『呪いの家』


「死ぬのを待ちながら生きるのも面白いもんですよ」
 気の毒そうな顔をする連中に、ニヤリと笑ってそう言ってやりたい。
 今日も親戚から「露さんは大変ね」と言われたが、同情はまっぴらだ。「あなたは本当の天才少女です。その年齢で人類の進歩にどれだけ貢献したか」と言われるのも、実はあまり嬉しくない。
 しかし、その台詞を、露が口に出すことは、ない。

 露は自分のいれものが嫌いだ。
 背が低い女というだけでなめられる。好きな服を着れば、センスがないと馬鹿にされる。あまり身なりにかまいたくないので、中学が制服でよかったと思うが、制服と容姿目当てで近づいてくる連中がいる。中味なんてどうでもいい、こちらを記号としてしかみない、美少女とやりたいだけのロリコンども。自分より若い女が相手なら、いくらでも支配できると思っている、愚かな連中。
 まあ、男であれ女であれ、本気でつきあう気もない。恋愛に至るほど、他人に興味が持てそうにないからだ。しかも、好きでもない自分の身体でコミュニケーションをとるなんて、考えるだけでぞっとする。メンタルだけでいいと迫られるのも、それはそれで不気味だが。
 だが、自分の知性や尖った性格をあらわにすれば、生意気な女だと攻撃される。なので露は外へ出せない。そもそも口から出る言葉が、思考に追いついてくれない。この身体がいやなのは、それもある。
 だがまあ、白楽天もこう言っている。

