『膝 枕』


ふと気がつくと、三成の膝で眠っていた。
一瞬、夢かと思ったが、かけられた薄衣も、床の硬さも、頬を撫でる三成の指の感触も、そうでないことを物語っている。
眠りと酔いの残滓が、甘く全身をひたしていた。
「やれ、ずいぶんと過ごしてしもうた。ぬし、重いであろ」
「そんなことはない」
三成の指が、吉継の口唇をなぞる。
「満ちた月よりずっと、貴様の寝顔の方が、見飽きない……」

桜の季節が来た。
関ヶ原の後始末も、だいぶ落ち着いてきている。
太閤秀吉にならうなら、そろそろ花見をすべき時期だが、吉継は相変わらず、人前に出たがらなかった。
主君を偲ぶ行事でもある、略式でも何かしたい、と三成は「ならば天守で、二人で月見ならいいか」と提案した。
吉継は首をかしげた。
「月見はいいが、ぬし、あまり、強くなかろ」
三成は酒に弱い。
だいたい、ただ月を眺めながらゆったりと時を過ごすなど、三成のせっかちな性分に合わない。
案の定、
「水でも茶でも、月は見られる」
吉継はため息をついた。
塩か梅があれば飲めるような男であれ、とは思わないが、月見に茶とは、なんと無粋な。
「なに、少しはつきあう。刑部は好きなだけ飲めばいい」
「あい、わかった。なんでもぬしの、好きにせよ」

朧月に照らされて、ぼんやりと明るい天主の四隅には、秀吉が愛した醍醐の桜の、満開の一枝が、それぞれ投げ入れにしてあった。
三成が用意した膳の上には、焼いた鯛、あさりの蒸し物、山菜の和え物、香の物、出汁に沈めたひりょうず、敦賀の名物である蕎麦がき等が、品よく並んでいる。
小姓たちも皆さがらせて、二人きりになると、三成が吉継の盃に、清酒を注いだ。
「やれ、ありがたや、ぬしにそのようなこと」
「私と貴様の間で、今さら何の遠慮がある」
「ならば最初の一杯は、ぬしも、水などというでないぞ」
吉継も三成の盃につぐ。
揃って飲み干すと、すぐに三成の頬が赤くなる。
「ぬし、ほんに、白い肌よなァ」
あれだけ走り回っているのに、どうしてこう白いままなのか。
食が細いからなのか。
「まあ、ぬしは肴をやれ」
「そうだな」
略式の膳だが、三成は山の物、海の物、野の物と、作法通りに箸をつけていく。
その合い間あいまに、吉継の盃を満たす。
風通しのよい天主は寒いかと思って、小袖を重ねてきたのだが、今宵はあまり風もなく、いい陽気である。身体もだいぶ暖まってきた。
三成はあらかた膳を片付けてしまうと、月を仰いだ。
「無聊を慰めるために、ひとさし、舞うか?」
吉継は目を丸くした。
「ぬしが踊る、とな」
「幸若舞ぐらい、尾張の魔王でなくとも舞えるだろう? ……思えばこの世は、常の住み家にあらず。草葉に置く白露、水に宿る月より、なおあやし。金谷に花を詠じ、榮花は先立って、無常の風に誘わるる。南楼の月を弄ぶ輩も、月に先立って、有為の雲にかくれり……」
舞の有名なくだりをすらりと吟じたので、吉継は心底おどろいた。
「だが、敦盛はあまり、好きではない」
人生のはかなさと戦の無情を嘆く場面である、主君の仇を討ち果たした三成が好むとは思えず、まして、ぎこちない舞をみせられても困るので、吉継はそうよなァ、とうなずいて。
「やれ、われを楽しませようというなら、月の詩でも吟じてみたらどうだ」
「漢詩か。有名どころなら、李白あたりだろうが、それもあまり……ああ、時期はずれだが、私があれが好みだ」
思いついたようで、よく通る澄んだ声で、三成は秋の詩を口にした。

 秋月不知有古今  今も昔も変わりなく輝く秋の月
 一条光色五更深  夜も深くなり ひとすじの月光が清らに冴える
 欲談二十餘年事  二十年あまりの過去を語るにつけ
 珍重当初傾蓋心  親しく分かちあった心は かけがえないとわかる

