぶれずにすむのだ」
「さようか」
「刑部。本当に添い寝だけで良いのか」
重ねて問われて、吉継は三成の胸に身を寄せた。
「ぬしこそ、添い寝だけでよいのか」
「いや。本当は、欲しい……」
吉継が見上げると、三成はくちびるを重ねた。
顔が離れると、三成はもう瞳を潤ませていて、
「別れ際の貴様の顔がちらついて、早く戻りたくてたまらなかった。他に任せておけるものなら、すべて放り出してしまいたかった。いつまでも朝寝をしていられるものなら、していたかった」
「ヨイヨイ」
それでこそ、われの三成よ。
「やはり、湯をつかうとするか」
「そうか」
三成は頬を緩めた。寝汗をかいたままの吉継が心配だったのだろう。
「ぬしもまだ、湯は使うておらぬのであろ」
「ああ」
「疲れておろ。われもぬしをほぐしてやろ」
「それは無理だ」
「なぜよ」
三成は頬を赤らめた。
「いま、口を吸っただけで……」
すっかりカチカチにしている、ということだ。
「湯殿で少し、柔らかくもなろ」
「刑部が、それでもよいというなら」
「ん」
三成の腕にすがる形で、吉継は立ち上がった。
そろりと歩き出すと、三成が低く囁いた。
「刑部。私が貴様に望むことは、たった一つだ」
「ん?」
「私の前から、決して消えてくれるな」
日中の屈託まで、すべて見抜かれていたかと思うと、吉継は震えた。
私の元から去るな――それが三成の常の願いだと知っていても、今ここで敢えて言うのは、そういうことだ。
「約したであろ。この命のある限り、ぬしと共にあると」
「そう、思ってもらえる男でいたい」
「やれ、いつまでも心配をさせられるのは、困りものよ」
「困らせたくはないのだが」
三成は目を伏せた。
「心配してくれて、嬉しい……」
三成の不在の間に感じていた苦しさも気怠さも、ゆくりなく溶けていくのを感じながら、吉継は、かすれた声で囁き返した。
「……われも、同じよ」
(2016.8脱稿)
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Written by Narihara Akira
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