『わがうえの星は見えぬ』


月に暈がかかっている。つまり明日は雨だ。
吉継が空を見上げていると、三成がかたわらに立った。
「なにを案じている、刑部」
「明日のいくさの行方を占っておる」
「そうか、得意の星見か」
「やれ、賢人の策を疑うか、と怒らぬのか」
「半兵衛様の御指示を疑うわけもないが、常勝豊臣の名に恥じぬいくさには幾重にも策がいる。貴様は貴様で思うところがあるのだろう」
「まあ、ついでにぬしの武運を天に祈っておった」
「それはありがたいが、今宵は冷える。そろそろ陣屋へ戻らないか」
三成の声はあくまで静かだ。それが吉継には堪える。
あらかじめ雨とわかっているいくさでは、基本、吉継は陣屋にいる。身体が冷やされることで病が悪化するからだが、肺を患う竹中半兵衛でさえ時に最前線に出るのに、己だけが雨で溶けるような扱いをされるのは、武将の名折れだと思っている。
明日は三成が最前線に立つ。雨の日や夜は、足をとられたり同士討ちしたりするのをさけるため、軍は動かさないのが普通だ。つまりは奇襲なので、進軍速度が大事なため、やや速度の落ちる左近隊は三成の後に続くことになっている。吉継はいざという時の後詰めだ。ここのところ、しんがりをつとめるのが吉継の常で、それは彼の能力を買われての結果なので、今回だけ不満をあらわにするのも、はばかられた。
「……刑部?」
「いやなに、すこし時がとまった。ぬしのいうとおり、休むとしよ」
くるりと輿を回した吉継と、三成は一緒に歩き出す。
「夜明けまで、私も少し眠ろうと思う」
三成が不意に目を伏せたので、吉継は薄く笑った。つまり閨に誘いに来たのだ。
「ぬし、添い寝で足りるのか?」
三成は白すぎる頬を少しだけ染めて、
「大事ないくさの前だ、貴様も休まねばならない」
本当は吉継をむさぼりたいが、体温をわけあうだけで我慢する、といいたいらしい。
「まあ、仲良しこよしは、無事に戻ってこそよな」
「なにをいう、私も貴様も無事に決まっている」
「そうよなァ」
吉継は天を仰ぐ。こんな薄曇りの空でも輝く星がある。それが淀む心を少しでも晴らしてくれる。傍らを歩く、この痩せっぽちの男もだ――。