「やれ、道真か」
菅原道真の秋月の句を、吉継も口の中で繰り返してみる。
なんとも三成らしい好みよ、と思う。
たしかに季節は違うが、この場にふさわしいものだった。
だが。
「その言葉は嬉しいが、どうやら思うていたより、われ、ぬしを知らぬようよ」
三成は腕の立つ官吏というだけでなく、いざとなれば酒もたしなみ、作法に従って花を生け、美しい挙作で食事をとり、舞のひとつも身につけており、必要とあれば詩も吟ずることができる。
武将として当たり前の素養かもしれないが、三成という男の無骨さをずっと間近に見てきているだけに、吉継にはかえって意外だった。
三成は首をふった。
「私のことはいい。それより刑部の話がききたい」
空になった吉継の盃に、新たな酒を注ぎながら、
「なにしろ貴様は、秘密主義だからな」
吉継の手が、一瞬とまった。
今頃になって、四国壊滅の密約を暴かれようとしているのか。
三成は薄く微笑んだ。
「隠していることを洗いざらい、とはいっていない。話せることを話してくれたら嬉しい、と思っただけだ。私の知らない貴様が知りたい。子どもの頃のことでもかまわないし、無理なら別に、私との思い出話でもよいが」
吉継は苦笑で応えた。
「こんなに酔わせて、いったい何をききたいのやら」
三成はすらりと立ち上がると、吉継の脇に腰を下ろした。
そっと肩を抱き寄せて、
「なに、自慢話でもすればいい。私が吹聴できるような、いい話があるだろう」
「われとぬししか、おらぬのに、か」
三成の体温に抱かれながら、すでにほろ酔いかげんだ。
するとしたら、艶めいたことしかあるまいと思うのに、三成はそれを他にも知らしめるという。
「では、豊臣の門をくぐる前の話でもするか」
「ああ」
三成は嬉しそうだ。
「いいな。ききたい。貴様の声で」
「あい、わかった……では、父を亡くした頃のことでも、な……」

