『最後の挨拶』


満潮音が叫ぶ。
「知恵蔵、大丈夫か! 頼む、大丈夫だと言ってくれ!」
口唇を震わせ、目を潤ませる美しい顔を見上げて、知恵蔵は弱々しく呟いた。
「泣かなくていい。死にやしない、と思う」
切り裂かれたシャツの腹を押さえながら、知恵蔵は目を閉じた。
一体、どうして、こんなことに……。

*      *      *

門馬知恵蔵がタリーズで一服していると、隅の席で目を細めてスマホをのぞき込んでいた男が、会計に立った。
そのまま出て行こうとしたので、とっさに声をかけてしまった。
「サングラスをお忘れですよ」
「よくサングラスとわかりましたね」
それは一見、普通の金縁の眼鏡だったが、男の瞳はいささか薄い色をしていたし、度が入っているようでもなかったので、流行中の透明なサングラスだと判断した。わざわざ外していたのは、暗い席では必要がなかったのだろうと思ったのだ。
「灘野と申します。うちのオリジナル商品なんです。感謝します」
名刺を渡して去っていった。眼鏡屋の営業に騙されたかと苦笑していると、男はなぜか引き返してきた。
「一枚、あなたの写真を撮らせていただいても?」
「遠慮します」
「それでは名刺をいただけませんか」
知恵蔵は渋々名刺を出した。男はそれを見て、
「もんま・ちえぞう……みしおね・たんていじむしょ……探偵さんですか」
「ええ、まあ」
「だと、少し難しいかな。いや、ありがとうございます」


数日後、所長の満潮音純が、知恵蔵に美しいパンフレットを手渡して、
「君にモデルの依頼が来てるよ」
「モデル? 何の話だ」
「要人用の丈夫な服の発表会があるんだって。防弾・防刃繊維で出来てるけど、一見、普通の服っていう」
「おまえじゃなく、私に? 要人用なら、なおさら政治家の息子のおまえが着た方が」
「普通の服だから、無意味に顔のいい人間じゃなくて、モデルらしくない人にでてもらいたいんだってさ」
「モデルなんて、できるか。これでも一応探偵なのに、顔出しなんか」
「サイトに調査員の顔を出してるところだってあるよ。君、そこまで特徴的な顔じゃないし、名前を出さなきゃ大丈夫だよ」
「なんでそんなにやらせたがる?」
すると満潮音はちょっとすねたような顔をして、
「よその男に親切にするからだよ」
「え」
「君、灘野って男の忘れ物を好意で届けてやらなかった? 礼状と一緒に招待状が届いたんだよ。眼鏡だけでなく、アパレル全般もやっておりますので、よろしかったらって。それに、君の名刺入れにもそいつの名前、入ってたし」
「別に届けてやしない、忘れ物ですよって言っただけだ。名刺は無理矢理渡されて」
「薄型の発信器っぽいものとか仕掛けてあったらどうするんだい? 最近はいろいろあるんだから、うかつに受け取っちゃだめだよ」
「すまない」
「というわけで、罰ゲームと思って、いっといで」
「おまえが勘ぐるようなことは、何もないが」
「まあ、君も仕事の幅を広げておいた方がいいと思うよ」
「次につながる仕事じゃあるまい。ウォーキングなんてできないぞ」
「そんなもの要求されないと思うし、どうしても厭なら断るけど、何事も経験だよ。僕もカッコイイ君をみたいし」
「だが、普通の服なんだろう?」
「それでもさ。メイク映えするからね、君」


「撮影会を兼ねた内々のショー、気軽にお越し下さいって言われたが、そんな規模じゃないな」
ファッションショーの会場は渋谷で、彼らの事務所から徒歩圏内だったが、スタイリストに囲まれ、ヘアメイクを施されて、知恵蔵はため息をついた。
灘野がすうっと近づいてきた。
「よくお越し下さいました。今日はよろしくお願いいたします」
「こういうところは、どうも……平凡な人間なのでね……」
「そういう方が欲しかったんです。今日のモデルは三人ですが、特に目立つお顔の方はいらっしゃいませんよ。ほら、あちらです」
知恵蔵がそちらに視線を向けると、服を身体にあてている男が二人いた。片方はひどく痩せた男、もう片方はずいぶん太った男だった。知恵蔵は中肉中背なので、それぞれの体型の着た時の様子が比べられるということなのだろう。
「今日の衣装は、もう少ししたらお持ちします。それではまた後で」
手を振って去っていった。いつもの白いスーツ姿で脇に立っていた満潮音は、そこでプッと吹き出した。
「何がおかしい」
「ガリとデブとで三人か。くだらない洒落だってドイルが泣くね。まさか、三人とも同じ名字なんじゃないだろうねえ」
「なにを言ってる」
「どうやらまだ時間があるみたいだし、ちょっと出ようか」
満潮音は知恵蔵の袖を引いた。知恵蔵は一瞬、怪訝そうな顔をしたが、周囲に軽く頭を下げて、
「すみません、用を足してきます」


