『秘 密』


「三成様」
「なんだ」
「あのー、俺……ホント、申し訳ないっす!」
書き物を続けている三成の後ろで、左近がしょげかえっている。
先日のいくさで、左近隊が突出しすぎたため、石田本隊との間隙を突かれて、背後の村の一部を焼かれてしまったためだ。
すぐに三成が伏兵に気づいて大事には至らなかったが、街道に近く、補給線のひとつとして大事な土地であったため、左近はひどく落ち込んだ。
功を焦るな、と叱られても仕方がない。病み上がりで勘が鈍っていたのは事実だが、それは言い訳にならない。なにより足手まといになっては、先陣を切らせてもらっている意味が無い。
「左近」
三成は動かしていた手をとめた。
「は、ハイッ!」
「私にいつも、いいところを見せようとしなくていい」
「は、ハイ、すんません!」
「動揺していたようだが、故郷の村が焼かれたことを思い出したか」
「いいえ」
左近はそこだけ、キッパリと首をふった。
「昔は昔、今は今です」
「ならいい。貴様の悔悟は理解した。今後も励め」
振り向くことなく、また手を動かし始める。
むしろ、手をとめることの方が稀なので、左近は今の二言三言を、重く感じた。
もっとキツく叱ってくれてもいいのに。
俺、心配、されてんだ。
ホントすんません、三成様。
もう、俺に賭けてくださいよ、なんて、軽々しく言えねえな。
「どうした左近。まだ、話があるのか」
「三成様、あの、俺」
今まで訊きたくても訊けなかったことを、左近は思いきって口にした。
「俺が三成様のそばにいて、何か、いいことって、あるんすか」
三成は即答した。
「あるな」
「えっ」
左近は仰天した。
「なんすか、俺が役にたつことって」
「それは自分で考えろ」
「み、三成様ァ」
「情けない声を出すな。いつもの威勢はどうした。らしくもない」
「だって、三成様が、俺の……」
「無駄口を叩くヒマがあったら鍛錬しろ。兵法をさらえ。鉄火場で遊ぶな。早く寝ろ」
「ええっと、三成様の口から、早く寝ろとかって」
三成は振り返った。左近をジロリと睨むと、
「なんだ、何か文句があるのか?」
「いえっ、その、ないです、ハイ!」
「なら帰れ。身を休めろ。二度と不用意に熱などだすな!」
「ハイィ、マジ、すんませんでした!」
左近が三成の私室を飛び出して行くと、それと入れ替わりに吉継がやってきた。
「賢人の使いできた。ぬしに用があるようよ。半時ほどのち、天主に顔を出せ、とな」
「ああ、さすが半兵衛様、もう用意してくださったのか。ではもう、これは不要か」
三成は筆を置き、書きあげたものをもう一度見なおしている。吉継はその手元をのぞきこんだ。
「それは、先のいくさで、焼かれた村の……?」
「ああ。たびたび糧秣を焼かれてはかなわないからな。水路をいじって、火矢を放たれても延焼しない工夫を考えた。半兵衛様には、街道筋の主立った箇所の治水について、再度検討していただけるよう上申した。大坂覇城ほどの規模は必要ないが、単純な水からくりでも、消火には充分、役に立つからな」
つまり今まで、先の左近の過失に対する方策を考えていたわけだ。
「なんだ、刑部?」
怪訝そうに見上げる三成に、吉継はしわがれ声で答えた。
「見る影もナイ、とはあのような姿をいうのであろうなァ」
「なんだ、左近の話か? 力落としが気になるなら、滋養のあるものでも馳走してやれ」
「いや、ぬし、あいかわらず、アレをずいぶん可愛がっておるなァと」
三成はため息まじりに、
「それは仕方が無い。半兵衛様のご命令だからな」
「ん?」
「豊臣の系譜を育てよといわれた。気にかけざるをえない」
「さようか。まあ、アレはなかなか、果敢よな」
「ああ。だが、後詰めには向かない。先陣を切らせて巧く使うしかない。だとすれば、たとえ左近が突出しても、本隊が崩れず追撃できるよう、考えねば」
「それにはまず、いくさばを整えねば、ということか。だが万が一、自陣が獲られたら、とは……まあ、ぬしは考えぬか」
「たとえ敵陣とされても、水の流れを把握していれば有利になる。こちらが制圧した時には、さらに実り多い土地にできる。治水は常に考えねばならぬことだ。豊臣の名に恥じぬ、豊かなひのもとをつくりあげることは、秀吉様の左腕である、私の仕事でもある」
吉継はあらためて、目の前の男をじっくり見つめた。
そんなことがスラリと言えるほどになったか、と思う。
口やかましいだけの単細胞、猪突猛進の大将――そんな悪口をひそかに囁く者もいる。剣戟の腕前だけで、左腕を名乗るか、と。
だが、三成にはこうした、別の顔がある。部下に対して公平で、弱者に優しい。この国の未来を、主君同様、深く案じている。そして、長年の親友である吉継でさえ、時に驚くほどの聡明さをもっている。
「どうした? どこか気になるところがあるか」
「いや、むしろ賢人にはこれを見せた方がよい。ここまで整えられれば、いざという時には、水攻めもできよう」
「あまり田畑を押し流すようなことはしたくない。水浸しにしてしまっては、こちらも戦いにくいからな」
「そうならぬように斬り込んでゆくのが、左近やぬしの、つとめであろ」
「むろんだ。後詰めの貴様を濡らすようなことは、極力避ける」
三成はすっと立ち上がって、
「半時ほど後に天主、といっていたな。仕度する」
書き上げたものを手早くまとめはじめた。
「三成」
「なんだ」
「いや」
吉継は、喉まででかかった疑問を飲み込んでしまった。
今、それを口にするのは、どうにもはばかられた。
「ぬしに濡らされるのなら、われはそれでも、よいがなァ」
薄い笑みで誤魔化すと、三成の頬が染まった。
「今宵は早めにゆく」
声がかすれている。閨に誘われたのが嬉しくてたまらないのだ。なんとも可愛らしいその様子に、吉継は本物の笑みを浮かべた。
「あい、わかった」