いつの間にか声がかすれ、寝言に近くなり、話しやめようとすると、三成が軽く吉継の背をゆすって、続きをせがむ。
仕方なく、乾いた喉に酒を流し込んで、話し続ける。
三成は、心から懐かしそうな様子で、
「そうだな、あまり顔をあわせる機会はなかったが、東殿はとても美しい方だった。紀之介は母御によく似ている、と思った」
そんな風に、若き日の吉継の美貌を、誉めたりもする。
だが三成は自分の話となると、とたんに反応が悪くなる。
「ぬしも、母御に似ているときいたがなァ」
「どうだろうな。なんと賢しらで可愛げのない、と叱られたのは、よく覚えているが。それに母は、ここまで面長ではないしな……それより私は、東殿を奥向きに推挙したおかげで、後で秀吉様に、たいそう誉められたのだ。慎ましい人柄ながら知恵者で、他を束ねる力もある、おかげで奥向きがさっぱりした、と心から喜んでおられた。紀之介も誠に優れた小姓だ、佐吉は見る目がある、人選びをおまえにまかせてよかった、とな。なにしろ、あの頃から貴様は……」
などと、すぐに吉継の過去に話を戻してしまう。
そのうち、吉継も酔いを過ごして、ろれつがまわらなくなり、みつなり、とよびかける声も吐息とかわらなくなって、その意識は闇に沈んだ。
気がつくと、三成の膝の上にいた、というわけだ。
着物は乱れていない。
むしろ、三成が整えてくれていたようだ。
「まさか、酔いつぶしてしまうとは思わなかった。すまない。気分はどうだ」
三成は、傍らの杯に水をついだ。
「起きられるか。飲めるか」
「ん」
三成が手を添えて起こしてくれる。水を飲むと、すこし目が覚めてきた。
「もっと飲め」
「それには厠をすませねば」
「そうだな、そろそろ戻るか」
「あい」
桜の花びらが、ひらりと舞いおちる。
床はもう、だいぶ白いもので埋まっている。
月もすっかり傾いてしまった。
「楽しかったか、刑部」
吉継は低く笑った。
「ぬしの膝枕は、いっとう贅沢だった。次の月見には、われがぬしにしてやろ」
「いいのか」
三成がぱっと顔を輝かせたので、吉継はおかしくなった。
「われのような枯れた脚で、よければナァ」
「刑部が重くないならいい、かげんを教えてくれ」
吉継は首を傾げ、
「まさかぬし、人の膝で寝たことがない、などというまいな」
「刑部以外とか?」
つくづくと三成を見返してしまった。
吉継の肌を知りつくしているというのに、その膝を借りる時すら、許可を求めようとする。
甘えられない性質なのだな、と思う。
まあ、実の母に「賢しらな!」と遠ざけられ、その膝も知らぬとなれば、人との距離の縮め方も妙な具合になろうというものだ。豊臣に来て、太閤や賢人殿に可愛がられて、これでもマシになったのだろう。極端な崇拝は、幼い頃に求めて得られなかったものを、どうにかして取り戻そうとしているのだ。
「ぬしは、月見が楽しかったか」
「どんなに酔っても、刑部は口が軽くならないのだなあ、と感心していた」
吉継は首をすくめた。
「やれ、ほんにぬしは、われから何をききたいのよ」
なぜか三成は頬を染めた。
「それは、別に……第一、刑部は私が抱き寄せても、自分からは、けっして……」
ああ。
そういうことか。
たまには貴様から口説け、といいたかったか。
吉継は三成にぐっと顔を近づけた。
「それは天主では、さすがにナァ」
三成は視線をそらして、
「ああ。だから、しなかった」
「さようか。だがな」
吉継は三成の口を、そっと吸い上げた。
「これぐらいは、よかろ?」
次の瞬間、三成は吉継を抱きあげていた。
狭い天主の階段を、恐ろしい勢いで駆け下りる。
「やれ、いくらなんでも」
悲鳴をあげる間もなく、湯殿に連れ込まれ、
「われ、まだ酔うておるゆえ、だめ、だめよ……」
抗議の声もむなしく、温められ、清められ、浴衣にくるまれ閨へ放り込まれる。
「ぬし、酔うておるな?」
いやがる吉継に無理強いしないのがいつもの三成で、こんなに乱暴なのは、酔いにまかせてのことに違いない、と思った。
三成は吉継の肌を抱きしめながら、
「酔った。月と桜と貴様に酔った」
「みつなり……?」
「私は貴様に釣り合う男か。このまま隣にいていいのか。私がふがいないから、しかたなくついていてくれるのでないのか。いつになったら追いつける……ずっと、そう思っていた。だから、私の膝で刑部が眠ってしまった時、たとえようもなく幸福だった。閨でなくても甘えてもらえる、それだけの器になれたのだと。それなのに」
三成の声がかすれた。
「貴様に口を吸われただけで、この身のたぎりが抑えられない。ひどくしたくないのに、急いてしまう。欲しくて、欲しくて、たまらない」
「ぬし、今さら、何を」
三成は首を振った。
「貴様は嫌とはいうが、いい、とはいわない。なのに誰にでも甘言を使う。だから時々、わからなくなる」
ようやく吉継は腑に落ちた。
三成は安心が欲しいのか。
春先のせいで、常よりさらに、情緒不安定なのかもしれない。
だから今さら、膝枕などが嬉しく、なんでもききたいとせがむのだろう。
吉継は三成の背を、優しく叩いた。
「どんな親しき仲であっても、すべて知り尽くしてしまったら、面白くもなかろ」
「刑部」
「ぬしの前でも見栄をはる、それが何故かも、推し量れぬか」
そう囁いて、恥ずかしげに目を伏せると、三成の腕の力がゆるんだ。
「私は貴様に、飽きたりしない」
「ならばわれに、良い、といわせ」
「わかった」
三成は、ゆっくりと吉継の脚を押し開いた。
「貴様がなくまで、絶対やめない。覚悟しろ」
吉継は笑い声をあげた。
「覚悟など。誘ったのはわれの方よ。忘れるでないわ」
「そうだ」
ふと、三成は表情をゆるめて、
「酔っていても、膝枕の約束、忘れるな」
「約束せずとも、それぐらい。この身はすべて、ぬしのものよ。欲しいまま、むさぼりやれ」
「刑部」
三成は身をかがめ、口唇がギリギリ触れない距離で、囁いた。
「同じだ。刑部も、欲しいなら……いくらでも私を……」

(2013.12脱稿)

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Written by Narihara Akira
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