 言者不知知者黙
 此語吾聞於老君
 若道老君是知者
 縁何自著五千文

「よくしゃべる奴は物を知らない、知っている者は黙っている」と老子はいったが、本当に物知りならば老子も黙っているはず、なのにどうして五千文字もある本を書いたのだ、と。
 おしゃべりがすぎる、老子は本当に知者か、と皮肉っているわけだが、つまりすらすらとしゃべれても侮られるのなら、今のままでもいいかと思う。それで見かけ通りの、穏やかで、ろくに物も知らないような、中一の少女を演じている。悔しい気持ちはあるが、発現者としての短い人生に、余計なトラブルを招く必要はない。
 そんな鬱屈をかかえながらも、親戚の家にたびたび行くのは、同世代の女の子がいて、図書館のカードを借してもらえるからだ。電車で来なければならないが、この市の中央図書館は、非常によいところだ。好事家が寄付でもしたのか、漢籍が充実している。ほとんどが禁帯出だが、借りられる本もあり、絶版本が簡単に読めるのがありがたい。そんなわけで、学校が終わると図書館に直行し、読みたい物を読み、併設のカフェでお茶をのんでから帰るのが、露の娯楽になっていた。読みたい本を読み尽くすまでは通うつもりだった。
「セイちゃんも本を読むんだね。フォークナーって誰? 納屋を焼くって何?」
「有名な話らしいんだけど、最近の翻訳ってあんまりよくないってきいたんだ。図書館だと古いのも読めるから、探して借りてきた。あとでナノカちゃんにも貸すね」
 おや、お仲間か、と露は耳をそばだてた。セイちゃんはこちらに背を向けているのでよくわからないが、ナノカちゃんの制服と校章の色からして、市立青空中の二年生に違いない。この時間なら自分と同じく、帰宅途中に寄り道しているのだろう。
「面白そうだけど、いいよ。又貸しはよくないし、持って帰れないし」
「学校で読めばいいじゃない」
「そうだけど、荷物を増やしたくなくて」
「それもそうか」
「でも、セイちゃんが図書館につきあってくれて、ホントうれしい。私、引っ越してきて一ヶ月もたつのに、まだ、なんか、浮いてるし」
「そんなことないよ。それに、転校生に親切にするのは当たり前のことじゃない」
「ありがとう。でも、そもそも、うち、呪いの家だし」
「呪いの家ってなに?」
「そのまんま。リフォームしてからそんなに経ってないのに、壁に変なシミが浮いてくるんだよ。炎みたいな、ゆらっとした感じの。あと、雨漏りしてるわけでもないのに、天井にもシミができてきたし。これって呪いだよね」
 呪いじゃない、と露は突っ込みたかった。一番高い可能性は、リフォームが完全ではないということだ。洗浄しきれずに残った建材の油分が、時間の経過とともに浮き出してくることがある。雨漏りしていなくても、ボードにあいている換気穴などから湿気が入れば、天井に染みができる。つまり欠陥住宅だ。
「あと、なんか息苦しいんだよね。ぼーっとするし、なんかふらふらするし。親も調子よくないみたいで、ずっと不機嫌でさ」
 それならシックハウス症候群の可能性も高い。欠陥住宅でなくとも、人体に有害な物質は建築材に大量に使われている。代表的なのは有機リン系薬剤によるもので、畳の防虫シートなどに使われている。不快感・記憶力低下・注意力散漫・脳波異常・目の異常・口の渇き・平衡感覚異常・筋萎縮・しびれ・知覚低下・片足立ち不良・心臓や胃の異常などはリンによるものだ。その他、ホルムアルデヒド、合板の接着剤防腐剤、通常の防虫剤、塩化ビニールの壁紙、防かび剤、自然塗料、リサイクル断熱材、土壁、シロアリ駆除剤も、様々な被害を引き起こす。現在は基本、高気密住宅なので、普通ならアレルギーにもよいとされる軽量鉄骨でも、症状がでることがある。再生紙や寝室に新しい本を置くことすら、シックハウスを引き起こす可能性がある。さらに郊外であれば、禁止されている野焼きも行われているかもしれない。農薬による被害となると……。
 すると、セイちゃんと呼ばれた少女は優しげな声で、
「シミだけだったら、ウェットティッシュで拭けばいいよ。きれいになったら、それはただの汚れ。天井には手が届かないかもしれないけど。でも、息苦しいのは困るね。窓をあけて換気しても、だめなの?」
「だめなんだよね。なんで身体が重くなるんだろう。家に拒否られてる気がする」
「家が拒否するって面白い言い方だね。ところでナノカちゃん、リュックについてるそれ、なに? 前から気になってたんだけど、すごくきれいな刺繍」 「これ? お守り」
「ちょっと雰囲気あるね。狐の柄かな? どこの神社の?」
「神社のじゃなくて、おばあちゃんが自分で袋をつくったみたい。中身もお手製だと思う」
「お手製のお守りっていいね」
「どうかなあ。効果ないと思うし。おばあちゃんがくれたんだけど、すぐ後に家が火事になって、本人が怪我して入院しちゃったからね。中身の紙も、意味がよくわからないし」
「中を見たの? お守りって開けちゃっていいもの? 効果がなくなるんじゃなかったっけ」
「いいんじゃない? くれる時に見せてくれたし。セイちゃんも見てみる?」
「私も見ていいなら」
 セイちゃんは渡された紙を受け取ると、
「うーん。なんだろう。詩かな」
「呪文って感じでもないよね」
 ナノカちゃんは低い声で、
《かぜのないひ あめふりのつぎのはれたひ さむくないひ
まだあかるいゆうぐれ ひとがはたらいているひ まつりのないひ》
 そう読みあげてから、
「ほら、何もおこらない」
「そうだね。ほんと、どういう意味なんだろう」
 するとナノカちゃんは腕時計をちらりと見て、
「うーん、そろそろ帰らないとだめっぽい」
「もうそんな時間?」
「ここに寄らなければ、もうちょっとセイちゃんといられるのかなあ」
「仕方がないよ。だってそのリュックと私物、ぜんぶここに預けてるんでしょ」
「うん。ここのロッカー、二十四時間使えるし、休館日にも使えるし、鍵を戻すとお金も戻ってくるし。図書館でこんな風に使えるところ、他にないと思うよ。セイちゃんに教えてもらえて、よかったよ」
「ううん、うちも親がうるさくてさ、持ち物を勝手に開けられたりするから、家に置いておきたくない物とか大事な物は、まとめてここに入れといたりするんだよね。ナノカちゃんの役にたって、よかった」
「ほんと、うちの親もうるさいんだ。自転車だからいいって言ってるのに、途中まで、歩いて迎えに来たりさ」
「お父さん、しばらく帰ってこないんだっけ。ナノカちゃんち、ちょっとさびしいところだし、お母さん、心配なのかも」
「大丈夫、まわりに防犯カメラがいっぱいついてるから。家の周りは田んぼだし、誰かが近づいてきたら、すぐにわかっちゃうから」
「それならいいけど。今日もつきあってくれてありがとう、ナノカちゃん」
「それは私の台詞だよ、セイちゃん」
 二人は手をつないで出て行った。
 まあ、仲のよろしいことで、と露は心の中で呟いた。
 皮肉は相変わらず、彼女の口をついて出ない。



→→→→ 続きが気になる方は、2023年5月発行、皇帝栄ちゃん様「星の露」アンソロジー『星露の恋路』でご覧下さい。



(2023.3脱稿・星の露ゲスト原稿として書き下ろし。作者様の了解をえて二人の中学生時代を露からの視点で描きました)




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