まだ豊臣の門をくぐる前、紀之介と呼ばれていた頃、母の使いで市に行った時のことだ。
必要なものを手に入れて帰ろうとした時、鬼の面をつけた行者が、占いをしているところへゆきあたった。
《なるほど、うまくたぶらかすものだ》
人が占いに頼ろうとするのは、悩みがあるからだ。よくある相談事なら、世間知があれば答えられる。星読みも基本的には天候を読むことであり、それも古来からの知恵の積み重ねである。本当に人の未来がわかるわけもないのに、さも、もっともらしいことを言っている、と思う。面をつけているのも表情を読ませないためだろう。
ああいう行者は天狗のような異能をもち、風を操り空を飛ぶという。はて、そういう時はどう他人の目を騙しているものかと遠目でみていると、突然、話を遮ってこちらを見た。
「やれ、そこの、きれいな童」
返事をせずにその場を離れようとすると、
「おまえもいずれ、異能を手にする」
妙な予言を始めた。
「おまえは近々、己の命をなげうってもよい者にあう。だが、それ以外のすべてを失うであろう」
先ほどまでの占いの口調とも違う。気味が悪くて、急ぎその場を離れた。
「ゆめ疑うな。どのように優れた者でも、わが上の星は見えぬ!」
背中に投げつけられた呪いの文句を、紀之介は忘れようとした。
というか、いつしか忘れていた。
思い出したのは、己の身に業の病の兆しが現れた時だった。
《これがすべて、失うということか》
首尾良く豊臣に迎え入れられ、秀吉の覚えめでたく、とんとん拍子に出世して吉継の名まで頂戴したが、この病を得てしまっては、もう先がない。手指は衰え、足は萎えてゆく。刀も槍ももてず、馬にも乗れない武将が使いものになるわけがない。この美貌もいずれ醜く崩れおち、人前に出ることも難しくなるだろう、軍師として指揮をとるのも難しいだろう。すぐに死ぬ病ではないとはいえ、これからどうやって生きてゆけばいいのか?
《だが、己の命をなげうってもよい相手、とは?》
太陽のごとき太閤、その光をうつす月のごとき賢人、そして、ひときわ強く輝く豊臣の星、石田三成――彼らはみな優れた武将だ、無用の者は即座に切り捨てるだろう。命をなげうちたくとも、ここを追い出されては尽くしようがない。それとも未練がましく、何でもいいから置いてくれと、しがみつけというのか。
みっともないと思いながら、一人の夜は涙ぐんだ。心は揺れに揺れた。病人の自覚はじわじわと彼をむしばみ、思考も浅くなった。これからどう蔑まれるかと思うと、身体が震えた。御典医からの知らせで、秀吉から蟄居・放逐を命じられるだろう日を、懊悩しながら待った。
しかし、それから起きたことは、吉継の予想を大きく裏切った。秀吉は吉継の才をひどく惜しみ、豊臣に残ることを強く勧めた。半兵衛は、自身も重い肺病の身で、秀吉を支える軍師は一人でも多い方がいいと考えていたので、同様に吉継をひきとめた。すでに同衾する仲になっていた三成にいたっては、病を忌避するどころか、ただれ始めた肌にためらいなく触れた。むしろうつることなどかけらも気にしないように、丁寧に吉継の身を慈しんだ。ひるむ吉継に、「私から離れることは許さない」と怒った。「私は貴様と添い遂げたいと伝え、貴様は応と言ったのだ。今さらそれを違えるというのか」と。
こうまで望まれているとなっては、吉継も覚悟をしなおすしかなかった。あの予言通り、異能を手に入れることにした。
吉継は行者たちに交じって山で修行をし、改めて星について学び、異能の発動をまった。そして、数ヶ月で板輿を操り、巨大な数珠で敵を討つ技を会得した。今までとはだいぶ違う形となるが、これで豊臣の将として命をなげうつことが可能だろう。
いま思えば、鬼の面をつけていたあの行者も、実は病を得ていて顔の崩れを隠していたのかもしれない。それゆえの異能だったのかもしれない。
《これですべて予言はなった。だが、わが上の星は見えぬ》
実は吉継は、自分の出るいくさについては己のことを占わない。どんな優れた未来視を持つ者も、自分の将来だけは占えないからだ。運命の一本の矢、一本の槍が己の身を貫く日がいつ来るかについては、どうにも知りようがないのである。
《まあ、それは仕方があるまい》
どのみち先の無い身だ、武将の常として、いつ死んでも構わないと思っている。
それに彼には、どんな夜でも天空に輝く、菫いろの星がある。
それさえあれば、生きられるのだ。


「やれ、珍しいこともあるものよ、ちゃんと湯を使ってきたか」
半兵衛の策通り、豊臣は今回も大勝利を収め、三成は無事に帰還した。すぐに吉継のところに顔を見せにくるかと思ったが、半時ほど遅れてきた。しかも湯の匂いがする。ざっと身を清めてきたようだ。
三成はうなずいた。
「だいぶ汚れたからな」
「さよか。いやなに、よいことよ。あの雨では、身体も芯から冷えたであろ」
「私は大丈夫だ」
たしかに、三成の肌が冷えることは少ない。体脂肪が少ないので、体内の熱がみんな外へ出てくるのだ。こんなに白い肌の持ち主なのに、意外なほど熱い。夜空に輝く星が実は燃えさかっているように。吉継はその体温をいつも好ましく思っている。閨で身を寄せている時も、三成の灼熱が自分の中ではじける瞬間も、すべて。
「無事に戻ってから、といったな、刑部?」
三成は吉継を抱き寄せた。それは待っていた抱擁だったが、ふと気づいた。
《私は大丈夫だということは、この男、われの身を少しでも冷やさぬために、湯を使ってきたのか……》
その気遣いが、吉継には少し堪える。
「どうした刑部? 何を考えている」
吉継は薄く笑った。
「ぬしのことしか考えておらぬわ」
「私もだ」
やれ、ぬしは太閤のことやら豊臣の行方をいつも考えておるであろ――という言葉を吉継は飲み込んだ。
三成がこう続けたからだ。
「私を温めてくれるのは貴様だけだ。いなければ私は凍え死ぬ。私の無事を祈るなら、貴様も己が身を惜しめ」
「まあ、いたずらに無駄にはせぬがな、われがおらずともぬしは……」
「戯れるな。私は本気だ、刑部」
しとねに押し倒され、服を乱されながら、吉継は思った。

やはりこれこそが、わが上の星――。



*「わが上の星は見えぬ」ということわざがあるのを知って、このタイトルで大谷さんの鬱屈を書けたらと思っていました。少し湿っぽくなってしまいましたが、書けてよかったです。

(2018.12脱稿)

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Written by Narihara Akira
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