その夜、三成は予告通り、常よりも早めに吉継の部屋にやってきて人払いした。
吉継も、夕餉も湯も早くすませて待っていた。
三成は優しく吉継を抱きしめると、そっと褥に横たえる。
「刑部」
吉継のまぶたに、頬に、柔らかな口づけを落としてゆく。
しばらくされるままになっていたが、吉継はふと三成の掌を握って、
「みつなり」
「なんだ?」
吉継は三成の耳に口を寄せた。
「左近がそばにいて、ぬしがよかったこととは何よ?」
「なんだ、きいていたのか」
三成の声は軽い苛立ちを帯びていた。せっかく二人きりなのに、とでもいいたげに口を尖らせて、
「今こたえなければならないのか。そんなに気になるか」
「ぬしに思うところがなければ、ある、とは即答すまい」
「そうだな。兵の緊張がとける、ぐらいの効果はあるが」
「なぜ、そら言を」
「嘘などついていない」
「そんなことなら、常からゆうておるであろ。なぜ隠す。われにも言えぬことなのか」
「いや。あれが喜ばないからだ」
「喜ばぬ?」
そばに置いてよいと思う理由を左近にいって、なぜ左近が喜ばない?
怪訝そうに見つめていると、三成はふっと目を伏せた。
「私にとっては大事なことだが、貴様だとて、喜ぶかどうか」
「われがどうした?」
「左近が来てから……」
三成は吉継のくちびるをなぞりながら、
「刑部が閨で、うんと、甘えるようになった」
吉継は仰天した。
「われが?」
「甘え方が、前よりずっと可憐になった」
「気のせいであろ、われが、そんな」
「そんなことはない。朝までずっと寄り添っていてくれるようになった。私はそれが、嬉しくてたまらなくて」
左近への無意識の嫉妬が、三成に対する甘えとなって現れたか。
それが本当なら、確かに左近にいうことでもなく。
「こんな枯れ果てた身体に添い寝されて、そうまで喜ばずとも、よいものを」
吉継が思わず顔を背けると、三成は再び吉継を抱きすくめながら、
「鍛錬を怠らぬ、よく絞られた身体だ。誰にも恥じることのない武将の体躯だ。なのに、中は蕩けるように熱い。それを存分に濡らしてよいといわれて、喜ばない私だと思うのか」
「三成」
どんなに三成に求められているか、それは飽くことを知らぬようにむさぼられることで、よくわかっていたはずなのに、それでも足りず、甘い囁きがききたい己がいることに気づいて、吉継は震えた。
「われを、ほしるか」
「ほしい」
「あ……ああっ!」
そのまま深く三成に貫かれて、吉継の喉から漏れたのは、苦痛でなく、もちろん、喜びの呻き声で――。

*      *      *

その頃、左近は寝床の中で天井を睨んでいた。
《なんだろ、俺がいて、いいことって……三成様……》
自分で考えろ、といわれた。
確かに、自分で考えなければならないことなのだ。
《三成様を笑顔にできるのって、秀吉様と刑部さんぐらいだもんな。俺みたいな新参者が、三成様に大事にされてるだけでも、めっけもんなんだよなー》
おのれの主に、振り向いて欲しいわけではない。
ただ、好きになるのは自由なはずだ。
どんな形でも、尽くすのは変わらない。自分で選んで、ついてきたのだから。
ぎゅっと目を閉じ、三成の白い頬を思い浮かべる。
《なんにしても、三成様、俺、ここにいて、いいんすよね……!》
今までの日々を様々に思い返しながら、左近はようやく眠りに落ち――。

(2015.1脱稿)

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Written by Narihara Akira
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