トイレから出た知恵蔵は、息をのんだ。
「誰だ」
自分とそっくりの格好をした男が目の前に立っていた。満潮音は平然と、
「君の影武者。かわりにステージに出てもらおうと思って、君っぽくメイクしてもらったんだ。なかなかよくできてるだろ? じゃ、よろしくお願いします」
知恵蔵とうり二つの男は、無言でうなずくと、控え室の方へ去っていった。
「おまえ、何をする気だ」
「事務所に戻るんだよ。侵入者がいる。セキュリティーが反応してる」
「それこそ、いつものおまえのセキュリティーの人間に任せられないのか」
「犯人が親の秘書だからね、彼には申し開きができちゃうんだ。僕らが現場を押さえるしかない」
「何か盗まれるようなものがあったか?」
「僕らは個人情報を扱ってるんだよ? まれに国際的な機密だって」
「そんな事件を引き受けた記憶が」
「そういうのは、君には触らせないよ」
「ということはおまえ、わざと事務所を留守にしたのか」
「そうだよ。僕らを誘い出して、留守にさせようとする人がいたから、それにのった」
「そんな。おまえも留守にするとは限らないだろう」
「僕が、君の晴れ姿を見ないですませると思うかい?」
知恵蔵は天を仰いで、
「モデルがそもそも、虚偽の依頼だったか」
「いや、ショーは実際にやるみたいだよ。衣装も用意されてたし、お客さんらしい人達もきてたし。さすがに今どき、赤い髪の人向けの簡単なアルバイトとか、ガリデブさんって名字の人に遺産を相続させるので来て下さい、みたいな詐欺には引っかからないだろうから、大がかりにしたんじゃないかな」
「大がかりすぎないか」
「いや、灘野って男は、単に頼まれて君を誘っただけだと思うよ。渋谷エヴァンスは実在のアパレルブランドだし。きっかけになったのは、君の親切だけども」
「やけにからむな、そこに」
「からむさ」
「そんなに心配しなくても、浮気なんぞ、しやしない」
「そう? ならいいけど」


満潮音の言うとおり、事務所へ戻ると、ごそごそと書棚をあさっている男がいた。
「そこまでだ、矢代栄徳くん。君にその資料を破棄する権利はないよ」
「いえ、私はそんな……」
満潮音は薄笑った。
「僕らの留守に、暖炉へでも投げ込むつもりだった? そんなことしても無駄だよ。それはコピーの一部で、原本は別にある。おとなしく出て行きたまえ。今なら、誰から頼まれたかは詮索しない」
「嘘をつけ」
矢代は目をギラつかせて、
「始まる前に会場を抜け出してきたってことは、つまり、もう手が回ってるってことだ。外へ出た途端に捕まるか、口封じされるに決まっている」
「物騒なことを言うなあ。その資料に、命をかけるほどの価値なんてないよ。依頼人はちょっと困るだろうけど、なかったことにすれば、すむ程度のものだ」
「なんにもわかってないな。この国が揺らぐほどの強い風が吹くぞ」
「やれやれ、大臣の秘書を長年やっていながら、その程度の見識しかないのか。そりゃ、怪しい連中につけ込まれるだろうね、気の毒なことだ。さあ、コピーも置いていくんだ。二枚目からは、都会でもできる蜂蜜の採取法しか書いてないから、首尾良く持ち出せたとしても、恥をかくことになっていたろうけど」
「貴様……!」
次の瞬間、矢代は満潮音でなく、知恵蔵に飛びかかった。
とっさに身を丸めて後ろへ転がったが、ナイフはシャツを切り裂いていた。
満潮音は矢代の手から刃物をたたき落とした。ネクタイで後ろ手に縛り上げ、
「おまえを許さない。もし彼に何かあったら、法の裁きすら受けられないようにしてやる」
「だから、やめろ、そういうのは……」
満潮音は知恵蔵に駆け寄った。
「知恵蔵、大丈夫か! 頼む、大丈夫だと言ってくれ!」
口唇を震わせ、目を潤ませる美しい顔を見上げて、知恵蔵は弱々しく呟いた。
「泣かなくていい。死にやしない、と思う」
いたむ腹を押さえながら、知恵蔵は目を閉じた。
何人かの人間が駈け込んでくる音がした。暴漢はひったてられ、知恵蔵は病院へ運ばれた。


