『ジャンルの壁』


私は自分が純文学の人間でないことはわかっているので、自作のエンターテインメントとしての質はどうか、ということはともかく、「おまえの作品は文学ではない」といわれたとしても「はあ、そうですね、それが何か?」だと思うのです。

ただ。

どこからが純文学なのか?

ということは、ときどき考えます。

アマチュア作家の人にしてみても「ああ、この人は純文学なんだな」と思う人はいる。ではそうでないものとの差はなんなんだろう?

ひとつは文体の強度かな、と思っています。
文体の強度がない作品は作者本人がそうだと宣言していても「これは純文学じゃないし、そもそも面白くないよ」って思ってるので。

たとえば、オカワダアキナさんは、モノローグの力が大変に強い人で、私が読んだほぼすべての主人公(語り手)に共感させられてきました。もともと演劇畑の人で、キャラメイキングがうまいというのもあるかもしれないのですが、読み手の自分とは、立場も性別も仕事も性癖もすべて違うキャラクターなのに、その人が、どんなにどうしようもない人だったとしても「そうだね」「わかるよ」「そういうこともあるよ」という気持ちにさせられます。なんという説得力。強い。面白さがあらかじめ約束されているので、新作が楽しみになります。リピーターさんが多いのもうなずけます。強い。

でも、それだけなんだろうか。

去年、ツイッターでお奨めされて、ちょっと読んでみた本があるのですが。
ヒロインには謎の属性があって、それが物語を牽引していきます。
面白いことは面白い。伏線が投げっぱなしのところもある気がするけど、読ませます。
最後に、ヒロインのこの属性について、なんらか解明されるんだろうな、されないまでも、なんらかのヒントがあるんだろうな、と思って読んでいたら。

されなかった。

彼女はそういう人、で終わりだった。

なんらか下敷きにされているものがあって、背景に詳しい人は説明される必要がないのかもしれない。

私が何か読み落としてるのかもしれないけども。

その時「ああ、これは純文学なんだな」と思ったのです。
「文芸誌の作品だからゆるされるんだ。エンターティメントだったら、怒られるよコレ」と。

エンターテインメントでもオチはつけなくてもいいという人もいるでしょうし(いるかな)、私のようにいちおう解決して終わってるつもりの作品も「解決したりしなかったり」って言われたりするわけで、それでも楽しんでもらえることはあると思うのですが。

不明瞭な落とし所でゆるされるかどうか、が、純文学とそうでないものの境目なのでしょうか。
そうすると「純文学でも最後きれいにオチてる作品がいっぱいあるよ」と怒られそうなのでね……。

私は子どもの頃に読んでいたミステリ系の作家さんたちに強く影響を受けていますが、それ以外に初期の別役実の作品に影響を受けていて、オールタイムベスト探偵小説はいつも別役実『探偵物語』所収の「夕日事件」だと言っているのですが、それを言うとミステリのプロパーの人たちから「しらん」、もしくはめちゃくちゃ怪訝そうな顔をされます。

つまり私はミステリでもプロパーじゃない。

そんなことをいったらたぶん、ロマンス小説でもプロパーじゃないっぽい。

じゃあ私は何者なのか?

わからん。

ジャンルの壁についてはこんな風にときどきボンヤリ考えるのですが、納得のいく回答がでたことがありません。
明快な回答を持っている人もいるのでしょうが、それは自分が納得のいく回答ではないと思われ。

大事なことは「面白いか面白くないか」ではないかと思います。
ただ「私の文体、うすっぺらいな、何をどうすれば強度が上がるのかな」というのは考えておかないとダメなんだろうなというのも、いつも考えてます。

どうすれば分厚くなるだろう……?

とりあえずはインプットを増やすことですかね。


あと、私小説とそうでないものの差ってなんだろうということも、ときどき考えてみるのですが。
これは考えてもあんまり意味がないかも、と思っていたりします。
完全なフィクションでも、作者の人柄とか、ふだん考えてることって、どこかに自然ににじみでるものですからね。   



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Narihara Akira
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