「……よく、眠ってたね。鎮痛剤が多すぎたかな?」
知恵蔵が目を開けると、病院のベッドの脇に満潮音が立っていた。
「私は、怪我を……して、ないな?」
寝間着の中に手を入れて触ってみたが、傷一つない。
「腹を殴られたみたいなもんだから、無傷とはいえないけど、内臓も無事だって。もう、痛みもほとんどないんじゃない? 頭とか腰を打ってるといけないから、全部検査してもらったけど、異常なしって言われたよ。綺麗な倒れ方をしたからね」
「それはおまえの仕込みで」
「うん。もちろん教えてはいたけど、とっさに出来たのは、偉い偉い」
「私は子どもか」
知恵蔵はそっと身を起こした。
「ところで、なぜ血の一滴も出てないんだ? 腹が裂けたかと思ったが……私の着ていたシャツは、ショーの丈夫なシャツじゃなかったのに」
「僕をなんだと思ってるの。君に変な物を着せてるわけないだろう。今、クローゼットにいれてあるのは、全部海外製の防弾・防刃シャツだよ。僕の相方なんだから、万が一のことを考えてね」
「やれやれ、とんだ明智小五郎だな」
すると満潮音は小さくため息をついて、
「本当に、探偵なんてやめようかな。逆上したら僕を襲ってくると思ったのに、君が刺されるなんてさ」
「私が危ない目に遭うのが厭だから、やめたいのか」
「うん」
「守ってくれればいいだろう、今まで通り」
「僕のせいでこんなことに、って思わないの」
「実際、いま、無事だろう。それにたぶん、どんな仕事をしても、おまえと一緒なら、危険なことはたいして変わらないんじゃないのか」
「それは、まあ、たぶん」
「だったら何でもいい。おまえが引退したいならすればいいし、私にできることがあるなら手伝おう。足手まといにならないような仕事があれば、だが」
「そうだねえ。じゃあ、君に僕の回顧録でも書いてもらおうか。満潮音純、最後の挨拶、みたいな」
「回顧録っていうのは基本的に、自分で書くものじゃないのか」
「僕が書いたら、自慢話になっちゃうじゃないか」
「なると思ってるところがすごいな」
「自分を僕の弱点って言っちゃう、君の方がすごいよ」
「そんなことは言ってないぞ」
満潮音はすっと顔を近づけて、耳元で低く囁いた。
「足手まといなんて、思ってないよ。……僕の大事な人は、君だけだ」


(2019.11脱稿、「美少年興信所」番外編・「瀕死の探偵」後日談)

●注:美少年興信所シリーズ、満潮音(みしおね)所長と知恵蔵叔父さんのお話で、ホームズの二次創作的なアレでもあります。2019年11月の文学フリマ東京で、折本として頒布しました。

*文学フリマで頒布した折本のデータはこちら。ダウンロードしてA3でプリントすると、本の形にできます。字数の関係でサイトバージョンと微妙に違っています。

*折り本の折り方などはこちらをご参照下さい。

*以下、なりはらの本が購入できる通販サイトさん等です。ご利用いただけると嬉しいです。

【フロマージュ】
【Amazon】
【BOOTH】(匿名配送)
【BASE】
【STORES.JP】
【架空ストア】
【自家通販】


《BLのページ》へ戻る

《推理小説系創作のページ》へ戻る

copyright 2019,2020.
Narihara Akira
http://www5f.biglobe.ne.jp/~Narisama/